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天と地と狭間の世界 イェラティアム  作者: 夜々里 春
二章【天上の子・前編】
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◆第九話『水上激闘』

 その瞬間、湖の中心がへこんだ。

 幾重にも描かれる波紋。猛烈な勢いで岸に到達した水が、まるで巨大な壁のごとくせり上がっていく。それらは大量の飛沫となり、ウォルトポットの枝葉へと降り注ぐ。

 無数の水玉が地面を叩き、辺りに破裂音が響き渡る。


 すべてはベルリオットが、ティーアに剣を撃ち込んだ衝撃によって生まれたものだった。

 今、眼前に映るのは、横に構えられた紫槍の柄に、がりがりと食い込む青の剣。

 その奥、ティーアの表情が苦痛に歪んでいる。


「やはり持たないか……!」

「初撃で決められると思ってたんだけどな」

「生意気な!」


 ティーアが結晶槍を霧散させ、自身の体を横へとずらした。

 ベルリオットは力の大半を敵の槍に向けていたため、支えを失ったも同じだった。がくん、と前方に体を進めてしまう。このままでは背後を取られかねない。

 とっさに距離を取った直後、敵の槍が凄まじい速さでこちらの頭部目掛けて突き出された。


 背筋が凍る。

 あと拳一つの距離で槍の尖端に眉間を貫かれる、瞬間。青の剣を割り込ませた。左手で剣の腹を支え、上方向へと槍を弾く。敵の動きが硬直するや即座に剣を振り上げ、引き戻す。槍の柄の中央に、すっと切り目が入った。上下二つにずれ、砕ける。

 追い討ちをかけようとしたが、敵に後退される。


 だが息つく暇もなく、ふたたび造り出した槍を手にティーアが突っ込んでくる。

 こちらの体勢が整っているからか。

 先ほどのように急所目掛けてではなく膝を狙ってきた。

 虚空を貫くかのごとく繰り出されたその突きは、一切乱れがない。


 だが、反応できる!


 剣の切り刃を槍の尖端から斬り込ませ、穂先を裂いた。

 一瞬眼を剥いたティーアだったが、取り乱しはしていない。

 それどころか流れるように攻撃を仕掛けてくる。

 突き、突き、突き、突き、突き――。

 体のあらゆる間接を狙った五連の突き。

 一定の調子。

 だが直後から払いも混ぜ、調子を狂わせようとしてくる。出される攻撃自体もそうだが、なにより破壊された槍を再生成するまでの時間が恐ろしく速い。

 反応するのは難しい。


 ――ヴァイオラ・クラス以下だったならば。


 敵の攻撃すべてを、穂先だけ破壊するという迎撃方法で凌ぎきる。

 あちこちに散らばった結晶の破片が、ぱらぱらと煌きを残しながら消えていく。


「くっ!」


 ティーアの表情に焦りが滲んだ。

 勝負は、こちらが圧倒的優勢と言っていいだろう。

 だが相手はアミカスの末裔だ。

 溜めたアウラを一気に放出できるという、特殊な力を持つ。

 それを警戒し、ベルリオットは迂闊に飛び出さないようにしていた。


「やはり硬度では敵わないか……なら!」


 ティーアの背から勢いよくアウラが噴出され、光翼の揺らぎが荒々しくなる。

 その身を槍そのものとするかのように、小細工なしの突きで一直線に向かってきた。

 ベルリオットは、大上段からの振り下ろしで応じる。

 狙うは一点。

 槍の尖端のみ。

 互いの結晶武器が接触。

 瞬間、甲高い音ともに風圧が両者に吹きつける。

 手、腕を伝って衝撃が全身に響いた。

 どちらもこれまでにはなかった感覚だ。

 剣の切り刃が、槍の尖端に接触したままだった。


 斬れない。

 いくら溜めたアウラを放出したからと言って、ヴァイオラ・クラスではカエラム・クラスの結晶硬度には耐えられない。

 だからこそ、これまでもたやすく敵の槍を破壊できていた。


 なのに、どうして――。


 思考を巡らせるが、敵は待ってくれない。

 槍を回し、こちらの剣を巻き込もうとしていた。

 とっさにベルリオットが剣を引く。直後、敵の払いが襲いくる。

 ふたたび互いの武器が接触する。

 瞬間、敵が纏う紫のアウラの中に、赤い光がちらついたのが見えた。

 薄めではあるが、紛れもなく紫色ではなく赤と言える。


「ルーブラ……?」

「気づいたか」


 距離を取ったティーアが感嘆の声を漏らした。


「そう。わたしがアウラを解放したとき、ヴァイオラの域を超え、ルーブラの域に到達する」


 この狭間内に、自分やメルザリッテ以外にも、ヴァイオラ・クラスの壁を超えられる者が存在するとは思いもしなかった。

 だが疑問が残る。

 もしティーアがルーブラ・クラスであったなら、もっと話題になっていてもいいはずだ。

 しかしそんな話は今まで一度も耳にしたことがなかった。

 つまり彼女は、赤のアウラが使えることを秘密にしていたか、あるいは最近使えるようになったかのどちらかということになる。


「この力に加え、我が技量を持ってすれば……いくらお前とて!」


 ティーアが槍の尖端を突き出し、向かってきた。

 それを受け流しつつ、ベルリオットは後退する。

 逃がさないとばかりに、続けざまに連撃が繰り出される。突きを基本に、払い、振り上げ、下ろし。さらに体の回転を利用し、ねじこむように突きを撃ちこんでくる。空気を切るような鋭い音。こちらの胸元目掛けてぐん、と尖端が伸びてきた。体に触れる寸前でどうにか弾き飛ばす。

 淀みなく繰り出される敵の攻撃は、それが長い得物によるものであることを一切感じさせない。


 なるほど、こういう使い方もあるのか……!


 ナトゥールが溜め込んだアウラを放出するとき、一気に放出しているところしか見たことがなかった。

 だからそうした使い方しか出来ないものだと思っていたが、どうやら違うようだ。

 目の前のティーアは、接触の瞬間にのみアウラを放出している。

 帰ったらナトゥールにも教えてやるか、とベルリオットは思った。


「勝負の最中になにを考えている!」

「トゥトゥのことだよ」


 そう答えると、ほんのわずかだがティーアの体が硬直した。

 どうやら彼女は妹に弱いらしい。

 思わずふっと笑ってしまった顔を引き締め、ベルリオットは剣の柄を強く握る。


「じゃ、こっちからも行くぜ」


 言うや、瞬時に敵との距離を詰めた。

 即座に敵から槍が突き出される。その尖端目掛け、こちらの剣の切り刃を向かわせる。接触の瞬間、わずかに下方へとずらした。槍の尖端から柄へと剣の腹を添わせ、思い切り外側へと弾き飛ばす。


「なっ!?」


 ティーアが目を瞠った。

 ベルリオットは構わずに斬りかかるが、全力で後退されたため空振りに終わった。

 しかしその振りによって生まれた鋭い音に、敵の顔が一気に強張る。


「アウラだけだと思っていたが……腕もあるのか」


 ベルリオットはふたたび敵に接近し、次なる攻撃を繰り出す。


「あいにくとアウラに頼れない時期が長かったんでね」

「だが、わたしとて!」


 後退りながら、ティーアも負けじと撃ち返してくる。

 だがこちらの方が一手速い。

 敵を下方へと押し込んでいく。湖のわずか上にまで到達するや、水面に添うように翔ける。巻き上がった水飛沫が眼前に割り込んできた。陽光を受け、煌いたいくつもの水玉の向こう、ティーアの勝ち気な顔が映る。

 本当にナトゥールそっくりだ、と。

 そんなことを思いながら、ベルリオットは勢いよく剣を払った。水玉が弾け飛ぶ中、敵が縦に構えた槍でそれを受ける。


 生まれた衝撃が、風圧となり湖をさらにへこませた。多量の水が巻き上がり、また無数の水飛沫があちこちに散る。

 休む間もなく今度は敵からの一閃。

 それを今度はこちらが防ぎ、流れるように攻撃へと転じる。


 そうして攻守を激しく入れ替えながら、湖上で戦いを繰り広げる。

 青のアウラを使いこなせるようになってからというもの、こうした撃ち合いは本当に久しぶりだった。

 敵から突き出される槍の連撃を紙一重で避けながら、ベルリオットは思わず口元をほころばせてしまう。

 だが相手にはそれが挑発ととれたらしい。

 ティーアの表情に怒りが満ちる。


「なにを笑っている! そんな余裕はないはずだ!」

「どうだろうな」


 手を抜いていたわけではない。

 ただ、ベルリオットが警戒していたこと――溜めこんだアウラを放出するというアミカスの力を敵は見せた。それはルーブラ・クラスへの到達という、充分に驚くべきことではあったのだが……。


 少しの間、打ち合ってみて底が知れた。

 それ以上がないというのなら、もう警戒の必要はない。


 剣を左脇から後ろへ流し、突っ込む。

 ティーアが渾身の突きを繰り出してくる。

 尖端の線上は腹部。と思いきや、穂先がこちらの体に到達する直前、敵の肘がわずかに下向いた。


 来る――っ!


 槍が跳ね、軌道が変わる。穂先が向かうのは頭部。ベルリオットはゆらめくように半身分、瞬間的に左方へとずらす。

 敵が驚きの声をあげる。


「な、ぶれたっ!?」


 右側頭部、肩の上すれすれを通過していく。風を切る音に耳朶を刺激される中、数本の髪が散り空を舞う。だが恐怖を捨て前へと進んだ。頭、胸を下げ、低い体勢を維持。左脇に流した剣を、敵の腹部目掛けて払おうとした、瞬間、


 ぞくり、と。

 全身をなにかが突き抜けていった。

 風でもなんでもない。

 なにも問題はないはずだ。

 だが本能が告げていた。


 ――死ぬ、と。


 気づけばティーアの前から飛び退いていた。

 今のは……殺気だろうか。

 だとしたら放ったのは目の前のティーアだろうか。


「なんのつもりだ……?」


 いぶかしむように睨んでくる。

 もし殺気を放った本人であれば、ベルリオットが攻撃を中断した理由を知っていなければおかしい。

 だが見たところ、ティーアにその様子はない。

 ではいったい誰が。

 荒々しい心臓音が響く中、激しく首を振って辺りを見回す。

 と、目当てのものとは違うが、驚くべきものが目に入った。


「どうやらここで終わりみたいだ」


 こちらに向かって飛んでくる大勢の聖堂騎士。

 ざっと見ただけでも百人近くはいる。

 その中に混じって、リズアートやユング、他にもガスペラント王やデュナムの姿も窺えた。

 恐らくとも言わず、この“手合わせ”を治めるために向かってきているのだろう。

 これ以上続ければ、リズアートの顔に泥を塗るかもしれない。

 いや、すでに取り返しがつかないぐらい塗りまくっているかもしれないが。

 あとのことを考えると酷く憂鬱だ。

 頭をかきながら、ベルリオットが結晶剣を霧散させる。

 ティーアも槍を放り捨て消滅させた。


「しかたないが、ここまでか」


 そうこぼした彼女は、言葉ほど残念そうには見えなかった。

 聖堂騎士たちが来れば、恐らく彼女とは話す機会がなくなるだろう。

 そうなる前に伝えておきたいことがあった。

 なあ、とベルリオットは話しかける。


「あんたとは“こんな形”じゃなくて純粋に勝負したかったよ」


 そのときのティーアの表情は、驚きに満ちていた。


   ◆◇◆◇◆


 七大陸王会議を終え、各大陸の王がメルヴェロンド大陸を出発した。

 それから間もない頃。


「ガルヌ。出来る限り面倒事は起こさないでくれと言っただろう」

「ああでもしなければ実現はしなかったであろうに。むしろ感謝してもらいたいぐらいだな。それにこれから大陸間が手を取りあおうとしている時期だ。リヴェティアも強くは言ってこれんし、教会もまた同様に好戦的ではない。あれぐらいのこと、お前ならどうとでも言い逃れできるだろう、デュナムよ」

「わたしも高く買われたものだな」

「なにを今さら。それで、会議の方はどうだったのだ?」

「結局、順当に行けばリヴェティアが“最後の大陸”になるのは間違いないだろう。今回の七大陸王会議は、リヴェティアが“最後の大陸”になることを他の王に納得させる会議でしかない。無駄な時間だったよ」


 ここは帝国騎士軍の飛空船内。

 操縦席は一人のみ。

 後部座席には円状のソファが設置され、五人が乗り込める大型の飛空船である。

 だが搭乗しているのは四人だけだった。

 デュナム・シュヴァイン。

 ティーア・トウェイル。

 ガルヌ。

 そして――。


「そうは思わんかね、王よ。」


 デュナムが操縦席に声をかけた。

 そこにはガスペラント王が座っていた。

 喉を鳴らしながら、彼がとつとつと喋りだす。


「あ、ああ……。わたしは、あれで良かったのか……?」

「充分だよ。あれぐらいしておけば、シェトゥーラ王は帝国には逆らえないさ」

「な、ならよかった……」

「お前は大陸の王だ。王がそんな腰が低くてどうする」


 その言葉に、ガスペラント王はなにも言い返さない。

 デュナムが呆れたように首を振ったあと、視線をティーアに向けた。


「それで……トウェイル将軍。どうだったかな、彼は」

「恐ろしいほどの強さでした」

「では無理だったというわけか」

「それどころか、恐らく気づかれていました。申し訳ない」

「問題ないさ。そもそも“殺す”のは可能だったら、と言ったはずだろう」

「はい……」

「しかしそうか。将軍の力をもってしても勝てないとは本当に厄介だな」

「彼はまだ余力を残していたかと」


 ガルヌが会話に割り込み、吐き捨てるように言う。


「余力もなにも、神の矢フィーリウス・サジッタだけでなく、飛閃ウォラリアス・カエッサすらも引き出せんかったではないか」


 ティーアの表情に悔しさが滲んだ。

 ふむ、とデュナムがあごを指で擦った。


「もはやあれを使うしかないか。ガルヌ、帰ったらすぐにラヴィエーナに連絡を取ってくれ」

「よかろう。あれさえあれば、いくら奴とて終わりだろう」


 なにを想像しているのか。

 ガルヌの引きつり笑いが船内に響き渡る。

 そんな不気味な背景音すらも愉快だとばかりに、デュナムが口の端を吊り上げた。


 そして宣言する。



「さあ、始めようか。我らが正義のための戦いを」



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