◆第二話『オルヴェノア大聖堂』
ベルリオットを乗せた飛空船が、聖都メルヴェロンドの上空に到達した。
聖都は、中心部の地面が異様に盛り上がった――浮遊島が存在するという非常に珍しい形状だ。
浮遊島の中央には、一見して城にも思える巨大な建物がそびえている。
オルヴェノア大聖堂である。
大聖堂から浮遊島の外縁部に至るまで、びっしりと植えられた木々。
それらすべてがウォルトポットであり、吸い込んだアウラを吐き出すと同時、水を作り出している。
浮遊島から流れ落ちた水は川となり、外側へ向かって放射状に流れていく。
多くの民家が川に添って建てられているためか、陸路よりも船での水上移動が盛んだ。
飛空船が街の上空を通過し、聖都中央の浮遊島付近までやってきた。
浮遊島から流れ落ちる水の音がひびいてくる。
あまりに巨大な滝なためか、頭を何度も叩かれているような感覚だ。
今回は王の来訪ということもあり、特別に飛空船の使用を許可されているが、本来は階段を使ってのぼらなければならない。
階段の数はおよそ二千。
途方もない数だが、熱心な教徒は毎日欠かさずにのぼりおりしているという。
今も階段を利用する多くの人たちが視界に映っていた。
「なんかあの人らを見てると、ずるしてるみたいだな」
「そうね。でもこっちは時間がないんだし、しかたないわ」
教徒を尻目に飛空船はあっさりと浮遊島を上りきる。
浮遊島の手前、外縁部に発着場があった。
二十台ほどしか停泊できない小さなものだ。
そこへ着陸、飛空船から降りた。
聖堂騎士に案内されるまま浮遊島の中央へ向かう。
と、眼前に広がる光景に目を奪われる。
大聖堂へ向かって巨大なアーチが幾重にも建ち並んでいた。
その大きさは、一つ一つがリヴェティア王城の大城門に劣らないほどだ。
アーチの下をくぐり、ベルリオットたちは大聖堂へ向かって歩いていく。
敷かれた石畳は、教徒に数え切れないほど踏まれたからか、表面がひどくなめらかだった。
教徒たちが、こちらとすれ違う度に立ち止まり、頭を垂れる。
七大陸王会議が行われるのだから、本日の礼拝は規制がされるものだと思っていたが、平常と変わらないようだ。
ただ各アーチの両脇には聖堂騎士が控えていた。
その数は過剰と言うべきほどで、どうやら警戒を怠っているわけではないらしい。
大聖堂が近づくにつれ、その全容が明らかになっていく。
視界の右端から左端まで等間隔に並ぶ石柱。
その奥には扉のない、巨大な入り口が覗く。
正面口であり、一般に公開された礼拝堂に繋がる道である。
大聖堂の奥側は隆起し、山のように盛り上がっている。
それゆえ、無数に建てられた尖塔の高さには均一性がない。
正面口ではなく、側面のこじんまりとした入り口から大聖堂へ通された。
中はひんやりとしていた。
天井に多く使われた硝子を通し、陽の光が差し込んでくる。
隆起した地形のせいか、ひどく入り組んでいた。
いくつかの階段や曲がり角を経て、広間に通される。
造りはリヴェティア王城の謁見の間に似ていた。
華美な装飾は一切ない。
目についたのは脇に飾られた女性を模った像。
どれもが得物を手にした姿で、今にも動きだしそうな躍動感がある。
奥側には十段ほどの階段。
上がった先には重厚な鉄扉が見られ、聖堂騎士によって厳重に固められている。
恐らくその先が会議の場所となるのだろう。
「もっと遅くなるかと思ったけど案外早かったねえ」
甘ったるい声だった。
聞こえてきたのは広間の右隅の支柱からだ。
その陰から、一人の女性が姿を現した。
歳は三十前後か。
身長はベルリオットよりもわずかに高い。
豪奢な飾りがいくつもつけられた髪は長く、腰まである。
身を包むのは紫のドレス。
胸元をはだけさせた扇情的な格好だ。
女性に続いて、ローブを羽織った二人の男が姿を現した。
どちらも禿頭で、顔の肌が浅黒い。
彼らを伴い、女性がしゃなりしゃなりと歩いてくる。
「久しぶりだねぇ。リズアート姫」
「ファルール王……お久しぶりです。って、姫はもうやめてください」
「そうだったね。あんたも、もう立派な王か」
言って、女性――ファルール王が笑みを浮かべた。
ファルールは、リヴェティアの隣に位置する大陸だ。
両大陸は親交が厚い。
貿易においては、リヴェティアからは工芸品を、ファルールからは農産物、香料の輸出入が盛んに行われている。
彼女たちの受け答えからして、王家の付き合いも相応に深いのだろう。
リズアートが広間に視線をめぐらせる。
「他の王は?」
「見ての通りまだあたしだけだよ。まったく……ディーザの爺さんはともかく、災厄日のリーヴェより遅いってのはちと問題だろう」
「予定の時間までまだ少しありますし、わたしも急いできましたから」
今回の会議は、リズアートが先に立って実現したものだ。
いくらリヴェティアの災厄日であっても、彼女の心境としては遅れるわけにはいかない、といったところだろう。
ファルール王がリズアートに顔を近づけ、声をひそめる。
「それで黒導教会はどうなんだ。その後の足取りは掴めたのか?」
「いいえ。あれ以来、まったく動きがなくて」
「まあ、今日は王が集まるんだ。奴らが釣れる可能性は高いだろうよ」
その言葉に、リズアートが真剣な顔でうなずいた。
今回の会議は、大陸落下問題に立ち向かうため、各大陸で手を取り合おうという名目のもとに開かれる。
うまくいけば、シグル側にとっては当然不利な状況となる。
だからシグルを崇拝する黒導教会が、今回の会議を見過ごすとはとても思えない。
つまりはそういうことだろう。
かすかに聞こえた両大陸の王の会話に、ベルリオットは人知れず気を引きしめた。
ファルール王がリズアートから離れると、ふたたび飄々とした空気をまとった。
うしろを見やりながら口を開く。
「あ、紹介しとくよ。こいつらはハーゲンとマルコ」
ハーゲンとマルコと呼ばれた男たちが、控えめに頭を下げた。
ファルール王が紹介に補足する。
「ナド族だ」
「ナド族というと、あの……」
ユングが興味深そうにつぶやいた。
「そう、裸族だよ。今はローブ着てるからわからないだろうけど、こいつら、この下になにも着てないんだよ」
視界の端、リズアートが顔を引きつらせたのが映った。
明らかに引いている。
ハーゲンがファルール王ににじり寄る。
「陛下、その言い方はやめてくださいとあれほど」
「間違ってないだろ。今すぐにでも脱ぎたいって思ってるくせに」
「それはもちろんです」
真顔で言い切った。
ファルール王が「ほら」と得意気な顔を作ると、ハーゲンが後退さった。
入れ替わるように、今度はマルコが前に出てくる。
「しかし裸族という言葉でくくられるのは納得がいきません。裸であることが、本来の人のあるべき姿なのです。ましてや世界を構成する力……アウラを感じるには、裸がもっとも適していると我々は――」
「あーわかったわかった! この話は終わり」
「へ、陛下!」
「帰ったら好きなだけ脱いでもいいから、せめて聖都にいる間は我慢しろ」
「約束ですからね」
ファルール王が大きなため息をついた。
なんなんだこの人ら……。
ナド族のことはベルリオットも知識として知っていた。
彼らは、裸になることでより多くのアウラを取り込める、と信じて疑わない民族だ。
これについてはすでに学者間で検証されている。
結果は、たしかに衣類によってアウラの取り込む量が阻害されているものの、それはごくわずかな量でしかない、といったものだった。
そうした事実がある中でもナド族は裸を貫き、ある特殊なアウラの使用法を見出した。
合成結晶。
複数人によってアウラを合成させ、より巨大な結晶を造り出す技術だ。
通常、アウラの凝固による結晶は個人でしか造れない。
これは、人によって思い描くものが違うからだ。
いくら基準となるものを用意しても、完全に同一のものを造り出せた例が人にはない。
しかしナド族はそれを可能にした。
裸であることが共通意識となり、合成結晶を造りえる材料となった、という説が一般的だが、実際のところはわからない。
機会があれば見てみたい、とベルリオットは思った。
「悪いねえ。こいつら、実力のほうはたしかなんだが、いかんせん特殊でね。まあ、その方が楽しくていいんだが」
言って、ファルール王が笑みを浮かべた。
その彼女の目線が、ベルリオットの腰に携えられた剣に向いた。
「ん?」
実剣よりも優秀な結晶武器があるため、帯剣している騎士などいない。
だからファルール王が、ベルリオットの剣に目がいくのは別に不思議ではなかった。
「あんたが蒼翼か」
「そうですが」
「ふ~ん……いいね、あたし好みだ」
ファルール王がベルリオットの傍まで来ると、顔を近づけてきた。
漂ってくる甘い匂いに、思考が麻痺していくような感覚に見舞われる。
その瑞々しい唇がゆるやかに動く。
「どうだ、うちの騎士にならないか? 手厚く歓迎するぞ」
「い、いや。俺はリヴェティアの騎士なんで」
「生まれ育った土地に思い入れがあるのはおかしくないが……お前はまだ若いんだ。今からでも遅くないからファルールに来て、あたしと濃密な思い出を作ればいいじゃないか」
はだけた胸元から覗く、豊満な乳房がたゆんと揺れた。
ベルリオットは思わずごくり、と喉を鳴らしてしまう。
「ちょ、ちょっとファルール王! 人の騎士を勧誘しないでください!」
情欲に支配されつつあった思考の中に、リズアートの甲高い声が割って入ってきた。
その細い眉毛を逆立たせる彼女を見て、ファルール王がにたりと笑う。
「人の、ねえ」
「別に深い意味は……」
口ごもったリズアートが、矛先をこちらに向けてくる。
「ベルリオット。あなたもあなたで、リヴェティアの騎士ならしっかりと断りなさい!」
まったくもってその通りで、言い返せなかった。
ファルール王が盛大に笑い声をあげる。
「冗談だよ、冗談」
「なっ、冗談って――」
「その慌てよう。あのおてんば姫も、ついに女になったか」
「お、女って……!」
「はぁ、時がたつのも早いもんだねえ」
「だから、わたしは別にそんなんじゃ!」
普段、リズアートは動じたところをあまり見せない。
そんな彼女がからかわれている様は見ていて新鮮だった。
「まあ、ちょっと興味があっただけだ。気にするな。なあ、蒼翼」
ファルール王が、肩に手を置いてきた。
そのままふたたび顔を近づけ、耳打ちしてくる。
「さっきの話、わりと本気だから。真面目に考えといて」
彼女の息が耳かかり、ぞくりと全身が震えた。
ベルリオットが硬直する中、ファルール王があっさりと離れ、口の端をつりあげた。
その笑みは、外見相応に妖艶な空気をかもし出していた。
この人、どこまで本気かわからないな……。
そんなことを思っていると、真横から突き刺してくるような視線を感じた。
おそるおそる出所の方へ顔を向ける。
と、そこには目を細めたリズアートの姿があった。
「なにでれでれしてるの」
「俺は別に」
「どうだか」
つん、とリズアートがそっぽを向いた。
眼鏡の位置を直しながら、ユングがぼそりとつぶやく。
「ふむ、年頃ですね」
わけがわからない。
まだ会議も始まっていないのに、無駄に疲労感を覚えてしまった。
先が思いやられる。
と、入り口の方から複数の足音が聞こえてきた。




