◆第六話『創世の書』
「相変わらず外面は良いんだな」
「む、その言い方だと僕が悪い人みたいじゃんかー」
白玉の間で、七大陸王会議が行われる中。
クーティリアスに先導され、ベルリオットは大聖堂内を歩いていた。
ぷくっと頬を膨らませた彼女が、詰め寄ってくる。
「一応、これでも司教だからね。体裁もあるし、しかたないんだよ」
小柄ながら豊かな胸が揺れる。
こちらも相変わらずだ。
距離を置いて、わざとおどけて見せる。
「そうは見えないが……クティも苦労してるんだな」
「んー、なんか馬鹿にされた気分」
「褒めてるんだよ」
ぽん、と彼女の頭に手を置いた。
くすぐったそうに身を縮めたのを見計らい、荒々しく撫でる。
「うわっ、くしゃくしゃになるってばー」
「なにも言わずに帰った罰だ」
「う……それは」
以前、彼女はリヴェティアに滞在していた時期があったのだが、知らぬ間にメルヴェロンドに帰ってしまった。
長い付き合いではないが、それなりに親しくなったと思っていた。
だからこそ、別れの一言も告げられなかったのが気に入らなかったのだ。
口ごもった彼女に、ベルリオットは問い詰める。
「それは?」
「だってお別れの挨拶ってなんか苦手なんだもん」
「一生会えないわけじゃないだろ」
「そうだけどー」
口を尖らせた彼女は、まるで小さな子どもだ。
おかげで怒る気が失せた。
手を放し、肩をすくめる。
「ま、元気にやってるみたいだし、いいか」
「うん。僕はいつでも元気です」
にひひ、とクーティリアスが笑みを浮かべた。
本当にころころと表情が変わる奴だ。
見ていて飽きない。
さて、とベルリオットは話を切り出す。
「俺をどこに連れていく気だ?」
周囲に他国の騎士はいない。
明らかにひとりだけ違う場所に案内されている。
ふっふっふ、とクーティリアスがもったいぶる。
「ついてのお楽しみだよ」
大聖堂は入り組んだ構造だ。
その上、先ほどから外の様子がうかがえない通路を歩いてばかりいる。
おかげで、今、自分がどの辺りにいるのか見当もつかなかった。
ようやく到着した先は、回廊に面した尖塔前だった。
四人の聖堂騎士が、尖塔内に繋がる鉄扉を警護している。
ただの扉にしては人数が多い。
おそらくなにか重要なものが扉の先にあるのだろう。
クーティリアスの姿を目にするや、聖堂騎士たちはさっと道を空けた。
「ご苦労様です」
と彼女は威厳たっぷりに声をかけたあと、開けられた扉の中へ入る。
ベルリオットもあとに続くと、外から扉が閉められた。
途端、クーティリアスがたたたっ、と早足になった。
数歩進んだ彼女が振り返り、威厳のかけらもない笑顔を向けてくる。
「この先だよ」
「切り替え早いな」
「すごいでしょ」
ふふん、と彼女は得意気だ。
こんなことでいばれるなんて本当に幸せな奴だな、と思った。
少し進んだ先に、下に通じる螺旋階段があった。
先が見えないほど深い。
かつんかつん、と足音をひびかせながら下りていく。
「アウラを使って下りれば早いな……」
「だめだよ。そんなことしてるの見られたら怒られちゃう」
「クティが怒るんじゃないのか」
「ぼ、僕は優しいからね」
「クティ……さてはお前、したことあるだろ」
「うっ」
そんなくだらない話をしながら、螺旋階段を下りていく。
最下層に到着すると、また鉄扉があった。
鍵穴はない。
代わりに、扉の横にオルティエ水晶が埋め込まれている。
それにクーティリアスがアウラを注ぐと、扉が中央から左右にずれ、開いた。
彼女とともに、中へ入る。
直後、ベルリオットは腕で鼻を覆った。
部屋の中がかび臭かったのだ。
すえた臭いもかすかに混じっている。
「ここは……」
「教会の書庫だよ」
言葉通り、視界には無数の書棚が映っていた。
並べられた本は、一冊一冊が片手では持てないほどに大きい。
それらを収める書棚は、もちろん相応だ。
おかげで部屋がどれほどの広さなのか見当がつかない。
「ベル様、こっちこっち」
いつの間にか、クーティリアスが先を進んでいた。
手招きする彼女のもとへと向かう。
「鉄の箱?」
彼女の前には、腰ほどの高さを持った台座。
その上に鉄の箱が鎮座していた。
「まさか見せたいものってこれのことか?」
「違うよ。この中にあるもの」
言って、彼女は鉄箱の蓋をゆっくりと持ち上げる。
少し色あせた赤の布が敷き詰められた中、一冊の古びた本が収められていた。
それを丁重に取り出すと、こちらに手渡してくる。
ずしりと重い。
本の表紙に書かれた文字を読み上げる。
「イェラ……ティアム……?」
「いわゆる創世の書。と言っても狭間の、だけど」
「創世ってわりには綺麗だな」
「だって写本だもん」
「こんな厳重に保管してるのに、写本なのか」
「本物はどこかにいっちゃったみたい」
あっけらかんと彼女は言った。
「えらい軽いな」
「なくなったものはしかたないしね。それよりも、少し読んでみて」
自分は熱心な読書家ではない。
だからただの本ならば、読みたいとは思わなかった。
だが、『創世の書』となれば話は別だ。
なにしろ狭間の創世にはアムールが……自分と同じ種族が関わっている。
ごくり、と喉を鳴らす。
「いいのか? 写本でも、かなり貴重なものなんだろ」
「大丈夫だよ。ちゃんと聖下から許可をもらってるからね」
聖下とは、メルヴェロンド教皇のことだ。
それならば問題ないだろう。
分厚い紙をめくっていく。
その度に独特のにおいが漂ってくる。
初めに書かれていたのは、狭間が出来る少し前。
シグルが地上に攻め込んできたところからの話だった。
受ける印象は違うものの、子どもでも知っているような内容ばかりだ。
「えっとね、この辺りを読んでみて」
こちらの飽きを読み取ったか。
書かれた内容を確認しながら、クーティリアスが紙をめくる。
開かれた一面には、絵画が描かれていた。
黒い物体に立ち向かうひとりの女性の姿。
おそらく黒い物体はシグルだろう。
女性の方は……よくわからない。
絵の下部に書かれた文字を読み取っていく。
――アムールは人の前に立ち、シグルと戦った。
だがその中でも、あの戦士のことを我々は忘れない。
いや、決して忘れてはならない。
戦士が手を払えば百ものシグルが地に倒れ。
戦士が前に進めば千ものシグルが後退さる。
青なるアウラを纏いし美しき戦士。
我々は、その戦士を《青天の戦姫》と呼んだ――。
この記述に誇張がなければ、本当に凄まじい強さを持った戦士だ。
それにしても青なるアウラ……?
もしかすると自分の母親――アムールの長であるベネフィリアのことかもしれない、と思った。
確かめるため、紙をめくる。
だがそこには《青天の戦姫》についての記述がなかった。
代わりに興味深い文を見つける。
――世界に生きるすべてのものは、皆、アウラである。
アムールは白。
シグルは黒。
人は無。だが白にも黒にもなる。そして精霊にも――。
比喩的でよくわからない。
そのため、知らない単語に思考が向いた。
精霊?
アミカスの末裔のことだろうか、と思ったが、どうやら違うようだ。
精霊のことが書かれている。
――精霊は、創造主に選ばれた者である。
大戦の折、精霊が造り出した翼は、アムールに大いなる力を与えた。
我々はこれを精霊の翼と呼んだ。
元から精霊である者もいるし、そうではない者もいる。
だが彼らは、濃淡のある髪を除いて人の外見となにも変わらない。
だから我々は、彼らを友として迎えることとした――。
濃淡のある髪。
「これって……」
顔を上げ、クーティリアスを見やった。
彼女の緑髪は毛先が白く、根元が濃い。
その色の移り変わりは一切違和感がなく鮮やかだ。
いくら珍しいとはいえ、とても人の手によってつくられたものとは思えない。
そういえばメルザリッテがクーティリアスを語るとき、意味深めいた発言が多かった。
おそらく、この“クーティリアスが精霊と呼ばれるものではないのか”という疑問が、メルザリッテがぼかした答えなのかもしれない。
ベルリオットは、恐る恐る訊く。
「クティ、なにか隠してることあるんじゃないか?」
「うん」
こくん、と頷く。
ためらいはなかった。
「次あったとき、話そうって決めてたんだ」
そう告げる彼女は、どこか達観した雰囲気を纏っていた。
くるりとこちらに背を向け、言う。
「場所、移そっか」




