◆第十四話『傷』
九月二十一日(ディーザの日)
迎えた《災厄日》の早朝。
ベルリオットは西方防衛線に向かっていた。
青の線を引きながら、草原の上をひとり翔ける。
みんなが飛空船を使う理由があらためてわかったな……。
長時間に渡って移動をする場合、人は飛空船を使う。
荷物を運ぶのに便利だから、という理由だけではない。
飛空船は機内に滞留させたアウラを再利用することで、体内に循環させるアウラの量を極力抑えられ、自身の力だけで翔ぶよりも少ない消耗で移動することができるからだ。
もちろんベルリオットも知識としては知っていたのだが、こうして自分で体験してみるまで実感がわかなかった。
ではなぜ飛空船を使っていないのか。
使っていないのではなく、使えないのである。
大抵の人間は飛空船を使える。
だがアウラを使えなかったベルリオットは、飛空船を操縦する機会がないため、勉強する必要がないと思って放っていたのだ。
単純そうに見える飛空船だが、あれでなかなか複雑なのである。
そのうち練習しないといけないな、とベルリオットは自分に言い聞かせた。
今回、リズアートやエリアスがいたときのように、一緒に行くのではなく現地集合だった。
リンカと比べるとエリアスがいかに親切だったかがわかる。
いや、これは自分が嫌われているからだろう。
となれば、自分のせいなのだが、如何せん嫌われている理由がわからないため、なんとも釈然としなかった。
とにもかくにも、そのリンカとこれから顔を合わさなければいけないのだ。
憂鬱で仕方なかった。
西方防衛線が見えてきた。
山と同化させた南方防衛線とは違って、平原にそのまま防壁が建てられた形だ。
そのせいか、防壁そのものの高さに圧倒される。
王城の天空の間よりもさらに高いかもしれない。
防壁に埋め込まれるように等間隔で建てられた尖塔。
その中でもっとも大きく太い尖塔の近くにベルリオットは着陸した。
まだ時間が早いからか、王城騎士の紋様が描かれた飛空船は少ない。
《災厄日》当日から参戦する王城騎士もいれば、前日から防衛線入りしている王城騎士もいる。
ベルリオットは王城騎士の候補ということで、当日入りを指示された。
自力で飛んでくるという苦行を強いられたものの、時間に遅れはない。
むしろ早い方だ。
尖塔の中に入り、螺旋階段を上がっていく。
間もなくして最上階の司令部に到着する。
円形の広間だった。
整然と並べられた木造の机や椅子。
水分補給や食事など、休憩している数人の騎士の姿が見受けられる。
そんな中、ブーツの紐を入念に結んでいる小柄な女性の姿があった。
リンカ・アシュテッドだ。
防衛線に派遣という形で来ているし、彼女はベルリオットの上官でもある。
立場的に彼女は隊長といったところか。
「えーと……おはようございます、隊長」
どう呼ぼうかと思考を巡らせた結果、隊長に落ち着いた。
彼女の態度を見る限り、呼び方に名前を入れようものなら噛みつかれそうな気がしたのだ。
リンカがこちらを見て、またすぐにブーツへと視線を戻す。
「あたしより遅いなんて良いご身分ね」
素っ気無い口調だった。
だがそこには明確な敵意が感じられた。
これまで、明確な敵意を向けられたり、見下すような態度を取られた場合、ベルリオットは仕返しとばかりに容赦ない態度で応じてきた。
ただリンカを相手にした場合、そのようにするのは適切ではない、と本能が知らせていた。
もちろん憤りがないわけではない。
怒りをぐっと堪え、答える。
「一応、指定された時間より早めにきたんですが」
「あたしより早くにくるのは当たり前でしょ。ま、どうでもいいけど。どうせあんたに手を出させる気はないし、今日はもう帰っていいわよ」
「は? それじゃ来た意味が」
「そういうことだから」
ブーツの紐をきゅっと結び終えるや、リンカは立ち上がり、ベルリオットの脇を通り過ぎていった。
嫌われているのはわかっているし、そこに深い理由があるのはなんとなくわかる。
とはいえ、あまりに理不尽な対応に、ベルリオットはやりきれない思いが胸中に募った。
「帰れって言われてもな……」
リンカの後ろ姿を見つめながら、愚痴をこぼした。
帰っていいと言われ、あっさり引き下がるほどベルリオットは素直な性格をしていない。
だからといって手を出せばリンカに文句を言われそうだったため、戦闘には参加せず、防壁通路をぶらぶらと歩いていた。
途中、一般騎士から変な目で見られたのが気になった。
とはいえ正規の騎士しかいないはずの防衛線で訓練校の服を来た人間が歩いているのだ。
当然といえば当然の反応だろう。
注意をされなかったのは、事前に通達されていたのか。
あるいは先日、王城騎士のオルバ・クノクスが言っていたように『リヴェティア騎士でベルリオットのことを知らない奴はいない』とまで知名度を上げるに至った青の光を警戒してなのか。
ベルリオットにとっては、どちらでもよかった。
ふと視界の端に赤い騎士服を身に纏った騎士が目に入った。
リンカだ。
紫の光を纏いながら、防壁の外側で多数のシグルを相手に暴れまわっている。
いつの間にやら、彼女が担当する区域まで足を運んでいたらしい。
どうせ行くところもないし、と狭間胸壁の凸部分に座り、リンカの戦い振りを見ることにした。
リンカは双剣使いのようだった。
両手に、腕ほどの長さを持った剣が握られている。
ただ順手持ちのメルザリッテとは違い、逆手持ちだ。
逆手持ちは、敵に刃を向ける構えを取りにくく、また力を伝えにくいため、あまり騎士たちに好まれていない。
なにより足運びが難しいのも理由の一つだろう。
ただ真正面の敵に斬りこむだけでも、深くもぐりこまなければいけないのだ。
距離や機を見誤れば、命が危うい。
少し考察しただけでも、ベルリオットの頭には不利な点しか浮かんでこなかった。
だが、リンカは違った。
とんとん、と軽やかに跳びはねながら、逆手に持った剣をだらりと下げる。
その間にもガリオン、アビスが下方を抜いた全方位から迫り来る。
その数あわせておよそ十。
距離が大股二歩程度になっても彼女は動かない。
一歩でも動かない。
眼前、動かない。
さらに極限にまで距離が詰まった瞬間――。
動く。
飛び込んできたガリオンの口元に右手の剣を添え、上空から迫るアビスの腹部に左の剣を添え、回転。
同時、凄まじい加速とともに包囲する黒の集団から躍り出る。
移動と同時に斬り裂かれたシグルがあっけなく四散する。
先ほどまでリンカがいた場所に数匹のシグルが固まる。
そこへリンカが飛び込み、さらに回転。
シグルがえぐれ、飛び散る。
あっという間に十ものシグルが消滅した。
「すごいな……」
ベルリオットは思わず感嘆の声を漏らした。
さすが王城騎士、序列十位と言うべきか。
戦闘技術が並ではない。
それに足運びが尋常ではなく上手い。
直線ではなく円の動きを意識しているのか。
小さな弧から大きな弧まで、状況に応じて変化させている。
紅炎の踊り手……か。たしかに踊りみたいな戦い方だな。
身体の動きに武器がついてきている。
綺麗だ、とも思う。
ただ、なにか違和感を覚えた。
時折り連撃に混ぜている斬り上げだ。
どう見ても無駄な動きにしか見えない。
それにあの攻撃、覚えがあるような……。
首を傾げながら、ベルリオットはその後もリンカの戦い振りを観戦していた。
やがて周囲に燐光がぽつぽつと現れる。
《運命の輪》からアウラを補充した《飛翔核》が、大陸中にアウラを注いでいるのだ。
地鳴りとともに大陸が上昇していく。
徐々にシグルの数が減っていく。
周囲にシグルがいなくなると、リンカが手を止めた。
アウラを解放し、光翼とともに武器も消滅させる。
終わりだ。
結局、ベルリオットは一切手を出すことなく終わってしまった。
なんか、来た意味がなかったな……。
と、そう思った直後、リンカの左側上空から迫る黒い物体がいた。
アビスだ。
すーっと音もなくリンカとの距離を詰めている。
視界に入るかどうかの際どい角度にいる。
だがリンカほどの技量を持った人間なら、確実に気づくはずだ、と断言できる。
先ほどのようにぎりぎりまで近づくのを待っているのだろうか。
それにしても無防備すぎる。
もしかして気づいていないのだろうか。
「左!」
嫌な予感がして咄嗟に叫んだ。
かなりの距離があるためか、はたまた大陸上昇による地鳴りのためか、声が届いてないようだった。
リンカはまだ敵に気づいていない。
「くっ」
今から距離を詰めたのでは間に合わない。
飛閃か。
いや、神の矢の方がいいだろう。
一本程度なら制御は難しくない。
そこまで瞬時に判断し、ベルリオットは右手に造りだした刃を放った。
――間に合えっ!
虚空を斬り裂くように、神の矢が飛んでいく。
その間にもアビスが、リンカのすぐ近くまで迫っていた。
接近する敵に気づいたリンカが目を見開き、声にもならない呻きを上げる。
「――っ」
直後、ベルリオットが放った刃がアビスを貫いた。
鋭い刺突音のあと、刃とともにアビスが消滅する。
驚いたからか、リンカが地に尻をつけて倒れていた。
ベルリオットはすぐさまリンカの近くまで翔けた。
傍に下り、纏っていたアウラを解放してから手を差し出す。
「えっと、大丈夫……ですか?」
リンカは目もくれず、自分で立ち上がった。
服についた土ぼこりを払いながら、低い声調で口にする。
「なんで助けたの」
「なんで助けたって……そりゃ、目の前で――」
「あんたの助けなんていらない。あんたに助けられるなら死んだ方がマシよ」
ぎりっと睨まれながら、吐き捨てられた。
こちらは助けたのだ。
もちろん見返りを求めてのことではないが、それにしたってあまりにもあんまりな対応ではないか。
ただそんなことよりもリンカの放ったある言葉が、ベルリオットには許せなかった。
こちらに背を向けて去っていこうとするリンカの腕を、反射的に掴んでしまう。
「死んだ方がマシとか、んなこと」
「さわらないで」
振り向きざま、リンカに勢いよく手を払われる。
反動で、リンカの左眼を覆っていた髪がふわりと浮いた。
瞬間、ベルリオットは目を瞠る。
リンカの閉じられた左眼。
そこを通過するように大きな切り傷があったのだ。
傷は塞がっているようだったが、線が太く、見ているだけでも痛々しかった。
彼女が戦闘中も、もしかしたらこの傷を見る機会があったのかもしれない。
だが、遠すぎて今の今まで見ることができなかったのだ。
この傷のせいでつい先刻のアビスに気づかなかったのか。
「それ……」
思わずベルリオットは訊いてしまった。
「あぁ、これ。これはね……」
動じた様子もなく、リンカが口を開く。
「あんたにやられた傷よ」




