◆第十八話『王都ディザイドリウム』
やっと見えたな……。
王都ディザイドリウム特有の高層建築群が前方に見えてきた。
ベルリオットはほっと息をつく。
シグルに襲われるのが怖かったから、飛空船が航行中に落ちてしまうわないか心配だったから、などという理由ではない。
隣で飛空船を操縦するリンカを横目で見やった。
彼女は今もなお前方しか見ていない。
その充血した目を細めているだけで、無表情を貫いている。
あからさまな怒りを顔に出していないことが、いっそうその不機嫌さを表しているように見て取れた。
この張り詰めた空気の中、話しかけるなどという行為は出来るはずもなく。
またベルリオットとしては、リンカが眼に傷を負う原因となった人物であるとの自覚があるため、距離感が掴みにくかった。
そうした諸々の事情があり、航行中は一切会話をすることがなかった。
気まずくてしかたなかった。
だから王都ディザイドリウムについたことがなによりも嬉しいと思ってしまったのだ。
自分が悪いってのはわかってるんだが……でも、まさか親父がこの人を助けてたなんてな……。
――幼い頃、リンカはライジェル様に命を救われたことがあるのです
先日、リズアート一行がトレスティング邸を訪れた際、エリアスから聞いた話だ。
リヴェティア大陸に初めて出現したモノセロスを、ライジェルが倒したのは有名な話だった。
だがその話の裏で、リンカがライジェルに助けられていたとは思いもしなかった。
エリアスやホリィが言っていたが、リンカはそのときのことがきっかけで騎士を目指すことになったという。
つまりライジェルに憧れて騎士になることを志した、ということだ。
また親父か……。
ライジェルが悪いわけではないことは充分承知している。
だがそれでも今は亡き父親に愚痴の一つでも言ってやりたいと思ってしまった。
ただ、人を助けたということについては、親父らしいと思った。
ライジェル・トレスティングという男は、人を護ることをなによりも大切にしていたのだ。
言い得ぬ安心感に胸の中が満たされる。
その親父の息子だからこそ、俺を許せない……か。
リンカから直接聞いたわけではない。
だがエリアスの話から推察するに、そういうことなのだろう、と思った。
とはいえ、それがわかったところで、どうにかなるような問題ではないことは理解している。
だからこそ、このリンカとの二人きりという状況になによりも息苦しさを感じているのだ。
「なに」
まじまじと見ていたわけではないのだが、視線を感じたらしい。
リンカに睨まれた。
「いえ、なにも」
そうベルリオットが返すと、興味がなさそうにまたリンカが前を向いた。
王都ディザイドリウムが間近に迫るにつれ、その巨大さが徐々にあらわになってくる。
林立する建築物は、一つ一つが十階建て相当の高さを持っている。
王都リヴェティアの時計塔が一つ混ざったところで恐らく見つけるのは困難だろう。
それほどの高層建築群だ。
また建物間の距離がほとんど空けられていないため、巨大な壁のようにも見えるのも特徴の一つとして挙げられる。
王都リヴェティアとは違い、王都ディザイドリウムの中は飛空船での移動が可能になっている。
移動可能経路は上層、中層、下層の三層。
王都ディザイドリウムは規模が巨大ゆえ、ただのちょっとした買い物だけでも飛空船を使う者が多い。
そのため、三層すべてが普段から混雑している状態だ。
王都ディザイドリウムの中からは、今もその三層に分けられた通路から多くの飛空船が絶え間なく出入りを繰り返していた。
出て行く方が多いように見られるのは、明日がディザイドリウム大陸の《災厄日》だからだろう。
リンカが中層に飛空船を向かわせた。
高層建築物が建ち並ぶために陽の光が当たりにくいのか、中は薄暗かった。
その代わり、あちこちに街灯が設けられている。
時折りある洒落た店の前では、灯に芸術性を持たせているものもあった。
三階層を移動経路に使っているのは、なにも飛空船だけではない。
すべての階層の端、つまり建築物に面する通路は歩道として利用されている。
人口の多さゆえか、その往来の激しさは小さな生き物がうごめく様を彷彿とさせる。
他にもう一つ、移動手段が用意されている。
航路固定式移動船。
通称、固定船と呼ばれるものだ。
これは言ってしまえば、単に従来の飛空船を軌条に引っ掛け、移動経路を限定させただけのものである。
王都の内周、外周に軌条は敷かれ、一定間隔に設置された停留所に、ある程度決まった時間に固定船が停まる仕組みだ。
ただ飛空船を動かすのが面倒な人や、目的地までの時間を安定させたい人に好まれている。
「相変わらずごみごみとしてるな……」
雑踏とした外の景色を目にしながら、ベルリオットはぽつりと呟いた。
小さな声だったこともあるが、当然ながらリンカからの相槌はない。
ベルリオットたちが向かわなければならないのは、王都の中心部にある王宮だ。
王宮は王都内でもっとも高く、今も見上げればその姿を目にすることができる。
円柱型でちょうど真上から均等に四分割された形状。
外壁に凝った模様は彫られていないが、多用された硝子が単純ながらも優雅さを醸し出している。
いくら王都が巨大だと言っても、王宮までは飛空船で飛べばすぐにつく距離だ。
なのに一向に到達する気配がないのは前を行く飛空船の多さゆえである。
おかげでリンカの不機嫌がいっそう度合いを増したのは言うまでもない。
程なくして飛空船が王宮前に到着した。
王宮前専用の立体発着場に停め、王宮へと向かう。
巨大な門……いや、扉には、多くの人々が押し寄せていた。
門衛が一人一人確認をしてから中へ通している。
なんでも簡単な行政事務はこちらで済ませてしまった方が効率的だ、という理由から、ディザイドリウム王宮は最下層の大広間まで一般に解放されているのだ。
ベルリオットは、リヴェティアより派遣された騎士である証明、王印の入った文書を門衛に提示することで王宮内へと通された。
さらにディザイドリウムの政務官が王宮内を案内してくれる。
王宮内はどこも光沢のある石材が床に敷かれていた。
わずかに黄色みを帯び、石そのものの模様を利用しているため柄に均一性がない。
それがまた良い味を出していて、移動する度に目を楽しませてくれる。
円形の床に乗った。
政務官が隅の水晶に手を当てアウラを注ぎ込む。
と、ベルリオットたちを乗せたまま床が上へと昇っていく。
こうした昇降式の床は、ディザイドリウムのあちこちに設置されている。
最上階に程近い階層で床から降り、応接間らしき場所に通された。
広くはない。
調度品は、向かい合うソファ、それに挟まれるように置かれたテーブルのみ。
華美な装飾もないあっさりとした部屋だ。
「ここでお待ち下さい」
と言い残して、政務官が部屋から退室した。
リンカが早速とばかりにどすん、とソファに座る。
「眠い」
「じゃあ寝たらどうですか?」
無言で細めた目を向けられた。
時と場所を考えろ、と言いたいのだろう。
まったくもってその通りで、ベルリオットは自分の安易な発言を悔いた。
それから待たされること半刻程度。
慌しく扉が開けられた。
リンカが弾かれるようにして立ち上がる。
誰が来たのか、とベルリオットも身構えたのだが――、
「お待たせしてしまって申し訳ありませんっ」
入ってきたのは背の低い少年だった。
背はリンカよりも少しばかり低いぐらいか。
あどけなさを残した顔立ち。
ゆったりとした緑基調の長衣に身を包み、短髪の上にはふんわりとした大きな帽子を被っている。
がばっと勢いよく少年が頭を下げる。
「あ、申し遅れました。わたしはディーザの宰相を務める、ラグ・コルドフェンですっ」
ずり落ちそうになった帽子を押さえながら、ふたたび頭を上げた。
リンカとともに、ベルリオットは硬直した。
言葉が出ない。
こちらの無言の意図を掴んでくれたのか。
ラグと名乗った少年が恥ずかしそうに語りだす。
「あの、こんな体型ですが、わたし一応二十二歳なんです」
「う、うそだろ……」
この少年もとい青年の実年齢を知り、ベルリオットは目を瞠った。
これで俺より年上だと……?
恐ろしいまでの童顔だ。
ふと視界の端で、リンカがわずかに口元を緩めたのが見えた。
明らかに勝ち誇った顔だ。
身長で勝ったことに優越感を覚えたのだろうか。
そうだとしても、あまり変わらないというのが第三者の率直な感想である。
「あはは……よく子どもと間違われます。ですが正真正銘、わたしがディーザの宰相です」
グラトリオが起こした事件後。
ディザイドリウムの宰相を務めていたビシュテーは黒導教会と繋がっていたことから異端審問にかけられ、刑に処されたと聞いた。
つまりラグ・コルドフェンは、ビシュテーの後任ということか。
「なんかすまなかった……いや、失礼しました」
「お気になさらないでください。宰相とは言っても、まだ就いたばかりの若輩者ですから。それよりも、どうぞお掛けになってください」
促され、リンカともどもベルリオットはソファに座った。
それを確認してから、ラグも座る。
「この度は、我がディザイドリウムのために応援に駆けつけて下さってありがとうございます。お二人は、屈強と名高きリーヴェの王城騎士様とお見受けしますが」
そう言えば名乗っていなかった。
ただ着ている騎士服のためか、リンカだけでなくベルリオットも王城騎士と勘違いされていた。
ベルリオットは王城騎士ではなく、まだ候補だ。
とはいえ王城騎士でもない者が応援に来たとなれば、相手にしてみればいい気はしない。
嘘はつきたくないし、どう答えたものかと考えていると、
「はい。自分はリヴェティア騎士団序列十位リンカ・アシュテッドです。あと、この者はわたしの部下です」
とってつけたような紹介をリンカにされた。
なにか不当な扱いを受けている気もしたが、候補であることを知らせずに済んだのだ。
結果的に良かったと思うことにした。
ラグが目を瞬かせたあと、きらきらと輝かせる。
「《紅炎の踊り手》と呼ばれている、あの……リンカ・アシュテッド様ですか?」
「そう呼ぶ人もいるみたいです」
リンカの答えに、ラグが「おぉ~」と感嘆の声をあげた。
童顔な上に小柄だから子ども扱いをされるとラグは言っていたが、この性格が勘違いされる一番の原因なのではないか、とベルリオットは思った。
それにしても他大陸の騎士の二つ名まで知っているとは、さすが宰相といったところか。
情報は持っているようだ。
それに比べてベルリオットは、自身の大陸の王城騎士名すらろくに覚えていないという体たらく。
情けない。
「これはなんと心強い。リヴェティアも《災厄日》が近いというのに、これほどの方を送って下さるとは……」
ラグがいまだに感動していた。
ベルリオットは初め、リンカが同行することに不安を覚えていた。
だが、このラグの態度を見ていると、彼女がついてきてくれて良かったと思った。
少しばかり……いや、かなり気まずいが。
ふいに、ラグが視線を落とした。
「大陸の上昇量が弱まって以来、シグルが頻繁に現れるようになったため、ディーザ騎士団の損耗が目に見えて酷くなっています」
ディザイドリウム騎士団の団員数はたしか四万を超えている。
リヴェティア騎士団が一万であることから、その規模の大きさは想像しやすい。
当然、防衛線に配置されている騎士の数も相応に多いのだが、それでも宰相の顔をかげらせるほどの被害が出ているのだ。
相当、切羽詰っているのだろう。
「ですから、あなた方のような優秀な騎士様のお力添えを本当に心強く思います」
いつの間にか、ベルリオットも優秀な騎士に含まれていた。
少しばかり良い気になってしまった自分は、本当に小さい人間だな、と思った。
気を引きしめると同時、あることを訊いてみる。
「やっぱり、移住は無理なんですか?」
「現状、やはり難しいですね。大陸の高度が下がってはいるものの、幸い王都そのものには被害は出ていません。ですから騎士団幹部を初めとして高官の皆様も問題ない、と」
ディザイドリウム騎士団の頑張りが逆に仇となってしまっているのか。
王都が平和であればあるほど移住は遠のいていく。
その間にも大陸はどんどん下降していき事態は深刻化。
ついには移住する間もなく――。
そうならないためにも、一刻も早く移住計画を進めなければならない。
ラグが話を続ける。
「わたしは移住について肯定派です。リズアート女王陛下の仰る《運命の輪》に異変が起こっているという話は、今のディザイドリウムの下降について説明できます。確たる証拠はない、と仰ってはいましたが、それでもわたしはなんとなく感じているのです。ディーザがもう長くないことを。本当は他の皆様だって感じているんだと思うんです」
言って、ラグが俯き、合わせた両手を握りしめた。
信じたくないがゆえに否定している、ということだろうか。
「もちろん、すべてが嘘であって欲しいという思いはあります。ですがそれ以上に、本当の危機に瀕したとき、命を奪われるのはディーザの民であることを考えると、わたしは今すぐにでも動くべきだと思っています」
いつの間にやら顔を上げたラグが、意思のこもった目でじっと見つめてきた。
その迫力に気圧され、ベルリオットは軽く顔を仰け反らせてしまう。
「あ……と失礼しました。あはは……わたし、どうも自論を語りだすと熱が入ってしまう癖が昔からありまして。お見苦しいところをお見せしました」
恥ずかしいとばかりにラグが後ろ髪をかく。
このラグ・コルドフェンという男。
誰もが信じないような話を……《運命の輪》の異変やそれによって生じる大陸落下説について理解を示している。
身なりは子どものそれだが、中に秘めたものは相当なものなのかもしれない。
ラグが、すっくと立ち上がる。
「とりあえず騎士団本部の方へ案内します。防衛戦の配置などについては、騎士団の方々が管理していますから」




