◆第十三話『新たなる技』
九月二十日(シェトの日)
翌日。
訓練校では、ベルリオットとラハンが行った決闘の話題で持ちきりだった。
名実ともに訓練校一になったベルリオットは以前よりもさらに注目を浴び、《帯剣の騎士》の頃とは打って変わって周囲が騒がしくなった。
その空気がたまらなく居心地が悪かった。
教室を抜け出し、中庭を横断する渡り廊下を歩く
「ベル、どこ行くの?」
声をかけてきたのはナトゥールだ。
いつものごとく気を遣って追いかけてきてくれたのだろう。
隣に並んだナトゥールとともにあてもなく歩く。
「いや、教室があれだしな。次の授業までその辺をぶらぶら」
「今回は手の平返したとかじゃなくて、みんな本当にベルのことを心からすごいって思ってると思うよ。だから、あんまり邪険にしたらだめだよ」
「そうは言ってもな。慣れないんだよ、やっぱり」
力があるのはアムールだから、という思いがどうしても根底にある。
だから持ち上げられるのに抵抗があった。
結局は与えられた力なのだ。
それで威張るのはおかしいじゃないか、と。
では努力したものだったらいいのだろうか。
いや、努力しても超えられない壁があるからこそ力を欲したのだ。
それが本当に都合よく、力を持っていたに繋がっただけだ。
「でね、隣の教室の友達が言ってたんだけど――」
結局、自分は頑張ったんだぞ、力がないのにここまで強くなったんだぞ、と認めてもらいたいがために剣を振り続けていただけかもしれない。
そう思うと、なんだかむなしくなった。
「ねえベル、聞いてる?」
「ん? あぁ、悪い。ちょっと考え事してた。何の話だ?」
「もう、やっぱり聞いてなかった。ラハンがね、今日訓練校に来てないんだって」
「あんなことあったあとだからな。相当きてるんじゃないのか」
「他人事だね?」
「同期ってだけで大した縁もなかったしな。そもそも喧嘩を吹っかけてきたのはあっちだろ」
「そうだけど」
自分のことを悪くいった相手のことを心配するとは、ナトゥールは本当にお人好しだな、とベルリオットは思った。
唐突にナトゥールがため息をついた。
「ベルが王城騎士かあ。なんだかいよいよ遠いとこ行っちゃった感じ」
「だからまだ候補だって」
「でも、決まったようなものだよね」
「それがそうでもないんだよな」
脳裏にリンカ・アシュテッドの姿が浮かんだ。
睨まれているところしか記憶にないからか、想像上でも不機嫌な顔を向けられる。
彼女に嫌われている限り、王城騎士入りはとうてい歓迎されそうにない。
考えただけでも憂鬱だった。
「まあ、色々あるんだよ」
首を傾げるナトゥールに、そう言ってはぐらかした。
気になる、といった様子だったが、彼女は問い詰めるようなことはしてこなかった。
「でも、ベルが王城騎士になったら、訓練校内の序列ってどうなるのかな」
「外れるんじゃないか? そもそも訓練校に籍を置いとく必要もないし」
訓練校の目的自体が優秀な騎士を育てるため、というものだ。
リヴェティア騎士の中でも特に優秀な者しかなることのできない王城騎士が最終目標とも言ってもおかしくはない。
つまり王城騎士になってしまえば、訓練校にいる意味がないのだ。
「そっか、そうだよね……なら、一位目指してみようかな」
ナトゥールがぼそりと呟いた。
その発言に、ベルリオットは思わず目を瞬かせる。
「珍しいな。トゥトゥが自分からそんなこと言い出すなんて」
「うーん、ちょっと思うことがあってね」
ナトゥールは、その淑やかな性格からか、あまり自分から決闘を行おうとはしない。
今の訓練校内序列四位というのも、授業での成績を教師に認められたがゆえの結果だ。
「トゥトゥなら一位とれるだろ」
「ううん、まだまだだよ。もっとたくさん訓練しないと一位はちょっと無理かなあ。そうそう、今ね、練習してる技があるんだ」
「技? どんな?」
「内緒」
「話しといてそれはないだろ」
「へへ、出来たら驚かせようと思って」
言って、ナトゥールが悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
「トゥトゥがそこまで言うならよっぽどなんだな。楽しみにしとく」
「あんまり期待し過ぎないでね。ベルにとったらそんなにすごくないかもだし」
「もう遅いぞ。かなり期待してる」
「うぅ、言わなきゃ良かった」
眉尻を下げ、ナトゥールがしゅんと落ち込んだ。
かと思うや、なにかを思い出したように「あっ」と声をあげる。
「ベル、今日の放課後って予定ある? ちょっと稽古つけてもらおうかなーなんて」
「稽古って……俺は誰かに教えるとか向いてないって。あと今日はちょっと無理だ」
「そういえば明日、《災厄日》だったね。それでかな?」
王城騎士として外縁部に行くことを言っているのだろう。
「違う。いや、それもあるんだが……まあ、今日は先約があるんだ」
そう、今日の放課後は予定があるのだ。
一面を覆い尽くすのは、足首まで伸びきった雑草。
周りを囲む木々は、そのどれもが太く、力強く大地に根付いている。
風が吹く。
擦れ合う枝葉が、ざわざわと音をたてる。
「懐かしいな」
「そうですね、十年ぶりぐらいでしょうか」
訓練校が終わったのち、ベルリオットはメルザリッテとともに浮遊島アーバスを訪れていた。
ライジェルが王都に屋敷を購入するまでは、この浮遊島アーバスで日々を過ごしていた。
屋敷を購入してからも、なにかと訪れることが多かったので思い出深い場所だ。
そう、ライジェルが死んだあの日も――。
と過去を振り返ろうとしたところで、メルザリッテが「さて」と話を切り出した。
「今日はわたくしと勝負を、ということでしたね」
「ああ」
望んだのは、ラハンとの決闘が終わった昨晩だ。
メルザリッテは自分と同じアムールだから、力について考える必要がないから、というのもある。
だがそれ以上に、純粋に闘ってみたい、という武人としての気持ちがあった。
つまりは腕試しというわけである。
「申し訳ないのですが、メルザはベル様と闘うことはできません」
「なんでだ?」
「たとえ訓練であっても、ベル様に刃を向けたくはないからです」
「んなこと俺は気にしないって」
こちらから望んだことだ。
負傷したとしても、それでメルザリッテを恨んだりはしない。
「もしです。もし仮に闘ったとしても……今のベル様ではわたくしに勝てません」
そう、はっきりと言い切られた。
あまりに断定的だったため、ベルリオットの中に対抗心が芽生える。
「そりゃ、メルザの力がすごいってのはわかってる。実際に目にしてるからな。でも、カエラムってルーブラより質的には上なんだろ? 俺のが有利ってのはちょっとずるいかもしれないが、良い勝負にはなるんじゃないか?」
「そうですね……ちょっと武器を出してもらってもいいですか?」
話の流れ的に、どうして勝負にならないのかを説明してくれるのだろう。
武器を出すのに疑問はあったが、メルザリッテの言うとおりにすることにした。
アウラを取り込み、放出。
循環を始めたのと同時、長剣を模った結晶武器を右手に造りだす。
胸の前で剣を持ち、切っ先を天に向ける。
「これでいいか?」
「はい」
言って、メルザリッテがベルリオットの造りだした剣に人差し指を当てた。
つー、と切り刃をなぞる。
なにやら難しい顔をしている。
いったいなにをしてるんだ?
とベルリオットが疑問に思った直後、メルザリッテが一歩距離を取った。
赤のアウラを纏い、放出する。
奔出されたアウラが模るのは、羽根の一本一本までが窺える美しき翼。
普通、ただ放出されるだけの光翼が、ここまで精緻を極めることはない。
これもアムールの特性かなにかなのだろうか。
だが、それなら同じアムールであるベルリオットもこのような翼であるはずだ。
なのに、自分の光翼は普通の人間と変わらない無骨な形状をしている。
なにか特別な技なのだろうか。
そうして新たに生まれた疑問は、メルザリッテが次に起こした行動でかき消される。
右手に腕ほどの刀身を持った剣を造りだす。
「そのままじっとしていてくださいね」
と言い終えるや、手に持った剣を横に払った。凄まじい速さで放たれたその一撃に付随した風が、ベルリオットの髪をなびかせる。
「なっ」
そしてベルリオットは眼を剥いた。
青の剣の刃、そのちょうど中間を境に上下が綺麗に裂かれていたのだ。
結晶のすれる音がわずかに聞こえたあと、上半分がずり落ち、砕け散った。
ベルリオットが驚愕する中、メルザリッテから言い放たれる。
「まだまだ造りが甘いですね」
言って、メルザリッテは自身の赤の剣を四散させた。
「カエラムのが上なはずなんじゃ……」
「それで間違いありません。ただし、使い手の技量次第では下位の結晶でも上位の結晶を破壊することは可能です」
「マジかよ……」
と言ってから、自分に類似した経験があったのを思い出した。
ただの鉄剣でガリオンを斬ったときのことだ。
あのときは、ベルリオットの技量がガリオンの肉体硬度を上回った、ということなのだろう。
とはいえ……。
まさか自身の青の結晶を斬られるとは思いもしなかった。
つまり現状、唯一上回っていると思っていたアウラの質さえも、メルザリッテが相手では有利になり得ない、ということになる。
技量でも負けているのは一目瞭然だ。
勝ち目がない。
青の剣を霧散させ、ベルリオットは両手をあげる。
降参の合図だ。
「わかった、わかったよ……メルザとは闘わない」
「ご理解いただけてなによりです」
「ただ代わりと言っちゃなんだが、あれを教えてくれ」
「あれ、とは?」
「あの地面から突き出すやつ」
「あぁ、戒刃逆天のことですか」
「えんさはりてぃ?」
「この名前は、天上のとある谷底から伸びる刃に由来しています。天上にも悪さをする者はいまして。そういったものを罰するときに、そこに放り投げるのです。ぽいっと」
「い、痛そうだな……」
「はい。罰ですから、もちろん痛いですよ」
想像して思わず尻に力が入った。
「ただ、これはわたくし独自の技なのです」
「俺には無理ってことか?」
「無理とは言い切れませんが、この技は少し特殊なんです。少なくとも、わたくしはこれを会得するまでに一千年ほどかかりました」
「い、一千年……」
あまりに数字が大きすぎて想像がつかなかった。
こんなことを口にすれば、なにをされるかわからないが、メルザリッテは少なくとも二千年は生きている。
もっと生きているのかもしれないが、逆にちょうど二千年の可能性もある。
とはいえ、一千年と言うのはメルザリッテにとっても少なくないはずだ。
人間界にいた頃にも、練習していたのかもしれない。
そこまで考えてから、ふと思う。
つい先日、アムールであることを告白してくれたメルザリッテだが、他の誰かにも告白していてもおかしくないのではないか、と。
ベルリオットについては、人として人々を導くため、というベネフィリアの筋書きがある点からアムールであることを知られない方がいいという明確な理由がある。
だが、メルザリッテに関してはそれがない。
もちろんメルザリッテとの関係性から、ベルリオットもアムールである、と知られる可能性はあるだろうが……。
試しに訊いてみることにした。
「なあ、俺たちがアムールだってこと、親父以外に知ってる奴っているのか? メルザ、ずっとこの狭間にいたんだろ?」
「ライジェル様以外ですと、“今”知っているのは……クティだけですね」
メルザリッテが人を呼び捨てにするのは珍しいので違和感を覚えた。
だが、挙げられた人物があまりに意外だったために、意識をそちらに引っ張られる。
「クティ? なんであいつが」
「いずれわかると思います」
「全部話してくれるんじゃなかったのか?」
「そうですね~……これは別でお願いします」
「ずるいな」
「女ですから」
悪びれた様子もなく、メルザリッテはにっこりと笑った。
この顔をされるとどうにも追求しにくい。
まったくもって困ったメイドである。
「そういやあいつ、最近見ないがどうしてんだろな」
「クティですか? メルヴェロンドに帰りましたよ。先日の事件後、すぐに」
「なにも聞いてないんだが」
「ベル様には内緒でこっそり、と言っていましたから」
「あいつ……」
話した期間は短いとはいえ、一応は知り合った仲だ。
なにも言わずに去っていくなんて薄情な奴だな、とベルリオットは心の中で愚痴をこぼした。
「きっと近いうちにまた会えます」
そう意味深な言葉を口にしながら、メルザリッテは微笑んだ。
その自信というより確信はいったいどこからくるのか。
なんとも釈然としなかった。
「とにかく、アウラの使い方にも向き不向きがありますから、そう悲観することはありません」
「向き不向き? そんなのがあるのか」
「はい。例えばわたくしは、戒刃逆天や、神の矢などの細かい攻撃が得意ですが、ベル様の神の種子のような力技は出来ません」
「神の種子? そんなもの使った覚えは――」
「あのときに使った巨大な結晶塊を落とすことです」
メルザリッテが言っているあのときとは、前騎士団長グラトリオ・ウィディールを倒したときのことだろう、と思い至った。
あのとき、と直接的には言わない気遣いはメルザリッテらしい。
それにしても。
「あれって名前あったのか」
「ベネフィリア様の得意技です」
天上のアムールの長。
つまり、ベルリオットの母親のことである。
あの土壇場で神の種子による攻撃方法を思いついたのは、もしかすると母親が使っていたからなのかもしれない。
そう思うと、今までに実感がなかった親子の繋がりをわずかにだが感じることができた。
「もっとも、ベネフィリア様は同時に三十二のメテオ・リーテースを出すことができますが」
愕然とした。
どうやら自分の母親はとんでもない人らしい。
まったくライジェルといい、つくづく親の強大さに圧倒され続けるな、とベルリオットは半ば呆れ気味にため息をついた。
「でもあれ、当てるの難しいんだよな」
「そうですね、素早い敵が相手では使えないでしょう。とはいえ細かい遠隔攻撃もベル様向きではありませんから。これを会得していただくのが一番いいかもしれません」
メルザリッテが再び剣を造りだした。
右手に持ち、胸の前で水平に構える。
と、剣の切り刃が光りだした。
メルザリッテの濃いアウラよりも、わずかに白味を帯びた光だ。
メルザリッテが無造作に剣を振り上げた。
と同時、切り裂くような鋭い音が耳をつく。
ベルリオットの脇を、凄まじい風圧が通り過ぎていく。
咄嗟に振り返り、過ぎ去ったものを目で追った。
ちょうどメルザリッテの剣の刀身と同程度の長さを持つ光の線が虚空を突き進んでいく。
遠くに行くにつれ、その光は薄くなり、やがてふっとかき消えた。
信じられない光景を目の当たりにし、ベルリオットは目を瞬かせる。
振り返り、メルザリッテの剣をまじまじと見つめた。
切り刃を光らせていたものが、そのまま弧を描いた線となって離れ、飛んでいったような感じだった。
「な、なんだ今の……神の矢? じゃないよな。剣撃がそのまま飛んでいったように見えたが……」
「神の矢ではありません。これは飛閃と言うもので、ベル様が仰った通り剣撃を飛ばしています」
「剣撃を飛ばすってそんなことできるのか?」
「実際にはアウラを使って大気を震わせているのです。なにも結晶化させるだけがアウラの使い方ではありません。こうして切り刃にアウラを纏わせて……」
メルザリッテが再び剣の切り刃を光らせると、
「あとは振り切るだけです」
振り上げ、下ろした。
今度は上空ではなく、地を掠める軌道だ。
しゅっという静かな音と共に放たれた飛閃は、地を抉るではなく裂いていく。
まったくといっていいほど、そこに抵抗は感じられない。
地面を切り裂きながら進んだ飛閃は、遠くで音も無く消滅した。
ベルリオットは思わず顔を引きつらせてしまう。
そしてメルザリッテとの手合わせを止めて良かった、と心の底から思った。
「飛閃ならば、この剣の一振りを発動として位置づけられる上、放ったあとは勝手に飛んでいってくれますので、神の矢よりも制御が楽です。ただ慣れるまでは飛距離が出ない上に細かい力加減が難しいので、そこは訓練あるのみですね」
言って、メルザリッテは赤の剣を消滅させた。
メルザリッテの言うとおり神の矢は飛ばしたあとの制御が難しい。
その点、飛閃ならば飛ばしたあとのことを考えなくてもいいと言う。
もし会得できたならば、攻撃に上手く変化をつけられそうだ。
「わたくしは飛閃が苦手なのですが……」
「いや充分すごいんだが」
「恐らくベル様ならば、訓練を重ねればわたくしよりももっと強大な飛閃を放つことができると思いますよ」
頑張ってください、とばかりにメルザリッテが両手に拳を作った。
ベルリオットは新たに結晶武器を造りだした。
現れた長剣の柄を両手で握り締め、構える。
「神の矢のように、空間そのものを把握する必要はありません。力まず、丁寧にゆっくりと、手から柄、切り刃へと向かってアウラを流してください」
メルザリッテの説明通りに、ベルリオットは体内に取り込んだアウラを剣に伝えていく。
手から流れ出ていく感覚。
剣の切り刃が、根元から切っ先へと向かってじわじわと光りだす。
「今ですっ!」
「――ッ!」
言われるがまま、反射的に振り上げた剣を勢いよく下ろした。
切り刃を光らせていた青白いアウラが、一本の線となって飛んでいく。
いや、メルザリッテの飛閃と比べると線が太いか。
地を抉りながら突き進んだ飛閃は、程近い場所ですっとかき消える。
ふぅ、とベルリオットは息をついた。
メルザリッテの拍手が響く。
「さすがです、ベル様っ!」
「出来た……けど、メルザと比べると切れ味も飛距離もいまいちだな」
「アウラの収束具合が問題ですね。収束させればさせるほど、切れ味も飛距離も上がりますから。逆に収束が甘いと、先ほどのように太くなってしまって飛距離も出ません」
「それに発動までちょっと時間がかかりすぎる」
「大丈夫です。そちらも慣れれば瞬時に放てるようになりますよ」
「まあ、そんなすぐに出来たら苦労しないか」
そもそも、つい最近まで遠隔技の概念自体がなかったのだ。
いきなり出来る方がどうかしてる、と自分に言い訳をした。
「よし、さっそく練習するか」
「お付き合いしますっ!」
明日は《災厄日》で外縁部に行かなければいけない。
早朝の出発になるため徹夜はできないが、時間の許す限り練習しようと思った。




