◆第十話『僅かな前進』
「言っておくけど、お茶もなにも用意させないわよ」
「あ、ああ……」
リズアートとエリアスに連れられ、ベルリオットはある一室に案内された。
爽やかな匂いが漂う中、部屋内をぐるりと見回す。
王族が使う部屋にしては狭いな、というのが第一印象だった。
大きさにしてみればベルリオットの自室とそう変わらないのだ。
加えて意外にも調度品に派手さが見られなかった。
かと言って安物を使っているわけではないらしい。
表面の光沢がその価値をなによりも示している。
向かい合う二人掛けのソファの片方に腰掛けながら、リズアートが棘付きの言葉を放ってくる。
「あんまりじろじろ見ないでくれるかしら。一応わたしの寝室なの」
「寝室って――」
そんなところに連れてきていいのか、と訊こうとしたところで、ぎろりと睨まれた。
リズアートが対面のソファに視線を促してくる。
「いいから、さっさと座って。それで事情を説明してちょうだい。あなたがどうして王城に忍び込むような真似をしたのかを、ね」
そこには有無を言わさない迫力があった。
頷いたベルリオットは、言われるまま事情を話していく。
リズアートに会うための理由はひとまず横に置いた。
王城へ忍び込むことになった経緯を話すのが、なによりも先だと本能が警告していたからだ。
王城に入れなかったから騎士団長のユングに相談したこと。
警備の見直しも兼ねて、王城に潜入するようユングから言われたこと。
そして捕まっても罪を問われないよう根回しをするとユングが言っていたこと。
話し終わると、深いため息が二つ聞こえてきた。
対面に座るリズアートと、その傍らに立つエリアスのものだ。
リズアートに至っては、指で眉間を揉むしぐさまでおまけつきだった。
「あなた、ユングにはめられたわね」
「騎士たちの様子から薄々は感じてたけど、やっぱりそうか……」
「大体、抜き打ちなら侵入者が来るなんて事前に知らせるはずがないでしょう」
まさにその通りで、何も言い返せない。
「警備の見直し、という点は確かにわたしも以前から気になっていましたが。それにしても貴方を潜入させるなんて……フォーリングス卿は一体なにをお考えに」
「ベルリオットだからこそ、よ」
不満を口にしたエリアスに、リズアートがはっきりと言い切った。
「俺だからって、どういうことだ?」
「理由は二つあるわ。一つ目は、今日の王城警備の構成ね」
「なるほど、そういうことですか」
合点が行ったとばかりに声をあげたエリアスに、リズアートが「ええ」と頷く。
ベルリオットはなんだか取り残された気分だった。
少なくとも先ほどの説明からでは、なにも答えが出ない。
そんなこちらの心情を察したか、エリアスが説明をしてくれる。
「本日の王城警備の責任者であるオルバ・クノクス、ホリィ・ヴィリッシュの両名は、騎士団の中でも特に実力主義者なんです。ですから、わざとあなたとぶつけたのではないか、と」
「わざとって、なんでそんなこと」
「フォーリングス卿からまだ話をされていないのですか? 王城騎士に迎え入れたい、と」
「あ、ああ。そういうことか」
つまり実力主義者であるクノクスたちと直に戦わせることで、ベルリオットの実力を彼らに認めさせようとした。
これがユングの狙いというわけだ。
実力主義者の一派が反対派なのかどうかはわからないが、彼らに認めてもらえれば、それだけベルリオットの王城騎士への道が近くなるということだろう。
ただ、周りから懐柔していくような、そんな狡いとも取れるやり方をしなければいけないのは複雑な気分だった。
なんだか自分が不必要な存在であると思わされるからだ。
それとは別に、ユングの狡猾さには驚いた。
リズアートに会わなければならないというベルリオットの願いから、ここまでの考えを巡らせたのだ。
まったくもって侮れない人物である。
騎士団の中でも才知に長けているという風評は嘘ではなかったというわけだ。
それにしても、まさか自分が策にはめられるとは思ってもみなかったが。
なんとなく恥ずかしい気分に陥ったベルリオットは、それらを頭から追いやるために次の話へと促す。
「それで、二つ目は?」
「二つ目は……あなたならもし捕まっても罪に問われないという確信が、ユングにはあったからよ」
なんだか歯切れの悪い言い方だった。
「俺なら罪を問われないって意味がわからないんだが」
「これについては言いたくない」
「なんだよ言いたくないって。話題に挙げるだけ挙げといてそれはないだろ」
「言いたくないものは言いたくないの」
「せめてわけぐらい話してくれたっていいだろ? こっちは当事者なんだからさ」
「自分で考えて。それに当事者と言っても、元はといえばあなた自らが招いたことでしょう?」
それを言われてしまうと、ぐうの音も出ない。
もともとベルリオットがユングにはめられさえしなければ、このような事態にはならなかったのだ。しかしユングにはめられなければ、リズアートに会えなかったのもまた事実である。
複雑な心境だった。
「姫様。一つだけいいでしょうか。彼に訊きたいことが」
腑に落ちないといったようにエリアスが難しい顔をしている。
リズアートの了解を得て、彼女は問うてくる。
「どうやって王城に潜入したのですか? いくら警備体制が問題視されていると言っても、そう易々と侵入出来るとは思えないのですが」
「ああ、実は――」
経緯や侵入方法などについて、ユングから特に口止めされていない。
ためらうことなくベルリオットは話していく。
ユングが王城の騎士配置を漏らしていたのは、エリアスも予想の範囲内だったようだ。
さして驚かれはしなかった。
だが昼間からずっと王城の遥か上空で待機していたことや、アウラを使わずに天空の間に落下したこと等など。
ベルリオットが自分で考えた侵入方法を話すと、リズアートと共にエリアスが愕然としていた。
「たしかに天空の間の警備はしていませんが……まさかそんな方法があったなんて」
「いや、むしろ王城に侵入するなら真上から天空の間に降りるしかないって俺は思ったが」
「それにしたってそんな長時間ずっと飛行したままなんて……。エリアス、あなた出来る?」
「恐らく無理です。アウラは無限に使えますが、それを動かすのはあくまで自らの体ですから。当然、疲労は蓄積します。仮に体力が残っていたとしても、アウラを使わずに落下する気力が残っているとは到底思えません」
「そうよね。普通はそう考えるから、そんな方法は選ばないわ」
「まあ、俺もわりと無茶なことをしたって自覚はさすがにある」
「わりとって、あなたね! ……もう呆れを通り越してなにも言いたくなくなったわ」
「同感です」
またもや呆れられてしまった。
この部屋に通されて以来、時間が経つにつれてベルリオットは肩身が狭くなる一方だ。
「エリアス。参考になるかどうかは置いておいて、一応彼の侵入方法を纏めておいて。この際、警備の見直しを大々的にするわ、って……こうしてわたしが推進することも含まれていたのでしょうね。まったくユングってば」
言って、リズアートが大げさにため息をついた。
ユングを敵に回すことだけは絶対したくないな、とベルリオットは心の底から思った。
「さて。本題に入りましょうか」
リズアートの放ったその一言で、部屋の空気が引き締まった。
「どうしてあなたがここに来たのかを、ね」
「実はあんたに相談っていうか、話しておかなきゃいけないことがあってな」
そうベルリオットが口にした直後、なぜかリズアートから細めた目を向けられた。
「どうした?」
「なんでもない」
言って、リズアートがついっと目をそらした。
大方、名前のことだろう、とベルリオットは思った。
先の事件の折、これまで一度も口にしたことのなかったリズアートの名を呼んだ。
夢中だったため、ほとんど無意識的に出たと言っていい。
だが口にしたことには変わらない。
それなのに、また“あんた”と呼ばれているのが、彼女にとっては気に食わないのだろう。
訓練校の同級生に名前で呼ばれるのを望んでいたことから、彼女が名前で呼ばれるのを好いているのは間違いない。
とはいえベルリオットとしては、これまで“あんた”と呼んでいたし、いまさらリズアートに変えるのもなんだか気恥ずかしかった。
だから、わざと気づかない振りをしたのだ。
リズアートがため息をついた。
「それで、どうしてわたしでなければいけないの?」
「色々動かせる力を持っている人間ってのが第一」
「権力ね」
せっかく濁したのに台無しである。
「ただそれよりも結構っていうか、かなりぶっ飛んだ話だから、信じてくれそうな人間があんたぐらいしかいないってのが本音だ」
「そう……わたししかいない、か」
目を瞬かせたリズアートが、徐々に口元を綻ばせた。
大方、信頼されたのが意外だったのだろう。
ベルリオットも言ってから、わずかだが恥ずかしい気持ちが芽生えた。
だが、彼女なら信じてくれると思ったのは嘘偽りのない気持ちである。
羞恥心を取っ払い、話を続けようとしたそのとき、
「聞き捨てなりませんね」
そうエリアスがぽつりと零した。
見れば、彼女は不機嫌極まりないといった様子だった。
だが、こちらと目が合うやいなや、はっとなってあたふたと弁解し始める。
「あ、いえ。いや、その、姫様の寛大な心は充分承知していますし、またそれを貶めるつもりもないのです。ただ、あなたの話を信じるのが姫様だけであると決め付けるのは、この場にいる者としてはいささか納得がいかないな、と思っただけであって、その……」
「エリアスは仲間外れにされたくないのよね」
「ひ、姫様っ」
くすくすと笑いながら、リズアートが赤面したエリアスをからかっていた。
そんな二人の姿は、なんだか見ていて微笑ましかった。
そうして穏やかな笑みを浮かべていたからか、エリアスが力強く弁明してくる。
「違うのですよ? 純粋に納得がいかなかっただけであって――」
「俺が悪かったよ。そうだよな、話してもないのに信じてくれないって決め付けるのはよくないか。じゃあ、ちょっと長い話になるけど、エリアスも聞いてくれるか」
「え、ええ。もちろんです」
あっさりと認めたからか、エリアスが拍子抜けとばかりにきょとんとしていた。
彼女も、今ではベルリオットが気を許せる数少ない相手なのだ。
信頼して話を聞いてもらおうと思った。
話すことは主に、大陸が落ちるということに関してだ。
さしあたって、ディザイドリウムが下降している理由が、常循環アウラが多いせいではなく《運命の輪》が壊れかけているから、ということを話した。
その後、メルザリッテから聞いた話を、“ベルリオットの生い立ち”を省いて説明していく。
あらかた話し終えたとき、部屋の空気は重苦しいものに変わっていた。
「そ、そんなっ! ありえません! 《運命の輪》は、神から与えられたものなのですよ! 壊れるなどと万が一にもそのような――」
そこまで言ってから、エリアスが「あっ」となにかに気づいたように自らの口を右手で塞いだ。
「も、申し訳ありません……」
恐らく、つい先刻の自分の発言を思い出したのだろう。
酷くばつが悪そうだった。
案の定と言うべきか、エリアスは信じられなかったようだった。
いや、それだけ人間にとって“神から与えられた”という言葉は強い意味を持っていると言うことだろう。
「ごめんなさい、ベルリオット。わたしもその話は信じられそうにないわ」
リズアートも同じ答えだった。
途端、ベルリオットは目の前が真っ白になった。
リズアートなら、と思い、賊のような真似までして王城にやってきたのだ。
それが、こんな結果で終わるとは思ってもみなかった。
押し付けがましくはあるが、信頼を裏切られたような、そんな感覚に満たされていく。
ベルリオットが顔を俯かせて間もなく、明確な意思が込められたリズアートの言葉が降ってきた。
「ただ、話は信じられないけれど……ベルリオット、あなたのことは信じているわ」
「え?」
「だから、信じるって言ってるの」
すぐには意味が理解できなかった。
だが段々と緊張が和らいでいくに連れて、思考が正常に働き始める。
俺の言葉だから信じるってことか……?
やがて意味を理解したとき、ベルリオットは胸の中の靄が一気に取り払われていくのを感じた。
「わたしも、あなたを信じてみたい、と思います」
「エリアス……」
リズアートよりも、やや弱い口調ではあったが、それがエリアスらしいと思った。
二人に話して良かった。
心の底から、そう思えた。
「それで。この話をわたしに聞かせて、どうしたいの?」
「えーと……ここまで話しておいてなんなんだが、実は具体的なことはなにも決まってない」
「そんなことだろうと思ったわ。そうね、とりあえずディザイドリウムに注意を促す、ってところかしら。リヴェティアが最後に落ちるっていうその推測が正しければ、ディザイドリウムの民をこちらに移住させるのが最善でしょうけれど」
「ですが、素直に話を信じてくれるでしょうか? その、わたしたちが、そうであったように」
「まず無理でしょうね。それにディザイドリウムは全大陸中もっとも発展している大陸よ。効率的な生活に慣れてしまっているわ。明確な危機に直面しなければ難しいでしょうね。今以上に“大陸が下降する”とかね」
それは、危機に直面しなければ人間は滅びを意識しないでしょう、というメルザリッテの意見とほぼ同じだった。
とにもかくにも、ここまで淀みなく会話が進んだ。
ベルリオットを信じると言ってから、あまり時間は経っていない。
だと言うのに、リズアートはもう答えを出していた。
いや、ベルリオットが話している最中に、彼女はもう答えを出していたのかもしれない。
そう思えるほど、ディザイドリウム民の移住などというとんでもない発言をさらっと口にしていた。
まったくもって頼もしい女王である。
「あと重要なことを一つ。この話、誰から聞いたの?」
「……メルザだ」
情報の出所について話すか話すまいか。
悩んだ末に話すことにした。
支障はないと思ったし、なによりも情報源であるメルザリッテをどうにかできるとは思えなかった。
そしてそれ以上に、答えられる範囲ならできる限り答えたかったのだ。
それが、話を信じてくれた彼女たちへの、ベルリオットができるせめてものお返しだった。
「そう……メルザさん、か。先日の事件の折、王都を守ってくれた謎のメイドの話は報告で聞いているわ。わたしたちをガリオンの襲撃から助けてくれた、あのときの“赤のアウラ使い”ってメルザさんだったのよね」
グラトリオ・ウィディールが引き起こした先の事件の折、メルザリッテはその力を用いて王都中に蔓延っていたシグルのほとんどを殲滅した。
その光景を見ていた訓練生や教師たちが、メルザリッテの正体を報告したのだろう。
ベルリオットの同級生であれば、彼女のことを知っていてもおかしくない。
「どうして彼女がこんな話を知り得たのか。それについては、話せない、という見解でいいのかしら? 大陸下降の話をしてくれたとき、やけに濁していたけれど」
どうやら一部を省いてしまっていたことに気づかれていたらしい。
それは“ベルリオットの生い立ち”に深く関わることだ。
ベルリオットは、自身がアムールであることを世間に知られたくない、という想いが強かった。
それに人として人々を導く、というのがベネフィリアが思い描く台本だとメルザリッテが言っていたから、実行する云々は抜きにして、現状で話すのは得策ではないと思ったのだ。
「……悪いが」
「いいのよ。ただ、根拠がない状態では、ディーザもまともに話を聞いてくれないと思うから、覚悟しておいてちょうだい」
「わかった。悪いな、任せっきりになって」
「気にしないで。少なくともリヴェティアにとっても……いいえ、全人類にとって、これは他人事で済まされない問題だもの」
「そう、だな」
口調こそ軽いものの、リズアートは思った以上に重く捉えているようだった。
なにしろ“あと一年と数ヶ月で浮遊大陸は滅びる”というのだから、当然と言えば当然と言えるが。
それだけ信じてもらえているとわかって、ベルリオットはまたも心が満たされた。
「とにかくディーザから返答が来たら、こちらから連絡するわ。だから城にはもう忍び込まないように。また騎士たちに絡まれたくないでしょう?」
「姫様。いくら彼でも、さすがに二度は」
「でも、は余計だ。まあこっちとしても、もう追いかけられるのはごめんだからな。そうしてくれると助かる」
肩をすくめながら、ベルリオットは言った。
こうして王城での短いようで長い一時を終えた。




