◆第十ニ話『決闘・後編』
ボバンの手が下ろされても、ベルリオットは動かなかった。
静かに立ち、ラハンを見据える。
ラハンが先に動き出した。
右肩に剣をかつぐ形で向かってくる。
決闘において、初撃は魅せることに重き、飛行は使わないことが慣わしだ。
ゆえに地上で己の得物を撃ち合せるため、互いの距離を走って詰めることになる。
だがベルリオットは開始位置からまだ一歩も動かずにいた。
「ははっ、臆したかベルリオットッ! だが僕は止まらないぞ!」
距離を詰めたラハンが眼前まで迫る。
踏み込み足は左。
右肩後ろに流していた剣を、勢い良く振り下ろしてくる。
さすがと言うべきか。剣の流れに淀みはない。
だが意識を集中させたベルリオットにとって、それは鈍重な動きにしか見えなかった。
ベルリオットは右手に持った剣を右脇の後ろへと流した。
両手で柄を握りこむ。
胸部へと迫ってくる刃の勢いよりも数倍の速さでベルリオットは動く。
自身の剣を、敵の刃へと交差するように重ねる。
さらに同速で左足を踏み込み、全身の捩れを利用し、振り切る。
斬った感触はなかった。
ただ、スッという静かな聞こえただけだった。
地鳴りのような大歓声が場内に湧き起こる。
「み、見たかよ今の!」
「速過ぎて見えなかったわ……なにやったの!?」
「あいつ、剣の腕だけは一期生んときからずば抜けてただろ」
「んなやつにあんなアウラ反則だろ!」
「おい、ラハン。今の内に降参しとけ!」
初撃を終えて、訓練生が多様な感想を漏らしていた。
ベルリオットは体勢を立て直し、振り返る。
そこには、刃の上半分を無くした剣を見つめながら、わなわなと震えるラハンの姿があった。
「ぼ、僕の剣が……」
「続けるか?」
ベルリオットの言葉で、ラハンの震えがぴたりと止まった。
歯軋りをしながら、睨みつけてくる。
「ふ、ふざけるなぁッ! まだだ! 勝負はこれからだっ!」
即座に剣を造り直したラハンが、アウラの力を使ってわずかに浮遊した。
こちらの右手側へと回り込み、間合いを一気に詰めてくる。
その速さは駆けるのとは比較にならない。
一瞬でラハンが肉薄してくる。
振り下ろし。
冷静さを失っているのか、初撃に比べて甘い。
今度は右手だけで、先ほどと同じように自身の剣を迫る刃に添え、足の踏み込みと同時に振り抜いた。
またもラハンの刃が砕ける。
ベルリオットの脇を通り過ぎたラハンが、勢いを止め、ゆっくりとこちらに向き直った。
「う……うぁあああああああああっ!」
発狂したように吼えた。
ふたたび造り出した結晶武器で斬りかかってくる。
もうそこに理性は感じられない。
勢い任せの攻撃だった。
前撃と同じように肉薄した瞬間のみ動き、ラハンの結晶を破砕する。
「くそっ! くそっ! くそぉおおおおっ!」
躍起になったラハンがあらゆる方向から攻撃を仕掛けてくる。
が、そのことごとくをベルリオットは打ち砕く。
狂騒状態に陥っているのか、ラハンはなかなか攻撃を止めなかった。
数え切れないほどの突撃を終えたのち、ようやくその動きを止める。
肩で息をしながら、ラハンが鋭い目つきでねめつけてくる。
そんなラハンとは相反して、ベルリオットはまったくといっていいほど疲れていない。
「もう一度訊く。続けるか?」
「あ、当たり前だ! 誰が貴様などに降参するものか! 僕は序列一位なんだ! ずっと二位だったあの頃とは違う! 落ちこぼれのお前なんかとは違うんだ!」
どうやら決闘を終えるつもりはないようだった。
「じゃあ今度はこっちから行くぞ」
「ひッ」
顔をこわばらせたラハンが、三階層付近まで飛び上がる。
ベルリオットも飛翔した。
ラハンの元へと驚異的な速度で向かう。
危険を察知したのか。
ラハンは剣を捨てるや、自身を守る盾を造り出し、身を縮まらせた。
ベルリオットは構わずに攻撃を仕掛ける。
斬るのではラハンごと断ってしまいかねない。
咄嗟に握っていた柄を回し、剣の腹で打ち込む。
「かはッ」
衝撃を与えた箇所――腹を中心に、ラハンの体が軽く曲がった。
勢いを殺しきれなかったのか、その体がわずかに上昇する。
勢いのまま通り過ぎたベルリオットは、ふたたびラハンへと肉薄し、剣の腹で打ち込む。
終えるや、またも同じことを何度も何度も繰り返す。
先ほどと立場が逆だった。
ベルリオットが攻撃を仕掛け、ラハンがそれを受ける。
だが立場が変わっても、ベルリオットの圧倒的優位は変わらなかった。
ラハンを徐々に上空へと押しやる。
五階層に到達する頃には、ラハンの顔が恐怖に満ちていた。
次が最後の一振りと決めた。
真横からの薙ぎを見舞う。
盾が砕け、勢いを殺しきれなかったラハンが五階層の観戦席へと吹っ飛び、壁に激突した。
近くにいた訓練生たちの悲鳴があがる中、ラハンは力尽きたか、壁に背中を預けたままずるずると倒れこむ。
直後、
「それまで! 勝者ベルリオット!」
ボバンの宣言が、場内に高らかに響いた。
場内に本日もっとも大きな歓声が湧き起こった。
いつの間にか近くまで浮遊していたボバンが、ラハンのもとへ翔け寄る。
ベルリオットもその後を追った。
ラハンの周囲には、一定の距離を置いて訓練生が集まっていた。
全員、様子を窺っているのだ。
そんな中、ラハンが地に肘と膝をつき、震える体に鞭打ちながら立ち上がろうとしていた。
「僕はまだやれ――」
「もう無理だ」
「くっ」
ボバンに続行の可能性を潰され、ラハンが押し黙った。
「決闘の規則に基づき、序列変更を行う。これより訓練校内序列一位は、ベルリオット・トレスティング」
ボバンの視線が、ふたたびラハンに向く。
「そしてラハン・ウェルベック。きみは序列千四百九十七位だ」
ラハンの瞳孔が目に見えてわかるほど開いた。
「この僕が千四百九十七位だって……? そんな馬鹿な……」
口を震わせながら、ラハンが俯く。
ベルリオットにとって序列などはどうでもよかった。
それよりも済まさなければいけないことがある。
ラハンの前に立ち、言い放つ。
「約束だ。トゥトゥに謝れ」
「……僕がこんなやつに負けたなんて……うそだ……ありえない……そうだ、そうだよ。僕は負けてなんかいないんだ」
「おい、ラハン」
ラハンが、がばっと勢いよく顔を上げる。
「僕は負けてなんかないッ!」
そう言い放つと、四つんばいの状態から無理やりに体を起こし、アウラを纏った。
ベルリオットの脇を通り過ぎ、決闘場に躍り出ると、そのまま天井へと飛び去っていく。
「おい、待て! 約束が違うだろっ!」
「もういいよ、ベルっ」
制止を呼びかけたのはナトゥールだ。
いつの間にやら近くまで来ていたらしい。
「わたしは大丈夫だから」
納得はいかない。
だが、当人のナトゥールがこれで終わりにしようと言っているのだ。
ベルリオットがこれ以上を求めるのは自己満足でしかない。
色々と思うことはあるが、ラハンは結果として序列を実質的な最下位まで落とされたのだ。
矜持の高い奴にとってそれは、相当に屈辱的なことのはずだ。
そう考えれば悪くはない、と自分の中で折り合いをつけた。
「わかった」
言ってベルリオットが表情筋を緩めると、ナトゥールが安心したように微笑んだ。
ラハンに謝らせることは出来なかったが、結果としてはこれで良かったのかもしれないな、と思った。
◆◇◆◇◆
ベルリオット・トレスティング、ラハンウェルベック両名による決闘が終わったそのとき。
闘技場の第一階層から観戦していたリンカ・アシュテッドは、予想通りに進んだ展開に面白くない、と思った。
ベルリオットが王城騎士になることを認めてはいないが、その実力自体を疑っているわけではないのだ。
「素晴らしい」
そうこぼしたのは、リンカをこの場に連れてきた人物。
騎士団長ユング・フォーリングスだ。
傍らに立つ彼は、瞳孔を開き、口の端をほんのわずかにだが吊り上げている。
普段、表情を崩すことがないからか、正直に言って気味が悪かった。
表情をすっと元に戻したユングが問うてくる。
「やはり彼を選んで正解だったようです。そうは思いませんか、アシュテッド卿」
「知らない。あんな雑魚相手に勝ったって、どうってことないでしょ」
「あなたも頑固ですね」
頑固、か。
そうなのかもしれない。
ただ、頑固の一言で済むなら、それでいいと思った。
「強さが問題じゃないってだけ」
そう吐き捨て、リンカは振り返り、歩き出した。
決闘は終わった。
この場にもう用はない。
「今週の《災厄日》、よろしくお願いしますよ」
背後から、ユングが釘を刺してきた。
その遠まわしな言い方に嫌気が差した。
ユングはこう言いたいのだ。
二日後に迫った《災厄日》。
防衛線でベルリオット・トレスティングと仲良くして下さいね、と。
リンカは思わず舌打ちをした。
冗談じゃない。誰があんな奴と……。




