◆第三十話『和解』
翌日、《災厄日》。
ベルリオットはリヴェティアポータスにやってきていた。
ポータスが位置するのは王都南部外郭門前である。
ストレニアス通りを横断して造られたその敷地は、六千以上もの人を収容できるリヴェティア王城前庭とほぼ同等の面積を誇る。
分割された区画には飛空船が整然と並んでいた。
長期貿易許可証を発行している場合は指定の停泊所が用意されるため、円滑に離着陸が出来る。そうでない場合は自由発着場と呼ばれる、管理者が毎回立ち会う場所でしか離着陸が出来ないため、かなりの時間を要することになる。
今も引っ切り無しに離着陸する多くの飛空船の中、一軒家ほどの大きさを持つ箱型の飛空船に目を引かれた。
物資輸送用の大型機である。
積載量が多いため、商売人や運び屋たちに好まれている機体だ。大陸間の貿易はこの大型飛空船に支えられているといっても過言ではない。
ベルリオットは、ポータスの中央にある横長の二階建て石造建物――管理所へと入った。
ここでは離着陸した飛空船、またポータスが所有する貸出用飛空船のすべてを管理する場所である。
中は、幾つもの受付机が左右に配され、その前に人が並ぶ光景ばかりだった。
人の往来も激しいが、《災厄日》でなければもっと多くの人で溢れかえる。
手前の区画を通り過ぎ、ベルリオットは奥側へと向かう。
最奥周辺が貸出用区画で、そこでエリアスと待ち合わせの約束をしていた。
昨日の別れ際、無愛想に「明日の十時に、ポータス管理所の貸出用区画で待っています。遅れないでください」とだけ告げられたのだ。
それ以上は話すことはない、という感じだった。
正直に言うと、エリアスと二人きりというのはかなり気まずかった。
モノセロス五体を撃破したあのとき。
彼女から放たれた言葉が未だベルリオットの心の奥底に深く突き刺さり、内側からちくちくと責め続けているのだ。
謝れば……この胸のわだかまりは晴れるのだろうか。
だがエリアスのあの高圧的な物言いを思い出すと、どうしても謝ろうという気にはなれなかった。それになにより、俺が倒さなければ、という恩着せがましく、そして浅ましい考えが少なからず自分の中にあった。
だから、こちらから謝る必要なんてない、と。
考えているうちに、ベルリオットは最奥部の貸出用区画に到着した。
やたらと目立つ女性騎士が目に入る。
エリアスだ。
どうやら先に来ていたらしい。
「遅いですね」
「あんたが早いんだ」
「騎士団内の階級は貴方の方が低いのですから、もっと早く来るべきです」
「はいはい、わかりましたよ。お偉い王城騎士様を待たせて申し訳ありませんでした」
会って早々にお叱りを受け、ベルリオットの気分は一気に下降する。
気づけば皮肉たっぷりの言葉を返していた。
やっぱこいつに謝るとか死んでもごめんだな……。
さっそと用事を済ませてしまいたい、と足を進めようとするが、エリアスが動こうとしなかった。
そればかりか、じっとこちらを見つめてくる。
その切れ長の双眸は鋭く、責められている気分に陥る。
「な、なんだよ? まだなんか言いたいことでもあるのか?」
たじろぎながら、ベルリオットは言葉を搾り出した。
いったいなにを言われるのか、と身構えていると、
「先日は思慮に欠ける発言をしてしまい、申し訳ありませんでした」
エリアスが、がばっと勢いよく頭を下げた。
あまりの予想外な行動に、ベルリオットは唖然としてしまう。
周囲の人間もいったいなにごとかと注目し、ざわつく。
頭を下げたまま、エリアスが続ける。
「あのとき、なによりも先に感謝の意を伝えるべきでした。それなのにわたしは……責めるばかりで“貴方がモノセロスを倒さなければもっと多くの犠牲が出ていた”という事実を見ようとしなかった。貴方には周りを見ろと言っていて、自分は逆に周りだけしか見ていなかった。わたしは自分が恥ずかしい……」
「ちょ、ちょっと待てって。待ってくれっ」
エリアスの言葉をすぐに理解できなかった。
というより、周囲から向けられる奇異の目によって思考が邪魔されたのだ。
衆人環視の中、女性に頭を下げられるのが、これほど居た堪れない気分になるとは思いもしなかった。
あたふたしながら、ベルリオットは両手を中空に泳がせる。
「と、とにかく頭上げてくれって」
「いいえ。貴方が許してくれるまで、この頭を上げるわけにはいきません」
「許す、許すって! だから――」
「そのような投げやりな言葉では納得できません」
なんなんだこいつは! 強情にもほどがあるだろっ!
こうしている間にも、騒ぎを聞きつけてか人が増えつつあった。
それに連れて、ベルリオットの焦りも倍増ししていく。
「だーっ、ちょっとこっちこい!」
「な、なにをっ?」
意を決して、ベルリオットはエリアスの右手を取って走り出した。
彼女はびくっと体を震せていたが、さした抵抗もせずついてくる。
受付のすぐ隣にある鉄扉を開け、管理所の外に出た。
陽光が照りつけ、むわっとした空気が肌を撫でる。
両脇には膝ほどの高さの塀。
石畳の通路を駆け抜け、ひと気の少ない場所で足を止めた。
乱した呼吸を整える。
ふと手を繋いだままでいることに気づいて、ベルリオットは慌てて手を離した。
エリアスの顔をろくに見ずに、言う。
「ば、場所を考えてくれ……」
エリアスが申し訳なさそうに表情を陰らせた。
わずかに乱れた息を整えてから、語り始める。
「ですが、あれからずっと考えていて……。自分に非があったと整理がついてからは、貴方にいつ謝ろうかと機会を窺っていたんです。昨日は、その、違うことで頭が一杯でしたから……。今日は貴方に会ったら真っ先に謝ろうと思って、それで……」
いつもは何者も寄せ付けない刃物のような鋭い空気を纏っているのに、訥々と語る今の彼女は、触れば壊れてしまう脆い硝子のようだった。
ベルリオットは胸の内にあった毒気がすぅっと抜けていくのを感じた。
なんというか、先に謝りたくないと考えていた自分が馬鹿らしく、そして自らの精神的な幼さを思い知らされた。
エリアスに向き直る。
左手で胸元を押さえ俯く彼女に向かって、ベルリオットは微笑を浮かべながら口を開く。
「あんたってほんと真面目だよな。俺なんかに頭下げてさ」
「そんなことは……」
「自分が間違ってたとしても、下の人間に頭を下げられる奴なんてそうそういないぜ」
「間違っていれば正すのが騎士のあるべき姿です」
「そういうところが真面目なんだよ」
エリアスはなにか言い返そうとしていたが、ベルリオットは間髪を容れずに継ぐ。
「たしかにあんたが考えていたことは俺も引っかかってた。俺が倒さなかったら、ってな。でもな、あのとき、あんたが言ったことがやっぱり正しいんだよ。俺は周りが見えてなかったし見ようともしていなかった。皆を護るよりも敵を倒すことを優先してた。それじゃ、やっぱりダメなんだ」
「ですが、それでは現実的に難しい場合も出て――」
「目指すのは最高の結果。それでいいんじゃないかって思う」
「最高の結果……?」
「あぁー……知り合いの押し売りなんだが、自分が笑えて相手も笑えれば最高じゃないかってな。もちろん最高にならないときだってあるかもしれない。そのときはそのときだ。悔やむなら悔やむしかない。けど、最高の結果を目指さなきゃ最高の結果は得られない。皆が笑顔でいられる結果を目指して、俺たち騎士は剣を取らなきゃならない」
今、こうしてエリアスに話すまで形になっていなかった考えだった。
いや、本当はすでに自分の中で答えが出ていたのかもしれない。
邪魔をしていたのはベルリオットのちっぽけな誇りだ。
そしてそれを取っ払ってくれたのは他でもない。
エリアスだった。
「これが正しい答えかどうかはわからないけど。でも、俺なりに出した答えだ。そしてこの答えにたどり着けたのは、あんた……エリアスのおかげだ」
「わ、わたしはなにもっ」
「……ありがとう」
深く頭を下げた。
謝るよりも、感謝をする方が合っている気がしたのだ。
どんな言葉が返ってくるのか。
待っている間が酷く長く感じられたが、やがて呆れ気味なエリアスの声が頭上から降ってきた。
「真面目なのはどちらですか……まったく。頭を上げてください」
言われてからも、ベルリオットはしばしその体勢を維持した。
それからゆっくりと面をあげると、穏やかな笑みを浮かべたエリアスが目に入る。
「すごく立派だと思います」
「って言っても、俺の取れる剣は鉄製になっちまったけどな」
腰の帯剣の柄を握り、ベルリオットはおどけてみせた。
エリアスの表情が途端に曇る。
「その、アウラが使えなくなったのは、やはりわたしの――」
「ああ、違う。いやまあ、たしかに引き鉄にはなったかもしれないが……。でも、いつかは同じ問題に直面していたと思う。きっと遅いか早いかの違いだったんだよ」
「そうだとしても、また使えるようになるとは……」
「まー、今までだってこいつ一本でやってきたんだ。こいつで、やれるだけのことをやってくさ。だから、エリアスが気にする必要はねえよ」
「はい……」
我ながら似合わないと思いつつも、ベルリオットはエリアスを安心させるために精一杯笑った。
返ってきたのは苦笑だったが、それでも俯いているよりはましだと思った。
「とりあえず、この話は終わりにしようぜ。そろそろ行かないと時間やばいだろうしな」
「そうですね。ただでさえアウラ要員はわたししかいませんから」
「ぐっ」
「気にしなくていいと言ったのは貴方ですから。文句は受け付けませんよ」
「こ、こいつ……」
どうやら軽口を叩けるぐらいには調子を取り戻したらしい。
それだけでなく、ふふっと微笑むエリアスからは、今までの雰囲気とは一転して柔らかなものを感じられた。
これまでしかめっ面ばかり見ていたからか、どうにも彼女に微笑まれると調子が狂う。
毒気を抜かれ、ベルリオットは思わず微笑を浮かべた。
「あらあら随分と仲がよろしいようですね。ついこの間までの様子からは、さすがにこれは予想できませんでした」
唐突に頭上から聞き慣れた声が降ってきた。
姿を見なくてもわかる。
メルザリッテだ。
陽射しが一瞬遮られたかと思うや、濃緑のアウラを纏ったメルザリッテがベルリオットのすぐ傍にすとんと着地した。
纏っていたアウラを解放した彼女に、ベルリオットは疑問を口にする。
「メルザ? なんでここに」
「わたくしも同行させていただきます。よろしいですね?」
「いや待て待て。なにがよろしいですね、だよ。前の防衛線のときも言っただろ。俺らは騎士団の任務で行くんだって」
「前回はそれで引き下がりましたが、今回はそうはいきません。メルザはもう、ベル様が傷つくのを見ていられないのです……」
「き、傷つくの前提かよ……」
「前回、死にかけて帰ってきたのはどこのどなたですか?」
「お、俺だ……」
その節では、三日も目を覚まさなかったために、メルザリッテに多大な心配をさせてしまった。
おかげでその話を出されては、ベルリオットは返す言葉がない。
論点を変えなければ。
「てか、今回はそんな危ない話じゃないって言っただろ。ただあっちのお偉いさんとちょっと会うだけだ。だから、な。大人しく家で待っててくれないか」
「嫌です」
「嫌ですっておい。子どもじゃあるまいし……。なあ、エリアスからもなんか言ってやってくれよ」
前回、メルザリッテを追い返したのはエリアスだった。
今回もきっと上手く言いくるめてくれるだろうと踏んで助けを求めたのだが、
「いいでしょう。メルザリッテ・リアン。貴方の同行を許可します」
返ってきた言葉は予想外のものだった。
しれっとした顔で言われ、ベルリオットは何度も目を瞬かせる。
「へ? 悪い、聞き取れなかった。もう一度頼む」
「いえ、ただアウラ要員が欲しかったので、ちょうどいいかな、と。飛空船の補助をお願いできますか?」
「はいっ、お安い御用ですっ」
胸の前に両手を組み合わせ、メルザリッテは満面の笑みで答えた。
つられてか、エリアスも微笑んでいる。
そんな二つの笑顔を前にして意を唱えるなんて野暮なことを、さすがにベルリオットもできはしなかった。




