◆第三十八話『メテオリーテース』
アウラが大陸に満ち始めたそのとき、リヴェティア全土に歓声が沸き起こった。
防衛線で無限に湧き続けるシグルを相手にしていた騎士はもちろん、王都内にて奮戦していた訓練学校の教師や訓練生も同じだった。
王都内のシグルは、大陸の上下に直接的に関係があるわけではなかったが、現に大陸が上昇し始めた頃、その数は激減していた。
それはメルザリッテ・リアンが奮戦していたからに他ならないが、訓練校の関係者が死力を尽くした影響も少なくなかった。
残り僅かなシグルを前に多くの訓練生が手を緩め、王城上空を見上げる。
「お、おい。あれ、ベルリオットじゃないのか!」
「青いアウラ……? あんなの見たことないわよ!」
「戦ってるのは誰だ? シグル……いや、だ、団長じゃないか!」
「なんでベルリオットが団長と戦ってるんだよ! ま、まさかこの騒動はベルリオットがやらかしたのか!?」
狼狽える訓練生たちに、《怪物の盾》モルス・ドギオンが叫ぶ。
「どう見たって団長のアウラのが悪もんっぽいじゃねぇか! ありゃあ、ベルリオットが俺たちのために戦ってくれてんだよ。きっとそうに違いねえ」
根拠がない癖に、モルスの言葉にはやけに自信が込められており、多くの者が耳を傾けた。
「けどよ……あ、あれがベルリオットなのか……。団長と互角だなんて……」
「なんつうか……すげぇ」
「綺麗……」
王都中の民が城の上空を見上げていた。
青と黒の光がぶつかり合っては弾け、また交差する。
螺旋を描きながら紺碧の空を彩り、昇っていく。
◆◇◆◇◆
「うっ……ぐ……」
王城の中庭。
温かいアウラに誘われてか、イオル・アレイトロスは目を醒ました。
同時に、全身に強烈な痛みが走った。
俺は、生きているのか……?
今も感じる痛みが、生きている証だと告げている。
どうなっている……?
周囲にアウラが満ちている。
どうやら大陸が上昇しているようだった。
状況を確認したいがために起き上がろうとする。
アウラを使えれば楽なのだが、どうにも上手く力が入らない。
激痛を堪えながら、イオルは自力で立ち上がった。
見回すが辺りにグラトリオがいない。
と、轟音が前庭方面から聞こえてくる。
そこにグラトリオがいる確信はなかったが、行ってみるしかないと思った。
壁に身を預けながら、ゆっくり城内を歩いていく。
俺は……あの人を止めなければいけない。
イオルは、ある元老院議員の遠戚である父と、妾の間に生まれた。
庶子である。
ただ母はイオルを生んですぐに自殺した。
大方、正妻からやっかみを受けたのだろう。
父はイオルを手元に置くわけにも行かず、知人であるグラトリオに託した。
物心ついた頃から近くにいたグラトリオは、イオルにとっては父のようなものだった。
忙しい身でありながら、暇を見つけては剣を教えてくれた。
上手くできれば頭を撫でて笑顔で褒めてくれた。
それが父のいないイオルにとってはなによりも嬉しくて、また褒めてもらうために懸命に剣の腕を磨いた。
幸せな時間だった。
けれどいつからだったろうか。
急に人が変わったようにグラトリオが荒れだしたのだ。
そして起こったライジェルの死。
謎の死を遂げた、という伝聞が広まった。
そのときは犯人が誰かもわからなかったが、屋敷で怨念のようにライジェルを恨む姿、そして今回の計画に加担させられたことで、イオルは嫌でもわかってしまった。
グラトリオがライジェルを殺したのだと。
黒導教会が裏に絡んでいるのを知ったのは、南方防衛線に派遣されたときだ。
手引きを命じられていたのだが、そこに現れたのが黒導教会の信徒だったからだ。
戦慄した。
自国の王女を手にかけてしまうかもしれない、と。
けれど逆らえなかった。
それだけ自分にとって、グラトリオ・ウィディールという存在は絶対的だったのだ。
幸い王女は死なずに済んだが……そのときからイオルの中に、このままでいいのか、という疑問が募った。
そして反抗した様がこれである。
情けなくて涙が出そうになった。
視界が開けた。
内城門を通り抜け、前庭に顔を出したのだ。
直後、耳をつんざくような激突音が上空から降ってきた。
団長と……あれはベルリオット……だと!?
黒のアウラを纏ったグラトリオと、青のアウラを纏ったベルリオットが、上空で激しく撃ち合っていた。
ややベルリオットが押され気味ではあるが、ほぼ互角の戦いだった。
思わず見とれてしまった。
あれほどまでに凄まじい戦いを見たことがなかった。
団長の黒いアウラはなんなんだ……それにベルリオットのアウラも見たことがない……。
そんなことを思いながら戦いを見るため視線を上向けると、二人の遥か上空に、巨大な結晶塊が浮いているのを見つけた。
結晶が浮いている!? いや、あんな巨大なものが、しかも人の手を離れて浮いているなんて……。
ありえない、と思いつつもイオルは本能的に理解していた。
あれはベルリオットが造り出しているのだ、と。
空に浮かぶ巨大結晶の色が、ベルリオットの纏うアウラの色と酷似していることがなによりの証拠だ。
しかし……団長はあれに気づいていない……?
グラトリオの位置を、ベルリオットが巧みに調整しているのかもしれない。
だとしたら先ほどから見上げる形で戦っているのも頷ける。
あの巨大結晶が攻撃手段であるなら早く落とせばいいのに、と思ったそのとき、ベルリオットの苦しげな表情からイオルは悟る。
落とす機会がないのだ、と。
あれほど巨大なものだ。機会を見誤れば気づかれてしまう。
そんなことも考えずに造ったのか、馬鹿め。
だが。
あれを当てられれば勝機は生まれる。
イオル・アレイトロスを奮い立たせるには、それだけで充分だった。
身を預けていた壁から離れると、身体が悲鳴を上げることすら厭わずに、なけなしの力を振り絞った。
この身がどうなってもいい。それでも、俺は……、俺は……あの人を止めなければならない……っ!
アウラが満ちていたことが背中を押したのか。
イオル・アレイトロスはフラウムの壁を突破した。
ヴァイオラの光に包まれた孤高の騎士が、飛翔する。
◆◇◆◇◆
ベルリオットは己の過ちを悔やんでいた。
敵に気づかれないよう、遥か上空に巨大結晶を造るというところまでは良かった。
だがそれをぶつける機会がなかったのだ。
かといって、今さら解くわけにもいかない。
最悪、このまま落としたとしても意表を突くぐらいにはなる。
だから、できるかぎり機会を待っているのだが……。
「どうしたベルリオット! 剣が鈍ってきたのではないか!」
「くっ――!」
グラトリオがそうはさせてくれない。
ただでさえ、剣の腕はほぼ互角なのだ。
その上、ベルリオットは遥か上空へ意識を向けたままの状態で戦っている。
造り出すだけでなく、その場に維持し続ける、というのは相当に脳を刺激するらしく、先ほどから痛みが増している。
もう何合目だろうか。
数え切れないほど剣を撃ち合せている。
そろそろ落とさないとまずいか……。
押し込まれている風を装い、グラトリオの位置を巨大結晶の真下へと誘導する。
よしっ、とベルリオットが巨大結晶の“空中維持”を解こうとした、そのとき――。
「うぉぉおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
グラトリオ目掛けて、何者かが下方から飛翔してきた。
イオル・アレイトロス。
紫のアウラを纏っていたせいですぐには気づけなかったが、あの気が強そうな顔は紛れもなくイオルだ。
握られた身の丈の二倍はあろうかという巨剣は、彼の得意とする豪剣。
なんでイオルが?
あのぼろぼろの身体は?
フラウム・クラスだったはずじゃ?
幾つもの疑問が浮かぶが、その答えが導き出されるよりも早く、イオルがグラトリオに肉薄した。
だが。
「ぬぅんっ!」
「ぐぁっ――」
無残にも一振りで豪剣は砕かれた。
グラトリオが吐き捨てる。
「この戦いはお前などが手出しできる次元にはない」
「ベルリオット! やれぇえええええっ!」
イオルが地に落ちていく中、声を張り上げた。
その叫びで、ベルリオットははっとなる。
そうか。そのために、そんなぼろぼろの身体で来てくれたのか……。
イオルに感謝しつつ、ベルリオットは、“空中維持”の思考を意識から切り離した。
同様にイオルの言葉で、グラトリオが素早くこちらに警戒を戻す。
だがベルリオットが動いていなかったからか、ほっと安堵しているようだった
「どうやらお前の手助けに入ったようだが……無駄に終わったようだな」
「……いや、最高の手助けだったよ」
ベルリオットが悲しげな表情を浮かべると、グラトリオが眉根を寄せた。
瞬間、グラトリオに影が落ちた。
地響きにも似た轟音が上空から降ってくる。
異変を感じ取ったグラトリオが眼を剥き、天を仰ぎ見る。
そこにはすでに、避けきれないほど近くに迫った巨大な青色結晶塊。
「な……んだこれはぁあああああっ!?」
「落っちろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
咄嗟にグラトリオは巨大結晶の間に黒剣を割り込ませ、受け止める。
しかし圧倒的な質量が、グラトリオを地上へと押しやっていく。
「ぐぉおおおおおおおおおおぉおおおおおっ!! トゥレスティンフゥゥウウ!! トゥレスティンフゥゥウウウ――――ッ!!」
まるで呪詛のようにトレスティングの名を叫ぶ。
グラトリオの怒りが、さらなる黒のアウラを呼び寄せる。
巨大結晶の下部が黒い靄に包み込まれると、大地に張り巡らされた根のごとく亀裂が上部へ向かっていく。
そして地上に激突する寸前、
「ぐるぁぁぁあああああああ――っ!」
ついにグラトリオが巨大結晶を破壊した。
砕かれた巨大結晶が粉々になって散る。細かなアウラの結晶が、ぱらぱらとグラトリオの周囲を舞いながら、陽光を反射し、消えていく。
グラトリオが、声高らかに雄叫びをあげる。
「ふは、ふははははははっ! やった……やったぞ……わたしの勝ちだ、ベルリオ――」
ベルリオットはすでに動いていた。
グラトリオの意識が巨大結晶に向いた、そのときから。
青の剣が、グラトリオの心臓を後ろから貫く。
「――な……に……」
肩越しに背後を窺ってきた。
さらに剣をねじりこむ。
「ぐぷぁっ」
グラトリオの口から大量の血が吐き出された。
彼を纏っていた黒のアウラが、まるで風にかき消された火のごとくふっと霧散する。
だらん、と彼の腕が垂れた。
首が力なく折れた。
つま先が下向いた。
剣の重みが増した。
手、腕を通して、かすかな温もりが伝わってくる。
名残惜しい、と思った自分は、いったい何者なのだろうか。
目を瞑り、彼の体から剣を抜いた。
まるで人形のように、彼の体は力なく落ちていく。
やがてばさり、という音。
うつ伏せに倒れた。
動かない。
時が止まったようだった。
上空からじっと見つめていると、やがてイオルが彼に這い寄った。
そして聞こえてきた慟哭に、ようやくベルリオットは自分が人を殺したのだと自覚した。




