◆第五話『出逢い』
太古より大陸を統治するリヴェティア王家は、ただの一度もその権威を落としたことはない唯一無二の絶対王者である。
現在、王族はレヴェン国王の他に、彼の娘しかいない。
娘を産んですぐに王妃は亡くなられたのだ。
世継ぎ争いをなくすため、リヴェティア王家は側室を取ることを善しとしていない。
そのため、次代の王はすでに決定している。
リヴェティア王国王女――リズアート・ニール・リヴェティア。
高嶺の花という言葉では表せないほど遠い存在の彼女が、今、目の前にいる。
「なんで姫様がここにいる……おられるのですか」
つい普段通りの口調で話してしまった。
まずいと思って敬語に言い直したのだが、どうやら彼女はそれがお気に召さなかったらしい。
こちらに人差し指を突きつけて、むっとした様子で詰め寄ってくる。
「リズでいいわよ。あと敬語は使わないで」
「わ、わかりまし……わかった」
リズアートに気圧され、思わずとも言わず肯定するしかなかった。
ベルリオットとしても慣れていない敬語を使わないで済むならその方が助かる。
よろしい、とリズアートが満足そうに頷いた。
ふと気になっていたことを口にする。
「ってか、なんでいきなり喧嘩ふっかけてきたんだ? いや、喧嘩ってもんじゃないな。あれは確実に俺を殺しにきてただろ」
「あ、ばれた?」
「あ、ばれた? じゃないっての。こっちは本気で殺されるかと思ったんだぞ……」
なにかの式典や祭典のときに、王族は民の前にその顔をさらけ出す。
そうしたときのリズアートは粛々とした雰囲気をまとっていたのに、目の前にいる彼女は訓練校の女生徒とそう変わらない親しみやすさがある。
そんな彼女を前にして、つい王女ということを忘れて接してしまった。
乱暴な口ぶりを咎められるかと思ったが、リズアートは気に留めた様子もなく、逆に嬉しそうに口元を綻ばせた。ベルリオットの横をゆっくりと通り過ぎた彼女が、先ほど闘ったときに弾き飛ばされた自身の剣を拾い上げる。
「でも死ななかった」
「まぁそうだけど。で、なんでなんだ?」
くるりと振り返り、リズアートは楽しそうに言う。
「訓練校にちょっと用事があったから。ついでにあなたの実力も見ておこうと思ったの」
ついでに、で斬りかかってくる王女がどこにいるだろうか。
いや、目の前にいた。
それにしても、なぜベルリオットの実力を見たかったのか。
心当たりはある。
というかむしろそれしかないというぐらい確信していたが、拒否するように頭から追いやった。
ベルリオットは俯き、嫌味をふんだんに込めて言い放つ。
「さぞかしがっかりしただろうな。アウラを使えないダメ騎士で」
「そんなことないわ。わたし、負けちゃったし」
「いや、俺の負けだろ」
「わたしがアウラを使ったから、ね。使わなかったらとてもじゃないけど敵わなかったわ。さすがライジェルの忘れ形見ね」
先ほど頭に追いやった“答え”が、リズアートの口から出された。
ライジェルはベルリオットの父親だ。
ただ彼が父親であるがゆえに、抱えてしまう悩みというものがベルリオットにはあった。
だから、あまりその名を聞きたくなかった。
「あら、なにか気に障るようなこと言ったかしら?」
どうやら不機嫌極まりない今の状態が顔に出てしまっていたらしい。
上手く誤魔化そうと頭で考えはするのだが、心のもやが晴れてくれない。
「……別に」
結局、口から出たのは拗ねているとしか思えない言葉だった。
ばつが悪くてリズアートから目をそらすが、彼女は逃してくれなかった。
う~んと唸りながら顔を覗き込んでくる。
ひどく居心地が悪い。
なんのつもりかと問い詰めようとしたそのとき、「あぁ、そういうこと!」とリズアートはなにか閃いたように声をあげた。
にやにやと意地の悪い笑みを浮かべる。
「ライジェルと比べられるのがいやなのね」
「なっ!? ちがっ!」
ベルリオットのことを知る訓練校の人間ならば、容易にその答えに行き着くだろう。
だが会って間もないリズアートに、こうも簡単に言い当てられるとは思ってもみなかった。
図星をつかれて反射的に否定するが、それすらもリズアートは理解しているようで、気にも留めずに話を続ける。
「まぁ父親があの《剣聖》じゃ、かなりの重圧でしょうね。知る人ぞ知る最強の騎士だもの」
リズアートの言うとおり、ライジェルは七大陸間でも名を轟かせていた。
《運命の輪》からアウラを補充して七日目――《災厄日》は、大陸がもっとも下降し、外縁部に大量のシグルが発生する。
それでも通常ならば一般騎士でも対応できるほどのシグルしか現れないのだが、あるときモノセロスと呼ばれるシグルが現れた。
モノセロスは強大な力を持って多くの騎士たちを葬り、外縁部に設けられた防衛線を突破。
王都へ侵攻し始めたのだ。
多くの手練が挑んだが誰一人として傷をつけることができなかった。
そんな中で、ある騎士がたったひとりでモノセロスを撃退したのである。
それがライジェル・トレスティング。
ベルリオットの父親である。
この出来事を境にライジェルは《剣聖》と謳われるようになり、後にも先にも彼の右に出る物はいない、と多くの人に言わしめた。
誰もが認める最強の騎士だ。
そんな最強騎士を父に持ちながら、ベルリオットはアウラを使えなかった。
理由は未だにわからないが、結果的にライジェルの息子、という期待を裏切ってしまったことは変わらない。
もちろん背負いたくて背負った期待ではないので、いっそ清々しいとさえ思う。
だが、周囲の目にさらされるたびに胸中の霧は濃くなる一方だった。
自分の感情であってもままならないものだと日々思わせられている。
どうしてライジェルが父親なのだろう、と。
そんな疑問が、ベルリオットの心の中にはいつもあった。
「実際はどこにでもいるおじさんって感じなのにね」
懐かしむように、リズアートが空を見上げながら言った。
それは噂を聞いただけでなく、実際に会ったことがあるような口ぶりだ。
「親父を知ってるのか?」
「ええ。一時わたしを護衛してくれていたことがあるの。うんと幼いころだけどね」
初耳だった。
とはいえ、ライジェルは仕事内容を逐一話してくれるような小まめな性格ではなかったので、他にもベルリオットが知らないことはたくさんあるだろう。
「でもまさか死んじゃうなんて思いもしなかったわ」
リズアートが、もっと遠くを見るように眼を細めた。
そう、ライジェルは死んだ。
今から十年ほど前に。
あのときのことは、目を閉じれば鮮明に情景を思い出せるほど脳裏に焼きついていた。
死んだ父親のことを引きずっているわけではなかったが、ベルリオットは雰囲気に釣られてつい目を閉じてしまいそうになる。
が、はっとなったリズアートによって、しんみりとしていた空気は拭われた。
「ごめんなさい。わたしったら、つい」
「いや、別に」
今さら親父のことなんて、と胸中で思ったのと同時、足元の草花に影が落ちた。
見上げると、ヴァイオラ――紫のアウラを纏いながら下降してくる女性の姿があった。
女性が、リズアートの傍に降り立つ。
白基調に青線で彩られた布製の騎士服、肘から手首までを覆う長めのグローブ、膝上までのブーツ、といった格好。
動きやすさを重視してか肩や大腿部に布がない。
おかけで透き通るような白い肌があらわになっていて目のやり場に困った。
年齢はベルリオットよりも三、四ほど上か。
切れ長の瞳、高めの鼻、薄い唇という怜悧な顔立ち。
その貌を縁取る、淡い金髪は癖なく腰まで流れていた。
そして出るところは出ているしなやかな体つきは大人の色香を漂わせている。
こんな美人騎士と一緒に働いていたら、男性騎士は気になって仕事どころではないだろう。
しかし彼女から感じる張り詰めた空気は、近寄るなと言わんばかりだった。
そもそも彼女の胸元に刻まれた紋様――交差した二つの剣を包み込む翼の絵柄はまぎれもなく王城配属騎士の証拠であり、下手に手を出せば恐らくとも言わず火傷どころでは済まないことを示していた。
しかも最上位のヴァイオラ・クラスだ。
有名な騎士であるのは間違いない。
「姫様、こんなところにおられたのですか」
地に足をつけるなり、女性騎士がリズアートの傍に向かう。
「あら、ずいぶんと遅かったじゃない」
「これでも急いだのですが……申し訳ありません。それにしても、なぜこのようなところに」
「ちょっと彼に用事があったのよ」
そう言ってリズアートは、ベルリオットの方へと女性騎士の視線を促した。
女性騎士が目を細め、いぶかしむように訊いてくる。
「失礼ですが、あなたは?」
「ベルリオットだ。ベルリオット・トレスティング」
「トレスティング……。あぁ、あの」
一瞬、侮蔑するような目を向けられた。
それだけで、どういう覚え方をされていたのかがわかってしまった。
大方、父親とは違って出来損ないの騎士だなどと記憶されているのだろう。
事実なのだが、ベルリオットは思わずむっと顔をしかめてしまう。
「紹介するわ。彼女はわたしの護衛をしてくれているエリアス・ログナートよ。と言っても、知ってるわよね」
女性騎士――エリアス・ログナートのことを知っていて当然、とリズアートは言いたげだった。
もちろん知っていた。
というか、騎士や訓練生であれば知らないわけがない。
それほどエリアスは有名で、女性でありながら若くして王城騎士の序列三位にまで食い込んでいるのだ。
それにログナートの家系は優秀な騎士を多く輩出しているため、エリアスは幼少の頃から注目を浴びていた。
その点も大きく影響していると言ってもいいだろう。
しかし先ほど侮蔑の目を向けられたこともあって、ベルリオットは彼女のことを知っていると答えるのが癪だった。
じっとエリアスを見つめたあと、ふんと鼻を鳴らして、そっぽを向く。
「あいにくと俺は騎士様事情には疎くてね。グラトリオ団長ぐらいしか覚えてないな」
「貴様……。そのような態度、ライジェル様の子息として恥ずかしく思わないのですか」
「親父は関係ないだろ」
今にも殴りかかりそうなエリアスを見かねてか、リズアートが仲裁に入ってくる。
「もう、二人とも喧嘩しないの。それでエリアス。急いでいたみたいだけど、なにかわたしに伝えることがあるんじゃないの?」
「そうでした」
エリアスがリズアートに向き直る。
「と、その前に……用事と言っていましたがそれはもう宜しいので?」
「ええ。ひとまずは、ね」
「でしたら校長がお待ちしていますので、そろそろ参りましょう」
「そうね。わかったわ」
リズアートは用事があって訓練校に来ていると言っていた。
その用事とはなにかはわからないが、一端の、それもアウラも使えない出来損ないの騎士であるベルリオットには関係のないことだろう。
リズアートが、エリアスと共に光翼を出した。
ふわり、と宙に浮く。
「そういうことだから。またあとでね、ベルリオット」
「あ、ああ」
ベルリオットが返事をすると、リズアートたちは校舎方面へと急ぎ飛び去ってしまった。
短い間しか話せなかったが、リズアートの印象は、ベルリオットが抱いていた楚々としたお姫様象とはひどくかけ離れていた。
強いてなにかに例えるならば、激しい気流のような、そんな感じの女の子だった。
それにしても、またあとで?
首を傾げながら、ベルリオットはリズアートの背中を見送った。




