◆第十五話『突然の訪問』
九月二十五日(ティーグの日)
ベルリオットは自室のベッドに寝転がっていた。
頭と枕の間に両手をもぐりこませ、天井を見つめる。
王城騎士候補として、外縁部に出向いたのは四日前のこと。
そのときより、リンカ・アシュテッドが口にした言葉が頭から離れなかった。
――あんたにやられた傷よ
身に覚えがなかった。
そもそもリンカのことを知ったのはつい最近のことだ。
もちろん、ベルリオットが忘れているだけで昔に会ったことがある、というのならその限りではないが。
とはいえ、本当に覚えがない。
ただ直接的でなければ、ということならば一つだけ心当たりがあった。
王女誕生祭。前国王レヴェンが殺されたあの日。
突如出現したモノセロス五体を相手に、ベルリオットは周囲の人間の安否など考えず、ただ一心不乱に戦った。
結果、多くの騎士が負傷した。
もしかすると、その負傷した騎士の中にリンカがいたのかもしれない。
だとしたら、どうすればいいのか。
謝ればいいのだろうか。
いや、謝って済む問題ではない。
それにあのリンカの態度を見る限り、簡単に許してもらえるとは思えなかった。
だからって、このままじゃだめだよな……。
なにも王城騎士になるために、リンカに許してもらいたいわけではない。
ただ、自分に非があるとわかったまま放置するのは後味が悪かった。
どうするか、とふたたび同じ思考を繰り返す。
ふいに、こんこん、と扉を叩く音が聞こえてきた。
メルザリッテだ。
「ベル様、今、よろしいですか?」
「ああ」
扉が開けられ、メルザリッテの姿が現れる。
「どうした?」
「はい、それが……リズアート様が――」
リズアートの名前が出た瞬間、ディザイドリウムから返事が来たのか、と予測した。
ならば王城への呼び出しだろう、と思った直後――。
メルザリッテの前に、ふと歩み出てきた影があった。
「お邪魔してるわよ」
「なっ」
影の正体はリズアートだった。
彼女は、ゆったりとした淡紅色の布生地に身を包んでいた。
肌の露出が少なく、淑やかな印象を受ける。
気品は感じられるものの、装飾品もほとんどないため、外見からはとても女王という感じがしない。
「あ、驚いてる驚いてる」
ふふん、とリズアートはしてやったりな顔をしている。
「そりゃ驚くだろ。というか、いいのか? 城から出てきて」
「護衛のことなら心配ないわ。エリアスもいるし、それに――」
リズアートが廊下へと目配せをした。
すると、二人の騎士が顔を出す。
「せ、先日はどうも~」
「よう、蒼翼の。邪魔してるぜぇ」
「いっ」
あまりの予想外な人物に、ベルリオットは言葉を失った。
一人は、騎士服の上からでもわかるほどの筋骨隆々とした肉体を持つ巨体の騎士。
もう一人は、柔和な印象を窺わせる顔立ち、ほっそりとした肢体が特徴的な女性騎士。
先日、王城に侵入したとき、手合わせ……もとい殺しにかかってきた王城騎士。
オルバ・クノクスとホリィ・ヴィリッシュが、そこにいた。
「ここがかの有名な《剣聖》の屋敷ですか~。興味深いです。あ、メルザリッテさん、わたしもお手伝いしますよ」
「いえ、ホリィ様はお客様ですから――」
「わたし、用意してもらうのってすごく落ち着かなくて」
「そういうことでしたら、お願い致します」
「おい、蒼翼の。剣聖が使ってた部屋はどれだ? あ、あとなんかこう、秘伝書みたいのはねぇのかよ。一気に強くなれるみたいなのがよ」
「そんなもんないあるわけないだろ。親父の部屋も今はもう物置小屋同然だ」
「なんでぇ、つまんねぇな。陛下、ちょっくら外で訓練してきますわ」
「あまり騒がないようにね」
「へぇーい」
ばたん、と扉が閉まる音。
「……」
なんの嫌がらせだ、これは。
場所は移り、トレスティング邸のリビング。
ベルリオットはソファに腰を下ろし、頭を抱えていた。
テーブルを挟んで向かいのソファにはリズアートが座り、そのすぐ後ろにエリアスが控えている。
台所では、茶を用意するメルザリッテとそれを手伝うホリィ。
台所事情に疎いベルリオットにはわからないが、なにやら料理の話で盛り上がっているようだ。
にやにやしながら、リズアートが訊いてくる。
「どうしたの? 今日はやけに不機嫌ね?」
「わかってて言ってるだろ」
「言ってくれなきゃわからないことだってあるのよ」
「あ、あのなぁ……もういい。さっさと話を進めようぜ」
文句の一つでも言ってやりたいところだったが、それで聞くような相手ではないことは充分承知していたので触れずに流すことにした。
残念、とばかりにリズアートが肩をすくめた。
ベルリオットは早速とばかりに切り出す。
「ディザイドリウム関連だろ?」
「ええ、その通りよ。エリアス」
「はい」
エリアスが、気持ち一歩前に歩み出て語り始める。
「先日、これまでの《安息日》に比べて大陸の高度が圧倒的に落ちている、との報告をディザイドリウム側から受けました」
驚きに目を瞠った。
メルザリッテの話からすれば、大陸上昇の原動力を司る《運命の輪》が壊れるのは、あと一年程度しかないのだ。
いつ大陸の下降傾向が顕著になってもおかしくない。
だが、こんなにも早くに影響が出るとは思いもしなかった。
「《災厄日》に、飛翔核から大陸にアウラが注がれ、上昇自体はしたようです。ただ、その上昇が早くに終わったようで」
「つまり、あなたが言っていた通りになっている、ということよ」
エリアスの報告に、リズアートが続ける。
「あなたの言葉を信じていなかったわけではないのだけど……いよいよ現実味を帯びてきた、といったところかしら」
「そうですね。ただ、あまりにも話の規模が大き過ぎるせいか、わたしは恐怖というより息が詰まるような……そんな感覚に陥っています」
言って、エリアスが自身の胸元で左手を握り締める。
ベルリオットも同じような感覚だ。
「とはいえ、ディザイドリウムもまだ信じられないみたいで、移住の話は当然の如く断られてしまったわ。ま、これについては仕方ないとしか言えないけど」
リズアートが肩をすくめる。
ディザイドリウムは全大陸中もっとも栄えている都市だ。
人口が多いだけでなく、移動手段を一つとっても人々が効率的に暮らすための設備が整っている。
そんな暮らしに慣れた人々に、別の大陸に移住しろと言っても簡単には頷いてもらえないのは当然のことだった。
「ただ、黙って見てるわけにもいかないから、次の《災厄日》にこちらから応援を送ることを提案し、昨日、ディーザ側がこれを受諾してくれたわ。それで、その応援に行く騎士だけど――」
「俺が行く」
即座にベルリオットは名乗りをあげた。
リズアートが目を瞬かせたあと、窺うように訊いてくる。
「……いいの?」
「これまで以上に大陸が落ちてるってことは、モノセロスが出る可能性があるだろ。だったら俺が行くしかない」
王女誕生祭の記憶が蘇る。
リヴェティアの王城騎士が総がかりでも倒すことは困難だったモノセロス。
あのときは五体同時を相手にだったから、ということもあるだろう。
一体だけだったならば、王城騎士だけでもモノセロスを倒すことは可能だったかもしれない。
だがディザイドリウムの《災厄日》は、リヴェティアの《災厄日》の前日なのだ。
そんな日に王城騎士全員を応援に送るわけにも行かず、また現れるモノセロスが一体とは限らない。となれば、自分が行くのが妥当だ、とベルリオットは思ったのだ。
それに自分ならば、リヴェティア大陸の防衛構想に組み込まれていないため、リヴェティアが不利益を被ることはない。
意志を持った瞳を向けると、リズアートがわずかに目を閉じた。
「いつも面倒事ばかり押し付けてしまって……ごめんなさいね」
「この話自体、もともとは俺から持ち出したことだしな。だから、まあ、気にするな」
「ありがとう」
リズアートが微笑んだが、そこには申し訳なさが窺えた。
ふと視界の端で、両拳をぐっと握り締めるエリアスの姿が目に入った。
見れば、口元はきつく結ばれている。
責任感の強い彼女のことだ。
誰かに責任を押し付けるようなことが、納得できないのだろうと思った。
リズアートが「では」とまとめに入る。
「ユングにはそのように伝えておくわ。恐らく、明日には出発してもらうことになると思う」
「ああ」
ベルリオットがうなずくと、部屋の空気が和らいだ。
ひとまずこれでディザイドリウムの件は終了、ということだろう。
ちょうどよくメルザリッテとホリィが茶を用意してくれる。
注がれた茶から湯気が沸き立つとともに、爽やかな香りが部屋に充満する。
と、落ち着いて頭が冴えたか、ベルリオットはあることを思い出す。
「そうだ。エリアスに訊きたいことがあるんだが」
「わたしに、ですか?」
「ああ。その……アシュテッド隊長について、ちょっとな」
それは次にエリアスに会ったとき、訊こうと思っていた話題だった。
「リンカの傷のことですね。遠からずお話することになるだろう、とは思っていましたが」
リンカの話題を出したことに、エリアスはまったく動じた様子がなかった。
だが、彼女は次の言葉を口にしようとして、止めた。
なにやら気まずそうに、リズアートの顔を窺っている。
リズアートが口を開く。
「なんとなく予想はできたけど……わたしのことは気にしないで」
「ありがとうございます」
一拍間を置いてから、エリアスが語る。
「あのリンカの傷は、姫様の誕生祭の折、襲撃してきたモノセロスによって受けた傷です。わたしも聞いた話なので詳しくはわかりませんが」
「やっぱりか……」
予想していたとはいえ、いざ明確な事実を突きつけられると心にくるものがあった。
腹の底に重石を置かれたような、そんな気分に陥る。
「トレスティングさんがモノセロスを後ろへ流したときがあったでしょう? あのとき、後ろにちょうどリンカがいたんです」
言ったのはホリィだ。
向かってリズアートの左側、つまりエリアスとは反対側に彼女は立っていた。
当時のことを思い出しているのか、その目尻はわずかに垂れ下がっている。
「そうか……」
ベルリオットはなんと言ったらいいのかわからなかった。
ホリィの言った、モノセロスを後ろに流した場面。
自分でもよく覚えていた。
だから今でも頭で思い描けば、その場面が鮮明に再生することができる。
映像だけではない。
悲鳴が同時に聞こえてきた。
あの後ろに……。
リンカがいた。
今では、彼女のことを知ってしまっている。
彼女が負った生々しい傷跡を思い出し、ベルリオットは俯いてしまう。
「ただ、勘違いしないでいただきたいのですが」
と、降ってきたエリアスの声に反応して、ベルリオットは顔をわずかに上げた。
「騎士になった時点で、誰もが傷を負うぐらい覚悟の上です。それはリンカだって同じ思いでしょう。ただ、傷を負うきっかけとなったのが、あなただったから……」
「俺だから……?」
エリアスから告げられた言葉が、ベルリオットには理解できなかった。
なにか自分には、リンカと特別な接点があるのだろうか。
だが、本当に覚えがなかった。
ベルリオットが混乱する中、エリアスが真剣な表情でホリィと目を合わせた。
ホリィが頷いたのを見るや、またこちらに視線を戻してくる。
そして言い放つ。
「幼い頃、リンカはライジェル様に命を救われたことがあるのです」




