◆『帯剣騎士の世界』
ベルリオットがガリオンを斬った翌日の話。
七大王暦一七三五年・八月十九日(ガラトの日)
「ねえ、どこに向かってるの?」
「少なくともお姫様には縁のないとこだよ」
リズアート・ニール・リヴェティアは、ベルリオットの後ろを歩いていた。
縦に並ぶ形だ。
訓練校での授業が終わった後、ベルリオットと一緒に帰路についた。
一緒と言っても勝手についていった形だけれど。
帰る場所は同じだし、別々に帰る必要もないと思ったのだ。
会って間もなくはあるが、今さら余所余所しくするような間柄でもないのだから。
そうして後をつけていると、彼はレニス広場を西に曲がればトレスティング邸というところを、そのまま直進した。
明らかに遠回りである。
しかもこちらが後ろにいることを承知の上で、一言の説明もしてくれない。
気になるに決まっている。
「なんだか遠まわしについてくるなって言われてる気がするんだけど」
「だってな……。周り、見てみろよ」
ベルリオットに言われて、リズアートは周囲を見回す。
レニス広場を直進した先、ストレニアス通りの南区には様々な形体の商店が並んでいた。
家の一階を店に改造したものや、簡易テントを這って露店風にしたもの、路上に荷車を置いただけのもの等など、はっきり言ってしまえば統一感がない。
ただ、あちこちで宣伝の煽り文句や、売買の交渉などの声が飛び交う様は、見ているだけでも高揚感を覚えさせてくれる。
人の往来も激しく、本当に賑やかな場所だ。
だから、いくら王女でも自分一人が紛れ込んだぐらいでは気づかれないだろう、と思っていたのだけれど。
道行く人たちから物凄く注目を浴びてしまっていた。
中には膝を折り、頭を垂れている者までいる。
完全に王女だと気づかれていた。
「立場、理解しろって。騎士さん方も困ってんだしさ」
歩きながら、ベルリオットが肩越しにリズアートの後ろを見やった。
リズアートの後ろには二人の王城騎士がいた。護衛役だ。
いつも護衛を務めてくれているエリアスは騎士団の用事があるため、代わりに彼らが護衛を務めてくれているのだ。
王女として注目を集めてしまう以前に、騎士を伴っていたのがいけなかったかな、とリズアートは思った。とはいえ彼らはなにを言ってもついてくるので、そしてそれが仕事なため、安易に離れさせるわけにはいかなかった。
「ま~……あんたの場合、理解しててやってそうだが」
「なんだかそれだと、まるでわたしが嫌がらせするのを楽しんでるみたいじゃない」
「違わないだろ。わざと誰かの席の隣に座ったり、嫌がる誰かを無理やり授業に出させたり、な」
「それ全部ベルリオットのことでしょう。大体、授業のことに関してはあなたが出ないのが悪いわ。なのにわたしが悪いみたいに言われるなんて心外よ」
「はいはいそうだな、全部俺が悪いですよっと」
む、反省してない。
思わず眉を顰めてしまった。
けれど、なんだか彼がひねくれているのはもう充分に知っているので、それ以上は怒る気になれなかった。
悟ってしまうと、強がっている彼が少しばかり可愛く見えた。
怒りから一転して、くすりと笑ってしまう。
そんなこちらの心情など知ってか知らでか、前を歩くベルリオットが話題を変えてくる。
「大体、昨日の今日だぜ? 普通、出歩くかよ」
彼が言っているのは、深夜にガリオンから襲撃を受けた件のことだ。
王都内でもシグルに襲撃される危険性が示されたというのに出歩くのはどうか、と言っているのだ。
「それを言ったら訓練校だって同じじゃない。あなたの屋敷だって同じ。結局、お城以外なら、どこにいたって一緒よ」
「じゃあ、城に戻った方がいいんじゃないのか?」
彼にとっては何気ない一言だったのだろう。
けれどリズアートにとっては酷く面白くない言葉だった。
ぎりっとベルリオットを睨む。
「な、なんだよ」
「なにも」
言って、リズアートはついっとそっぽを向いた。
せっかく手に入れた自由な時間だ。
手放すなんてことは簡単にしたくない。
そんな子どもじみた態度をとったからか、ベルリオットがため息をついた。
「まあ、もうついてくることに関してはなにも言わないが。でもこれから行くとこは本当にあんたには縁のないとこだぜ」
「いいわよ。こうして街を回るだけでも充分だから」
そうリズアートが口にすると、ベルリオットが目を細めた。
けれどすぐにいつもの顔に戻って、
「そうか」
と、短く答えた。
彼の不自然な態度に、リズアートはこくんと小首を傾げた。
ストレニアス通りの南区に入って間もなく、平民居住区に続く隘路へと入った。
細い道の中、ベルリオットに続いて、リズアートは何度も角を曲がる。
入り組んだ道程だ。
もし一人で来ていたら確実に迷子になっていただろう。
「ここだ」
ベルリオットが足を止めたのは古びた木造家屋の前だった。
外装は赤茶色。所々に傷が見られ、黒ずんでいる。
周囲の建物が日光を阻んでいるせいもあるのだろうが、不気味な雰囲気を漂わせていた。
リズアートは思わず片頬をひくつかせてしまう。
「な、なんだか味のあるところね」
「まぁ、中はもっとすごいけどな」
言いながら、ベルリオットは人一人が通れるぐらいの小さな扉を開け、中に入っていった。
リズアートも続こうとするが、護衛の騎士が後ろに控えていることを思い出し、慌てて振り返る。
「貴方たちはここで待っていて」
「それでは護衛が。しかもこのような場所に」
「そんな言い方をしてはだめよ。ここも我がリーヴェの一部なのだから」
自分のことを棚に上げてよく言えたものだとリズアートは自嘲した。
「も、申し訳ありません。ですがそれとこれとは話が別です」
「ぞろぞろと騎士が押し入るわけにも行かないでしょう?」
「先日の襲撃の件もありますから、なにがあるか――」
「なにかあったら叫ぶから大丈夫よ。というか、ただの民家にそれほどの危険があるとは思えないのだけど。心配なら貴方たちは入り口をしっかり守っていて」
「ですが」
「これは命令」
「りょ、了解しました」
「ありがとう」
言って、リズアートはにっこりと笑みを浮かべた。
我ながら本当に困った娘だなと思う。
けれど、いつでもどこでも監視の目があるのは、やはり精神的に負担がかかる。
せっかく手に入れた自由な時間なのだから、気軽に羽を伸ばせる機会がもっと欲しかった。
だからと言って、羽を伸ばす機会が“このような”不気味な場所というのは、いささか不本意ではあったけれど。
文句を言ってもしょうがない、か。
騎士たちに気づかれない程度に肩をすくめ、リズアートは家屋の中へと踏み入った。
中は少しかび臭かった。
思わず鼻を摘んでしまいそうになったが、ぐっと我慢する。
圧迫感を覚えるほどの狭い部屋。
左右の壁に沿って細長い机が並んでいた。その上には、金属製の調理道具がぎっしり詰まった木箱が置いてある。見た限りでは包丁が多い。
「ばあさん。おやっさんは下?」
言ったのは、先に入っていたベルリオットだ。
彼に遮られて奥側がよく見えない。
背中から覗くようにして窺うと、勘定台が置かれた向こう側に老婆が座っていた。
結構な歳のようで、目蓋の皮膚が眼球にかかっている。
「おや、ベルか。あぁ、あいつぁ下だよ。でもどうしたんだい、ついこの間来たばっかりじゃないか」
「まあ色々あって。横、通らせてもらうよ」
「あいよ」
老婆から許可をもらうやいなや、ベルリオットが勘定台の脇を通って行く。
状況を理解出来ないリズアートは、また小首を傾げながら後に続く。
勘定台の脇を通る際には、笑顔で老婆に挨拶をした。
老婆は嬉しそうに頷き――かけたところでその動きをぴたりと止めた。垂れていた目蓋を思い切り持ち上げ、あんぐりと口を開ける。
老婆の驚く顔を見て、リズアートはしてやったりと得意気になってしまった。こういうところがまだまだ自分は子どもだな、と思った。
勘定台を通り抜けた先の部屋には、地下に進む階段があった。
下からは、金属の打ち合う音が聞こえてくる。もわんとした温風も漏れていた。
「ねえ、まだ秘密なの?」
「もうすぐわかる」
「えらくもったいぶるのね」
「説明するほどのことじゃないってだけだ」
躊躇わずに階段を下りたベルリオットの後を追って、リズアートも階段を下りる。
行き着いた先は、先ほどの老婆がいた部屋よりも大分広い部屋だった。
下は石敷き。そこら中に、金槌やらの工具、鋳型、鉄屑やらが散乱している。
奥には小柄な男がいた。
こちらに背を向けているため顔は窺えない。
少し覗き込むと、男が鋳型に赤々とした液体を注いでいるのが見えた。
男の首筋に噴き出す汗からもわかるとおり、赤々とした液体は相当な熱を持っているようだ。
リズアートも部屋に入ったそのときから、額に汗が滲み出てきていた。
察するに、恐らくここは鍛冶屋の工房なのだろう。
だとしたら何の用が、とリズアートが疑問に思ったそのとき、ベルリオットが切り出した。
「おやっさん、今、平気?」
「ああ? 誰かと思ったら……なんだ、ベルか。どうした」
鍛冶屋の男は作業に集中しているらしく、こちらに振り向かずに答えた。
「いや、ちょっと剣を見てもらいたくて」
「馬鹿言ってんじゃねぇよ。この前研いでやったばっかだろ」
「あー、いや、そうじゃなくてさ。なんて言ったらいいんだ……」
「はっきりしろや」
「この剣で、シグルを斬ったんだ」
直後、鍛冶屋の男が作業の手を止めたかと思うと、大げさな笑い声をあげた。
「こんなとこまできて寝言ぬかすたぁ、おめえも暇人だなぁおい。冗談ってのはもっと上手く言わねえと信じてもらえねえぞ」
「冗談じゃねえっての! 本当に斬ったんだ。シグル――ガリオンを!」
「言われてから味つけしたってもう遅いぜ。なあ、ベル。俺もそう暇じゃねえんだ。ちゃんと期日が来たらいくらでも見てやるからよ。大人しく今日は帰んな」
鍛冶屋の男が作業を再開すると、ベルリオットがあからさまな渋面を作った。
信じてもらえないのが悔しいのだろうか。
いや、それ以上に反論出来ないのがもどかしいのだろう。
結晶武器以外で、シグルを斬るなんてことは不可能というのが常識となっている。
そんな世の中では、冗談扱いされるのも当然のことと言える。
なんだかそれが理不尽なことに思えて。
もともと真実を話すつもりだったけれど、彼を強く援護したいとリズアートは思った。
「ベルリオットがガリオンを斬ったのは本当よ」
「ん、おいおい、ベル。ついに女が出来たのか?」
「そんなんじゃねぇって」
「ねえ、本当のことだから仕方ないとは思うけど、だからってそこまで強く言う必要はないんじゃない?」
「深い意味ない。真実を言っただけだ」
「今のもなんだかむっときた」
せっかく援護してあげたのだから、もう少し感謝の気持ちを持って欲しい。
もちろん見返りを期待していたわけではないのだけれど。
これこそ理不尽ね、とリズアートは唇を強く結んだ。
また鍛冶屋の男が大声をあげて笑った。
「照れんな照れんな。そうか……ついこの間までがきんちょだったベルがなぁ。どれ、顔を拝んでやろうじゃねぇか」
手に持っていた工具を置いて、鍛冶屋の男がゆっくりと振り返る。
「女の面に関しちゃぁ、俺の目はちょい……と……」
彼の顔は、口と顎を覆う茂みのような髭が特徴的だった。
年齢は大体四十ほどか。
老けているという印象はない。先ほどの老婆の息子だろうか。
そんな鍛冶屋の男の顔が、見る見るうちに硬直していき、あんぐりと口が開かれる。
「うる……せぇ……ぜぇええええっ!?」
この驚き方、やっぱり親子だ、とリズアートは思った。
その後。
非礼な発言について、リズアートは鍛冶屋の男からしつこいぐらいに謝られた。
気にしていないと言っているのに、ずっと地面に額をこすりつけるものだから本当に対応に困った。
王族を悪魔かなにかと勘違いしているのではないだろうか、と思ったぐらいだ。
少なくともリズアートは、ちょっとした非礼ぐらいで罰を与えたりなんてことはしない。
それをベルリオットによる「このお姫様はちょっと変わってるから――」なんて納得のいかない助言のおかげで理解してくれたようで、ようやく鍛冶屋の男は落ち着いた。
「いや~、さっきは本当に驚きましたわ。ほんと、取り乱しちまって面目ねぇです」
「いいわ。それよりも話は戻るけど、ベルリオットがガリオンを斬ったのは本当のことよ。わたしがこの目で見たからね」
「殿下が証人とあっちゃあ、疑うわけにもいきませんな。ベル、ちょいと見せてみな」
「あ、ああ」
ベルリオットが鞘から抜いた剣を、鍛冶屋の男が受け取った。
さすがと言うべきか。
刃を眺め始めると、彼はすぐに職人の顔つきになっていた。
様々な角度から、剣を見つめる。
しんっと静まり返った部屋内の空気にあてられてか、リズアートは変に緊張してしまった。
やがてふぅと細く息を吐いた鍛冶屋の男が、ベルリオットに剣を返した。
「なにも異常はねえよ。てーか曲がってるどころか刃こぼれ一つありゃしねえ」
「そう、か。ありがとう、おやっさん」
「気にすんな」
とは言うものの、鍛冶屋の表情は硬い。
やはりガリオンを斬ったことを信じられないといった様子だ。
「ねえ。その剣ってなにか特別なもので造られていたりするの?」
「いえ、ただの鉄剣ですわ。まぁ鉄って言っても冶金したものを適当に混ぜ合わせた、いわゆる鋼なんですが、鋳物なんでぶっちゃけて言うと俺にしてみりゃ手抜き作品ですね」
「ちなみにおやっさんが担当してる王城の模造剣も鋳物なんだぜ。つまり王城の備品はおやっさんからしてみれば手抜き作ってことになるな」
「ベル、おまっ! あ、違うんですよ殿下。ただ鍛造は正直時間がかかるもんで。それに王城の騎士さん方は実際には剣を使わないだろうから、それなら形を揃える方が見た目的にも良いと俺は思いましてね――」
「うん、それはいいのだけど」
未だ弁解を続ける鍛冶屋の男を余所に、リズアートは考え事をしていた。
本当に剣が特別なわけではなく、ただベルリオットの力だけでガリオンを斬ったのだとしたら。
アウラが使える使えないの域を超えて、彼は相当な剣技を持っているということになる。
そんな彼が、もしアウラを使えるようになったとしたら。
考えただけなのに、リズアートは鳥肌が立った。
この興奮を誰かと分かち合いたい。
そんな衝動に駆られた矢先、視界の端に映ったベルリオットの姿が、リズアートの心を落ち着かせた。
ベルリオットが自らの右手をじっと見つめていたのだ。
そっか。一番、信じられないのはあなたよね。
人知れず、ずっと足掻いていて。
それが、ひょんなことで結果が出て。
不可能と言われていたことをやってのけたのだから、実感が湧かないのも無理はない。
どうにかしてあげられないかな、とリズアートは思った。
鍛冶屋での用事を終え、リズアートたちは外で待っていた騎士たちと合流した。
「思ったよりも早く終わったから時間が余ったな」
「なんだか長い時間、居た気がするけどね」
慣れない空気だったためか、鍛冶屋にいた時間は相当に長く感じた。
おそらく充足感からくるものだと思う。
わからないことがわかった。
したいことが見つかった。
この二つは大きい。
リズアートが満たされた気分でいると、隣にいたベルリオットがぽつりと呟いた。
「街、ちょっと回ってくか?」
「ほぇっ?」
あまりに唐突で予想外の言葉だったので、思わず間抜けな顔で聞き返してしまった。
恥ずかしい。
顔を逸らしつつ、目だけで彼の様子を窺う。と、あちらも顔をそらしていた。
髪を乱雑にかきながら、ベルリオットがぶっきらぼうに言う。
「だから。時間余ったし、ちょっとぐらいなら街回ってもいいぞって言ってるんだ」
「案内してくれるの?」
期待に満ちた目を向けてしまう。
街を回ったのなんて、もう何年も前の話だ。
身長も低くて精神的にも幼い子どもだった、ということだけは覚えている。
そのときだってお忍びという名目だったし、変装した騎士が周囲に張り付いていたから、心の底から楽しめたかと言われると疑問が残る時間だった。
今回、比較的自由な時間を得て後、まだ街を回っていないのにもそうした理由があったからだ。
エリアスと回っても良かったのだけれど、彼女も街にはさほど詳しくないようだったので、案内役にはあまり向いていないと言える。
その点ベルリオットは街を熟知しているようだった。
しかも変に気遣ってくることもない。
案内人としてはこれ以上ないぐらい適任だ。
「洒落たとこに連れて行く気はないから、あんまり期待はするなよ。で、行くのか行かないのか、どっちなんだ」
「そんなの、行くに決まってるじゃない」
得意気に答えると、ベルリオットの目蓋がわずかに跳ねた。
後ろの騎士たちが反対の声をあげているが、気にしない。
口の端を吊り上げたベルリオットが踵を返すや、駆け出した。
「んじゃ、ちょっと待ってろ」
「どこに行くのよ? そっちはさっきの鍛冶屋じゃ」
「すぐ戻る」
片手を振りながら答えたベルリオットが、先ほどの鍛冶屋の中に入っていった。
次いで、中から「婆さん」と叫ぶ声と、どたばたと慌しい音が聞こえてくる。
それから大した時間を待つことなく、彼は戻ってきた。
両手に、大量の衣類やら装飾品やらを抱えて。
「ほら、これ着ろ。あとこれも」
「な、なにこれ」
「仮にもお姫様だろ。さっきだってかなり目立ってたしな。変装しないとろくに街も回れないぞ」
仮にもは余計、と突っ込む気力も起きなかった。
なにしろ変装用にと渡された外套と帽子が、緑基調に赤と黄色で模様付けされているという、なんとも野暮ったかったのだ。
悩んでいるところに、度の入っていない赤縁の眼鏡も渡された。
あまりにも奇妙な組み合わせだった。
けれど変装しなければ、ベルリオットの言うとおり王女だと気づかれてしまい、きっと大騒ぎになるだろう。
折角の街探索が台無しになってしまうので、それだけは遠慮願いたい。
でも、これを……?
うぅ~、と唸りながら変装道具を睨んでいると、
「嫌なら俺は別にいいぜ」
ベルリオットにそんな心無いことを言われた。
それでリズアートは決意した。
「着るわ。着ればいいんでしょう」
半ば自棄になって、乱雑に衣装を上から被っていく。
着終わってから自分の姿を見下ろす。
感想は、どこか辺境の民族衣装を無理やり派手にしてみた、という表現がしっくりくるものだった。
だぼっとした帽子を深く被ると、糸に吊るされた小さな毛玉が視界の端に映った。
それを指先で軽くつつきながらいじけていると、ベルリオットが騎士たちにも変装道具を渡していた。
「騎士さん方の分はこっちです」
「わ、我々は別に変装など」
「いや、王城騎士が街中なんてうろついてたら、周りの人が萎縮しちゃうじゃないですか。それだけじゃなくて、いかにも要人警護してますって感じで、あいつがいることもバレちゃいますよ」
「い、いやしかし」
躊躇う騎士たちを見て、リズアートは意地の悪い笑みを浮かべた。
こうなれば彼らも道連れに、と思ったのだ。
「貴方たちも着なさい」
「で、殿下っ」
「当然じゃない。それとも、わたしにだけ辱めを受けさせる気?」
「……承知しました」
がっくりと肩を落としながら、二人の王城騎士も変装道具を身に着け始めた。
「やっぱりと言うかなんと言うか」
ストレニアス通りに顔を出したリズアートたちを待っていたのは、無数の奇異の目だった。
売買で賑わう声に紛れて、ひそひそといぶかしむ声があちこちから聞こえてくる。
「逆に目立ってるわね、これ」
「まあでも、そんな格好してるのが姫様だって誰も思わないだろ」
「そうかもしれないけど」
ベルリオットだけが普段着――訓練校の制服姿というのは、やはり納得がいかなかった。
リズアートがむすっとしていると、ベルリオットが脇に並ぶ露店へと足を運んだ。
後を追うと、控えめな湯気と共に甘い匂いが漂ってきた。
屈みこんだベルリオットが露店商人に言う。
「おっちゃん、二つ……、あー四つくれるか」
「あいよ」
露店商人からベルリオットに渡されたのは、厚い紙に包まれた掌大の食べ物だった。
芋に見えるが、それにしては平べったくて大きい。
表面もやけに艶やかだ。
湯気をたてていて、いかにも出来たてといった様相をしている。
その食べ物を、ベルリオットがリズアートと後ろの騎士たちに渡していく。
最後にベルリオットが自分の分を手に取ってから、リズアートは疑問を口にする。
「これなに?」
「ファルの剛芋ってのを蒸したものだ。あっちの急勾配の畑で作る芋は身がしっかりしてるから、こういう蒸し物とか煮物に向いてるらしい。ってのは、メルザの受け売りなんだが」
言い終えて、こう食べるんだとばかりにベルリオットがそれにかぶりついた。
はしたない食べ方だからお姫様は知らないだろう、とでも彼は思ったのだろうが、さすがにそれぐらいリズアートも知っている。
取りあえず食べてみようと一口含んでみた。
表面には皮がついたままだったが、蒸されたせいか思いのほか柔らかかった。
逆に中の身がぎっしりと詰まっていて、すぐに圧力を覚える。
けれど食べにくいというわけではなく、芋らしく噛んだ場所から簡単に割れてくれた。
途端、肉汁のように甘い液体が口の中に広がった。
すごく脂っこい。
うっ、と思わず顔をしかめてしまった。
「この脂は牛酪? でもそれだけじゃこんなに甘味が出ないと思うけど」
「いや牛酪で合ってる。蒸すときにたっぷりとぬってるから、中まで染みこんでるんだろうな。で、仕上げに同じファル産の渓塩を少しまぶして味を引き締めてる。ちょっとばかし味が濃いけど、慣れたら癖になるぞ」
はむっともう一度リズアートはかじってみる。
さっきは驚いてしまったけれど、二口目は素直に美味しいと思えた。
「たしかにこれは癖になりそうかも」
ただ食べ過ぎると太りそうだなあ、と思った。
時間を置いたらまた食べたくなるような、そんな類の食べ物だ。
リズアートたちのやり取りを聞いていたのか、露店商人が声をあげる。
「おい、ベル。あんま教えんなよ。一応、秘伝なんだからよ」
「悪い悪い。また買いに来るから勘弁してくれ」
「また、じゃなくてお前さんが死ぬまでだな」
「それはちょっと遠慮したいな。大体、俺が爺さんになる頃には、そっちはもうおっちんでるだろ」
「ははっ、違いねえ」
二人はどうやら顔見知りのようだった。
それも冗談が言い合えるほどの仲だ。
鍛冶屋の男と言い、ベルリオットはどうやら街に知り合いが多いらしい。
今もなお無邪気に笑う彼を見ていると、訓練校のときとどっちが本当の顔なのだろうか、と興味が湧いた。
それから色んなところを見て回った。
リヴェティアは精緻な工芸品が有名なだけあって、その類の露店が特に多かった。
首輪、腕輪のような装飾品から、手拭やスカーフ等など。店ごとに特色があるため、見ているだけでも楽しめた。
今は硝子細工の店を出たところだ。
露店ではなく、二階建ての一階部分をまるごと店に仕立て上げた形。入り口が硝子張りで、開放感のある造りが印象的だった。
「可愛かったなー」
「この店は裏でおっさんがひたすら作ってるらしいから、ほとんど毎日新しい品が追加されてくぞ」
「えー。じゃあ、また見に来たいかも」
「ならそれ、借りておくか」
「さ、さすがに遠慮するわ。今度はちゃんと自分で用意したものにしますー」
洒落たとこに連れて行く気はない、などと言いつつ、ベルリオットは律儀にこうした女性向けの店を、他にも何軒か紹介してくれた。
ほんと素直じゃないなあ、と思いながら、リズアートは苦笑した。
色んな店を見て回ったからか、少し体がだるい。
んっ、と伸びをする。
それを見てか、ベルリオットが訊いてくる。
「そろそろ帰るか。メルザが待ってるだろうしな」
「そうね。あんまり遅くなると怒られちゃいそうだし。早く帰ってあなたを返さないと」
「俺は借り物かよ」
呆れながらもベルリオットは口元に笑みを浮かべていた。
これがもし訓練校でのやり取りだったならば、ただの仏頂面で返されていたに違いない、と思った。
リズアートに街を案内するという名目だったが、彼も思いのほか楽しんでいたのではないだろうか、と。そう思えるほど、街を回っているときに彼の笑顔を何度も見た。
抑えきれない好奇心が、リズアートの口から飛び出る。
「街を回ってるときのベルリオットって、訓練校のときとは大違いね」
ばつが悪そうに、ベルリオットが目線をそらした。
街を回ったときのことを振り返って恥ずかしくなったのか、後ろ髪をかいている。
「あ~……ここの皆は俺を騎士として見ないからな。なんつーか……その、気軽なんだよ」
彼は、ベルリオット・トレスティング。
誰もが知る最強の騎士《剣聖》ライジェル・トレスティングの子だ。
騎士の世界では、否が応にも父と比べられる。
そして彼はアウラを使えない落ちこぼれと言われている。
付けられた蔑称は《帯剣の騎士》。
平然を装っている風でも、やはり思うところはあるのだろう。
そんな彼が、騎士として見られることのない街に、居心地の良さを覚えるのは当然のことだろう、と思った。
「そうね。わたしも、変装してだけど一般人を味わえた気分」
「格好は一般人じゃないけどな」
「あっ、やっぱりこの衣装ってわざとだったんじゃないの!」
「んなことねえって。ただ、たまたま婆さんが派手すぎて“お蔵入り”にした品が余ってたから、面白そうだなと」
「なっ、やっぱりそうなんじゃない! 今日一日、すっごい恥ずかしかったんだから!」
「お、怒るなって!」
人目も憚らずリズアートが怒鳴りつけると、ベルリオットが大通りから横道に向かって逃げて行った。
「待ちなさい!」
追いかけ、リズアートも隘路へと足を踏み入れた。
直後、驚愕の光景を目の当たりにする。
隣接する石造りの建物の壁を蹴りながら、ベルリオットが二階建ての屋上へと昇っていたのだ。
それも淀みない動きで、だ。
足場に出来るわずかな突起はあるものの、手を使わずに、しかもあんな一瞬で昇るなんて芸当は、リズアートには到底真似できそうになかった。
アウラを使って追いかけるしかない、と思ったそのとき、
「おっとアウラ使って飛ぶのは禁止だぜ。今のあんたは一般人だろ」
頭上からベルリオットの声が降ってきた。
うっ、とすんでのところでリズアートは思いとどまる。
不完全燃焼に終わったこの気持ちを、八つ当たりだと自覚した上でベルリオットにぶつけた。
「ずるい」
「どこがずるいんだよ。ほら、手貸してやるから」
「なんだか趣旨が変わってる気がするんだけど」
「いいんだよ」
笑っているわけでも、真剣でもない平然とした顔だったが、有無を言わさない迫力がそこにはあった。
リズアートは考えるのを止めた。
助走のために数歩下がると、後ろに控えていた騎士たちから声をかけられる。
「殿下、無理せずにアウラを使ってもいいのでは」
「そもそも殿下がこのようなこと」
「いいの。わたしがしたいと思ったから、するだけ。貴方たちは別にアウラを使ってもいいわよ」
そう言い残して、リズアートは駆けた。
自分だって身体能力には少しばかり自信があるのだ。
こんな壁ぐらい、と思って、右手側の壁にある僅かな窪みを踏み台に、反対側の壁へと跳んだ。勢いが落ちる前に壁を蹴り、反動でまた逆側を向いた。
屋上で待つベルリオットが見えた。
届くと思った。けれど僅かに高さが足りなかったらしい。伸ばした手が屋上の縁に届くことはなく、浮いていた身体が落下を始める――前に、止まった。
ぶらりぶらり、と足が宙を踊っている。
見上げれば、ベルリオットが上半身を投げ出してまで手を掴んでいてくれていた。
ごつごつとした手だった。
きっと剣を振り続けているからだろう。
「ぎりぎりだったな。よっと」
アウラも使っていないのに、すごい力だった。
あっさりと引き上げられ、リズアートは無事に屋上に立つことが出来た。
「ありがと。あと少しだったのになー」
「それでも良い線言ってたと思うぞ。俺だって昇れるようになるまで結構苦労したしな」
「昇れるようになったのっていつ?」
「さ、三年前ぐらいだ」
「……聞かなきゃ良かった」
ふて腐れるリズアートに、ベルリオットはどうしたらいいかわからない、といった様子だった。
「それで、こんなところに来てどうするの?」
「ああ。もう少しだけ移動する」
言って、ベルリオットが隣接する建物の屋上を移動し始めた。
平民居住区の屋上は平らなものが多く、且つ密集している。
そのため屋上間の移動は容易い。容易いのだが、見渡す限りでそんなことをしている者など一人もいない。
つまりベルリオットが異常と言うわけだ。
彼がなにをしたいのかがわからないが、とにかくついていこうと思った。
意地になっているのか、自力で昇ろうとしている騎士を置いて、ベルリオットの後を追いかける。
十軒ほどの屋上を移動して、ようやくベルリオットが足を止めた。
五階建てぐらいだろうか。
結構な高さの建物だった。
「ここ?」
「ああ」
短く答えたベルリオットが、屋上の欄干に両肘を乗せ、上半身を預けた。
なにを見ているのかはわからない。
ただ、ずっと遠くということだけはわかった。
空の色は、ちょうど群青がうっすらと赤みを帯びていくところだった。
ストレニアス通りの熱気のせいか、風は少しばかり生温かい。風に煽られ、ベルリオットの黒髪がさらさらと揺れる。
「別に深い意味はないんだ」
憂いを帯びたその横顔が一瞬、世界から隔絶したもののようにリズアートの目には映った。
だからか、見つめたままぼうっとしてしまう。
「ただ、なんとなく……街を案内するなら、ここもって。そう思っただけなんだ」
そう口にしたベルリオットは、穏やかな笑みを浮かべていた。
なのに、どこか痛々しいと思ってしまった。
どうしてだろう、と思ったそのとき、リズアートははっとなって辺りを見回した。
王城、時計塔を除けば、この屋上が王都で一番高い建物になるのだ。
王城に一般人は入れない。
時計塔も立ち入り禁止なため、入れない。
だとするなら、この屋上が、ベルリオットにとって自力で来られるもっとも高い場所となる。
どうしてそんな場所に連れてきたのか。
彼の考えはわからない。
わからないが、なぜか嬉しいと思ってしまった自分がいた。
そんな気持ちも含めて、リズアートは偽りのない言葉を告げる。
「ベルリオット。今日は本当にありがとう」
返ってきたのは、彼らしい短い言葉だった。
番外編は作品の雰囲気を楽しんでいただくため、という意味合いが強いです。
あとはストーリーの補完目的であったり、ただの日常であったり。




