◆第十話『静かなるときはやがて』
「じゃあな、クティ」
「あいっ。また遊んでね、ベル様」
ベルリオットはクーティリアスに見送られ、大聖堂をあとにした。
七大陸王会議が二週間後にまた行われる。
そのときにまた会う機会があるので、別れの言葉は簡潔だった。
そして飛空船に乗り込み、メルヴェロンド大陸を発ってから間もなく、
「まったく、どうかしてるわ」
リズアートが開口一番にそうこぼした。
「手を取り合わなくちゃいけないって時期なのに、それを利用して好き放題するってどういうことよ、ほんとにもうっ」
ご立腹だ。
――全大陸の騎士が集まる機会はそうそうない。武人としての気持ちが昂ぶってしまい、腕試しをした。ただそれだけで他意は一切ない――。
というのが帝国側の言い分だった。
馬鹿げている。
だが対象となったベルリオットはリヴェティアの騎士である。
そしてそのリヴェティアの王であるリズアートは、今回の七大陸王会議を開き、大陸落下問題に立ち向かうため、もっとも積極的に全大陸の協力を求めている。
だから出来る限り事を荒立てるわけにはいかなかった。
そうした彼女の立場を帝国側が利用したのは明らかなのに、なにもできないのだ。彼女が腹立たしいと思うのも無理はない。
「しかも、よりによってうちの騎士だなんて……」
「まあ、青のアウラを見たかったんじゃないか? 珍しいしな」
「見たいならそう言えばいいだけでしょう? わざわざ闘う必要なんてないじゃない」
「それはそうだが」
「本当に手合わせだけだったんでしょうね?」
「ああ」
本当は違う。
相手をしたティーアは、隙あらばこちらを“殺そうとしていた”。
人質を取るような集団に属しているのだから、そのこと自体に対して特段おどろきはしなかった。が、それを行使したのがティーア・トウェイルというのが問題だった。
なにしろ彼女は、自分の親しい友人であるナトゥールの姉なのだ。進んで公にしたい、とは思えなかった。もちろん、“殺しにかかってきた”ことが立証しにくい材料であることも理由の一つだが。
ティーアのことを思い出し、頭の隅にしまっていた疑問がふたたび浮かび上がってくる。
「にしてもあいつ、アミカスの末裔なのに教会を敵視してたんだよな」
「アミカスというと、あなたと手合わせをしたっていう?」
「ああ。てか俺もそのときに知ったんだが、あいつトゥトゥの姉なんだってさ」
「えっ」
リズアートが目を瞠った。
彼女は訓練校に在籍していた時期がある。
そのときナトゥールと知り合っていたので、ついでに教えてみたのだが……予想通りの反応だった。
「ティーア・トウェイル将軍ですね」
言ったのはユングだ。
操縦しているため、相変わらず真正面しか見ていない。
「ユング、知ってたの?」
「ええ。ただ彼女は二ヶ月ほど前に就任したばかりで情報がほとんどありませんでしたから。陛下が知らないのも無理はないかと」
少し面白くない、とばかりにリズアートが眉根を寄せた。
だがそれもすぐに収まり、うーん、と唸りながら思案顔を作る。
「でも……そう。彼女が教会を恨んでいる、か。ただ、それ自体はおかしくないかも」
「おかしくない?」
ベルリオットの単純な問いに、リズアートが「ええ」とうなずく。
「教会の平等ってちょっと極端なのは知ってるでしょ。基本的に誰かに手を差し伸べることはしない。それはアミカスの末裔であっても同じ。例外があるとしたら、それこそ彼女たちが崇めるアムールだけだろうけど。まあ問題なのは、アミカスの末裔が教会と同じ気持ちとは限らないってことよ」
つまりどういうことなのだろうか。
意味を理解できず難しい顔をすると、リズアートが話を続けてくれる。
「彼らって一部から迫害を受けているでしょう?」
「あ、ああ。アムールに見捨てられたから浮遊大陸に置いていかれたってのが理由で、だよな」
「そう。あとは数が少ないことも、ね。そうしたことから劣等種として彼らを蔑む人間がいる」
身近にナトゥールというアミカスの末裔がいるため、そうした人間はよく見てきた。
思い出しただけでも胸糞が悪くなる。
「ほんと最悪な奴らだよ」
「ええ、本当に」
重い空気が船内に満ちる中、彼女が話を継ぐ。
「とにかくそうした事実に対して、アムールを同じく主とする教会がなにもしない。それがアミカスの末裔にとっては、見てみぬふりをしている、と感じてしまって……さっきの教会を敵視、につながっているのかもしれない。そういうこと」
なるほど、とベルリオットは納得した。
ただ共感はできない。
なぜなら教会が手を差し伸べることが前提の考えだからだ。
押し付けがましい、といっても過言ではないだろう。
だが、それはあくまで外部の意見だ。当事者であるアミカスの末裔にしか感じられないことがあるのかもしれない。
ともあれ今回、ティーアと出会ったことで世界に存在するアミカスの末裔への差別問題が、より深いところにあることをベルリオットは改めて知った。
どうにかできねえかな……。
昔はナトゥールひとりさえ守る力がなかった。
アミカスの末裔を蔑む悪意から守れなかった。
だが、今の自分には力がある。
ナトゥールだけでなく、それこそアミカスの末裔すべてを守ることぐらい、できるのではないか。
アミカスの主たるアムールだから、という責任感からではない。
自分自身で決め、心からそうしたいと思った。
それにおそらく、浮遊大陸に生きるすべてのものが力を合わせなければきっとシグルには立ち向かえない。
アミカスの末裔も例外ではない。
彼らの協力を得るためにも、この差別問題は解決しなければならないだろう。
どうにかできないか、じゃない。どうにかしないとな。
そんなことを思いながら、ベルリオットは人知れず拳を作った。
メルヴェロンド大陸が見えなくなった頃、外はすっかり暗くなっていた。
暗闇の中、飛空船がほのかな光を纏いながら飛行する。
「それにしても奴ら、なにもしてこなかったわね」
リズアートがぼそりとこぼした。
「……黒導教会のことか?」
「ええ。あれだけ王が集まってたのに襲ってこないなんて。別に期待していたわけじゃないけれど、なんだか肩透かしを食らった気分よ」
言って、彼女は背もたれにどすん、と身を預けた。
ユングが静かに会話に入ってくる。
「前団長の件以来、沈黙を保っていますね」
「大人しくしていてくれるのはもちろんありがたいんだけど、動きがないならないで尻尾がつかめないから厄介なのよね」
「ですが会議はまた開かれますから」
「そうね。次はなにか動きがあるかも」
黒導教会の襲撃。
それを期待していないとリズアートは言うが、どう見ても期待しているようにしか見えなかった。
奴らの力は未知数だ。
なにをしてくるかわからないし、どんな力を持っているのかもわからない。
それなのに彼女は、奴らが現れても大丈夫だと思っている。
つまりそれは、護衛を信頼しているということなのではないか。
ベルリオットの中に、言い得ぬ期待感が湧き起こる。
気づくと振り向き、後部座席をうかがっていた。
彼女はこちらと目が合うやいなや、小首を傾げた。
「ん? なに?」
「……いや、なにも」
具体的になにかを期待していたわけではない。
だが、なんだか肩透かしを食らったような気分に陥った。
「それでは申し訳ありませんが、わたしは本部に用事がありますので」
飛空船は、無事にリヴェティア大陸に到着。
その後、ポータスからストレニアス通りを北に上がり、今はレニス広場にいるところだ。
ユングがこちらを向く。
「トレスティング卿。陛下をお願いしますよ」
「了解です」
こちらの返事にうなずいたあと、ユングは「では」と騎士団の方へと向かって去った。
さて、とベルリオットはリズアートに向き直る。
「じゃあ、行くか。城でいいのか?」
「う~ん」
唇をほんの少し突き出し、彼女は明後日の方向を見やる。
なにか思うところがあるらしく、なかなか答えが返ってこない。
暇つぶしに辺りを見回すと、中央の巨大な噴水が目についた。
暗がりの中、近隣の住宅から漏れる灯、月明かりを受けた水がゆらゆらと煌く。それは絶え間なく流れ、変わりない音を辺りに響かせる。
夜のレニス広場は、幻想的な空気に包まれる。
それを求め、男女で訪れる者も少なくない。
薄暗いため、はっきりとはわからないが、いまもそうした姿はいくつかうかがえる。
なんだか居心地が悪くなってきた。
「おい、まだか?」
「うん、やっぱりエリアスのところに行こうかしら」
どうやら自己解決したらしく、リズアートがようやく答えを出した。
夜間の城内警護では私的な時間が多いため、同じ女性であるエリアスの方がなにかと都合がいい。
そうした理由からの選択だろう、とベルリオットは思った。
「わかった。って言っても、俺、あいつん家知らないから悪いけど案内してくれるか?」
「案内するのは構わないけれど……たぶんエリアスはログナートの屋敷にはいないと思うわ」
「意味がわからないんだが」
「まっ、いいからいいから。とにかくついてきて」
リズアートが悪戯っ子のような笑みを浮かべたあと、軽い足取りで歩き出した。
「で、なんで俺ん家なんだよ」
ベルリオットは目の前の屋敷――トレスティング邸を見上げながら言った。
リズアートに連れられるがまま移動した結果である。
「さて、なんででしょう?」
首をかしげる彼女は、表情こそ崩していないが、目が思いきり笑っていた。
なにを企んでいるのかはわからないが、嫌な予感しかしなかった。
とにかく、いつまでも自宅の前で立ち往生していたくはない。
「まあいいか。どうせだし、ちょっと上がってけよ」
「ええ。そうさせてもらうわ」
どこか浮かれた気分の彼女をうしろに伴い、扉を開け、中へ入った。
直後だった。
「メルザリッテ・リアン。あの、置いていたわたしの服はどこへ――」
リビングからエリアスが姿を現した。
タオルを体に巻いただけの格好で。
「なっ!」
彼女は全身を硬直させ、ただ口をあうあうと動かす。
格好や、肌が上気していることから察するに、風呂上がりといったところだろう。
肩から鎖骨へとかかる淡い黄金の長髪は、まだ乾いていないのかかすかに湿ったままだ。細やかな毛先から水がぽつり、と滴り落ちた。雫が胸元を伝い、彼女の豊かな胸が作り出す谷の底へと落ちていく。
その先はタオルに隠され、追えなかった。
ただ、それもすべてを隠しきれているわけではない。視線をさらに下へ向けると、あらわになった大腿部が待っていた。鍛えているわりに隆起がほとんどない、女性らしい柔らかそうな肉つきだ。そこから伸びる脚はすらりと長く、また細い。
とても騎士とは思えない美しい肢体を前にして、ベルリオットは思わず唖然としてしまう。視界の中の彼女も動かないため、まるで時が止まったようだった。
「申し訳ありませ~ん! どうせですからお洗濯をとー。すぐにお着替えをお持ちしますので少々お待ちをー」
二階の方から、メリザリッテの声が聞こえてきた。
その言葉で思考力を取り戻したのか、はっとなったエリアスが言葉を発する。
「ど、どうしてあなたがここにいるのですか……っ!?」
「いや、それ俺の台詞なんだが」
本当ならこちらも慌てるべきなのかもしれない。
なにしろタオルで隠されているとはいえ、女性の裸体を目にしているのだ。
見慣れているわけでもない自分がそんなものを目にすれば、反射で赤面してもおかしくない。
ただ、あまりにもエリアスが取り乱しているせいで、逆に冷静でいられた。
リズアートが、ベルリオットの背後からひょこっと顔を覗かせる。
「どうしたの、って……。エリアス、あなたなんて格好してるのよ」
「ひ、姫様っ? いえ、これはそのっ」
あたふたとしながら、エリアスが身振り手振りで状況を説明しようとする。
だが混乱しているのか、上手く整理できないらしい。
言葉に詰まったエリアスが、ちらりとこちらをうかがってくる。
ばっちり目が合ってしまった。
なにか言わなくては、というわけもわからない責任感にベルリオットは駆られる。
「あ~……その、なんだ」
その肢体に目を向けながら、渾身の一言を放つ。
「エリアスっていつも着やせしてるんだな」
途端、上気によって淡紅色に染まっていた彼女の肌が、さらに赤みを増した。
飛び跳ねるように後退し、リビングの――こちらからは死角になっている壁裏へと身を隠した。
「な、なんてことを言うのですか、あなたはっ! わ、わたしのお尻が出ているなど! た、たしかに人よりは多少、いえほんのわずかほど大きいかもしれませんが、これは母がそうであったように――」
「いや、そっちじゃなくて」
「そ、そっちではない!?」
「あ~……」
裏返ったエリアスの声を耳にしながら、ベルリオットは上手い返しが見つからず頭をかいた。
リズアートから白い目で見つめられる。
「やっぱり見るとこはそこなのね」
「ちょっとからかっただけだって」
「どうかしら」
リズアートが面白くなさそうにそっぽを向いた。
得したのか損したのか。
なんというか自分でもよくわからなかった。
それにしてもてっきり「殺します」なんて言いながら斬りかかってくるかと思ったが……。
エリアスに予想外の反応をされ、いまさらながらに悪いことをしたな、と反省した。
「ほら、いつまで見てるの」
リズアートにうしろから手をまわされ、目をふさがれた。
「おい、なにも見えないだろ」
「まだ見たいの?」
「いや、そういうわけじゃ」
と、どこからかぺたぺたという足音。
次いで、覚えのある声が聞こえてくる。
「エリアス、なにかあったの。ってベルがいる。陛下も」
「ちょっとリンカ! あなたタオルもなしで!」
すぐ傍からリズアートの怒声がひびく中。
手をどかしたい、と少しでも思ってしまったベルリオットは、自分が男だということ改めて実感した。
「それで二人して人の屋敷でなにしてたんだよ。まさか風呂に入りにきたってわけじゃないんだろ?」
リビングにて。
メルザリッテを除く四人が、向かい合う二人掛けのソファに座っていた。
ベルリオットとリズアートが、エリアスとリンカがそれぞれ隣り合う形だ。
エリアスは普段の気丈な態度はどこへやら、ずっと俯いてばかりだった。
リンカにいたっては、そっぽを向いて目を合わせようすらとしない。
「それは……」
「秘密」
「秘密ってなあ」
彼女たちの裏で控えるメルザリッテが、優しい声でたしなめてくる。
「ベル様。女の秘密を探るのはよくありませんよ」
「それ言うのは反則だろ?」
「女の武器ですから」
「……わかったよ」
ベルリオットが呆れつつおざなりに返すと、エリアスとリンカがほっと息をついた。
そんな彼女たちを見ながら、思う。
俺だってそこまで馬鹿じゃないし、本当はなにをしてたかぐらいわかってるんだよ。
ベルリオットが任務でメルヴェロンドへ出かけていたことを、騎士であるエリアスとリンカは当然知っている。つまりメルザリッテに用があってトレスティング邸を訪れた、ということだ。
彼女たちにメルザリッテとの交友関係はなかったはずだから、ただ遊んでいただけという線は薄い。
ただ騎士という立場で考えたとき、しっくりくる理由があった。
それは力を得るため、メルザリッテに訓練を施してもらう、というものだ。
最近までただのメイドとして生活していたメルザリッテだが、前団長グラトリオ・ウィディールが起こした事件の折、アムールとして本来の力を発揮。以来、その実力は王城騎士、いや、それ以上であると騎士の間で噂されていた。その情報が、王城騎士であるエリアスやリンカの耳に入っていてもなんらおかしくはない。
……風呂に入ってたのも、どうせ訓練でかいた汗を流していけってメルザリッテに押し切られたんだろうな。
そこまで把握していながら問い詰めたのは、彼女たちの口から聞きたかっただけだった。やはり内緒にされるのは取り残されたように感じてしまうので、あまり気分が良くない。
まあ、こいつらプライド高いもんな。俺には言いたくないか。
そんなことをベルリオットが思っていると、メルザリッテが「あっ」と声をあげながら手を叩いた。
「ベル様。こうしてせっかく集まったのです。よろしければ今夜は皆様にご馳走してはいかがでしょう」
「あぁ~そうだな。どうせだし、みんな食ってけよ」
「ですが」
と、エリアスが口を挟もうとしたそのとき、
「ベル様から許可もいただきましたし、皆様、逃がしませんよっ」
メルザリッテが満面の笑みを浮かべて言った。
直後、エリアスとリンカ両名の顔が一気に強張った。
いや、青ざめたというのが正しいかもしれない。
「二人ともどうしたんだよ。顔色悪いぞ」
「いえ、ふと辛い記憶が……」
「尋常じゃなかった……」
おそらく訓練のことでも思い出しているのだろう。
いったいどんなことをさせられたのか。
単に訓練がおそろしく厳しかったのか、はたまたメルザリッテと模擬戦でもしたのか。
彼女たちの怯える表情を見る限り、おそらく後者だろう。
主だから、という理由でベルリオットは手合わせをしてもらえないため、羨ましいと思ってしまった。
リズアートが嬉々として立ち上がる。
「ねえメルザさん。わたしも手伝っていいかしら?」
「はいっ、もちろんです!」
続いてリンカ、エリアスも立ち上がる。
「あたしも手伝う」
「ではわたしも――」
「エリアスはだめよ」
「で、ですが姫様にだけ用意させるというのは!」
「エリアス、あなた以前、ここで夕食を一度台無しにしたこと忘れたんじゃないでしょうね?」
「うっ」
エリアスがばつの悪そうな顔をした。
リズアートが訓練校に在籍していた頃の話だ。
このトレスティング邸にリズアートの護衛として一緒に下宿していたエリアスが、メルザリッテの料理を手伝ったことがあった。
初めての料理だったらしく、なにをするにも手が震え……。
ただ油を注ぐところで、どばっとやってしまったのである。
そうした経緯があるため、エリアスに料理は厳禁というわけだった。
「さ、わかったら大人しく座ってなさいね」
「はい……」
リズアートに言い聞かせられ、エリアスがしゅんっと身を縮めた。
それから力なくソファに座り直すと、拗ねたように唇をとがらせる。
「わ、わたしだって時間をかけてゆっくり作りさえすれば」
「時間かけたら上手くできるってわけでもないと思うぞ、料理は」
「……うぅ」
エリアスが頭を抱えた。
どうやら追い討ちをかけてしまったらしい。
「あ~、人には向き不向きがあるって言うだろ」
「だからわたしには一生料理をするなと言うのですか……」
「いや、そうじゃなくて、人より倍練習すればいいだろって話で」
「練習すらさせてもらえないわたしはどうすれば……」
だめだこれは。
ベルリオットは頭をかきながら、どう励ましたものかと悩む。
「そういえば来週でしたか」
ぼそり、とエリアスが呟いた。
あまりにも唐突で、なんのことだかすぐにはわからなかった。
だが来週に予定していることで、思い当たる節は一つしかない。
「ディザイドリウムの《飛翔核》破壊のことか?」
「はい」
うなずいたエリアスが、ゆっくりと顔をあげた。
だが彼女はこちらと目が合うなり、わずかに目を伏せ、下唇を噛んだ。
「すみません」
「謝られるようなこと、あったか?」
「いえ……なんでもないのです。気にしないでください」
なんでもないなら謝らないだろう。
そう聞き返したかったが、あまりに彼女が切なげな表情を浮かべていたため、踏み込めなかった。
エリアスが、すっくと立ち上がる。
「さて、いつまでも落ちこんでいてもしかたありません。料理以外のことでなにか手伝えないか聞いてみます」
先ほどまでの落ちこみようが嘘のように、顔に生気が戻っていた。
なんかよくわからないけど、元気になったならいいか。
と、そう思った直後だった。
台所からわいわいと楽しそうな声が聞こえてきたのだ。
エリアスの表情が、一瞬にして羨望と絶望に塗り替えられた。
七大王暦一七三五年・十一月十四日(ディーザの日)
「確証はないが、《飛翔核》を破壊したあと、中に溜まっていたアウラが一気に放出されるから、それにあわせて大陸が急上昇するかもってさ」
「ふむ。ならば退避する時間も充分にあるということか」
七大陸王会議が開かれてから一週間後。
ベルリオットは、《四騎士》とともにディザイドリウム大陸の王都を訪れていた。
《飛翔核》は、ディザイドリウム王宮の地下にあると言う。
だが、そこへはすぐに向かわなかった。
予定より早く到着したこともあるが、主に王都の景色を堪能するためだった。
ベルリオットは《四騎士》の長兄ジャノ・シャディンと肩を並べて歩く。次男のヴェニ、三男のドルーノ、四男のカルージは少し前を先行している。
本日、ディザイドリウム大陸は落下する。
物寂しい、と思った。
たった二週間ほどしか滞在していない自分でさえそう感じるのだから、ディザイドリウムで生まれ育った《四騎士》は、今、比べ物にならないほどの寂寥感を覚えていることだろう。
「しっかし、誰もいないってのは不思議なもんだな」
そうこぼしたのは、三男のドルーノだ。
彼はふさふさのもみあげが特徴的で、兄弟の中では陽気な性格をしている。
「いつもは騒がしい街だったからな」
「いまさらだが、やっぱ寂しいよな」
次男のヴェニ、四男のカルージが続いて言った。
ヴェニは禿頭と眉毛なし、カルージは割れた顎が特徴的だ。
すでに民の移住は完了している。
当然、ベルリオットたちの他には人っ子一人いない。
大通りを除いて所狭しと建てられた高層建築群の中、無人というのは異様な空気だった。
カルージが振り向き、叫ぶ。
「おい、ベルリオット。お前、四騎士に入れよ」
「そうだなそれがいい」
名案だ、とばかりにドルーノが同調した。
寂しいのはわかるが、なぜその解決策がベルリオットの《四騎士》入りなのか。
思考が飛んでいるとしか思えない。
「入るわけないだろ。そもそも俺が入ったら四騎士じゃなくなるし」
「じゃあ五騎士にすればいいだけだろ」
「俺はあんたらみたいに兄弟じゃないんだからさ」
ベルリオットが次なる理由を打ち出すと、《四騎士》たちが揃って顔を見合わせ、思案顔になる。
五騎士に改名するのはさほど問題ではないが、どうやら兄弟でないことはそれなりに問題らしい。
よくわからない基準だった。
ジャノが真剣な表情で口を開く。
「たしかにな。ではわたしの娘と結婚すればいい」
「そりゃいい提案だぜ兄貴!」
「そうすりゃ立派な家族だしな」
「式はいつにするよ。早い方がいいから……やっぱ帰ったらか?」
長兄の提案に、《四騎士》たちが諸手を挙げて賛成していた。
「いやなに勝手に決めてんだよ! てかそもそもおっさんの娘って何歳だよ!? あんた、そんなに歳食ってないから絶対子どもだろ!」
「三歳だ」
「いや、三歳って」
「その『おっさん』という呼び方も、帰ったら『お父さん』に変わるわけか。少し違和感があるが……まあ問題ないだろう」
「なにが問題ない、だよ。色々おおありだろ!」
「帰ったら娘を紹介しよう。我が息子よ」
「いや、だから!」
ベルリオットの抗議は、《四騎士》の盛大な笑い声によってかき消される。
無人の王都に、その声はよくひびいた。
彼らの意図が掴めない。
ベルリオットは思わず顔をしかめてしまう。
それを見計らってか、《四騎士》が笑いを止めた。
ジャノがふっと微笑む。
「冗談だ」
「なんだよ。からかったのか?」
「まあ、それもあるが。わたしたちはな、お前に感謝してるんだ」
「いきなりなに言って――」
「今日、ディザイドリウムという大陸は最後のときを迎える」
《四騎士》全員がいきなり真面目な顔つきになり、佇まいを正した。
「だがこれはシグルによってではない。人類のため、自らの意志でこの道を選ぶのだ。この意味は、同じようで大きく違う」
言いたいことはわかる。
シグルに落とされれること。それは負けたことを意味する。
だが、自ら落ちること。それは負けではない。
むしろ人類のために、落ちる、という道を選択した。
これは誇りである。
と、そう言いたいのだろう。
「これもすべてベルリオットが我らに協力してくれたおかげだ。お前がいたからこそ、ディザイドリウムは、ディザイドリウムとして最後を迎えられる。だからディーザのすべての民を代表して、礼を言わせてもらう」
ジャノが、意志のこもった瞳を真っ直ぐに向けてくる。
「ありがとう」
静かで、力強い言葉だった。
「おっさん……」
声こそ出していないが、他の兄弟たちもジャノと同じ想いであることを目で伝えてくる。
力を得てからというもの、誰かを護るためにと一心不乱になって戦い続けてきた。
これでいいのかと思うこともあった。
だが、こうしてディザイドリウムの移住計画という、一つの大きなことを成し遂げた。
それが、今、ジャノの言葉で実感することができた。
胸が熱くなった。
目頭も同じだった。
震える口を動かし、言葉を紡ぐ。
「俺こそ、ありがとう」
どうしてかはわからない。
ただ、そう言いたかったのだ。
ジャノが苦笑する。
「なぜお前が礼を言うんだ。おかしな奴だな、ほんと」
「あんたに言われたくねえよ」
軽口を叩きながら、互いに笑い合った。
ジャノを除いたシャディン三兄弟が意気揚々と声をあげる。
「じゃあ、そろそろ時間も近づいてきたしよ、さくっと終わらせるか!」
「ああ、戻ったら久しぶりの酒盛りだ」
「ベルリオット、お前、今夜は寝かせねえぜ!」
前を行く彼らに、ベルリオットは苦笑で応じた。
本当によく知れば知るほど気さくな奴らだな、と思った。
と、そのとき――。
先行する三人の前に、巨大なナニカが降りてきた。
ずしん、と重々しい着地によって地面が揺れる。
灰色をしたそのナニカは、まるで人のような形をしていた。
ただ、人の二倍以上の高さを持ち、手足も太い。胴体がやけに大きく、人二人がすっぽり収まるほど。中央には巨大な水晶が埋め込まれ、ただそれが緑色であるという情報だけを与えてくる。
頭部は前面に尖った形状。手足の指にあたる部分も鋭利な刃物を思わせる造りだ。
「なんだ、あれ……?」
登場の仕方もそうだが、その存在自体が謎だ。
不気味だった。
ただ人形は落ちてきてからというもの、まだ動きを見せていない。
ヴェニ、ドルーノ、カルージが人形の近くへと寄っていく。
「なんだこの人形?」
「っていうか、いま上から降ってきたよな」
「こいつ、もしかして動くのか?」
ドルーノが興味津々にぺたぺたと人形の脚を触る。
手の裏で軽く叩くと、こんこん、と空洞音が鳴った。
と、ふいに人形が右腕を持ち上げた。
「お、動いたぞ。って、なんだ? 俺とやる気か?」
ドルーノがアウラを纏おうとする。
直後、ベルリオットは悪寒がした。
どうしてなのかはわからない。
だが気づけば叫んでいた。
「すぐにそれから離れろっ!」
その間にも人形の腕が振り下ろされていく。
四騎士ほどの実力者だ。
回避だけでなく受け止めることは難しくない。
そう、アウラを纏えれば。
「なんだ? アウラが使えな――」
ぐちゃっ、と。
その瞬間。
一つの命が散った。




