◆第一話『躍進』
七大王暦一七三五年・九月十六日(ファルの日)
グラトリオ・ウィディールによって起こされた事件が収束してから十日後。
同事件においての復興手続き処理や、それに伴う財政の調整があらかた終わり、リズアート・ニール・リヴェティアはようやく一息つくことができた。
ここは王城第二階層に設けられた執務室。
余分な空間は削られ、必要な調度品だけが置かれた簡素な造りだ。
矩形に配された机の中、リズアートの席は部屋の最奥にある。
「細々したのもまだ残ってるけど、やっとって感じねー」
言いながら、リズアートはだらしなく背もたれに身を預けた。
先ほどまで十人ほどの政務官がいたため、気を緩めるわけにはいかなかったのだ。
いくら若輩者であっても、王として国政に参加している限り妥協は許されない。
なにより最終的な決断はリズアート自身が行わなければならないのだ。
大勢の人間の未来を預かっていると思うと、妥協などという言葉は頭に浮かびようもなかった。
「本当におつかれさまです。姫様」
と労いの言葉をかけてくれたのは、リズアートの護衛を務めるエリアス・ログナートだ。
会議中、不快にならない程度の距離を保ち、ずっと傍で控えてくれていた。
もっとも、彼女が近くにいることを不快と感じるのは国政に関する会議中だけだ。
それ以外において、エリアスの存在が不快になることは一切無い。
彼女とは幼少の頃よりの付き合いだ。
立場があるので口にも態度にも出さないが、リズアートはエリアスのことを姉のように慕っている。
父親であるレヴェンが亡くなってしまった今では、寂しさのせいかエリアスを家族だと想う気持ちが一層強くなっている自覚があった。
こうした想いがエリアスに伝わっているのかはわからない。
だが伝わっていると思わざるを得ないほど、エリアスは丁寧な口調のわりに遠慮が無かった。
「ただ、このあとすぐにフォーリングス卿……団長が来られる予定ですから。まだ気を緩めずにいた方がよろしいかと」
「もう、せっかく良い気分だったのに」
「も、申し訳ありません……」
「まぁ、その通りだからいいんだけど。って、来たみたいね」
こんこん、と扉を叩く音が鳴る。
リズアートが許可を出すと、予想通りの人物が入ってきた。
ユング・フォーリングス。
グラトリオ・ウィディールに代わり、新たにリヴェティア騎士団の団長を務めることになった騎士である。
彼は、白皙の美青年といった言葉がこれ以上ないぐらいに似合う風貌だ。
女性からの人気が非常に高く、眼鏡をかけた知的な印象がたまらない、と侍女たちもよく口にしている。
実力社会である騎士団において、団長の座につくのは豪の者が多い。
そんな中、ユングは切れ者と言われた異端児である。
エリアスよりも戦闘能力で劣りながらも、序列において彼女を上回っていたのは、ひとえに狡猾さも兼ね備えたその知能の高さがあったからに他ならない。
「本日はお疲れのところ、お時間を頂いて誠に申し訳ありません」
「いいわよ。あとこれだけって思えば、なんとか乗り切れそうだしね」
深々と頭を下げたユングに、リズアートは肩を竦めてわざとおどけて見せた。
腰を下ろすよう促し、ユングがそれに従う。
「それで騎士団の方の相談って言っていたけれど。わたしのところまで来たってことは、それなりに大事なのかしら」
ちょっとした人事異動であれば、リズアートがわざわざ関与することではない。
なにからなにまで国王に許可を求めていたのでは時間効率が悪いからだ。
そもそも騎士団の内情を把握しようにも、外部のリズアートでは限界がある。
把握しきれていない部分にまで指示を求められても適切な答えを出せるはずがない。
だから大部分は任せてしまう形になるのだが、こうして伺いを立てにくる、ということは小さくない事案なのだろう。
……大方、予想はついているけれど。
「お察しの通りです。先の事件において、王城にいた十八人の騎士がグラトリオ・ウィディールの手によって殺されました。これには序列七位から九位の騎士も含まれます。加えて、外縁部での防衛戦が普段よりも長時間に及んだ影響で死傷者が多数。被害は甚大であり、後の《災厄日》に備えて騎士団の建て直しが急務である、とわたしは判断しました」
「フォーリングス卿、そのような言い方っ」
「いいのよエリアス。事実なのだから」
「で、ですが」
ユングの身も蓋もない言い方は、リズアートの責を問うているともとれるものだ。
グラトリオが起こした事件の折、《運命の輪》から《飛翔核》にアウラを注ぐのが遅れてしまったがために、大陸の上昇も遅れてしまった。
結果、外縁部での防衛戦が長引き、少なくない被害が出た。
いかなる理由があろうとも、リズアートに責任があるのは確かだ。
女王という立場柄、また若輩者ということもあってか、リズアートの失敗について責を問う人間などいなかった。
だからユングのように戒めてくれる存在は貴重である。
ユングの意図を真摯に受け止め、リズアートは言葉を促す。
「でもユング。建て直すと言っても人は湧いて出てこないわよ。どうするつもり?」
「さしあたって訓練校の最上級生、及び実力者を、《災厄日》のみ外縁部遠征部隊に組み込もうかと思っております」
「言ってはなんだけど、訓練生でも今すぐに実戦に加われるのはごく僅かだと思うわよ。首席だったイオル・アレイトロスもいなくなってしまった今ではね」
リズアートの言う実戦とは、外縁部の防衛線にて、防壁外側に降りてシグルと戦えるかどうかをさしている。
つまり王城騎士並みの実力があるかどうか、だ。
訓練校を卒業した後、王城騎士に組み込まれる訓練生は毎年多くて三人ほど。
今期の最上級生は優秀だと騒がれていたが、それもイオル・アレイトロスというずば抜けた才能を持つ訓練生がいたからだ。
彼が抜けた今では、例年よりも少し多い程度でしかない。
つまりユングが“表面上”で提案してきた主な内容は『防壁上で戦う一般騎士の役割を早期から訓練生に経験させ、即戦力にまで引き上げたい』ということになる。
「もちろんそれは承知の上です。ただ長い目で見れば悪い案ではないと。上手くいけば、今後の授業過程に組み込むよう調整するつもりでいます」
表情をまったく動かすことなく答えたユングに、リズアートは思わず顔を顰める。
まったく……武官よりも文官の方がよっぽど似合ってるわね。
そう心の中で嫌味を放ちながら、リズアートは呆れ気味に答える。
「いいわ。許可します」
「ありがとうございます」
「それで、本当の目的は?」
「わかっていてお聞きになるとは陛下も人が悪い」
「貴方に言われたくないわよ。わざわざそんな案まで持ち出して」
「お手を煩わせてしまい申し訳ありません。なにぶんイオル・アレイトロスの件がありますから、こうでもしなければ実現は難しかったので」
ユングは人差し指を眉間に持っていくと、くいっと眼鏡の位置を直した。
ふんだんに時間を使い、もったいぶるように口を開く。
「彼を……ベルリオット・トレスティングを王城騎士に迎えたいと思っています」




