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天と地と狭間の世界 イェラティアム  作者: 夜々里 春
二章【天上の子・前編】
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◆第七話『クーティリアス・フォルネア』

 クーティリアスとともに、ベルリオットは大聖堂西側にある湖を訪れた。

 周りを囲うウォルトポットが、根の半分を地中に、もう半分を水中に伸ばしている。

 極太の幹から続く枝は、大量のアウラを取り込まんとして無造作に伸び、他のウォルトポットと絡み合う。

 おかげであちこちが天然の屋根だらけだ。


「ここ、ひとりになりたいときによく来るんだ」


 言って、クーティリアスは靴を脱ぐやいなや、湖へ向かって勢いよく跳んだ。

 水の中に入るつもりか、と思ったが違った。

 彼女は水面にふわり、と下り立つ。


「ちょっと力加減が難しいんだけど……アウラを足の裏から流すと、こうやって水を踏めるんだよっ」


 足からアウラを出しているため、背中から光翼は出ていない。

 法衣をはためかせながら、クーティリアスは跳ねたり、くるくると回ったり、と水の上で楽しそうに踊る。

 そんな彼女の姿を見ていると、なんだかいたたまれなくなった。

 秘密を話すことの心境。

 それに対する裏返しなのではないか、と思えたからだ。


「俺から訊いといてなんだが……話したくないなら、無理して話さなくてもいいんだぞ」


 クーティリアスがぴたりと動きを止めた。

 力なく首を振る。


「ううん。きっと今しかないから」


 なにをもって今しかないのか。

 それはわからないが、放たれた言葉には彼女なりの決意がうかがえた。

 彼女はゆったりとした足取りで湖の上から出てくると、隣にすとんと腰を下ろした。

 ちゃぽん、と足を水の中に入れたあと、傍の地面を手の平で叩く。


「ベル様も」


 座って、ということだろう。

 促されるまま、その場に座り込んだ。

 真っ直ぐに湖を見ながら、クーティリアスが静かに言葉を紡ぐ。


「聞いてもらえるかな。僕の過去とか、僕が何者なのか」

「ああ」


 そう答えたあと、少しだけ無言の間が続いた。

 静寂の中、小鳥がさえずり、ウォルトポットの枝葉がさざめく。

 やがてクーティリアスが水の中で足を動かした。

 じゃぶじゃぶ、と音が鳴る。


「どこから話そうかな。ほんとにね、ずーっと前の話なんだ――」


 それから彼女は、とつとつと語りだした。


   ◆◇◆◇◆


 幼い頃のクーティリアスは、ティゴーグの孤児院にいた。

 親のことは知らないし、知りたいとも思わなかった。

 子どもなりに達観していたのかもしれない、と当時を振り返ってみて思う。


 孤児院は男の子ばかりだった。


「お前、いつもとろいんだよ」

「そんなんだからお迎えこないんだろ。女の癖に」


 女の子だからという理由でよくいじめられていた。

 男らしく振舞おうとして、自分のことを「僕」と言うようになったのも、これが理由だ。


 孤児院の建つ場所は、ティゴーグ王都の東側に位置する。

 王都の廃棄物がすべて集まることから、“ごみ溜め”と言われている。

 そこかしこに散乱する様々なごみ。

 中には食料も落ちているため、それを求めてやってくる浮浪者も少なくない。


 ティゴーグ王国は、“ごみ溜め”に直接関与しない。

 というより、けむたがっている節さえある。

 自分たちが作りだした環境だというのに。


 だからなのか。

 ティゴーグ大陸の東方防衛線は守りが甘く、稀にシグルが抜けてくることもあった。

 アウラは誰でも使えるため、ある程度の自衛はできる。

 ただその日は、いつもより格段にシグルの数が多かった。


「くそっ、こんなに抜けてくるなんて……」

「いくらなんでもおかしいだろ。俺たちを掃除するために、王国がわざとシグルを抜かせたんだ! そうに決まってる!」

「今はそんなこと言ってる場合じゃないだろ! って、う、うぁあああああっ!」


 無数の悲鳴が、あちこちで響く。

 孤児院も例に漏れず、シグルの襲撃を受けた。

 院長や、他の子どもたちがあっけなく殺されていく。

 クーティリアスも、ガリオンの鋭い爪に腹を引き裂かれ、地に倒れた。

 口から溢れ出た血が、頬、首を伝って落ちていく。


 痛いという感覚はなくて。

 ただ寒かった。

 体も。

 心も。

 朦朧とした意識の中、空を見上げる。

 一面に広がる青は、雄大で、一点の曇りすらない。


 ああ、なんて綺麗なんだろう。


 今、自分が置かれた状況を無視し、見とれた。

 なけなしの力を振り絞り、手を伸ばす。


 もっと外の世界を見てみたかったな。


 血ではないなにかが、こめかみを伝った。

 瞬間、視界が白で満たされた。

 ついに自分という存在が終わったのだと思った。

 けれど違った。

 今、視界を満たしているのは、現実のものだったのだ。


 伸ばした手の先。

 体を包み込んだ光が空へ向かって伸びている。

 だがその光の柱は、すぐに消滅した。


 気づいたときには体が軽くなっていた。

 腹の痛みもない。

 半身を起こし、体のあちこちをさすった。

 血が止まっている。

 それどころか傷一つない。


 ふと視界の中に割り込んだ前髪。

 なぜか色が緑に変わっていた。

 しかも根元の方から毛先にかけ、色が薄くなっている。

 もうなにがなんだかわからない。

 けれど自分は生きている。

 その事実が不思議な出来事を頭の隅に追いやり、活力を与えてくれた。


 すっくと立ち上がった。

 途端、思わず顔をしかめた。

 死臭だ。

 だが、ここまで鼻を刺激されたのは初めてだ。

 それほどまでに死者が多いということだろう。


 孤児院はシグルに荒らされ、跡形もなかった。

 もともと痛んだ木で造られたものだ。

 そんな建物が、シグルの攻撃をくらってはひとたまりもない。

 住む家がなくなった。

 どうしたらいいのかわからなくて、あてもなく彷徨った。


 思った以上に被害は大きかった。

 見た限りでも軽く百人以上の死体を目にした。

 もしかすると生きているのは自分だけかもしれない。

 どれくらいの時が経ったのか、わからなくなった頃。

 突如として空から女の人が飛んできた。


「もしやと思い、来てみたら……」


 赤いアウラを纏った、すごく綺麗な人だった。

 目の前に下り立った彼女が、真剣な表情で訊いてくる。


「先ほどの光は、あなたですか」


 言葉に込められた意志が強くて、怖いと思った。

 ただそれと同じくらい、優しさを感じた。

 だから素直にうなずいた。

 女の人の表情が、少しだけ柔らかくなった。


「わたくしの名前はメルザリッテ・リアン。あなたは?」

「……クティ」

「いい名前ですね」


 手を差し出してくる。


「クティ。わたくしとともに来なさい」


 説明もなにもない言葉だった。

 ただ彼女ならこの身を任せても大丈夫だ、と本能が告げていた。


 ――だから僕は差し出された手を取ったんだ。


   ◆◇◆◇◆


「そのあとメルザ様の口利きで教会で面倒を見てもらうことになって、今に至るってわけだよ」


 クーティリアスの話が終わったとき、ベルリオットはうまく口から言葉が出てこなかった。

 隣に座る彼女が、はにかむように苦笑する。


「ごめんね、こんな暗い話して」

「いや……」

「でも、ベル様には全部知っていてもらいたかったから」


 彼女は深呼吸をしたあと、ゆっくりと次の言葉を紡いだ。


「シグルに襲われて死にそうになったとき。僕は、精霊っていう存在になったんだ」


 精霊。

 それはつい先刻読んだ、創世の書と呼ばれる『イェラティアム』にも書かれていた。

 創造主に選ばれた存在である、と。

 クーティリアスが、空に向かって手を伸ばした。


「精霊はね、ずっとずっと遠くのアウラまで感じ取れる力を持ってるの。アウラの流れを読むっていうのかな。そういうのが得意みたい。歌姫、なんて呼ばれるようになったのも、結局はそういう……精霊の力があったからなんだよ。だから、何一つすごいことなんてないんだ」


 それは、ベルリオットが最近抱いていた悩みと酷似していた。

 成したことすべてが自分の力ではなく、外的な要因によって得られた、と思えてしまうものだ。

 ベルリオットの場合は、それがアムールであったが、彼女の場合は精霊ということだろう。


 彼女は伸ばしていた手を下ろすと、膝の上で握りしめた。

 かすかにだが、その手は震えていた。

 彼女の悩みは自分も経験したことだ。

 痛いほどわかる。

 だから、どうにかしてあげたいという気持ちが湧いた。

 ベルリオットは両手を後ろにつき、空を見上げる。


「俺やメルザがアムールだってこと、クティは知ってるんだよな」

「うん。メルザ様から聞いてるよ」

「俺もさ、青のアウラを使えるようになって、それがアムールだからって知ったとき、初めは色々とまどったんだ」


 そう遠くない過去だ。

 失敗したこと。

 成功したこと。

 色んな出来事が脳裏に蘇ってくる。


「けど、この力がなければ守れなかった命がある。この力があったからこそ今の俺がいる。それにこうしてクティと出逢えたのも、たぶんこの力があったからだ」

「……ベル様」

「精霊について俺はよくわからない。けど精霊になって生きていられたから、今、ここにクティがいるってことぐらいはわかる。だから俺は、クティが精霊になったことにありがとうって言いたい」


 そう伝えたとき、クーティリアスの目は潤んでいた。

 見ていられなくて、彼女の頭を優しく撫でた。

 目を伏せる彼女を目にしながら、おどけた口調で語る。


「生意気だしお調子者だし子どもっぽいけど……見てて飽きないって言うか、クティが楽しそうにしてると俺まで楽しい気持ちになるんだ。だから、そんな顔するなって」


 こくん、と彼女は頷いた。

 かと思うや、がばっと顔をあげる。


「って全然なぐさめられた気がしないよっ」

「いや、なぐさめまくっただろ」

「生意気とかお調子者とか子どもっぽいとか、全部余計だよっ! こんのー!」


 ぽかぽかと胸を叩かれるが、まったく痛くない。

 ただ、いつもの調子が戻ったようだ。


「元気、出たか」


 そう訊くと、彼女は動きを止めた。


「うん……ありがとう。ベル様に話したら、色々すっきりしたよ」

「そうか」

「えへへ」


 少し恥じらいながらも、満面の笑みを向けてくる。

 やっぱり彼女は笑顔が一番だと思った。


「おやおや。七大陸王会議が行われているというのに、こんなところで歌姫と逢引とは。蒼翼殿もやりますのう。ひっひ」


 ふいに、背後から覚えのある声が聞こえてきた。

 振り返った先、帝国騎士たちがこちらに向かってくる。

 どうして彼らがこんなところにやって来たのか。

 そんな疑問が生まれるよりも早く、思考を支配するものがあった。

 帝国騎士に連れられた一人の若いオラクル。

 その首元に、仮面の男――ガルヌの造った結晶剣が突きつけられていた。



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