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天と地と狭間の世界 イェラティアム  作者: 夜々里 春
三章【天上の子・後編】
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◆第五話『鋼鉄の波』

 すぅっと涼やかな風が、肌を撫でていく。

 視界を遮るものはない。

 あるのはただ、豊かな緑で覆われた大地のみ。

 雄大で、美しいその場所は、これから人と人の争いが行われるとはとても思えない静けさを保っていた。


 本体から少し遅れて、ベルリオットは聖都を発った。

 今はオルバとともに水路へと向かって空を飛んでいるところだ。


「いいか、蒼翼。人形を引きつけるまではなにがあっても前に出るんじゃねぇぞ」

「わかってるよ」

「どうにも信用ならねぇ。お前は感情的になるところがあるからな」

「あんたには言われたくないんだけどな」

「おいおい。俺は意外と冷静で通ってるんだぜ?」

「初めて遭ったとき、そっこうで殴りかかってきたのは誰だよ……」

「あれは城に忍びこむなんて馬鹿なことするおめぇが悪いんだろうが」


 そんな軽口を叩き合っているうちに眼前に水路が見えてきた。

 すでに到着していた連合の騎士たちが、あちこちでせわしなく動いている。

 現在、水路前に配された騎士は総勢で三千五百だ。

 ただ横長の布陣のためか、予想以上に少なく見える。


 空中から水路を軽く覗いてみた。

 底が見えないほどに深い。

 幅も相当に広く、妨害なく跳躍しなければ人形は飛び越えられないのではないか、と思えるほどだ。

 ベルリオットは、オルバとともに水路前に着陸する。


「クノクス卿、すでに準備は整っています。陽動部隊も、おそらく敵を引き連れている頃かと」

「ああ、ご苦労さん」


 と騎士の報告に対応するオルバに、ベルリオットはふと浮かんだ疑問を口にする。


「いまさらだけど、あんたはどうするんだ?」

「あん? 俺もここで応戦するに決まってんだろ」

「いや、だからアウラを使えなくなるんだぞ? 《四騎士》……あの、ジャノのおっさんでもアウラを使えなかったんだ。言っちゃなんだが、あんたが使えるとは」

「んなこたぁわかってるっての。だからこうして……」


 とうとつにオルバがアウラを纏うと、拳を足元に向かって突きたてた。亀裂の入った地面から、人ほどの大きさを持った岩を両手で抉り取り、持ち上げる。


「水路を越えようとしたやつに、こいつをぶち当ててやんだよ」


 その巨大な岩をぶつけたところで、アウラという鎧を破壊することはできない。

 だが衝撃自体が消えるわけではない。

 人形に近づかなければアウラを全力で活用した投擲ができるため、その威力は馬鹿にできないだろう。

 それに人形には滞空能力がないのだ。

 跳躍したところを狙えば、ある程度の損害を与えられるかもしれない。


「なんでもかんでもおめぇ一人に任せられるかっての」


 得意げな笑みを浮かべ、オルバが言った。

 危険な目に遭うのは自分だけでいい。

 ベルリオットは無意識的に、そう思ってしまうことが多かった。


 今回だってそうだ。

 人形をどうにかできるのは自分だけだと決めつけ、具体的な策もないまま戦地に赴いた。


 ――ベル様。もう少し、みんなを信用してもいいんじゃないかな


 クーティリアスの言葉が思い起こされ、痛いほど胸を突いた。


 そう言えば……。


 ベルリオットは会議が終わった際、クーティリアスの様子がおかしかったことを思い出した。


 ――ベル様は、これからもずっと人間として生きていきたいって……そう思うかな


 そう口にした彼女に対して、ベルリオットはうなずいた。

 もちろん自分がアムールである事実は変わらない。

 つまりは心の持ちよう。ベルリオットが、どう思っているのかを彼女は聞きたかったのだ。

 だから〝人間として生きたい〟というこちらの答えは間違いではなかったはずなのに、クーティリアスの顔は曇ったままだった。


 あいつは、俺が人間として生きることを望んでいないのか……?


 ただ、彼女の表情から察するに、そう単純な問題ではないような気がした。

 この戦いが終わったら直接訊いてみよう、と思ったそのときだった。


「おい、そろそろ来るぞ」


 思考の中に、オルバの声が割って入った。

 顔を上げると、視界の大半をしめていた青空の下方から、ゆるやかに砂塵が侵食していくのが映った。次いで視界の両端を繋ぐほど大量の光点が空と大地の境界に現れ、次第にその姿を大きくしていく。


 手前に見えるのは味方の騎士たちだ。

 人形を釣るために先行していた陽動部隊。その数は約三千。

 多様な光を身に纏い飛行し、こちらに向かって飛んでくる。

 その後方から紫の光に身を包んで迫る来るのが帝国の人形だ。

 数は目視でも百前後と見える。

 どうやら敵はすべての人形を前線に投入してきたらしい。


 あの人形が近くにいればアウラを使えないのは敵も同じだ。

 アウラを使えない状態での乱戦を考慮すれば妥当な判断だろう。

 それにアウラを使えないという不安は、簡単に拭いきれるものではない。

 だから人形を本陣に置くようなことはせず、そのすべてを前線に送り込んでくる可能性が高いと踏んでいたが、予想通りだったようだ。


「奇襲部隊に合図を送れ!」


 クノクスの叫びに応じて、近くの騎士が巨大な青旗を振った。

 東西の外縁部に向かって一定間隔に配された騎士たちが順に旗を上げていく。

 これを合図に、エリアス、リンカの部隊が大陸圏外から飛空船を使って迂回し、敵本体へ奇襲する手はずになっている。


 順調な流れだった。

 だが、なぜか胸の中がすっきりしない。

 なにか見落としていることはないだろうか、と現在の状況を脳内で整理していくが、やはり原因は見つからない。


 考えすぎだ。

 これから自分が戦うのは人形だが、その裏に控えているのは人間。

 人と人とのはじめての戦争に、気持ちが前向きにならないだけだ。

 きっとそういうことなのだろう。

 そう自分でも説明できない感覚に無理やり理由をつけ、納得させた。


 ベルリオットが考え事をする間にも、戦線はだんだんと迫ってくる。

 人形や、それに追われる騎士たちの姿がより鮮明になった。

 瞬間、目を剥いた。

 一人、二人、と見える範囲でも何人かの騎士が、人形のつくりだす鉄の波にのまれていたのだ。

 反射的にベルリオットはアウラを纏い、飛び立とうとする。が、すぐさまオルバの大きな手が肩に置かれ、制された。


「おい、さっき言ったばっかだろ。こらえろ」

「けど……っ!」

「あれ相手に犠牲もなく勝つつもりでいたのかよ。いま、おめーが出ていったらそれこそ全部無駄になるぞ」


 オルバが言っていることは現状でもっとも正しい選択なのかもしれない。

 だが納得したわけではなかった。

 助けに行きたい。行きたいのに、オルバの言葉が体を縛って放さなかった。


 あいつらの命を無駄にはできない。けど……!


 ベルリオットは心に折り合いをつけらず、少しの間硬直してしまう。

 それは人形が水路に近づくには充分な時間だった。

 オルバの声がみたび響く。


「よし、今だ!」


 今度は聖都へと直線に並んだ騎士たちが、近場から順に旗を上げ、大きく振りはじめた。

 これが伝われば、聖都中に巡らせている水がせき止められ、代わりに眼前の水路へと流される。

 だが、そうすぐには水が流れてこない。

 伝達だけでなく水が流れてくる時間もかかるのだから当然だ。

 ただ頭では理解していても、渓谷を挟んだあちらの光景を目にしながらでは時間がひどく長く感じた。


 ふいに、大地が揺れているような感覚に襲われた。

 《安息日》に大陸が上昇するときの振動にどこか似ている。

 だが、今日はメルヴェロンドの《安息日》ではない。

 破裂音が幾つも重なったような音が、左右、後方から耳に届いた。

 振り向けば、水路を進む水の姿がうかがえた。

 それはあまりの量、勢いのために水路から溢れながら進んでいる。


 東西を進んできた水同士が、ちょうどベルリオットの眼前でぶつかった。

 轟音とともに、行き場をなくした水が上空へ向かってはじけ飛ぶ。

 壁と化した水の中を多くの騎士たちが潜り抜けてくる。

 彼らがこちら側の岸にたどり着いたとき、上空へと飛び上がっていた水がすべて落ちきった。


 はじめはベルリオットのいる南側――聖都側にも水が溢れてきていたが、すぐに対岸の北側――人形たちがいる岸へと流れ、一瞬にして眼前の大地を浅黒い水色に塗り替えた。


 効果は予想以上だ。

 人形たちの足が一斉に止まった。

 中には膝をついているものも見られた。


「蒼翼っ!」

「ああ!」


 クノクスが叫んだのと同時、ベルリオットは飛び立った。

 勢いそのままに、横長に伸びた人形の隊列正面へと突っ込む。

 人形たちは即座に対応することもできず、流れてきた水に足を取られたままだ。

 このまま攻撃すれば、一体は仕留められるだろう。


 だがベルリオットは上空へと舞った。

 辺りを見回し、倒れた騎士たちの位置を頭に叩き込む。

 それから一度人形たちの背後へと回り込み、倒れた騎士のもとへと突っ込んだ。


 人形たちは水に足を取られているとはいえ、動けないわけではない。振り子のように拳を叩きつける攻撃があちこちから飛んでくる。それをかいくぐりながら、一人、また一人と騎士を抱え、敵陣を抜けた。


 こちらの行動を見てか、一人の騎士が負傷者を受け取りに来てくれた。負傷者を預けるとき、ふと対岸に立つ巨体の騎士――オルバが、じっとこちらを見ているのが視界に入った。

 彼に向かって、ベルリオットは叫ぶ。


「やっぱり俺にはできない! 目の前で倒れてる奴がいたら、なにがあっても助けたい!」


 目の前でなければいいのかとか、敵ならば倒れていてもいいのかとか、当然の疑問だ。都合がいいなんてことは自分でも理解している。


 それでも俺は……!


「ハッ、嫌いじゃないぜ。おめぇみてぇな馬鹿は――よォ!」


 言いながら、オルバが巨岩を投擲した。

 それがベルリオットの脇すれすれを通り抜けた直後、重く鈍い音を鳴らした。

 振り返れば、体勢を崩し落下する人形の姿が映った。さらに視界の端では、水路を飛び越えようとする人形に対し、他の騎士たちが岩をぶつけている。

 ひどく原始的な光景だ。

 それでも一生懸命に戦う彼らは、なによりも格好良く見えた。


「後ろは任せろ! おめぇは好きにやんな!」

「オルバ、みんな……」


 一人ではない。

 その事実が心に染み込んでいく。

 無論、これまでも一人で戦っていたなんて思っていない。

 ただ、本当の意味で一緒に戦っていると思えたのは、エリアスやリンカという今では身近になった一握りの騎士だけだった。

 それがいま、段々と増えている。

 自分の世界が広がっていくことと同義のように思えた。


 ……だからこそ俺は守りたいんだ。


 ベルリオットはオルバたちに背を向け、人形で埋め尽くされた大地へと突っ込んでいく。間もなく、自身の周囲に舞っていた青の燐光が黄色に変わった。

 人形の支配領域に入ったのだ。


 地上から三体の人形が跳びあがり、向かってくる。

 三体ともが突きを繰り出してくるが、同時ではない。

 時間差を利用し、順に突きを放ってくる。

 だが人形は飛行能力を持っていない。

 空中での機動力はこちらに分があるため、難なく攻撃を躱すことができた。


 ただ、いくらベルリオットが人形の支配領域でアウラを使えるとはいえ、その質は普段の青の光(カエラム・クラス)から黄の光(フラウム・クラス)へと落ちている。

 人形が纏うアウラは、黄の光よりも一段階上の紫の光(ヴァイオラ・クラス)だ。こちらが飛行できたとしても、相手の数を考慮すれば奴らの支配領域に長くいるべきではない。


 さらにひとりで見られる範囲には限りがある。なるべく中央に敵を纏めることを意識して戦わなければ迂回され、水路を突破されかねない。

 それらを頭に叩き込み、ベルリオットは勢いよく眼下へと突撃した。

 狙いは急流に足を取られた一体の人形。

 他の人形が水しぶきを飛ばしながら力任せに拳を放ってくるが、それらをかいくぐり標的に到達した。


 アウラの質で劣れば、戦いは不利になる。

 これはアウラを利用した機動性、また身を守る衣、結晶化した武器の硬度が、質に応じて高くなるからだ。

 しかし質が上だからと言って斬れないわけではない。

 そのことを実際に何度も体験してきた。


 標的の眼前に勢いよく着地する。

 周りの水が飛び散り、ベルリオットを中心に円形状の穴が生まれた。

 足をつけなくとも問題はなかったが、やはり地に立つ方がしっくりくる。

 深く腰を落としたのと同時、左脇へと添えた両手の中に等身大の剣を造りだした。


 途端、影が落ちた。

 振り上げられた人形の両拳が槌のように迫ってくる。

 円形状に散っていた水が戻り、足に触れた。直後、ベルリオットは溜めていた力のすべてを前方へと放った。飛翔とともに剣を払い、人形の脇を通り抜ける。

 ひどく短い金属音が鳴った。


 狙ったのは胴体と左足、左腕の接合部。

 肩越しに標的を確認すると、体勢を崩し横向きにくずおれていた。

 水を叩き、破裂音が辺りに響く。


 倒した。

 そのことに一瞬安堵を覚えたが、直後に前方の空気が激しく乱れ、意識を引き戻される。前方、両脇、果ては後方からの追い討ち、と人形があちこちから飛びかかってきた。紙一重でそれらの攻撃を避け、上空へと瞬時に逃げ延びる。


 ディザイドリウムで対決した際、人形を斬る感覚は掴んだ。

 だが――。


 ベルリオットは上空から改めて人形たちを見下ろした。

 視界に入りきらないほどの数が、地表を覆った水上に多く点在している。


 多いってもんじゃないな、これは……。


 ただ絶望感はなかった。

 自分が引き受けたのは、奇襲部隊が敵本陣を突くまでの間、人形たちを足止めすることだ。人形すべてを倒すことは作戦に入っていないし、そもそも無理だと自覚していた。


 ずきり、と腹の傷がうずいた。

 思わず顔を歪めてしまう。

 気を緩めれば、今にも意識が飛びそうだった。

 戦っているときの方が傷の痛みを忘れられた。

 感覚が麻痺しているだけなのは理解している。

 だが結局、自分はいま戦うことしかできないのだ。


 ふいに寒気が背筋を駆け上がった。

 感知できる空気の中になにかが侵入したことだけはわかった。

 切り裂き、うねるように進むこれは――。


 ベルリオットはとっさに後方へ下がった。

 眼前を光の線が通過する。それは糸のように細くなり、やがて空気に溶けるようにふっとかき消えた。


 光線の出所は人形たちの後方からか。

 すぐさま様子を探らんとそちらへ向いた。

 途端、視界を埋め尽くすほどの光の点が映った。

 それは段々と大きくなり、こちらに迫ってきていることを否が応にもしらせてくる。


 剣を捨てた。

 さらに巨大な盾を造り、自身を光点から守るように構えた。直後、周囲がまばゆい光で満たされる。到達した光線に、何度も何度も盾を叩かれる。


 直撃をまぬがれているとはいえ、衝撃を完全に殺しているわけではない。

 少なくない振動が体を揺らした。

 傷口がみちみちと音をたて、開いていくような感覚に襲われる。


「冗談じゃ……ないっ……ぞっ!」


 盾越しに光の出所をうかがう。

 人形たちのはるか後方に帝国兵が陣取っていた。

 数は五百程度か。

 人形と同じく横長の配置で、二人一組で長めの円筒を構えている。


 本来ならば、聖堂騎士を始めとするリヴェティア、ディザイドリウム連合の数千という騎士相手に行使される力だったのだろう。

 それがすべて、いまは自分に向けられている。


 いくら戦力差を覆すために必要なこととはいえ、あまりにも不利な状況だ。

 このまま上空にいては光線で狙い撃ちにされる。

 かと言って人形たちの支配領域に身をさらせばいつかは掴まってしまう。


 それでもやるしか……!


 とにかく動き続けるしかない。

 ベルリオットはなおも襲い来る光線を受けながら急降下し、みたび鉄が織り成す波の中へとその身を投じた。


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