◆第十七話『応援部隊出発』
九月二十六日(ガラトの日)
トレスティング邸。
ベルリオットは姿見の前で、メルザリッテに着衣を手伝ってもらっていた。
身に纏うのは白い騎士服。
胸元に描かれた、交差する二本の剣を包み込む翼の紋様は、紛れも無く王城騎士の証である。
ディザイドリウムへ応援に向かう際、訓練校服で行くわけにもいかない。
実力は申し分ないと言えるが、ディザイドリウム側はそれを知らないため、軽んじているととられてしまう可能性がある。
そのため王城騎士の服を借りることになったのだ。
「仮とはいえ、まさかこれを着る日が来るとはな……」
「どうしてですか?」
「だって今まで訓練校でも落ちこぼれだったんだぞ。それが王城騎士候補に、しかも卒業前にこんなことになるなんて思いもしないって」
「なるべくして、です」
「でもな」
「アムールの力のことをお考えになっているのでしたら、それは違いますよ。ベル様ならば、たとえアムールでなくとも、王城騎士になるのは必然だった、とメルザは思います」
上衣の皺、裾を伸ばしたあと、メルザリッテが手を放した。
こちらの後ろに立って姿見へ向き直ると、花開くような笑顔を作る。
「はい、とても似合っております」
悪い気はしない。
だがベルリオットはどうしても着心地に違和感を覚えてしまった。
王城騎士の服を着ることをまったく想像していなかったから、というのが一番の理由だ。
振り返って肩越しに自分の姿を確認してから、気にしても仕方ないか、と違和感を頭の隅へ追いやった。
メルザリッテがぽつりとこぼす。
「でも、本当にベル様だけで……」
「俺が持ち出した話だしな」
ディザイドリウム大陸が落下するという話をリズアートにしたのは自分だ。
話を進めてもらうだけ進めてもらって自分は見ているだけ、というのは無責任だと思った。
なにより、自分にはどうにかできる力がある。
「誰かを導くとか、そういうのはやっぱ向いてないけど……でも、俺がやれることはやろうと思ってる」
メルザリッテに向き直る。
「だからメルザはリヴェティアを……あいつを見ててやってくれないか」
「リズアート様ですか?」
「ああ」
短く答えると、じっと見つめ返された。
メルザリッテにとって、ベルリオットを護ることがなによりも優先すべきことなのは知っている。
だが今やベルリオットは、アウラを使えなかった頃とは違うのだ。
自分の身を自分で護るくらいの力は持っている。
メルザリッテが、ふぅと息をつく。
「わたくしとしてもここが落ちるのは困りますから。ベル様と二人きりの旅、楽しみにしていたのですが、今回は我慢します」
冗談交じりにそう口にすると、目尻を垂らしながら優しく微笑んだ。
「悪いな」
「いいえ、ベル様のお願いですから」
なんだかんだ言ってもやっぱりメルザリッテは甘いな、とベルリオットは思った。
ふいにメルザリッテが難しい顔をする。
「今のベル様であれば、モノセロス程度どうということはないでしょう。ただ、今のディザイドリウムの下降具合からすれば、さらに強いシグルが現れてもおかしくありません」
「前にいたベリアルとかいう奴みたいなのか?」
「あれは本来、上がってこられるようなシグルではないはずです。人為的な関与がなければ、恐らく出現はしないでしょう。それよりも、もっと厄介なシグルがいるのです。いえ、厳密にはシグルではないのですが……」
「シグルじゃない、ってどういうことだ?」
「アムールにはアミカスという仲間がいたでしょう。シグルにも、そうした相手がいるのです。ドリアーク、というのですが、遠隔攻撃が苦手なベル様とは少々相性が悪いです」
シグルにも、アムールにとってのアミカスのような存在がいたとは知らなかった。
それにドリアークという名前も聞いたことがない。
ただそんなことよりも、ベルリオットとは相性が悪い――つまり間接的に勝てないと言われたことが気になった。
「遠隔攻撃が苦手だと相性が悪い……?」
こくり、とメルザリッテが頷く。
「《運命の輪》の周囲を取り巻くアウラはご存知ですよね」
「ああ。青色の風みたいな……って、今思えば、あの光ってカエラムなのか?」
「質そのものは、ベル様のものと違いはありません。ただ、《運命の輪》が纏っているものは、アウラというよりアウラを纏った風と言った方が正しいでしょう」
「あれに近づくと切り裂かれるって聞いたが」
「はい。そしてドリアークも、似た類のものを身体に纏っているのです。ですから、神の矢で攻撃するのが最適なのですが……」
「神の種子じゃダメなのか?」
「ドリアークは、高い俊敏性も持ち合わせているのです」
だから、神の種子を当てるのは難しい、と。
メルザリッテはそう言いたいのだろう。
だが、ベルリオットにはまだ遠隔攻撃の手段がある。
「じゃあ、この前教えてもらった飛閃はどうなんだ? あれも近づかずに攻撃できるだろ」
「もちろん飛閃でも攻撃は可能ですが……ベル様の飛閃はまだ完璧ではありませんから」
「ま、まあそうなんだが」
メルザリッテに飛閃の存在を教えてもらって以来、練習を続けてはいるのだが、未だに収束が上手くできなかった。
「恐らく未完成のままでは、ドリアークの身体に触れる前に消滅してしまいます」
「一応参考までに訊くが、身体の硬度の方はどうなんだ?」
「そちらは大したことはありません。ギガントと同程度といったところでしょうか」
「そうか」
無理をすればなんとかなりそうだな、と考えた直後、メルザリッテから低い声調で「ベル様」と釘を刺されてしまった。
「ドリアークは、モノセロスほどの巨大な体躯、その全身を包み込むほどの翼を持っています。もし遭遇してしまったら……そのときは迷わずに逃げてください。たとえ、それでディザイドリウムを捨てることになったとしても」
「俺が頷くと思ってるのか?」
「いいえ。ですからお願いしているのです」
メルザリッテに憂え顔をされると、ベルリオットは酷く弱かった。
とはいえ、彼女が言うような状況になったとき、自分はディザイドリウムを捨てて逃げられるのだろうか。
考えて、瞬時に無理だ、と思った。
だから。
「生きて帰るってことだけは約束する」
「ベル様らしいです」
「わかってただろ」
「ええ。ですから、くれぐれもご無理なさらぬよう」
先ほどまでの張り詰めた空気はどこへやら、一転してメルザリッテが柔らかな笑みを浮かべる。
まったく、メルザリッテには敵わないな、とベルリオットは思った。
さて、ポータスに来たのはいいし、飛空船も手配してもらっていたから無事に借りられた。
準備は万端と言っていい。
あくまで準備は、だ。
ベルリオットは目の前の飛空船を見た。
座席が横に並んだ二人乗りの小型飛空船。
なにも問題はない。
問題があるとすれば、搭乗者であるベルリオット・トレスティングである。
操縦ができない。
思わず額に手を当て天を仰いだ。
今からメルザリッテに頼んで同行してもらおうか。
しかし彼女にはリズアートを見てもらわなければならない。
他に頼めるとしたらナトゥールだけだが、彼女は彼女で今頃訓練校で授業を受けているはずだ。
自分の無計画振りに嫌気が差した。
騎士団の誰かに頼むしかないか。
そう思った直後、
「なにしてんの」
と後ろから聞こえてきた。
振り返ると、そこには赤色が印象的なリンカ・アシュテッドが立っていた。
なにやらいつもより何倍も不機嫌な感じだ。
なぜか目が充血しているのだが、そのせいで威圧感が増していた。
彼女が小柄でなければ、その威圧だけで人を卒倒させていたかもしれない。
「なんで隊長がここに?」
ベルリオットがそう訊くと、リンカが腰に手を当てながら吐き捨てるように語りだす。
「誰かさんがディザイドリウムに行くとかで、ついさっきユングさんから同行するようにって言われたの。徹夜で王城警備したあとだってのに冗談じゃない。これから寝ようと思ってたのに……」
言って、ぎろりと睨まれた。
リンカの言う“誰か”とは当然のごとくベルリオットのことだ。
徹夜明けに、さらに任務を言い渡されれば不機嫌にもなるだろう、と察した。
「いや、俺は別にひとりで」
「あんた……今誰の指揮下に入ってると思ってんの?」
「えっと、あなたです」
つまり指揮下にあるベルリオットがディザイドリウムに行くならば、隊長として同行するのは当然ということか。
ディザイドリウムに行くのは自分だけの問題だと思っていた。
だが今の自分は、候補とはいえ王城騎士としてその組織の中に組み込まれているのだ。
そうしたことをまったく考えていなかった自分が、まだまだ子どもであることをあらためて実感させられた。
悪いことをしてしまったな……。
「すみません」
素直に謝ってみたものの、リンカの表情は相も変わらず不機嫌極まりないといった様子だった。
と、素っ気無く目をそらされる。
「もうどうでもいい。ほら、さっさとして。あたし行きは寝るから」
リンカが飛空船の扉を横にずらし、そそくさと補助席へと乗り込んでいく。
その姿を目にしながら、ベルリオットは先ほど悩んでいた、もとい解決しなければいけない問題を思い出した。
今一番頼み事をしにくい相手だったが、彼女以外に頼める相手はいない。
意を決して口を開く。
「あー……すごい言いにくいんですけど、俺、つい最近までアウラ使えなかったから飛空船操縦できないんですよね」
「は?」
「だから、隊長が操縦してくれませんか?」
リンカが目をぱちぱちと瞬かせた。
頬をひくつくかせたかと思うや、すっと無表情になる。
「……あとで覚えときなさいよ」




