◆第六話『怪しげな鍵』
「さて、どうしたもんか……」
騎士団本部を見上げながら、ベルリオットは呟いた。
昨日、メルザリッテから色々な話を聞いた。
大まかに言えば、近いうちに大陸が落ちるから、シグルと対抗するためにもベルリオットに人々を導いて欲しいというものだ。
誰かを導くなんて自分には向いていない。
その思いが強くあるのだが、断ろうにもメルザリッテから向けられる期待が尋常ではないため、返事はとりあえず保留ということにしている。
だが、大陸が落ちるという話については別だ。
保留している暇なんてない。
ただ、大陸落下について話したところで誰も聞いてくれないだろう、というのがメルザリッテの見解だ。これはもっともで、神から与えられた《運命の輪》が壊れるわけがない、と人は信じて疑っていない。
そんな人間界にあって、ベルリオットは自分の話を信じてくれるかもしれない人の心当たりがあった。その人物は権力も持ち合わせているので、これ以上ないくらいの適任者と言える。
リズアート・ニール・リヴェティア。
この国、リヴェティアの女王である。
だが問題があった。
気軽に会えないのだ。
訓練校の帰りに大城門前に立ち寄ったのだが、当然のごとく見張りの王城騎士が通してくれなかった。
内容が内容なので事情を話しても馬鹿にされるとわかっている。
だから濁して女王に大事な話があると伝えたのだが、やはり取り合ってくれなかった。
邪険にされていたのもあるが、瞳に警戒の色が強く宿っていたのは、恐らくとも言わずベルリオットがこれまで仕出かしてきた様々なことが原因だろう。
だから王城騎士の対応は正当なものであって批難されるべきものではない。
ベルリオットは引き返すしかなかった。
どうすればリズアートと話ができるのか。
まずは城に入れなければ意味がない。
そう考えたとき、つい先日会った、城の警護を管轄している人物が頭に浮かんだ。
騎士団団長であるユング・フォーリングスだ。
彼なら城に入ることを許可してくれるかもしれない。
それだけではない。
リズアートとの会合を設定してくれる可能性だってある。
感情が読めなくて食えない印象はあったものの、纏う空気自体は柔らかく、話がし辛いということはなかった。
それにベルリオットを強引に王城騎士に引き入れようとしている張本人である。
もしかすると、多少の無理なら聞いてくれるかもしれない。
そんな淡い期待を抱いて騎士団本部にやってきたというわけなのだが……。
騎士団本部の中には、多くの王城騎士が待機しているのだ。
まだ王城騎士候補になっていなかった先日とはわけが違う。
ベルリオットを警戒している騎士から、敵意の目を向けられるのは必至だろう。
それを思うと憂鬱で仕方なかった。
だが行くしかない。
まあ、どうにかなるだろ。
そう自分に言い聞かせ、騎士団本部の重厚な鉄扉を開けようとした、そのとき。
中から、扉が開け放たれた。
現れたのは眼鏡の美青年だった。
「ちょうど城の方に用事がありましてね。出ようとしていたところだったんですが……いや、君が訪ねてくるとは、わたしも予想外でしたよ」
ベルリオットは騎士団本部の執務室にいた。
執務机につくユングの対面に直立している。
騎士団本部の出入り口で、ベルリオットは偶然にもユングと会うことが出来た。
ただユングはどこかへ出かける途中だった。
だから駄目もとで話がしたいと願い出たのだが、意外にもあっさりと承諾をもらった。
そしてユングに案内され、ベルリオットは執務室に来たというわけだ。
「あの……良かったんですか? 用事の方」
「待ち合わせをしていたわけではありませんから。少しぐらい遅れても文句は言われませんよ」
「ならいいんですが」
なにせ相手は騎士団長である。
用事一つとってもベルリオットには及びもつかないほど重要なのではないか。
そんなことを思ったが、そもそもユングに声をかけると決めた時点で彼の時間を削ることはわかっていたはずだ。
いまさら心配する自分は覚悟が足りなかったと言える。
今一度、ベルリオットは気持ちを引き締めた。
「それで話とは? 察するに、貴方にとってはとても大事な話のようですが」
「リズ……女王陛下に会わせて欲しいんです」
「それはまた」
目を見開いてこそいるものの、ユングはさほど驚いていないようだった。
「理由を教えてくれますか?」
「言っても信じてもらえないと思います」
「その言葉でさらに知りたくなりました。是非、聞かせて下さい」
隠す必要はない話だし、メルザリッテからも他言してはいけないとは言われていない。
もちろん、むやみやたらに話せば混乱をまねく可能性のある内容だから注意は必要だ。
しかしその点において、この何事にも動じなさそうな騎士団長は適任と言える。
わずかな逡巡のあと、ベルリオットは話すことにした。
「あと一年ぐらいで《運命の輪》が機能しなくなります。そしたらもう大陸は全部落ちるしかなくて。だから早く対策を練るためにも、そのことを陛下にお伝えしなければと思っていました」
「たしかに君の言うとおりでした。信じられませんね」
「ですよね」
「しかし貴方は、陛下なら信じる、と。そう思っているのですね」
「はい」
「その自信はどこからくるのですか?」
「自信っていうわけじゃないんですけど……なんていうか、勘っていうか」
「答えになっていませんね」
平然と切り捨てられてしまった。
ただ馬鹿にしている、といった印象はない。
「その情報の出所についても気になるところですが……今は置いておきましょう。とりあえず陛下への謁見が可能かどうか、についてですね。率直に言わせてもらいますが、それは無理です」
「どうして、ですか?」
ベルリオット自身、謁見が非常に難しい話であるのはわかっていた。
わかっていたが、ユングならもしや、という気持ちがあったのだ。
勝手に抱いていた期待ではあるが、裏切られた気分だった。
「まず第一に理由が正当ではないこと。そして第二に、陛下への謁見を“わたし”個人が訓練生である貴方に取り付けることは体裁的に無理があること。他にも多々ありますが、大きな理由はこの二つでしょう」
「じゃ、じゃあせめて団長から陛下に、このことを伝えてもらえないでしょうか」
「言ったでしょう。理由が正当ではない、と。つまり私自身が信じられない……いえ、誰もが信じないような話を、わざわざ陛下に話す必要性は感じられません」
なにか他に方法はないか。
脳しょうをしぼりながら、ベルリオットは食い下がる。
「一応、今の俺って王城騎士候補ですよね。それで城に入れたりしませんか?」
「貴方の当面の任務は《災厄日》の外縁部遠征だけです。城内での任務は予定していません」
「そんな……じゃあ、どうすれば」
「そうですね」
言いながら、ユングが眼鏡の位置を直した。
机に両肘を置き、組んだ両手の上にあごを乗せる。
「どうしても、というのでしたら忍び込んでみてはいかがですか?」
「は?」
思わず素で訊き返してしまった。
この騎士団長様は、なにを言っているのだろうか。
「ですから城に忍び込んで陛下のもとまで行けばいいのでは、と提案しているのです」
「いやいやいや、おかしいでしょ! 城には騎士が一杯いるし、第一その警護を統括する立場にある団長が勧めてどうするんですか!」
「たしかにそうですね」
「そうですね、じゃなくて。それだと俺、みすみす捕まりに行くようなもんじゃないですか」
これでは泥棒が「これから盗みに行きますよ」と相手に知らせているようなものだ。
捕まるのは必至と言っていい。
「最近、物騒なことが頻発しているでしょう。ですからまた同じことが起きないよう、城の警護を見直したいと思っているんです。ただ城に忍び込む輩なんてそうそういませんから、一面的にしかほころびを見つけられず困っているのですよ」
「その忍び込む役を俺にしろってことですか」
「ええ」
「遠慮します」
「おや、貴方ならやってくれると思ったのですが」
この団長様はいったい俺をどんな目で見てるんだ。
「捕まったらどうするんですか。死罪どころじゃ済まないでしょう」
「わたしが勧めているのですよ。そうならないための根回しはしておきます」
たしかに城警護の統括者であるユングなら、ベルリオットが捕まっても罪に問われない根回しは出来るだろう。
ただ、そうだとしても……。
「仮に罪に問われないとわかっていても、忍び込むのは容易ではないと思うんですが」
城には少なくとも二十人以上の王城騎士が常時警護に就いている。
しかも序列一桁代の騎士がニ、三人は待機しているはずだ。
誰にも見つからずリズアートのところまで行くなんてことは、はっきり言って無理だろう。
せめて騎士の配置場所がわかっていれば、その限りではないかもしれないが。
「少し待っていて下さい」
言いながら身を引いたユングが、なにやら執務机の引き出しを漁り始めた。
さした時間もかからずに目当ての物が見つかったらしい。「これですこれ」と取り出した一枚の紙に、今度はペンでなにかを書き込んでいく。
「これをどうぞ」
とユングから差し出された紙をベルリオットは受け取る。
紙には建物の見取り図が描かれていた。
何十箇所に渡って印がつけられている。
「それは夜間の、王城での騎士配置場所です」
「え、そんな重要な物、俺に渡しちゃっていいんですか?」
「どうせ見直すつもりですから問題ありません。とはいえ、たしかにそれを外部に知られるのはまずいので、一応ここで覚えて行ってください」
「いや、覚えるって。まだ俺は行くとは言って――」
「ベルリオット・トレスティング。今夜、お待ちしていますよ」
何度も言うが、ベルリオットは一応騎士である。
その騎士の頂点に君臨する団長からのお願いは、命令と同じ意味を持っていた。




