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天と地と狭間の世界 イェラティアム  作者: 夜々里 春
一章【並び立つ剣】
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◆第二十三話『風の鎧』

 見たこともないシグルに、リンカは瞠目した。

 そもそもあれはシグルなのだろうか。

 黒の身体からしてそうだとは思うが、他のシグルに比べてあまりにも形状が精緻を極めている。


 その未知のシグルが、咆哮とともに翔けた。

 防壁通路へと下り立ち、その四足をつけようとした。

 が、身に纏った風の鎧が防壁を刻み、吹き飛ばしていく。

 あの風の鎧は、そのものが攻撃手段と成り得るのか。

 まるで《運命の輪》が纏いしアウラのごとく、激しい気流を生み出しているようだ。


 防壁外側にいた騎士たちが、未知のシグルに上空から襲い掛かった。

 だが防壁と同じく触れることすら叶わず、風の鎧に切り刻まれ、弾き飛ばされていく。

 シグルはふたたび咆哮を上げると、防壁の外側へと飛翔した。

 その巨体からは想像できないほどの速さで、外縁部の地表をなぞりながら翔ける。

 巻き上がる土とともに、幾人もの騎士たちが中空に舞い、まるで人形のごとく落ちていく。

 そこにはガリオンやアビス、ギガントなどのシグルも含まれていた。


 いったい、なんなのあれは……。


 見境なく行われる破壊に、リンカは思わず絶句する。

 と、視界に割り込むように誰かが目の前に立った。

 ジャノだ。

 大鉈の結晶武器を杖代わりにしながら、辛うじて立っている。


「モノセロスごとき、わたし一人でもどうにかなると思っていた。だが、それは大きな驕りだったようだ。紅炎の踊り手よ。先刻の無礼を詫びよう。そしてモノセロスを斃してくれたこと、深く感謝する」


 初対面の態度が態度なだけに、その真摯な言葉にリンカは思わず面食らってしまった。

 ジャノには団長として、自国の騎士団が低く見られるわけにはいかないという思いが強くあった。それゆえの、リンカたちへの対応だったのだろう。

 だからと言って、ライジェルを蔑ろにされたことを許すのとはまた別問題だが、今はそれをぶり返して憤りを感じている場合ではなかった。

 ジャノが「だが」と継ぐ。


「ここからはわたし一人に任せてもらおう」


 立っているだけでも限界なはずだ。

 しかしその瞳には揺るがぬ決意が宿っていた。

 悪寒が走り、リンカは咄嗟に意を唱える。


「なに言ってんの。これまで見たことがない形体ってだけじゃない。今の大陸の下降具合からして、あれが相当な力を持っているのは明白でしょ。あたしも――」

「だからこそだ!」


 空気を震わすほどの大声に、言葉を遮られる。


「元はと言えば、わたしの下らぬ意地が招いた事態だ。それに他の者を付き合わせるわけにはいかぬ。……もう、取り返しはつかぬかもしれんがな」


 リンカたちの手助けを断ったことを言っているのだろう。

 だがあの未知のシグルが出現したことは、大陸の下降が原因だ。

 どちらにしろ、この状況は覆らなかった。

 であれば大陸の下降に伴い移住に踏み切っていれば、という話になるが、それこそ騎士団だけの問題ではなく、ディザイドリウム全体の問題だ。

 ジャノがすべての責任を負うことはない。

 だが彼は、それでは納得がいかないようだった。

 周りを見回しながら、ジャノが叫ぶ。


「お前たち、今すぐに防衛線を放棄し、王都まで撤退しろ! そして騎士団の指揮権は、これよりコルドフェン宰相閣下殿が持つものとする! 彼の手となり足となり、彼を支え、ディーザの民を守るのだ!」

「ジャノ・シャディン。あなた……」


 彼は死ぬ気だ。

 いや、正確には死を引き替えにして、あの未知のシグルを止めようとしている。


「皆が撤退する時間ぐらい、なんとか稼いでみせよう。貴公も、早々に避難することだ」


 言って、ジャノが杖代わりにしていた大鉈を構え、二の足でしかと立った。

 直後、周囲からぽつぽつと光が生まれ、やがて線となってジャノの周りに集まっていく。

 その光の正体は、ディザイドリウムの騎士たちだった。

 ジャノの傍に来るなり、各々が得物を出し、構える。


「ジャノ様!」

「……なにをしている。わたしは逃げろと言ったはずだが」

「我らも共に戦います。ジャノ様お一人を置いて逃げるなどできません」


 その言葉にジャノが目を見開いた。

 騎士だ。

 まさしくリンカの思い描いた騎士たちが、そこに立っている。


 だが彼らの体には無数の傷が刻まれていた。

 中には多量の血を流し、立っているのがやっとの者もいる。

 まともに戦えるとはとても思えない。

 彼らを死なせたくない、と。

 そうリンカは強く思った。


 あの人だって、きっとそう思うはずだ。

 あたしはまだ……戦える。


 すっくと立ち上がり、リンカは再び濃紫のアウラを纏った。


「あれは、あたしがやる。だからあなたたちはさっさと撤退して」

「し、しかし!」

「さっきの見てたでしょ。あたしは一人の方が戦いやすいの。それに、今のあなたたちをかばいながら、あれと戦うのはちょっと無理」


 今の自分なら、あの未知のシグル相手でも負ける気がしなかった。

 モノセロスを斃した感覚がまだ残っている。

 騎士たちからの答えを待たずに、リンカは外縁部で暴れる未知のシグルへと飛翔した。


 直後、奴がこちらを見た。

 かなりの距離があるというのに、動きを把握していたのだろうか。

 そう思った瞬間、奴がこちらに向かって無造作に飛んだ。

 リンカの翔ぶ速度を圧倒する速さで接近してくる。

 一瞬で間合いを詰められ、すでに奴の顔面が間近にあった。


 速すぎる……っ!


 奴が身に纏った風の音が、しゅるしゅると耳をつく。

 激しい気流を前に髪が荒々しく踊る。

 これ以上近づくと切り刻まれる。

 本能でそれを感じ取ったリンカは咄嗟に距離をとるが、一瞬で間合いを詰められてしまう。


「くっ!」


 こちらを噛み砕かんと尖った口が突き出される。

 左へ躱す。

 鋭い爪を持った右前足が頭上から襲い来る。

 真下へと潜り込み、回避。

 奴がその巨体を後方へ回転させた。

 連動して細く長い尻尾が眼前に迫る。


 予想済みの行動。

 自身の体を弾くように右方向へ移動させる。

 眼前を尻尾が通り過ぎた直後、凄まじい風圧が押し寄せて来た。

 背筋が凍るような感覚。

 だが。


 いける!


 余裕はない。

 が、動きについていくだけなら問題なさそうだった。

 攻撃手段は未だ思いつかないが、少なくとも時間は稼げる。


 これなら。


 そうリンカが思った直後――。

 こちらに向き直ったシグルが、顎を外したとしか思えないほど大口を開けた。

 耳をつんざかんばかりの奇声に、思わず顔が歪む。

 シグルの口の中に小さな黒球が現れた。

 かと思うや瞬時に巨大化し、シグルと同様、風の鎧を纏う。


 ぞくり、と悪寒がした。

 咄嗟に上下左右のどこかへ退避しようかとリンカは思考をめぐらせた。

 その一瞬。

 巨大な黒球が咆哮とともにシグルの口から吐き出された。

 視界が、巨大な黒球に埋め尽くされる。

 判断が遅れた。

 いや、速くても逃げ切れなかった。

 それほどまでに黒球は巨大で、恐ろしく速い。


 逃げ切れない。


 即座に回避の思考を捨て、自身を覆う盾を作り出した。

 盾に黒球が激突する。

 両手で、肩で押すようにして受け止める。

 ぐいぐいと後方へ、地面へ押される。

 荒々しく削られる音。

 見れば、盾にはすでに亀裂が入っていた。

 これ以上は無理だ。


 壊れる。


 盾が弾け飛んだ。

 直後、全身を風の激流が襲った。

 体中を切り刻まれる。

 次いで、巨大な質量を持つ黒球による衝突が、凄まじい衝撃となって襲い来る。

 全身を強く打たれた感覚とともに、視界がぶれる。

 凄まじい速さで流れていく世界は、幾本もの糸ととしか認識できない。


 不恰好な体勢のままリンカは中空を飛んだ。

 地面に落ち、跳ね、転がり、ようやく勢いが止まる。

 脳が揺れたせいか、なにが起こったかわからなかった。

 だが全身を襲う焼けつくような痛みに、意識が戻る。

 今の自分は、地面に頬をつけ、無様な格好で横たわっているようだった。


「く……ぁ……」


 やられた。

 食らったのは一撃だ。

 そのたった一撃で、勝負を決められてしまった。

 四肢がまともに動かない。

 立ち上がるのは難しい。


 後ろで結い上げていた髪がほどけたのか。

 自身の長い髪が視界に割り込んでいた。

 その限定的に遮られた視界の中、上空から向かってくる黒い塊が……シグルがいた。


 逃げようにも体に上手く力が入らない。

 終わりだ。

 殺される。

 そう思った直後、


「「うぉおおおおおおおおお!!」」


 視界に幾つもの光が入り込んできた。

 ディザイドリウムの騎士たちだ。


 撤退してと言ったのに。

 どうして――。


「来たらだめっ!」


 痛む唇を我慢し、叫んだ。

 だが騎士たちは止まらない。

 シグルは迫り来る騎士たちへ意識を向けているようだったが、その場に浮いたまま動かない。


「この大陸はディザイドリウム! 我らが守らずして誰が守る! 臆するなディーザの騎士よ! わたしに続けええええええええ!」


 ジャノを筆頭に、騎士たちがシグルへと飛びかかっていく。

 無数もの攻撃がシグルに浴びせられる。

 だがそれらすべてが風の鎧によって阻まれる。


 接触はできる。

 だがあの激流の前では、ヴァイオラ・クラスの結晶でも、あっけなく削られ、破壊されていく。

 激流に接触した騎士たちが、シグルがなにをするでもなく、あちこちに吹き飛ばされ、無惨にも散っていく。


「ぁ……あぁ……」


 横たわったまま、リンカはその光景を眺めていることしかできなかった。

 やがてジャノを含むディザイドリウムの騎士が、周囲の地に力なく倒れた。


 なによこれ……なんなのこれ。


 空中に浮いていたシグルが地上に下り立った。

 地面を抉りながら、ゆっくりとこちらに歩いてくる。

 その余裕は、まるでこちらの恐怖を楽しんでいるとしか思えない。

 シグルが奇声とともに大口を開けた。

 巨大な黒球が造り出され、風の激流を纏う。

 あれが放たれたとき、自分は死ぬ。


 どうして、とリンカは思う。


 せっかくモノセロスを斃せたのに。


 あの人に並べたと思っていたのに。


 こんなのってあんまりだ……。


 無情にも黒球が放たれた。

 周囲の土を抉り、巻き上げながらこちらに向かってくる。


 死の恐怖よりも諦観が勝った。


 直後。

 視界の上方から、巨大な結晶塊が落ちてきた。

 リンカは思わず目を瞑った。

 轟音。

 地響きとともに体が揺れる。


 いったいなにが……?


 揺れが収まると同時、まぶたを上げた。

 瞬間、目を瞠る。


 先ほどまで黒に埋め尽くされていた視界が――。


 今や鮮やかな青色に埋め尽くされていた。



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