◆第三十三話『王都黒炎』
「おいおい……もしかして上昇してないのか……?」
「エリアス様が仰っていたのはこのことだったのでしょうか」
「だとしたら、これはかなりやばいだろ。てか、こんなことってありえるのか」
ベルリオットが搭乗する飛空船は、すでにリヴェティア大陸圏内に入っていた。
すでに正午は過ぎている。
普段ならば、《災厄日》の正午とともに、大陸は上昇し始めている頃合だ。
なのに――、
リヴェティア大陸は下降したままだったのだ。
《運命の輪》から《飛翔核》がアウラを注がれると、大陸は半日ほど上昇し続ける。
上昇している間はアウラが満ちているためか、仄かな燐光がそこかしこに現れるのだが、それがまったくない。
つまりリヴェティア大陸は上昇する動きすら見せていないのだ。
そして上昇していないということは、今もなお下降し続けているということも意味していた。
ひんやりとしたものが背筋を走り抜ける。
シグルの侵攻を防ぐため、大陸の外縁部では騎士たちが戦ってくれている。
本来ならば、正午を迎えた時点でシグルの出現は一気に収まっていく。
しかし大陸が上昇の動き見せていない今、騎士たちはいつ戦いが終わるのかという不安に駆られながら戦闘を続けていることだろう。
リヴェティア大陸よりも高い場所に位置するディザイドリウム大陸からの渡航だったため。
加えて本来の予測よりもリヴェティア大陸の位置が低かったため、外縁部の遥か上空を通過することになり、その様子は窺えていない。
心配だったが、アウラを使えないベルリオットが助けに入ったところで足手まといになるのは明白だ。それに今は他にいかなければいけない場所があった。
エリアスが口にした言葉が思い出される。
――姫様のもとに向かってください!
酷く切羽詰った様子だった。
ただごとではないのは雰囲気から嫌でもわかった。
現に、正午を迎えても大陸が上昇していないという、体験したことのない現象が起こっている。
この問題も、もしかしたらベルリオットにはどうにもできない問題かもしれない。
だが、エリアスに頼まれたことだ。
決死の想いで送り出してくれた彼女のためにも、たとえアウラが使えなくともベルリオットはリズアートの元に行かなくてはならない。
前方に王都が見えてきた。
その光景がうっすらとしたものから、やがて徐々に色合いを帯びていく。
だが、違和感を覚えた。
ベルリオットの記憶にある色合いとは違っていたのだ。
王都はあんなに黒くない。
無数の黒点が疎らに点在していた。
それらは王都を囲む城壁の内部、街中でうごめいている。
王都外壁の上空を通過する。
と、それら黒点の正体がはっきりとわかった。
「シグル……なのか?」
「おそらく、そうではないかと」
「いや、でもなんでシグルが! あいつらは外縁部からしか――」
そこまで言いかけて、ベルリオットは思い出した。
この目で何度も見ているではないか。王都に現れたシグルを。
「いや、でもなんでこんなに……。騎士はなにやってんだ」
街の人たちは大丈夫なのか。
ナトゥールや訓練生たちは大丈夫なのか。
それらが脳裏に過ぎったとき、視界の中で黒点がない場所を見つけた。
ストレニアス通りの最奥、王城大城門前だ。
ただ、その空間にもシグルは侵攻しているようで、囲いができあがっていた。
その楕円を描く境界線では弾けるように光が明滅している。
恐らく誰かが戦闘しているのだろう。
前方に意識が向く中、突如、ガンッという音と共に飛空船が揺れた。
なにごとかと振り向けば、そこには機体後部に取り付くシグル――ガリオン、アビスの姿があった。
他にも複数のシグルが体当たりを仕掛けてくる。
断続的な衝撃に飛空船が幾度となく揺れる。
「ベル様、シグルがっ」
「大城門前、あそこに皆集まってるみたいだ! 行けるかっ」
「承知いたしました。しっかり掴まっていてください」
シグルが両翼にも取り付いた。
砕き、折られ、翼が不均等な長さになった。
左右に引っ張られるように飛空船が大きく横揺れする。
さらに不安を煽るように、高度が段々と下がっていく。
大城門前まで、まだ距離がある。
このまま手前に落ちてしまえば、無数のシグルに囲まれかねない。
「くそっ! 持ってくれ!」
悲痛な叫びを嘲るように飛空船はがくんと高度を下げた。
「ベル様、落ちます!」
滑空から勢いそのままに地面に接する。
同時、腰から伝って背中、頭にまで衝撃がひびく。
小刻みに激しく身を揺らされ、苦痛に顔が歪む。
石畳を削り、撒き散らしながら飛空船は速度を緩めていく。
どれだけの距離を滑ったのか。
わからなくなるぐらい長い距離を経て、ようやく機体が停止した。
しかしそれでも大城門までは届いていない。
激しく脳を揺らされたが、平衡感覚を取り戻すまでにそう時間はかからなかった。
すぐに状況確認をせんと周囲に目を向ける。
と、視界を覆い尽くす無数のシグルが映った。
もうだめか、と思ったそのとき、前方から押し寄せてきた光がシグルたちを呑み込んだ。
それは見紛うことなきアウラの奔流。
騎士が助けに来てくれたのだろうか。
そう思ったが、アウラの使い手は正規の騎士ではなく、訓練校の教師や訓練生たちだった。
なんであいつらが……。いや、今はそんなことより――。
「メルザ、外に出るぞ!」
「はいっ」
側面の扉を開け、メルザリッテとともに外に出る。
大城門側に背を向ける形で、シグルからの攻撃を防いでくれている大柄な訓練生がいた。
同級生のモルス・ドギオンだ。
彼は黄色のアウラを纏い、巨大な結晶盾をシグルとの間に造りだしていた。
「モルスッ! なんでお前が――!」
「んなもんあとだ! とりあえず早く下がれやっ!! いつまでも持たねぇぞ!」
この場所は大城門前に構築された陣から離れている。
わざわざベルリオットたちを助けるために決死の思いで突出してくれたのだろう。
ならば話をしている場合ではない。
「わ、わかった。悪いが後ろは任せたっ!」
「おうよぉっ!」
頼もしい返事をしたモルスを背に、ベルリオットはメルザリッテと一緒に大城門前へ向けて駆けた。
ベルリオットたちが進むに連れて、モルスも徐々に後退してくる。
両脇には教師がついていてくれたおかげで、ベルリオットは無事に大城門前の安全地帯へと踏み入ることができた。
陣は、大城門を守るように楕円形に組まれていた。
もちろん敵には飛行型がいるため、その陣は上空にも及ぶ。
数はおよそ百か。
但し大きな疑問があった。
先ほどモルスや教師が助けにきたときに感じたのと同じものだ。
なぜ、正規の騎士がひとりもいないのか。
陣を構築しているのが、見慣れた顔――訓練校の上級生や教師ばかりなのだ。
教師はまだいい。
正規の騎士ではないにしろ、その実力は王城騎士に匹敵する。
だが訓練生たちは、実力はその域に達していようとも明らかに実戦経験が足りていない。
勇猛果敢に見えて、その表情からは怯えが隠しきれていない者がほとんどだ。
異様な光景を前にベルリオットが唖然としていると、
「ベルッ!!」
ひとりの少女が飛行から着陸、駆け寄ってきた。
ナトゥールだ。
「トゥトゥッ!」
彼女が無事だったことにほっと安堵するも、次に思考を支配したのは、この状況への様々な疑問だった。
「なんで大陸が上がってないんだ? いや、それよりなんで訓練生のお前たちが戦ってるんだよ? こんなことになってるってのに……王城騎士はなにしてんだ!」
「大陸が上がってないことも、騎士たちがどうしてるのかもわからない。ただ、騎士が王都にいたら、今頃シグルを追い払ってくれてるはずだから……」
「騎士がいないって……。そんなことあるわけないだろ!」
「わかんないよ! でも、わたしたちしかいないなら、わたしたちが王都を守るしかないって。先生たちが勇士を募って、それで抗戦してるけど抑えきれなくて……でも、せめてお城だけでもって」
「街の人たちは?」
「訓練校に非難してる。そっちは聖堂騎士の人たちが守ってくれてるから大丈夫だと思う」
「聖堂騎士が?」
「フォルネア様が手を貸してくださったの」
「クティが……そうか」
聖堂騎士は教会の私兵だ。
基本的に他大陸の戦闘には関与しない。
だが教会幹部からの指示であればその限りではない。
以前、モノセロスが前庭に現れたときもそうだったが、クティが来てからというもの、中立であるはずの教会がリヴェティアに過剰な援助をしている気がする。
緊急事態なのでリヴェティア民としてはとても助かるのだが、他大陸から肩入れし過ぎていると思われないか、指示を出しているクーティリアスの立場が心配になった。
「それよりベル。ディザイドリウムに行ってたんじゃなかったの?」
「いや、色々あって……」
続きを話そうとして、エリアス、リズアートの姿が想起された。
「俺は城に……あいつんところに行かないといけないんだ」
「あいつって……姫様のこと?」
ああ、とベルリオットが頷こうとしたとき、先ほどからひびいていた戦いによる轟音がぴたりと止んだ。
見れば、楕円形の陣よりシグルが距離を置いていた。
統制の取れたその不気味な動きを前にして訓練生、及び教師たちは戸惑いを隠せないようだった。ざわめきが起こり、動きを止めたシグルの様子を窺っている。
「やれやれ、予定外のことも起こるものだな。まあ、しかし、だからこそ、ここにわしが配置されたというものか」
しゃがれ、酷く不快な声だった。
どこからともなく聞こえてきたその声は、アウラを使い大気を震わせているのだとわかる。
ストレニアス通りを覆い尽くすシグルの群れの中から、ゆらりと人が現れた。
深淵を思わせる真っ黒な外套、深く被ったフード姿が相まって、不気味さを際立たせていた。
「余興はここで終わりだ。……お前たち」
またひとり、またひとりと次々にシグルの群れの中から人影が現れる。
合計十一人。
全員が同じ黒ずくめの格好だった。
「……黒導教会」
誰かが呟いた。
黒一色の衣服は、シグルを想起させるため着る人はほとんどいない。
そんな中で、好んで黒ずくめの法衣を着ている者など限られてくる。
黒導教会。
シグルを神と崇める、邪教である。
リヴェティアを取り巻く、この異様な状況に黒導教会が絡んでいるのだとしたら、説明はつかないまでも納得はいく。
最初に現れた黒ずくめの男が、両腕を左右に広げ、掌を下に向けた。
「神よ! 真なる園、漆黒の世界へと我らを導き給え!」
その叫びとともに、黒導教会の者たちは流れるように胸元から掌大の黒色結晶を取り出した。
そして怪しい光を放つその結晶を、あろうことか口に含んだ。途端――、
「ぐぷ――ッ!」
顔が歪み、眼球が飛び出し、口から汚物が吐き出された。
さらに体がまるで濡れ雑巾を搾ったときのようにねじれ、はじける。
と同時に、その肉体を取り込むように黒い光が現れる。
やがて黒い光は膨れ上がり、うごめくように輪郭を整えていく。
その動きが止まり形成された生物を目の当たりにしたとき、さらなる驚きを与えられた。
モノセロスが十体。
さらに中央には、人の二倍はあろうかという四肢のある生き物がいた。
二足で立つ人型。
深い紫色をした眼球以外、黒色。
後頭部から細長い角のようなものが垂れ下がっている。
見たことがないシグルだった。
いや、そもそもシグルなのだろうか。
とにもかくにも、モノセロスが十体も現れた時点で、教師、訓練生の瞳は絶望の色に支配されていた。
膝をつく者や、腰を抜かしてしまう者。
中には、悲鳴をあげて逃げていく者までもいた。
「ベリアルですか。これは少々、厄介ですね」
ベルリオットの傍で、メルザリッテがぽつりと呟いた。
「ベリアル……? メルザ、あれを知ってるのか?」
「はい。ベリアルはモノセロスよりもさらに上位のシグルです。その力はモノセロスの比ではありません。特筆すべきは、知能を持ち、シグルを統べる力を持っていることでしょうか」
「なんでそんなのが――っ」
悲鳴じみた呻きを漏らしたのはナトゥールだった。
「恐らく先ほどの黒水晶を呑みこむことで人に扉の役割を持たせ、狭間に侵入した、というところでしょうか。あんなものがあったなんて……不覚でした」
言って、メルザリッテは険しい顔をする。
恐慌状態にあるナトゥールとは違い、ベルリオットの頭には他の疑問が浮かんでいた。
「メルザお前……なんでそんなこと知ってるんだ……?」
モノセロス以上のシグルなど聞いたことがない。
いや、ベルリオットが知らないだけなのかもしれないが、少なくとも常識範囲ではないはずだ。
ベルリオットの問いに、メルザリッテは答えなかった。
いや、声が届いていないのか、うつむき、なにかぶつぶつと呟いている。
「極力、手を出してはならないのですが……致し方ないでしょう」
面を上げたメルザリッテの瞳には、いつになく鋭い光が宿っていた。
ぴんと背筋を伸ばし、石畳にブーツの踵をかつかつと響かせながら、シグルの方へと歩いていく。
その堂々とした後ろ姿は、恐怖という言葉とは無縁だった。
一瞬、呆然と見つめてしまったが、ベルリオットはすぐに意識を取り戻した。
形成された陣の外側に、先ほど現れたすべてのモノセロスが突進し始めていたのだ。
そんな場所に、ただのメイドでしかないメルザリッテが自ら向かっている。
メルザリッテの意図はわからないが、このまま彼女を行かせるわけにはいかないという思いが、なによりも先立った。
「おい、メルザ――」
呼び止めようとしたそのとき、信じられないものがメルザリッテの身体を包み込んだ。
深紅の光。
赤のアウラ。
ベルリオットが使っていたものと同じ。
いや、それよりももっと濃度が高い。
本物と見紛いそうになるほど美しい赤翼とともに放たれる熱風が、離れていてもその質の高さを物語っていた。
青みがかった特徴的な銀髪が、取り巻く燐光に染められるように真っ赤に染まる。
まさに炎そのものを連想させるその姿にベルリオットは見とれてしまいそうになるが、それよりも早くメルザリッテが動いた。
消えた、という表現がしっくりくるほど素早い動きで、陣の外に躍り出ていた。
突如現れた赤のアウラ使いに、近くにいた者たちはどよめく。
危険を察知したのか。
横並びに突進してきていたモノセロスが、メルザリッテに向かって様々な角度から飛び掛かった。
泰然と構えるメルザリッテに、ベルリオットは悲鳴を上げそうになるが、その心配はなかった。
瞬間、地面から巨大な結晶柱が突き出てきた。
凄まじい勢いだった。
先端が尖ったそれは、モノセロスを貫いていく。
瞬く間にすべてのモノセロスが串刺しになった。
しかし身動きがとれなくなっただけで、とどめには至らなかったようだ。
モノセロスたちはその場で慟哭をあげながら、もがき続ける。
メルザリッテは飛翔し、それらを見下すように睥睨する。
と、目にも留まらぬ速さで右手を外側から内側へ。
また内側から外側へと払った。
その間、人大の無骨な結晶の刃が、モノセロスに向かって無数に放たれた。
ことごとくが頭部に命中する。
悲鳴じみた咆哮をあげ、モノセロスが次々に消滅していく。
やがて最後の一体が砕け散ると、メルザリッテは悠々と地面に降り立った。
圧倒的な強さ。
そしてこの世のものとは思えないほどに、美しいその姿。
ベルリオットの記憶――ガリオンの襲撃を受けたとき、助けてくれた赤のアウラ使いの姿と完全に重なった。
「メルザ……お前があのときの赤のアウラ使いだったのか……」
「この事件が終わりましたら、すべてをお話します。ですからベル様は、今、成すべきことをなさって下さい」
背中をこちらに向けたまま、メルザリッテが言った。
先ほどの問いは、恐らく肯定だ。それ以上のことを訊きたい気持ちは少なからずあったが、今はメルザリッテの口にした“今、成すべきこと”によって寄り道をしていた思考が正される。
シグルの群れ、というよりベリアルに向けてメルザリッテが構える。
その両手に燐光が集まっていく。
現れたのは単調ながらも洗練された造形の剣。
両手に一本ずつ握られたその剣は、今までに見たどんな結晶武器よりも美しかった。
「ここは、このメルザリッテ・リアンにお任せを。あなた様が望むのであれば、ひとりとして死者を出さないことを誓いましょう」
ただのメイドであれば、そんな言葉は蛮勇としか思えなかっただろう。
だがメルザリッテはあの“赤のアウラ使い”なのだ。
赤のアウラの力はベルリオットが身を持って体験しているし、どういうわけかメルザリッテの戦闘技量は恐ろしいほどに高い。
そしてなによりメルザリッテはベルリオットにとって誰よりも信頼できる家族である。
その彼女が任せてくれと言ったのだ。
信じるほかなかった。
「わかった。皆を頼む。あと、メルザもちゃんと無事でいろよ!」
「……承知しました」
肩越しでも、メルザリッテが微笑んでいるのがはっきりとわかった。
それを知れたことが嬉しくて自分も微笑んでしまうが、ベルリオットはすぐに顔を引き締め、大城門へと向かって駆け出した。
後方から激しく撃ち合う音が聞こえてきたが、振り向かなかった。
前庭を駆け抜けながら、ベルリオットは最近起こった不可解な事件を思い出していた。
王都内でいるはずのないガリオンに強襲された件。
南方防衛線での《安息日》に移ったあとの、モノセロス出現の件。
国王暗殺事件。
共通しているのは、全てにおいてシグルが出現していること。
リズアート……王族が居合わせたことの二点が挙げられる。
それだけを見れば、シグルが意図的に王族を狙っている、と考るのが有力だろう。
しかし知能がないとされるシグルが、明確な意図を持って誰かを狙っているなんてことは信じがたかった。
ただ、つい先ほど黒導教会が明らかにシグルを統率していた。
それはシグルの行動に意図を持たせられることを証明できる最大の材料となる。
とはいえ日陰者の黒導教会だけでは成し得なかった襲撃が多い。
リヴェティア民の中に手引きした者がいると考えるのが妥当だ。
ベルリオットはすでに、すべてを企てた犯人の目星がついていた。
王女の動向を知りえた人物。
ディザイドリウムの宰相に虚偽の密告ができる人物。
それらを可能にするのは、ひとりしかいない。
だが信じたくない自分がいた。
なぜならその人物が、父親を亡くしたベルリオットをずっと気にかけてくれていた、あの人だからだ。
リヴェティア騎士団団長。
グラトリオ・ウィディール。
――なぜ、あなたがっ!




