◆第三十二話『進むべき道』
今日は《災厄日》だ。
そしてもうすぐ正午がやってくる。
王族であり“繋ぎ”の役割を持つリズアートは、《運命の輪》がもっとも大陸に近づく正午に《飛翔核》にアウラを注がなければならない。
ゆえに公務を控え、ほんのひとときではあるが、今は憩いのときを過ごしていた。
ここは回廊に囲まれた中庭。
外の景色は窺えないが、綺麗に刈り込まれた芝、周囲に配された花壇、中央にある小さめの噴水が、疲れた体を癒してくれるような、そんな錯覚を抱かせてくれる。
リズアートはそっと噴水の囲いに腰を下ろした。
心持ち面を上げ、視界一杯に中庭の風景を収める。
王城の外に出られなかったリズアートにとって、ここはもっとも多く利用した遊び場だった。
初めは侍女たちに遊んでもらうだけだったが、それだけでは飽き足らず、騎士や政務官たちを引っ張ってきては、たくさん困らせた記憶がある。
そうしたのは楽しかったからだ。
けれど一番の理由は、この中庭が城内にいる人間――特に父親であり国王であるレヴェンの目に止まりやすいと思ったからだった。
そんな意図を汲んでくれたのか。
ここで遊んでいると、少しでも暇があればレヴェンは相手をしてくれるようになった。
侍女たちから教えてもらった花々の知識を披露したり、政務官が零していた政策を勝手に話して困らせたり。騎士から教えてもらった剣術をアウラを使って披露したときには、まだ早いと言って怒られたりもした。
本当に色々あった。
懐かしい思い出が次々に溢れてくる。
それらはどれも、父親に関係することばかりだった。
お父様……。
今まではエリアスが傍にいてくれたから、寂しさが紛れていたのかもしれない。
ひとりになったせいか、ふと込み上げてくる感情に身を委ねてしまいそうだった。
自然と顔を俯かせてしまった。
唇が震える。目じりに溜まった涙が視界を歪ませる。
涙が零れ落ちそうになったそのとき、辛うじて自制が勝った。
ぎゅっと目を瞑る。
だめよ、リズ。泣いたらだめ。あなたは王になったのよ。王は決して弱さを見せてはならない。立派に王を務める。それが、わたしを育ててくれたお父様への恩返しなんだから。
生まれたと同時に母親を亡くした自分にとって、薄情かもしれないが、本当に肉親と思える存在はやはりレヴェンだけだった。
そんなレヴェンに情けない姿を見せたくはなかった。
深呼吸をしてから、よし、と気分を入れ替えるように勢いよく目を開いた。
感傷に浸っていたせいで思ったより長居をしてしまった。
正午が近い今、各防衛線ではシグルとの戦闘も激化していることだろう。
防衛線で騎士たちが頑張ってくれているおかげで、王都はいつもと同じように平和なひと時を過ごせている。
本当に感謝しなければいけないと思った。
そんな彼らを楽にするためにも、自分は王としての務めを果たさなくてはならない。
繋ぎとしての役割を。
初めてということもあって少しだけ不安だった。
早めに《飛翔核》の元へ向かおうと立ち上がったそのとき、視界の端、回廊を造る幾つもの柱の裏に見知った人影を見つけた。
「そんな離れたところで見ているなんて悪趣味ね」
人影が、その姿を柱から曝した。
つい先日、リズアートの護衛となったイオル・アレイトロスだった。
訓練生から王城騎士へ異例の昇格。果ては王の護衛。
そのあり得ない無茶な抜擢の背後に、元老院が関与しているのは言うまでもない。
直立したイオルが右手を胸に当て、敬礼する。
「申し訳ありません。わたしが近くにいることを陛下は望まれていないようでしたので、できる限り距離をとるべきだ、と」
形式的なやり取り。
表情が硬いエリアスと違って、造ろうとしているのが見て取れるイオルの無表情がリズアートの心を苛立たせた。その苛立ちが表に出てしまい、イオルは“リズアートに近くにいることを望まれていない”と思ったのだろう。
「よく思っていないのはたしかよ。とはいえ、あなたも爺さんたちのだしに使われている身だしね。あなたを疎ましいと思うことはあっても、あなた自身を非難するつもりはないわ」
苛立ちはすれど、それが彼自身だけの問題ではないことを、リズアートは理解している。
本当に苛立つのは彼の造られた無表情ではなく、そんな顔を造らせてしまっているリズアート自身だった。
だからかもしれない。
どうにかしたいという気持ちが強くなった。
「もっとも、それはあなたが進んで行っていなければ、の話だけれど。……どうなの?」
我ながら意地の悪い質問だと思った。
一瞬目が合わさったかと思うや、イオルはさっと視線を逸らした。
その瞳が下向き、泳ぐ。
「わたしは……」
胸に当てていた右手が下ろされ、そこに拳が作られる。
ぎりぎりと音が聞こえそうなほど握りこまれていた拳から、ふっと力が抜けた。
だらりと指が垂れる。
「自分に力が……力があればと思っています」
「望んでいない、と?」
「いえ……。この道が最良なのだと判断し、自分で進みました。ですから、いかなる非難をも受ける義務が、わたしにはあります」
「そう。そこに間違いはないと?」
「……はい」
「なら、どうしてそんな辛そうな顔してるのかしら」
イオルが瞠目する。
自覚がなかったのだろう。
察するに、辛いという感情が表層には出ずに深層に沈み込んでいたのかもしれない。
その感情を認識し、今、彼は驚いている。
彼の本音を出すため。
心を揺さぶるため。
リズアートはわざとおどけてみせる。
「あなた、わたしの護衛についてからずっとそんな顔よ。まったく失礼しちゃうわ。自分で言うのもなんだけれど、これでも容姿の方はちょっと自信があるのよ。なのに、あなたってばずっと俯いてばかりで全然わたしと目を合わせようとしないんだもの」
「い、いえ。決してそんなわけでは――」
「イオル・アレイトロス。あなたに問います」
言って、しかと見つめた。
ただならぬ空気を悟ってか、イオルが姿勢を正した。
「あなたの主君は誰かしら」
「リズアート・ニール・リヴェティア女王陛下であります!」
即答。
待っていたその言葉に鷹揚に頷くと、リズアートは凛呼として言い放つ。
「であれば主として命じます。イオル・アレイトロス。あなたが、あなた自身が正しいと思った道を進みなさい。他者の言葉など耳に入れることは許しません。あなたが信じる正義の道を進みなさい」
この男が持っている矜持が人の何倍も強いことは、訓練校で同級生を前にしたときの振る舞いを見ていれば窺い知れた。
だからこそ誰よりも許せないのだろう。
背景にある強大な力のおかげで、立場を上げていく自分のことが。
イオルが俯き、全身を震わせる。
「なぜ……でしょうか」
「……なぜ?」
「一介の騎士でしかないわたしに、なぜそのようなお慈悲を下さるのですか……」
リズアートの行動が理解できないという。
答えは簡単だ。
それは、イオル・アレイトロスだけに向けた言葉ではないからだ。
「民だけじゃない。騎士も、王にとっては守るべき存在よ。まだ頼りない王かもしれないけれど……。爺さんたちからあなたを守るくらいはできると思うわ」
それに、と続ける。
「わたしは皆の指標にならなければならない。だから道は選べない。だからせめて、皆にはわたしの分まで好きな道を選んで欲しいの」
これは自己犠牲の考え方なのだろう。
しかし王族に生まれた身として、それぐらいの覚悟はとうにできている。
ただ、覚悟をしたとしても辛いと思う感情がないわけではない。
だから皆には笑っていて欲しい。
遠く離れた道から笑顔を見せてくれれば、王として選んだ道が間違っていなかったのだと思える。辛い感情を、嬉しさで塗りつぶしてくれる。
結局は、自分が心を痛めないため、無意識に働いた防衛本能なのかもしれないけれど。
そう思って、リズアートは苦笑を漏らした。
「なぜ……なぜそんなにも…………。わたしは、わたしは陛下を……っ!」
イオルは未だ俯いていた。
泣いてはいないが、彼が涙もろい性格だったなら、きっと泣いていただろう、と。
そう思わせるほど、声が震えていた。
イオルがなにか続きを言おうとした、そのとき――。
轟音がひびき渡った。
低く鈍い音だ。どこか地鳴りに近い。
「な、なに今の。すごい音だったけど。って、またっ!」
中庭は周囲が高い壁で覆われているため、音の出所がわからなかった。
ただ、城内から聞こえた音ではないことはたしかだ。
もう少し遠い場所――。
間隔は長めだが、轟音は断続的に聞こえてくる。
いつまでも驚くばかりではいられない。
状況確認に動こうとリズアートは足を踏み出すが、すぐに止まる。
イオルが割って入ってきたのだ。
「陛下、今すぐにリヴェティアからお逃げ下さい!」
その顔は、先ほどまでの弱々しいものではなかった。
切羽詰った様子のイオルを前に一瞬たじろいでしまうが、リズアートはすぐに勢いを取り戻す。
「に、逃げろって。今の音聞いたでしょう!? 確認しに――」
「陛下はあの方にお命を狙われているのです!」
「あの方……? それに命って」
突如、イオルが口にした言葉は、いかに非常事態とはいえ無視できないほど物騒なものだった。
「そ、それは――」
「おやおや、こんなところにおられましたか。お捜ししたのですよ、陛下」
聞こえてきた声に、イオルの顔が一瞬にして青ざめた。
声の主は、イオルの後方から歩いてくる。
普段ならば何気ない会話をする相手だ。
しかし目の前にいるイオルが、ただならぬ空気を醸し出していた。
だから。
直感的に。
現れたその男が、“あの方”なのだとリズアートは悟った。




