◆第二十一話『今、出来ること』
リンカに続いて、ベルリオットは廊下へ飛び出た。
慌しく行き交う政務官や騎士たちの姿が目に飛び込んでくる。
やはりただ事ではない。
と、三人の政務官を引き連れたラグが、こちらに向かってくるのが見えた。
「王都中心部に避難するよう指示を。万が一に備え、大陸間の移動も考慮に入れてください」
「閣下は」
「これから陛下のもとへ向かいます。進言しなければならないことがありますので」
てきぱきと指示を出すラグの姿は、その身なりからは考えられないほどの凛々しさを感じさせていた。
政務官たちが了解の意を示し、散っていく。
ラグの前に、リンカが歩み出る。
「なにがあったの?」
「アシュテッド様……」
一瞬目を泳がせたラグが俯き、ふたたび顔をあげた。
「南方防衛線にモノセロスが出現しました」
リンカが目を見開いた。
ベルリオットも同じ気持ちだった。
だが王宮全体に感じる慌しさから、やはり、という思いもあった。
「ジャノ様がなんとか押さえてくれていますが、形勢はあまりよくないようです。今、王都常駐騎士から編成して援軍を――」
ラグの発言中、リンカが荒々しくアウラを取り込んだ。
放出とともに光翼が模られるや、脇目も振らずに通路を翔け抜けていく。
「お、おいっ」
止める間もなく、リンカの姿が見えなくなる。
いつも不機嫌な顔ばかりしていた彼女だったが、自分よりは冷静な人だと思っていた。
だが、どうやら違ったようだ。
「くそっ」
相手はあのモノセロスだ。
リンカ一人で行かせるわけにはいかない。
彼女のあとを追いかけようとベルリオットもアウラを取り込もうとした、その瞬間。
「待ってください!」
ラグから止められた。
「今、あなた方がいかれてはリーヴェ、ディーザ両騎士団の関係が悪化する可能性があります! どうかわたしが話をつけるまで今しばらくお待ちを!」
「そういうこと、もう言ってられる場合じゃないだろ」
「まだ南方が落ちたわけではありません。ジャノ様なら、きっと――」
「閣下!」
遠くからラグを呼ぶ声が聞こえた。
通路内を、アウラを使って飛んで向かってくる政務官がいた。
ラグの傍に来るや、纏っていたアウラを四散させる。
「申し上げます。南方を除いたすべての防衛線が、モノセロスによって突破されたとの報告が騎士団から入りました」
「なっ」
「数は北が二、東が一、西が一。計四体のモノセロスが、王都へ進行中とのこと……!」
「そんな……」
ラグが絶句していた。
無理もない。
ディーザが誇る《四騎士》の内三人が敗れ、唯一奮戦しているジャノも南方防衛線にいる状態だ。
遠からず王都へ到達するモノセロスに対応できる騎士は、今のディザイドリウムにはいない。
この、ベルリオット・トレスティングを除いては。
未だ放心するラグに向かって、ベルリオットは言う。
「ラグさん……あんた言ってたよな。本当の危機に瀕したとき、命を奪われるのはディーザの民だって。今が、まさにそのときかもしれないんだぜ」
初対面だと言うのに、ラグはディザイドリウムへの熱い気持ちを語ってくれた。
今回の――応援部隊の手違いが生まれてしまったのも、この気持ちが先行してしまったからだろう。
ディザイドリウム内での色々なしがらみがラグの行動をしばっているのかもしれない。
だが今はそんなことを理由にしている場合ではない。
「政治のことは俺にはよくわからない。けど、今、助けられる命とどっちが大切かってことぐらいは……もう迷わずに答えられる」
言って、ベルリオットはラグを見据えた。
思うところがあったのか、ラグがうめき、後退さる。
もう行くと決めたのだ。
止まるつもりはない。
アウラを静かに取り込む。
徐々に量を増やしていき、一気に放出。
アウラという名の青い光が勇壮な翼を造りだした。
「そ、その青の光は……」
ラグが瞠目する。
「蒼翼のベルリオット……あなたが……」
どうやら彼は、リンカだけでなくベルリオットの二つ名も知っていたようだった。
本当に有名になったものだ。
だが、今はそれに感じるものはなにもない。
するべきことがあるからだ。
ベルリオットは飛翔し、通路内を移動する。
と、飛び始めてすぐ、ラグの叫ぶ声が後方から聞こえてくる。
「このラグ・コルドフェンがすべての責任を持ちます! ですから、どうかこのディーザをお救いくださいっ!!」
その言葉に、ベルリオットは人知れず頷いた。
王宮上空から、ベルリオットは王都全体を見回した。
時間的には夜が明ける前ぐらいだろうか。
普段なら灯がなくてもおかしくはない時間帯だが、今の王都にはそこら中に灯が見られた。
騎士に誘導されるがまま、住民たちが王都中心部へと避難している。
リンカは恐らく南方防衛線に向かった。
彼女を傷つけてしまった負い目があるからだろうか。
今すぐにでも彼女のあとを追いかけたかった。
だが、モノセロスは南を除いた防衛線から王都に進行中とのことだった。
計四体。
放っておけば、王都は確実に滅ぶだろう。
対処できるのは自分だけ。
どちらか一方を選ぶなんてできない。
だから。
――最速で王都に迫るモノセロスを撃退し、リンカのもとへ行く。
これしかないと思った。
なにも考えなしというわけではない。
あのジャノという騎士ならば、すぐにはやられないと思ったのだ。
それにリンカ自身の力も相当にある。
大丈夫だ。
そう無理やり自分に言い聞かせ、ベルリオットは再び王都を見回す。
どこが先にくる……っ!
と、王都北端の方で大きな音が鳴った。
弾かれるようにしてベルリオットは翔ける。
眼下では、光の線を引きながら人々が中心部へと向かっていく。
あまりにも数が多いため、一見すれば光の川のようにも思えた。
音の出所も、こちらに近づいてきている。
悲鳴も同時に大きくなっていく。
ようやく王都北側外周の上空へとその身を躍らせる。
まだ完全には避難しきれていないようだったが、一般人の数は内周に比べれば少ない。
それも騎士に誘導され徐々に減っていくため、無人になるのは時間の問題だろう。
不意の轟音。
視線を巡らせる。
右斜め前方。
モノセロスを一体見つけた。
中層の軌条を破壊しながら、中心部へ向かって走っている。
その身の周囲にはいくつもの光。
ディザイドリウム騎士だ。
果敢にモノセロスの体へと斬りかかっているが、ろくに傷をつけられていない。
それどころか多くの者が弾かれ、さらに振り回された一本の極太の角に突き飛ばされている。
下位のシグルは見当たらない。
突破されたのはモノセロスだけなのだろうか。
報告では北から進行するモノセロスは二体だったはずだ。
しかし今のところ一体しか見当たらなかった。
疑問は残るが今は目の前のシグルを倒すしかない。
身の丈ほどの剣を造りだした。
斬るために特化した鋭い青の刃が、王都ディザイドリウムの灯を受けて煌く。
自身を一条の光とし、黒の獣へと――。
翔ぶ。
視界の中で、モノセロスがこれまでになく激しく角を振り回していた。
距離を取りそこねた一人の騎士が肩に直撃を受ける。
突き飛ばされ、鮮血を散らしながら軌条の上を跳ね転がる。
勢いが収まるや、騎士が肩を押さえながら半身を起こした。
直後、間近に迫ったモノセロスを前にして、騎士の顔面が恐怖に歪んだ。
「う、うぁああああ」
モノセロスの突進がついに騎士に到達する、直前。
ベルリオットという名の青の光が、モノセロスを捉える。
肉薄の寸前、薙ぎの二撃。
一角獣の前足、角が音もなく本体から切り離され、弾けるように消滅する。
勢い余って中層を通過したベルリオットは下層の地面に激突。
地面を削りながら勢いを殺し、止まるや軌条の上へと翔ぶ。
中層からモノセロスの慟哭。
前足を失ったからか体勢を崩している。
だがこちらの存在を視認するや、軌条上から飛び、向かってきた。
迎え撃たんとベルリオットはさらに速度を上げる。
互いの距離が一瞬で縮まる。
交差の瞬間、ゆらりと軌道を左へずらした。
流すように右脇に構えた剣をモノセロスの口へ添える。
かすかな抵抗。
重くはない。
振り切りはせず、そのまま翔ける。
交差が終わったそのとき、モノセロスの口から臀部へと一本の線が引かれていた。
そこへ空気が割り込み、一角獣の身体が上下真っ二つに割れ、下層に到達する前にその身を弾けさせた。
ベルリオットは斃したモノセロスへと振り返らず、軌条上へと一旦足を置いた。
騎士たちが唖然とする。
「き、きみはいったい……」
答えている暇はない。
轟音が下層から聞こえたのだ。
音の出所を見やれば、そこには暴走するモノセロス。
象徴とも言うべきその太い一本の角で、近くの建物に頭突きをかましていた。
角が突き刺さった場所を中心に亀裂が走り、建物があっけなく倒壊する。
報告にあった二体の内の、もう一体のモノセロスだろう。
その一角獣へ向け、ベルリオットは軌条上から飛翔する。
建物への興味を失ったのか。
幅広の下層通路を、モノセロスが中心部へ向かって猛烈な勢いで駆け出した。
通路上の木々や椅子、机、他にも様々な造形品などを蹂躙していく。
この下層区域は避難が終わっているのか。
人は見当たらない。
と思いきや、視界の端で小さな男の子が倒れているのが目に入った。
モノセロスの進行上だ。
逃げ遅れたのか。
唐突にモノセロスが咆哮をあげながら前足を持ち上げた。
あれは何度も見た。
衝撃波の構えだ。
「くっ!」
ベルリオットはモノセロスへと向けていた軌道を咄嗟に変更した。
持っていた剣を放って霧散させる。
男の子の前に荒々しく着地するや、身を覆う盾を造り出す。
直後、モノセロスから放たれた衝撃波が襲い来る。
みしり、と盾をきしませるが壊れることはなかった。
衝撃波は盾を避けて後ろへと流れていく。
衝撃波が止むと同時、ベルリオットは盾を消滅させつつ、両手に造りだした神の矢を放った。
左眼と右頬に青の刃が突き刺さったモノセロスが慟哭を上げながら暴れ狂う。
肩越しに、ベルリオットは男の子へと訊く。
「大丈夫か?」
「う、うん」
「誰かこの子を頼む!」
叫ぶと、先ほど中層で戦っていた騎士が翔けつけてきてくれた。
騎士に抱かれ、男の子が安全な場所まで避難したのを確認してから、ベルリオットはふたたびモノセロスに向き直った。
直後、
「お兄ちゃん、ありがとう!」
後ろから男の子の声が聞こえてきた。
途端、胸が温かいもので満たされた。
ああ、クティが言っていたのはこれか……。
相手を幸せにして、自分も幸せになる。
ようやく感じることができた。
戦いの中において、それを感じることは簡単ではないかもしれない。
だが、自分にはそれを可能にするだけの力がある。
だからこそ、俺がやらなくちゃいけない……っ!
前方のモノセロスへと飛翔した。
敵は、たたらを踏んでその場で暴れている。
幸い周囲に人はいない。
遠慮する理由は、ない。
右手に極太の槍を造り出し、勢いそのままにモノセロスの口へとぶち込む。
「うぉおおおおおおおおおおお!!」
剣ごと後方へと押し飛ばす。
不恰好な体勢のまま、モノセロスが地面の上を何度も跳ね、回転しながら遥か後方までふっ飛んでいく。
やがて勢いが止まろうかという直前、その黒の塊が弾け飛んだ。
きらきらと光を反射させながら、空気へと還っていく。
「はぁはぁ……」
少し息が荒れた。
だが休んでいる暇はない。
ベルリオットは、ふたたび飛翔する。
あと二体……っ!




