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◆第四話『刺客』

 温かな風が肌を撫でる。

 草の揺れる音は耳に心地良い。

 油断すればすぐにでも眠ってしまいそうになる。


 訓練区の森林地帯を抜けた場所にベルリオットはやってきていた。

 辺り一帯が丘陵になっていて、色取り取りの小さな花々や足首程度まで伸びきった雑草が無造作に周囲を埋め尽くしている。

 なぜかこの丘陵地帯にはあまり人が寄り付かない。

 とはいえ人気になってしまうと静かな雰囲気が台無しになってしまうので、それはそれで困る。

 だからむしろ誰にも知られたくない、というのが本音だ。


 携帯していた剣は外し、傍らに置いている。

 それだけなのになにか重責から解放された気分だった。

 なだらかな傾斜に身を預け、ベルリオットは紺碧の空を眺める。

 その遥か向こう、天上の世界にはアムールと呼ばれる者たちが住んでいると伝えられている。

 神の使いとされる彼らは、地上に住まうシグルとは敵対関係にある。


 ただ、実際に日々の生活を脅かしているシグルとは違って、アムールが実際にいるのか怪しいものだ、とベルリオットは思っている。

 もっとも、こんなことを思っているなんて他人に知られれば異端者として扱われかねない。

 なぜならリヴェティア国民のほとんどはサンティアカ教に属し、彼らはアムールの存在を神にも等しいものとしているからだ。


 祈るだけでなにかが叶うっていうなら、いくらでも祈るんだけどな。


 そうひとりごちると、ベルリオットはまぶたを閉じた。

 紺碧の空から暗闇へと映像が移り変わる。

 なにも見えない方が風を近く感じられた。

 肌に触れた風。

 伝っていくと、すぅっと優しい流れに当たる。

 無数にもあるそれは、どこまでも続いていて。

 肌に触れていないのに、ずっと遠くの音まで届けてくれているような、そんな感覚に誘ってくれる。


 だからか、それに気づけた。


 空気を切り裂くような音が鳴った。

 間もなく、ベルリオットのまぶたをわずかに通していた陽射しが途切れる。

 静かなるこの地へ、なんらかの異物が紛れ込んだということだけはすぐにわかった。

 自分に殺意が向けられていることも。

 目を開けると、純白の法衣を頭から被った何者かが、上空から飛び掛ってきていた。

 両手で長剣を握り、今にも地に突き刺さんと振り上げている。


 咄嗟にベルリオットは身を横へ投げ打った。

 小気味良い音と共に剣が地に突き刺さり、“敵”の法衣が空気の抵抗を受けてふわりと舞う。

 敵がこちらに顔を向けるが、深くまで頭巾を被っているために何者かはわからない。

 ただ思いのほか小柄な体格をしている。


 子どもだろうか。

 そう考えるよりも早く、ベルリオットは近場に置いていた自身の剣に右足を忍ばせた。

 わずかに中心からずらして蹴り上げると、ちょうど目の高さ辺りで剣が回転する。

 柄を掴み取り、勢いのまま鞘を飛ばす。


「何者だ」


 剣を突きつけて言った。

 体勢を整えた敵から返事はない。

 代わりに剣の切っ先を向けられる。


「答えられない、か。てか俺を殺したってなにも出ないぜ。人違いだと思うけどな」

「人違いじゃないわ。ベルリオット・トレスティング」


 凛として透き通った声だった。

 それはいくら子どもとて、男では出せない声調だ。


「お、女っ!?」


 あまりにも予想外で、思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。

 シグルという明確な敵がいるせいか、人間同士で争うことなどほとんどない。

 ことその点に置いては平和とも言うべきだろう世の中で、暗殺などと物騒な真似をしてきた人物が、まさか女性とは思いもしなかった。


 しかしなぜ自分が狙われているのか。

 襲われた瞬間には相手の動向など二の次だったのに、女性とわかったとたん動機が気になって仕方なくなってしまった。

 少なくとも女性に恨まれるようなことはしていないはずだ……と思う。


 そもそもイオルのように人気があるわけでもない自分は、昔なじみのナトゥール以外の女性に関わることすらほとんどないのだ。

 女性とわかったとたん、ベルリオットが警戒を緩めたのが気に食わなかったのか。

 敵が威圧するように剣を構えた。


「女だからと言って油断していると痛い目を見るわよ」

「いや、これから痛い目見させようとしてる奴に言われても、な――っ!?」


 ベルリオットが言い終える前に、敵が上段に構えながら間合いを詰めてきた。

 速い――。

 このままでは満足に踏み込めず、いくら相手が女性だとしても力負けする。

 回避するしかない。

 敵が剣を振り下ろそうとした瞬間、ベルリオットは半円を描くようにして躱した。

 敵の右手側につける。


 敵は大振りの攻撃をしたあとだ。

 筋肉が硬直した機を見計らって、ここぞとばかりに切りかかろうとするが、しかし敵の煌く銀の刃によって弾かれてしまい、失敗に終わる。

 追撃されないようベルリオットは素早く距離を置く。


 予想以上に敵の切り返しが速かった。

 すでに敵は体勢を整え、獲物を見定める猛獣のごとく、ベルリオットの眼前に立ちはだかっている。

 短い時間で相対してみてわかったが、敵はとても基本に忠実だ。

 構えや太刀筋などは大げさでなく訓練校の教師よりも乱れが見られない。


 相当な使い手だな……なら。


 ベルリオットが正眼よりも少し高めに剣を構えると、敵がすり足で近づいてきた。

 来る、と思った瞬間には敵が薙ぎの一閃を放ってきていた。

 軌道は予想の範疇。


 敵の剣に、こちらの剣を沿わせるようにすっと重ねた。

 そのまま絡ませ、巻き込む。

 さして力を入れずに、くいっと手首を捻らせる。

 それだけで敵の剣は甲高い音と共に弾き飛ばされ、宙を舞った。

 ベルリオットの後方で、剣の落下した音が鳴る。


「なっ――」


 驚嘆の声をあげた敵がたじろぐ。

 しかしそれもつかの間で、すぐに後退し、こちらと距離を置いた。


 さて、これで終わってくれるといいんだが……。


 そんなベルリオットの願望とは裏腹に、敵の殺気はまったくもって消えていない。

 というかむしろ強くなっているような気さえする。

 それを裏付けるように、敵の身体に緑の燐光が集まっていた。

 色がかなり濃い。

 限りなくフラウムに近いウィリディエ・クラスだ。


 敵が掲げた右手に光が収束していく。

 やがて光が弾けるように四散すると、そこには濃緑の結晶が、先ほど敵が使っていた長剣を模って現れていた。

 アウラを凝縮させてできる、結晶武器だ。


 やっぱりそうくるよなぁ、とベルリオットは乾いた笑みを浮かべた。

 ベルリオットがここまで優勢に闘えたのは、敵がアウラを使っていなかったからだ。

 アウラを使われたら、どうあがいてもベルリオットに勝ち目はない。


 なぜなら……。


 咆哮をあげ、敵が先ほどの何倍もの速さで突撃してくる。

 一度目を閉じ、はやる心を制したあと、ベルリオットは決意した。

 持っていた剣を傍らに突き立て、両手をあげる。


 降参の合図だ。


 これにはさしもの敵も勢いを殺がれたか、突撃から急停止した。

 賭けでしかなかったが、どうやら成功したようだ。

 声を聞き、剣を交わして、敵が悪い人間だとは思えなかったのだ。

 しかし完全に解放とはいかず、ベルリオットの喉元に敵の剣が突きつけられる。


「どういうつもり?」

「どういうつもりって言われてもな……。どれだけ抗っても、アウラが使えないんじゃ勝ち目はないしな」


 そう、ベルリオットはアウラが使えないのだ。

 世界のありとあらゆる生物には、アウラを使う力がそなわっているとされている。

 なのに、ベルリオットだけはなぜかアウラを使えなかった。

 常に剣を携帯しているのもそのためだ。


「そう。アウラが使えないっていうのは本当だったのね」


 どこか悲しそうな声だった。

 今まで威嚇するような声調だったために、ベルリオットは面食らってしまう。


「だからって。それはないでしょ、それは」


 それは、とは降参したことを言っているのだろう。

 敵が攻撃を止めてくれるかどうかは賭けでしかなかったが、勝算がなかったわけではない。


「いや、本気で俺を殺すつもりなら最初から全力でアウラを使うだろ。なのにあんたは使わなかった。つまり殺す気はなかったってことだ。意図まではわからないけどな」

「……そういうところ、本当にあなたのお父さんとそっくりね」


 敵がなにやらぼそりとつぶやいたが、上手く聞き取れなかった。

 戦意が殺がれたか、敵は結晶武器を空気に霧散させた。

 ふぅっと息を吐きながら、深くまで被っていたフードを取る。

 そこには声の通り女性の顔があったのだが――。


「あ、あんたは……あなたは……」


 肩の辺りで二つに結われた黄金色の髪は、まるで織物のように細く、艶やかで。

 鮮やかな碧眼、すっと通った鼻筋は、可憐さと妖艶さが混在しているが、なんともいえない絶妙な感じで調和がとれている。

 この比類なき美貌は忘れようもない。

 彼女のことは、この大陸の誰もが知っている。


「ひ、姫様っ!?」

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