◆第十一話『機巧人形』
眼前の出来事を前に、ベルリオットは声を失った。
突如として現れた巨大な人形が、振り上げた腕を下ろし――。
ドルーノを潰した。
その無惨な姿は、とても言葉にはできない。
近場にいたヴェニとカルージが喉をひくつかせ、うめく。
「ド、ドルーノ……?」
「うそ……だろ」
彼らは手を伸ばそうとするが、そこにドルーノの姿はない。
あるのはただドルーノであったモノだ。
それを押し潰し、今も地に食い込むのは、人形の太くそして鋭い手。
よく見れば、紫の膜に包まれていた。
紛れもなくアウラだ。
あのような無機質なものが自立して動き、アウラを纏うところなど見たことがない。
緩やかに回復していく思考の中に、きぃん、と耳鳴りのような音が割って入ってきた。
途端、一気に醒める。
「全員、早くアウラを纏え!」
言って、ベルリオットはアウラを取り込もうとした。
だが思うようにいかない。
いくら呼んでもアウラがなかなか答えてくれない、といった感じだ。
それでも無理やりにかき集めながら、ようやくアウラを取り込み、放出の循環を生み出した。しかしその色は、今や自身の特徴的なしるしとも言える青ではなく、王城騎士なら誰にでも纏える黄のそれだった。
異様な事態に混乱しながらも、頭を振って周囲を見回した。
見れば自分以外はアウラすら纏えていない。
どうなってるんだ!?
混乱するベルリオットをよそに、人形が地に埋めこまれた自身の右腕を持ち上げた。
人形には口も、目もない。
それなのに嘲笑したように見えた。
「てめぇ……よくもっ!」
「くそがぁあああ!」
ヴェニ、カルージが人形に飛びかかった。
「よせっ、逃げろ!!」
ジャノの叫びも空しく、彼の弟たちは向かっていく。
人形の動きは単純。だがアウラを使っていない者と、アウラを――しかもヴァイオラ・クラス相当を使ったモノの動きは比較にならない。
人形の右手がヴェニを捉え、直後に左手がガルージを捉える。
接触の瞬間、どちらの体もぐにゃりと曲がった。人形の腕が振り抜かれ、弟たちが遠方へ突き飛んでいく。近くの建造物に衝突するや、力なく倒れた。もはや人としての形をなしていない。
確認せずとも生死は明らかだ。
「ヴェニィイッ! カルージィイイイイイッ!」
ひと気の少ない王都にジャノの慟哭が反響する。
ベルリオットは目の前の事態を信じられなかった。
あの人形が現れてから、まだほんのわずかな時しか経っていない。
だと言うのに三人が死んだ。
あっけなかった。
ジャノが膝を折り、全身を振るわせる。
「なんなんだ、なんなんだこれは…………っ」
視点が定まっていない。
その充血した眼からは大量の涙があふれ、頬を伝って流れていく。顎から滴り落ち、地面にいくつもの斑点を作り出す。
人形がジャノに進路を向け、動きだした。
どういうわけか、あの人形だけは紫の光という高い質のアウラを使えている。
このまま戦ったところで勝ち目はない。
そこまで状況を整理したのち、ベルリオットは叫ぶ。
「しっかりしろおっさん! あんたまで死ぬぞ! 今すぐにここから逃げるんだ!」
「逃げろ、だと……?」
「そうだ! アウラが満足に使えないんだ! 逃げるしかない!」
「ふざけるな……奴は我が弟たちを殺ったのだぞ」
そう口にしたジャノが目の瞳孔を開かせた。
どう見ても正気ではない。
「絶対に許さん」
ジャノがゆらりと立ち上がった。
呼応するように人形が動きだす。走るのではなく、まるで地面の上を滑るような移動。だらりと垂らした腕を両脇後ろへ流し、猛進してくる。
それを迎え撃たんとし、ジャノが雄叫びをあげながら駆け出した。
だが今の彼はアウラを使えないため、まともな攻撃手段すらない状態だ。
このままでは彼の弟たちと同様、死はまぬがれない。
「くそっ!」
人形とジャノの接触点へと翔ける。が――、
遅い。遅すぎる。
これほどまでに青の光と黄の光のアウラは違うのか、と。改めて青の光の強大さを思い知りながら、ベルリオットは翔けざまに緑の剣を造り出す。
ジャノが己の拳一つで殴りかかっていく。
対する人形は、右腕を水平に構え、その巨大な手で薙ぐ攻撃。
ベルリオットは勢いのままジャノに体当たりをかまし、突き飛ばした。直後に剣を逆手に構え、人形の攻撃を受けようと迎える。
だが満足な体勢ではなかったためか、はたまたアウラの質で劣っていたためか。
剣を砕かれ、敵の手に腹部を捉えられた。体が腰からぐにゃりと曲がる。猛烈な勢いで突き飛ばされ、近くの建物の壁に激突。全身を強く打ち付け、悲鳴をあげるかのごとくむせてしまう。
「ベルリオットッ!」
ジャノの叫び声が聞こえた。
おかげで意識を保つことができた。だが安堵している暇はない。
人形の手が振り上げられ、ふたたびジャノを捉えようとしていた。
全身に覚えた痛みも無視し、ベルリオットは反射的に立ち上がり、飛翔する。
左腕の感覚がない。
先ほど、無理な体勢で敵の攻撃を受けたせいかもしれない。
だが関係なかった。
ただただ必死だった。
人形の振り下ろしの一撃を、造り出した緑の結晶盾で受け止めた。左腕を使えない代わりに、右肩を盾に押し当て留める。
体重を預けるように、人形がさらに手を押し込んできた。結晶盾に入った亀裂が外側へと広がっていく。
四肢が痛むのを堪えながら、ベルリオットは叫ぶ。
「おっさん! あんた残される奴の気持ち考えたことあんのかよ! 娘がいるんだろ! だったら生きろよ! 今あんたがすることはヴェニたちの仇じゃない!」
気づけば、ジャノのことが自身の父親であるライジェルと被って見えていた。
――父親の死。
辛い記憶が脳裏に蘇る中、ただただ彼の娘に同じ想いをさせたくない気持ちが溢れ、飾ることなく吐き出した。
「生きろッ! ジャノ・シャディンッ!」
死んだ弟たちの仇を討つ。
それに対しての気持ちも、行動も理解できる。
だが現状、仇を討つのは自殺行為としか思えない。
生きられる可能性があるのなら、生きるべきだ。
彼には待っていてくれる者がいるのだから。
「わたしがここにいては、お前の邪魔になるだけだな……」
「安心してくれ、こいつは俺がやる! だからおっさんは先にリヴェティアに!」
ジャノの顔は背後にあるため窺えない。
だが、やりきれない思いを抱えていることは言葉の端々から痛いほど感じ取れた。
「……わかった。死ぬなよ、ベルリオット」
「ああ」
ジャノの足音が遠ざかった。
直後、敵の攻撃を押し留めていた盾が破砕した。結晶を散らしながら、人形の手が迫り来る。身をよじり、すんでのところで躱す。顔面すれすれを通り過ぎた敵の手は、地面に激突し、歪な穴を作りだした。遅れてやってきた風圧に、ベルリオットは全身が一気に冷え込む。
相手はアウラを使える。
対してこちらはアウラを満足に使えない。
はっきり言って勝ち目は薄い。
だが体中を駆け巡る血は、不利な状況に相反して熱を帯びていく。
生きろ、か。
つい先ほど自分が口にした言葉が、はね返るようにして心に突き刺さる。
俺だって死ぬ気はない……!
その決意とともに、ベルリオットは人形の胸元へと剣を突き出した。がつん、と衝撃音を鳴らしたのと同時、敵を二、三歩後ずさらせた。だが、それだけだった。剣の切っ先は紫に光る膜にさえぎられ、砕けた。当然、敵に致命傷を与えられていない。
格上のアウラで形成された結晶に攻撃を徹すのは、やはり容易ではない。
ベルリオットはすかさず剣を再生成する。が、その行程さえも青の光のときに比べて段違いに遅く、思わず苛立ちを覚えてしまう。
我慢しろ。今はこれしか使えないんだ!
体勢を整えた人形の腹部に払いを見舞いつつ、脇を通り抜けた。地面に足裏を擦り付けながら勢いを殺すや、声を張り上げる。
「こっちだ人形!」
人形が地面からわずかに足を浮かせながら、すーっと音もなく振り返った。
敵がジャノを追いかけないように、との挑発だったが、どうやらもう心配はいらないようだ。敵の標的は今や完全にこちらに向いている。
ベルリオットは跳ねるように後退りながら間合いを取ろうと試みた。だが、敵は簡単に距離を空けさせてはくれない。
瞬時に肉薄され、金属のこすれる音とともに何度も両手を突き出される。その度に地面がえぐれ、大きな穴が作られる。
動きに緩慢な部分があるとはいえ、その威力は色が示す通り紫の光のそれだ。まともに攻撃を受ければひとたまりもない。
敵の攻撃に注意しながら、ベルリオットは後退していく。
ふいに敵が低姿勢になったかと思うや、こちらの足もとを払うように回し蹴りを放ってきた。これまでにはなかった機敏な動きに戸惑いつつも、上空へと逃げ延びた。が、人形がすかさず跳び、追い討ちとばかりに右手を突き出してくる。
避けるのは難しい。
結晶武器で攻撃を受けようにも、右腕一本では圧力に支えきれない。
どうする……ッ!
一瞬の逡巡ののち、ベルリオットは胸の前で水平に構えた剣の腹に両足を押しつけた。直後、人形の手が剣に激突。凄まじい衝撃が、足の裏から頭へと突き抜けた。結晶武器が弾けるのと同時、ベルリオットはさらに上空へと突き飛ばされる。
視界に映る世界が勢いよく流れ、線としてしか認識できない。
体勢を整えなければ、さらに追い討ちをかけられる。
中空で踏ん張りをきかせ、どうにか勢いを止めた。敵の追い討ちにそなえ、咄嗟に身構えるが、予想外にも敵からの追撃はなかった。
周囲の様子を探ると、地に足をつけた人形が目に入った。
こちらは体勢を崩していた。絶好の機会だったはずだ。
なのに、なぜ攻撃してこなかった。
ベルリオットが思考をめぐらせる間も、人形は空を飛んで迫ってこなかった。地面のわずか上をすべる移動で、こちらの眼下へと向かってくる。
その姿を目にしながら、ふと、この人形が浮遊しているところをまだ見ていないな、と思った。
もしかすると――。
ベルリオットは、あえて自ら人形の頭上へと向かった。すると人形が勢いよく跳躍し、右腕を突き出しながら飛びかかってきた。先ほどと同じ攻撃であること、また予め想定していた軌道だっため、難なくそれを躱す。
と、人形が、またもや連撃を繰り出すことなく地上へと下りた。
やはりそうだ。
理由まではわからないが、おそらく人形は飛ぶことができない。
或いは飛ぶのが苦手なのだ。
そうとわかれば、舞台を空中に絞ることで戦いを有利に進められる。
勝機はある。
あとは、この剣を奴の体に徹すだけだ。
結論が出るやいなや、ベルリオットは再び翔けた。
人形が跳躍し、みたび向かってくる。
最高点を迎えた後、人形は落下するしかない。
狙うのは、そこだ。
そう決めた瞬間、急激に空気が乱れたような気がした。
上空だ。
この感覚、以前にも一度どこかで――。
いやな予感がした。
咄嗟に急停止し、天を仰ぎ見る。
直後、視界の中でなにかがきらりと光った。
その光の出所とこちらとの間に、大小様々な紫の光輪が現れた。その中を別の紫の光が貫くように通過し、向かってくる。近づくに連れ、紫から黄へと色が変わっていく。
だがそれも一瞬の出来事。
ただ情報として認識できただけだった。
これはあのときの……?
記憶が完全に思い出されるよりも早く。
人形の脇を通過した一筋の光が、ベルリオットに到達した。




