◆最終話『未来への一歩』
十月七日(ディーザの日)
ベルリオットはディザイドリウム王宮内を歩いていた。
すれ違う政務官や騎士から大仰な敬礼をされ、答礼していく。
ここまで厚遇されているのは、約一週間前……ドリアークが初めて現れたそのときよりディザイドリウムに留まり、シグル討伐に貢献しているからだ。
わかってはいるのだが、人からの感謝にあまり慣れていないため、どうにも居心地が悪かった。
ちなみにリンカはディザイドリウムにいない。
彼女も残って一緒に戦うことを望んでいたが、あまりにも怪我が酷かったので一足先にリヴェティアへ帰ってもらった。素直に聞いてくれたのは、ベルリオットが飛閃を完全に習得し、ドリアークへの対応が一人でも可能になったからだ。
彼女を想ってのことだったのだが、恨みがましく睨まれたのには理不尽な思いを抱かざるを得なかった。
とにもかくにも対ドリアークは準備万端。
いつ現れても問題なかったのだが、実は一度現れて以来、出現していなかった。
恐らくは、ドリアークが現れた《災厄日》のときほど大陸が下降していないからだろう。
大陸の下降が緩和されているのには、宰相ラグ・コルドフェンが国王へ進言したある案が機能しているからである。
その案というのは、《運命の輪》から《飛翔核》へアウラを注ぐ時間を大幅に前倒しし、大陸の最低高度を上げる、というものだ。
だがこれも長くは続かない。
なぜならアウラを注入できる時間は、《運命の輪》が大陸に近づいたときであり、まだ近づいていない状態――ディザイドリウム大陸の前にアウラを注がれるファルール大陸の範囲内に《運命の輪》がある間は、アウラを注入できないからだ。
つまり前倒しという誤魔化しが効くのも限られた期間内だけであり、また大陸の平均高度の低下を防げているわけではないのである。
近いうちに大陸が落ちるのは避けられない。
だが、その近いうちが来る前に、大陸の過剰下降によって強大なシグルが押し寄せ、大陸が滅びてしまうかもしれない。
ならば誤魔化しであったとしても実行し、速やかに移住するべきである。
大陸下降緩和案に加えて、移住計画の催促までも盛り込んだここまでが、ラグ・コルドフェンの意見した案の全容だ。
先日のドリアークが現れた《災厄日》の一件があるため、ディザイドリウム国王も、また騎士団や高官たちも、ラグの案に首を縦に振らざるを得なかった。
そしていち早く移住の受け入れ先に手を挙げたのがリヴェティア大陸であり、またディザイドリウムもそれを受けた、というのが一連の流れだ。
これを期に、《運命の輪》から《飛翔核》へのアウラ注入が人為的にされていることが多くの者に知れ渡ることになったのだが、大陸の落下という恐怖の話題によってすぐにかき消された。
ふと前方から小柄な政務官が歩いてくる。
緑基調の法衣に、大きな帽子を被った彼は、ディザイドリウムの宰相を務めるラグ・コルドフェンだ。
なにやら資料片手に難しい顔をしている。
と、あちらも気づいたようだ。
「トレスティング様!」
ぱたぱたと小走りで駆け寄ってきたラグが、目の前で足を止めた。
この子どもとしか思えない風貌で一つの大陸を引っ張っているというのだ。
人は見かけによらないな、と強く思わされる。
「ラグさん……様はやめてくれって言ったろ。ベルでいいって」
「そうでした、つい癖で」
あはは、と苦笑したあと、ラグは顔を引きしめなおし、ぺこりと頭を下げた。
「ベルさん、今回もありがとうございました。おかげで滞りなく計画を進められています」
頭を上げたラグが廊下の外側、硝子張りの壁へと視線を向ける。
そちらには慌しさを感じさせる街の姿が映っていた。
すでに移住計画が始まっていて、あちこちで大型の輸送船が飛び交っていた。
皆、必要なものをリヴェティアへと運んでいるのだ。
中には商売のためにと不必要なものを運んでいる者もいるようだが。
運ぶにあたり国として食料を優先するのは当然だが、次に優先されているのは建築資材だった。と言うのも王都リヴェティアはかなり狭いため、ディザイドリウムすべての民を受け入れられない。大陸内に幾つかの村はあれど、とても補えるほどではない。
それらを解消するため、簡単ではあるが王都リヴェティアの近くにディザイドリウム民用の居住区を設けることになったのだ。
「ディーザの騎士団が頑張ってくれてるのもあるけどな。俺だけじゃ、とっくに王都に侵攻されてるよ」
大陸の外縁部すべてをベルリオット一人で護りきることはできない。
だからある程度は騎士団に防衛線で耐えてもらうしかないのが現状だった。
ちなみに先日の戦いで倒れた四騎士は、ジャノを含め全員が生存していた。
すぐに戦線へ復帰はできなかったようだが、今ではすっかり元気になって防衛線で戦っている。
「騎士団の皆様にはもちろん感謝しています。ただベルさんは他大陸であるディーザの問題に力を貸してくれているわけですから」
「もう、他国とかそういうの関係ないだろ?」
「ベルさん……」
ラグが目を瞬かせたあと、涙を流しながら大げさに感動していた。
本当に感情の起伏が激しい人だ。
先ほどまで泣いていたのが嘘のように、今度はぱあっと明るい笑みを浮かべる。
「そうだ。これから少しだけ休憩をとるつもりなのですが、一緒に食事でもどうですか? 今日で閉まってしまうお店があるんです。そこ、すごく美味しいんですよ」
目をきらきらと輝かせながら、ラグがにじり寄ってくる。
その純真過ぎる態度に圧倒され、ベルリオットは思わず後ずさってしまった。
こういうところは本当に外見相応だな、と心の中でつい笑ってしまう。
ラグからの誘いは悪い気がしなかった。
今となっては、ラグはディザイドリウムの中で唯一気楽に話せる相手なのだ。
今日でなければ、きっと誘いを受けていたことだろう。
「あ~……悪いんだけどちょっと用事が」
断られるとは思ってなかったのか、ラグがしゅんと肩を落とした。
かと思うと、すぐになにかを閃いたように声をあげる。
「あ、ああ! そういえば今日でしたね。それにしても驚きでしたよ。ベルさんがまだ――」
ある用事のため、ベルリオットはリヴェティアへと帰還した。
自宅へと戻らずその足で王城へと向かう。
第二階層の回廊を歩いていると、壁に背を預ける騎士を見つけた。
リンカ・アシュテッドだ。
こちらを見つけるや、相変わらずの無愛想な面を向けてくる。
と、リンカの髪型が目についた。
先日、彼女が左眼にかかった長めの前髪を切ったのは間近で見ていたので知っている。
だが前髪だけでなく、長かった後ろ髪も背中にかかる程度にまで短くなっていたのだ。
「その髪……」
ベルリオットは彼女の近くで足を止め、開口一番にそう言った。
前髪をいじりながら、リンカが答える。
「中途半端に切ったから綺麗に揃わなくて。それでちょっとだけ」
「無理に切らなきゃ良かったのに」
そう口にした直後、ぎろりと睨まれる。
彼女が前髪を切ったのは、眼の傷はベルリオットのせいではない、と示すためのものだった。
だから今しがたの発言は彼女の気遣いを蔑ろにするものだ。
つまり思い切り失言だった。
自分の浅はかな口に悪態をつきながら、補助を入れる。
「その、似合ってる」
ため息をつかれてしまった。
さすがにあからさま過ぎたか。
ただ今日の彼女を見て最初に思った感想なので嘘ではない。
リンカがこちらに背を向けると、
「……がと」
ぼそりとなにかを呟いた。
「え」
「なんでもない。……そういえば、覚悟しておいた方がいいかも」
歩き出した彼女が、口の端を吊り上げながら肩越しに言ってくる。
まるで悪戯っ子のような笑みだ。
「覚悟するってなにを?」
「すぐにわかる」
去っていくリンカの後ろ姿を眺めながら、ベルリオットは首を傾げた。
今日、ベルリオットが王城を訪れたのは、自身の騎士叙任式が行われるからだった。
リンカに加え、複数の王城騎士からの後押しを受け、晴れて王城騎士となることを認められたのだ。
一般騎士の叙任式は騎士団内で簡単に済まされるのだが、王城騎士だけは特別に謁見の間で、国王直々に行われることになっている。
正式な王城騎士服を受け取るため、ベルリオットは王城のある一室を訪れた。
そしてそこで待っていた人物に目を瞠る。
リヴェティア騎士団の団長、ユング・フォーリングスだ。
部屋には他に二人の侍女がいる。
「団長? どうしてここに」
「いえ、少しあなたに用事がありましてね。とりあえずあなたの騎士服をお渡ししましょう」
ユングからの目配せを受け、一人の侍女がこちらの前に歩み出てきた。
手に持った騎士服を差し出してくる。
その服を見てから、ベルリオットはユングへと視線を向けた。
「これって……?」
差し出された騎士服は、どうみても王城騎士の基本色である白色ではなかったのだ。
金糸で模様付けされた青基調の騎士服だった。
「格好良いとは思いませんか?」
「そりゃ格好良いですけど……って、そうじゃなくて。どうして白服じゃ?」
「これから行われる叙任式に伴い、あなたの序列は九位となります」
「は?」
思わず素で聞き返してしまった。
たしかに序列一桁代ならば独自の騎士服を着ても構わない。
それには納得できる。
だが、自分が序列一桁代に就くかどうかまでは理解できない。
「いや、なったばかりでさすがにそれはまずいんじゃ」
「力に見合わない格ほど無用なものはありませんが、逆もまた然りです」
つまり、ベルリオットの格は力に見合っていない、とそう言いたいのだろう。
たしかに力を基準にすれば序列一桁代になってもおかしくはないかもしれないが――。
「でもいきなりこんな」
「なにかと肩書きが必要になる場合がこれから出てくるでしょう。あなたにはしてもらなければいけないことが沢山ありますから。そのときのため、と思ってください。まあ、正直に言ってしまうと、ディザイドリウム移住計画の一端を担うあなたが、一介の騎士でない方がなにかと都合がいいのですよ」
よくわからないが、とりあえずユングに意を唱えても意味がないことだけは理解した。
覚悟しておいた方がいい、というリンカの忠告はこのことだったのか。
騎士服を受け取ると、今度はもう片方の侍女が歩み出てくる。
「それと、これを」
差し出されたのは、鞘に収められたなんの変哲もない剣だ。
だがよく見てみると、自分が長年使っていた長剣にそっくりだった。
柄を握ってみると懐かしい感覚が蘇ってきた。
「これって俺の……」
間違いない。
刀身まではわからないが、少なくとも柄は同一のものだ。
鞘から抜いてみた。
傷も曇りもない。
以前に使っていた剣は、前騎士団長グラトリオとの戦いの際に折れてしまった。
戦いが終わったあとに直そうかと思ったが、アウラが使えるようになったのでもう必要ないだろう、と放置していたのだ。
それなのに、どうして――。
「わたしも詳しくは知りませんが、陛下が用意してくださったそうですよ。誓いの剣に、と」
あいつ……。
余計なことを、と思いながらも、剣を持った感触に口元が自然と緩んでしまった。
この剣は、自分が《帯剣の騎士》と蔑まれるに至った最大の材料であり、またこれまでの自分を支えてきてくれた最高の友でもある。
アウラを使えるようになったから必要がなくて手放した――と思っていた。
だが今、剣を手にしてみてわかったが、実際は強大な力を得たことから生まれた驕りが、この剣という弱い力を切り捨てさせただけだったことに気づいた。
だめだな、俺も。
正直、この剣を持ったところで強くなるわけでもない。
むしろ邪魔になるだけだ。
だが驕りを戒めるためにも、この剣をまた持っていようと思った。
また一緒に戦ってくれるか?
そう心の中で言いながら剣を掲げると、呼応するように刃がきらりと煌いたような気がした。
騎士服はなんだかごわごわして違和感があった。
高めの襟もいかにも偉そうな雰囲気を醸し出していて落ち着かない。
だが、そんなことに文句を言っていられなくなった。
時間が来た。
謁見の間に来るのは何度目だろうか。
そんなことを考えながら、荘厳な場へと足を踏み出した。
相変わらず広い場所だった。
中央通路に敷かれた赤絨毯の両脇には、政務官や騎士たちが中央側を向いて立っていた。
数は二十人ほど。内、五人は序列一桁代の王城騎士で、ユングを初め、エリアス、リンカ、ホリィ、クノクス、と全員が見知った顔だった。
下手な真似は出来ないな、と意識した途端、自然と緊張が高まってしまう。
おかげで全身がかちかちだった。
赤絨毯を辿っていくと、玉座に立つ女王リズアート・ニール・リヴェティアの姿が目に入る。
彼女と目が合った。
こちらの緊張具合を見てか、一瞬だけ彼女の口元がぴくりと動いた。
直感だが、笑いを堪えているのだと思った。
途端、覚えていた感情が恥ずかしいから悔しいに一瞬で塗り替えられ、緊張が吹き飛んだ。
軽く深呼吸をして気持ちを入れ替えた。
前へとゆっくり進み、最奥部の階段を上る。
リズアートの前に立つなり、ベルリオットは肩膝をつき、面を下げた。
左腰から剣を抜き、柄を女王側へ向け、差し出す。
それを受けとった女王から左肩に剣の腹を当てられる。
「ベルリオット・トレスティング。汝は、ここに騎士としての誓約を立て、リヴェティアの騎士として戦うことを誓うか」
「誓います」
「汝、騎士となり、なにを望むか」
「自らの正義のもと、護ると決めたすべての命の盾となり剣となることを」
――望みます
どよめきが起こった。
普通の騎士は自国の民を護ることを誓うものである。
実際にそうであるかは別にして、建前である。
だが、今、自分がしたのは、リヴェティア以外の民を護ることにも当てはまるものだ。
無責任と思われるかもしれない。
だが応援部隊として実際にディザイドリウムへ行ってみて、今、世界が直面している問題を前にしては、自国の大陸がどうだとかくだらないことだと思ったのだ。
「まったく、あなたらしいわね」
リズアートの呟く声が頭上から降ってきた。
左肩に当てられた剣が裏返され、次は右肩に当てられ、また裏の腹も当てられる。
「我リズアート・ニール・リヴェティアが、汝ベルリオット・トレスティングを騎士として認めます」
剣が放されると、ベルリオットは面を上げた。
女王から差し出された剣を受け取り、鞘に収め、立ち上がる。
一瞬、リズアートと向き合う形になった。
凛々しい顔立ちの中に、柔らかさを感じられたのは、きっと気のせいではないだろう。
リズアートが手を払うのと同時、ベルリオットは振り返る。
いまだ戸惑っている者が多かった。
そんな中でリンカは相変わらずの無愛想な顔を貫き、エリアスは呆れ顔、ユングにいたってはなぜか嬉しそうに頷いていた。
アウラも使えず、《帯剣の騎士》と呼ばれていた頃は、この場に自分が立っているなんてことはまったく想像できなかった。
だがベルリオットは現実に王城騎士となり、エリアスやリンカたちと肩を並べている。
ただ、王城騎士になれたのも、すべては自分がアムールだからだ。
だがアムールの強大な力がなければ護れなかった命があった。
きっとディザイドリウムが落ちていた。
もう、いいのではないか。
いい加減、この力を認めてもいいのではないか。
忌避したところで自分がアムールである事実は覆らない。
ならば、この力と共に生き、護れるものを護るべきなのではないか。
今。
王城騎士として、《蒼翼》を背負い、前へと進むときなのではないか。
これから人は、大陸落下という漠然とした問題に立ち向かわなければならない。
自分がどこまで出来るかはわからない。
ただ、力を持つ者として。
誰かに決められたわけじゃない。
他の誰でもない自分自身の意思で。
やれることをやろうと思った。
ベルリオットは一歩を踏み出した。
この一歩が自分の。
そして人の未来に繋がると信じて――。




