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天と地と狭間の世界 イェラティアム  作者: 夜々里 春
一章【並び立つ剣】
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◆第五話『ラハン・ウェルベック』

 九月十八日(ティーグの日)


 翌日。

 訓練校は大騒ぎだった。

 それも、ベルリオットを中心にしての盛り上がりだ。

 ベルリオットの席の周りはもちろんのこと、出入り口には他の教室の訓練生までが押しかけてきていた。


 それだけならまだいい。

 いや、決して良くはないが、ベルリオットの周りを囲んでいるのがほとんど女生徒な方が問題だった。酷く居心地が悪い。

 どこから情報が漏れたのか。

 周囲の訓練生たちから放たれる内容はもっぱら「王城騎士になるって本当?」に集約されていた。


「だから、まだ決まったわけじゃないっての」


 先ほどからそう付け足しているのだが、まったく効果がない。


「そんなこと言っちゃって。本当はもう確定してるんでしょー?」

「まだ言っちゃダメとか言われてるんじゃない? だとしたら余計に信憑性あるよね」

「あぁ~、いいなぁ。王城騎士になれたら引退後は貴族として悠々自適に過ごせるのよー」

「ちょっと。あんたもう引退後のこととか、いくらなんでも早すぎでしょ。あ、でも今の内にベルリオットに唾つけときゃ、将来安泰かも?」


 女生徒の間で色めいた歓声があがった。

 ベルリオットはなんだか頭が痛くなってきた。

 赤のアウラを使い、ナトゥールやモルスを倒したことで脚光を浴びた時期があった。

 あのときも色んな女生徒から好意の目で見られたものだが、今回はその比ではない。


 恐らく“王城騎士”という絶対的な言葉が、そうさせているのだろう。

 もちろん女生徒たちだって、本気でベルリオットに好意を寄せているわけではないだろう。

 でなければこうもあけすけな言い方はしない。

 大方、話の種にされているといったところか。

 とにかく今のこの状況はどうにかしたかった。


「別に誰にも言うなとか言われてないって。ただその……アシュテッドって人の下で《災厄日》んときだけ王城騎士として動くだけで」

「あ、アシュテッドって、まさかあのリンカ・アシュテッド様!?」


 話を聞いていた全員が、口をあんぐりと開けていた。

 静まり返った室内の空気に、まずいことを言ってしまったのだろうか、とベルリオットは不安になった。


「あの人って、やっぱ有名なのか?」


 そうベルリオットが問うと、モルスが群集を割って勢いよく顔を出してきた。


「有名もなにも超有名だろうが! 《紅炎の踊り手》リンカ・アシュテッド様って言やぁ、えろ可愛いでリーヴェじゃ最高クラスの女だぜ! 男なら知ってて当然だろうがよ! ベルリオットおめぇ、本当にタマついてんのかぁ!?」

「そんな目で見てるとか、ほんとモルス気持ち悪い」

「ちょっと、下品なこと言わないでくれる?」

「モルスは黙っててよ」

「お、おめぇらひでぇよ……」


 興奮するモルスに、すかさず女生徒から批難の声が浴びせられた。

 相変わらず不憫な男だった。


 それにしても、えろ可愛い、か。


 たしかに顔の造りは相当に良かったが、身長が低いために可愛い印象の方が強かった。

 そのわりに、あの布の面積が少ない衣装とあか抜けた雰囲気だ。

 えろ可愛いとは言いえて妙だな、とベルリオットは心の中で頷いた。

 周囲がわずかに静まったのを見計らい、ナトゥールが説教混じりに声をかけてくる。


「でも、ベル。モルスを肯定するわけじゃないけど、知らないのはさすがにどうかと思うよ」

「トゥトゥまでそんなこと言うのかよ」

「だってリンカ様の家ってリヴェティアの名家だよ。アシュテッド伯爵家って聞いたことあるでしょ」

「あ、あ~……あったような気がしなくもないような」


 途端、だめだこいつは、という目が四方から向けられる。

 無意識的にベルリオットは首をひっこめてしまった。


「ベルったら興味のないことにはほんと疎いんだから」

「わかった、わかったよ。俺が悪かった。これでいいだろ」

「もうっ」

「それで、そのアシュテッド家がどうしたって?」


 呆れながらも、ナトゥールが説明をしてくれる。


「アシュテッド家がどうってわけじゃないの。ただ文官の家系なのにリンカ様は騎士の道を選んだってこと。そっちの方が性に合ってるからって」

「とんだ物好きだな」

「でも、家の反対を押し切って騎士を選んだだけあって実力は相当だって聞くよ」

「あんな小柄なのにか」

「最高だよなぁ」

「モルスは黙ってて」


 大人しいナトゥールから、淡々と注意されたのがよほど効いたのか。

 茶々を入れたモルスが「おぅふ」と膝をついてうな垂れていた。


「だからその、それだけすごい人にベルは見てもらうってこと。わかった?」

「まあ、なんとなく」

「ほんとかなぁ……」


 というナトゥールの心配する声が聞こえてきたが、ベルリオットにとってリンカの家柄などはどうでもよかった。

 それよりもベルリオットに対するリンカの辛辣な態度が、今もっとも解決しなければならない事項だと思っていたからだ。

 またリンカに会わなければならないと思うと憂鬱で仕方ない。


 と、教室の出入り口がなにやら騒がしくなった。

 なにごとかと見やれば、教室にひとりの男子訓練生が入ってきた。

 細身の体型。切り揃えられた前髪と、細い目が特徴的な男だ。


 彼の名はラハン・ウェルベック。

 イオルと比べられるほどの実力を持ちながらも、ついに首席の座を奪うことはできなかった序列二位の訓練生だ。また、エリアスのログナート家ほどではないにしろ、代々多くの王城騎士を輩出してきた名家の子である。

 そのためか矜持が半端ではない。


 避けるように割れた集団の間を縫い、ラハンがベルリオットの前に立った。

 瞳に侮蔑の色を宿し、見下ろしてくる。


「ベルリオット・トレスティング。貴様が王城騎士になるというのは本当か?」


 ラハンの不遜な振る舞いに、ベルリオットは虫唾が走った。

 まともに答えてやる義理はない、と決め込む。


「だったらなんだって言うんだよ。お前には関係ないだろ」

「僕に関係がないだと……?」


 ぎり、と歯を噛みしめ、ラハンが全身を振るわせた。

 かと思うや、いきなり右手を突き出してきた。

 その手で胸倉を掴まれる。


「ふざけるな! 僕は訓練校の首席なんだぞ! 本来なら僕が選ばれるべきなんだ! それが……どうして最下位のお前なんかが選ばれるんだ! おかしいだろ!」


 まるで積年の恨みを吐き出すかのような叫びだった。

 ラハンの心中が穏やかでないのはわかる。

 なにしろ現状で言えば、首席の人間が序列最下位の人間に先を越されたのだ。

 それは、これまでの努力をないがしろにされたも同然と言っていい。

 その気持ちを否定する気はさらさらないし、むしろラハンに同情しさえする。


 だがラハンの叫びは、本当は別の誰かに向けられたものだとベルリオットは悟っていた。

 そう、ラハンがずっと勝てなかったイオル・アレイトロスだ、

 それを理解した直後、ベルリオットの頭は急速に冷えていった。

 抵抗せずに、ただじっとラハンを見る。

 誰かがぽつりと言葉をこぼす。


「首席って言っても、イオルがいなくなってのくり上げだよな」

「言わせてやれよ。イオルがいる間はずっと二位だったんだから」

「それもそうか。でも、それで首席を名乗るのもむなしい話だよな」


 ラハンを否定的、あるいは同情的に捉える声がそこかしこであがった。

 それがラハンには気に食わなかったらしく、周囲に鋭い視線を送った。

 途端、声が止む。


 どれだけラハンの態度が最悪であっても、実力は現在の訓練校では首席、と成績上は最高なのだ。彼に睨まれれば押し黙るのも無理はなかった。

 ふんっと鼻を鳴らし、ラハンがベルリオットの胸倉から荒々しく手を放した。

 平静を取り戻し、また見下ろしてくる。


「僕と決闘しろ」


 周囲がざわついた。

 当然だ。

 片や首席、片や最下位という組み合わせ。

 こんな対戦は恐らく過去に例がないだろう。

 決闘では、序列の低い方が勝てば、そっくりそのまま序列を入れ替えられる。

 序列の低い側にとっては美味しいことこの上ない話だが、序列上位側には形として得られるものはない。


 他に価値があるとすれば、己の強さを誇示できることだろうか。

 つまりラハンはただ証明したいのだ。

 王城騎士に選ばれたベルリオットよりも自分の方が強いのだ、と。

 そこまで考えてから、ベルリオットはさして悩むことなく答えた。


「悪いが断る」

「なっ! 貴様……それでも騎士か!」


 連日に渡って続く執拗な宣戦でなければ、決闘は受けてしかるべきだ。

 それなのにベルリオットは決闘を拒否した。

 騎士にあるまじき行為である。

 別に負けるのが怖かったわけではない。

 むしろその逆だ。


 最近、ベルリオットに対する周囲の評価が変わった。

 それは訓練生でありながら、王城騎士候補になるほどの激変だ。

 それもこれも、ベルリオットがアムールだから。

 青いアウラという強大な力を持っているからだ。


 ベルリオットの実力は、もはや訓練生の域を大きく超えている。

 ゆえに、このままラハンと闘えば、ベルリオットが訓練校最強の名を得るのは必至と言える。

 だが、これでいいのだろうか。

 力を得るまでは、誰かに認められたいという気持ちが強かった。

 なのに力を得てからは、誰かに認められたいと願う気持ちがひどく空虚なものに思えてきたのだ。


 この変化はなんなのだろうか。

 力を得たことで生まれる、ただの傲慢なのだろうか。

 わからない。

 ただ訓練校最下位という序列が、今の気持ちを戒めてくれるような気がした。

 だからこれ以上の変化を求めなかったのだ。

 唐突に、ラハンの嘲笑が部屋にひびいた。

 片頬を引きつらせながら、狂騒状態のまま詰め寄ってくる。


「そうか怖いんだろう。僕に負ければ、せっかくの王城騎士入りもなくなるかもしれないからな。そもそも貴様が元団長を倒したっていうのもなにかの間違いだったんだ。ボバン先生だって生徒だから手加減していたに違いない。なあ、そうなんだろう?」

「なんとでも好きに言えばいい。俺はお前とは闘わない」

「くっ、この腰抜けがっ!」


 浴びせられた罵声を無視して、ベルリオットは立ち上がった。

 このまま自分が教室から去れば、ひとまず騒ぎが収まると思ったのだ。

 なおも睨みつけてくるラハンの横を通り過ぎ、教室の外へと向かう。


「待って、ベルっ」


 後ろからナトゥールの声が聞こえた。

 彼女のことだ。

 きっといつものように気遣ってくれるのだろう。

 別にラハンの言葉で傷ついたわけでもないが、そうしたナトゥールの気遣いはくすぐったくもあり、同時に嬉しくもあった。

 だから、次にラハンから放たれた言葉を許せなかった。


「良い身分だなベルリオット! 訓練校に奴隷を連れてくるなんて貴様ぐらいのものだぞ!」


 それは、ベルリオットにとって看過できない発言だった。

 無造作に振り返り、ベルリオットはラハンに飛びかかった。

 両手で襟首を掴み、ラハンを押し倒す。机が散乱する。

 近くにいた訓練生が飛び退き、悲鳴をあげる。


「さっき言ったこと、今すぐに取り消せ」


 馬乗りの状態で、ラハンを床に叩きつけた。

 しかし堪えていないのか、ラハンが醜悪な笑みを浮かべる。


「こんな安い挑発に乗るとはな。さすがに僕も驚いたよ」

「安いだと? ふざけんな……あいつがどんな気持ちでいるかわかってんのか! さっさとさっきの言葉を取り消せ!」


 あいつ、とはナトゥールのことである。

 そして彼女はアミカスの末裔であり、彼らはアムールの眷属と言われているものの、一部の者から奴隷と蔑まれていた。


 アムールの眷属であれば、なぜ人間界にいるのか。

 必要がないから人間界に置いていかれたのではないか。

 そうした説から、アミカスの末裔がアムールの眷属であるということを否定し、さらに人間よりも劣る種として位置づけている人間がいる。そんな心無い者たちがアムールの眷属という言葉を奴隷に置き換え、アミカスの末裔を蔑んでいるのだ。


 かくいうナトゥールも、訓練校に入ったばかりの頃は何人もの訓練生から馬鹿にされていた。

 泣いていた。

 その姿を知る者として、ベルリオットはラハンを許せなかった。


「貴様が決闘で僕に勝てば、そのときは取り下げてやる」

「くっ」


 ラハンから要求が出された直後、ナトゥールが駆け寄ってきた。


「ベルっ、わたしは大丈夫だから!」

「トゥトゥは黙ってろ!」

「っ――」


 普段、ナトゥールに対して怒鳴ったことがないからか。

 彼女は想像以上に驚いているようだった。

 ラハンに飛びかかった時点で、すでに答えは決まっていた。

 いや、ラハンがあの挑発の言葉を使った時点で決まっていたと言っていい。

 これ以上、自分が変わりたくないから。

 そんな気持ちよりも大事なものがある。


「お前の望み通りやってやる。但し、俺が勝ったときは必ずトゥトゥに謝れ」

「いいだろう。まあ、そうはならないけどな」


 ベルリオットがわずかに力を弱めると、ラハンが飛び退くようにして立ち上がった。

 服についた埃を払いながら、「この馬鹿力め」と舌打ちする。


「明日の放課後だ。異論はないな?」

「ああ」

「せいぜい僕と決闘することを後悔するんだな」


 そう吐き捨てると、ラハンは教室を出て行った。

 訓練生たちが、いなくなったラハンに向けて「感じ悪すぎ」や「最低」などと罵声を投げていた。


「ベル、ごめんね」


 しゅんとしながらナトゥールが言った。

 大方、自分のせいで決闘を受けるはめになった、と思っているのだろう。

 それは断じて違う。


「トゥトゥは悪くないだろ。それより変なことに巻き込んで悪かったな」

「ううん。ベルが怒ってくれて嬉しいって思っちゃったし、実は得してるかも」


 へへ、と可愛らしく舌を出すナトゥールからは、つい先刻ラハンから放たれた心無い言葉の影響など一切見られなかった。

 そればかりか、いつもより何倍もご機嫌の様子だ。

 頬を染めながら、ナトゥールが淑やかに微笑む。


「ありがと」


 その笑顔と言葉をもらえただけで、ベルリオットは救われた気分になった。



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