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◆第二十七話『風』

 夢を見た。

 それはベルリオットが幼い頃の、まだライジェルが生きていた頃の夢だ。

 場所はリヴェティア郊外にある浮遊島アーバス。

 浮遊と言っても実際に浮いているわけではない。

 隆起した土が削れ、まるで浮いた島のように見えることからつけられた名前だ。

 地面はでこぼこしているものの、土の栄養が高いらしく、どこも雑草が生い茂っている。

 こうした浮遊島は各大陸に幾つも存在する。


 木の棒を剣代わりにして、ベルリオットは父親であるライジェルから剣術を教えてもらっていた。

 いや、教えてもらっていたというのは正しくないかもしれない。

 実戦形式で、子どもに向ける攻撃とは思えないほどの連撃を繰り出されていた。

 木の棒で打ち合う音が鳴りひびく。


「おらおら、ベル! そんなもんかー?」

「くぅっ――」


 それでも毎日のように繰り返していると、ある程度は受けられるようになっていて。

 今日は半刻ほど耐えていたのだけれど……。

 ついに疲労が限界に来て、木の棒を弾かれてしまった。


「あっ――」

「はい、俺の勝ちー」

「くっそー! あと少しで勝てたのに!」

「どこかだよ。ずっと受けに回ってただけじゃねえか。でもま、随分上達したよ」


 慰めに耳を貸さず、ベルリオットはふてくされ気味にすとんと座り込む。


「僕もお父さんみたいに強くなりたいなー」


 ライジェルも向き合うように胡坐をかいた。

 彼はぼさぼさに伸びた髪を後ろにかきあげている。

 まったく汗の滲んでいない額があらわになっていた。


「全然汗かいてないし」


 ベルリオットはぷくっと頬を膨らませる。


「強いってのもいいことばっかじゃねえぞ」

「ええ、弱いよりいいよ」


 ため息をつきながら、ライジェルが困ったような顔をした。

 それを見て、なにか悪いことを言っちゃったかな、とベルリオットは不安になる。

 けれど違ったようで、ライジェルは優しく語り掛けてきた。


「なあ、ベル。お前はどうして強くなりたいんだ?」

「ん~お父さんに勝ちたいから」

「それは無理だな」

「ひど! 子どもに夢見させろよー」

「俺は現実主義なんだよ」

「むぅー」


 また頬を膨らませたベルリオットに、ライジェルが再び訊いてくる。


「じゃあよ、絶対に無いが……万が一にも俺を倒したらどうすんだ」

「んー、わかんない。そんとき考える」

「おいおい。ったく、そういういい加減なとこは俺に似ちまいやがって……」

「顔は似てないって言われるけどね。お父さん、髭濃いし」

「だあってろ。お前もいつかぼーぼーに生えるっての」

「えー、いやだなー」

「お前ってやつぁ……父親をなんだって思ってるんだ」

「ただのおっさん」

「おまっ」

「でも、すっげー強い。自慢の父さん」

「ばっ――。たく……不意打ちで恥ずかしいこと言うんじゃねえよ」

「へへへ」


 赤面した顔を見せぬようそっぽを向いたライジェルに、ベルリオットはしたり顔で笑った。


「……まあ、強くなってどうしたいか。それをちゃんと考えるこったな」

「考えたらどうするの?」

「考えて考えて……本当に力が必要だって感じたときは……そんときは、こう空に向かって叫ぶんだ」


 天を仰ぎ見ながら、ライジェルが言う。


「アウラ・ウェニアースってな」


 誰かを呼ぶかのような声だった。

 答えるように風が吹いたのは気のせいだろうか。

 ベルリオットは首を傾げる。


「あうらうぇにあーす?」

「おう。風よ来いってな。アウラってのは風じゃあねえけど、風が力の源だって俺ぁ思ってる。だから風さえあれば俺たちはどこまでも飛んでいける。そんな存在なんだってな」

「僕もちゃんとアウラを使えるようになる?」

「まだ無理だろうがな。だが、いつかきっと使えるようになる。俺が保障してやる」


 その自信たっぷりの言葉に、ベルリオットは胸が熱くなるのを感じた。


 アウラが使えるようになる!


 それだけでベルリオットを動かすには充分だった。

 勢いよく立ち上がり、天に手をかざす。


「よーし、試しに叫んでみる! あうらうぇにあーす!」

「だからまだ早いっての」

「やってみなきゃわかんないだろー! あうらうぇにあーす! あうらうぇにあーす! あうらうぇにあーす!」


 それからどれくらい叫んだだろうか。

 わからないけれど、陽が落ちるまで叫んでいたのは覚えている。

 叫び声がどんどん遠くなっていく。

 自分の姿が小さくなっていく。

 やがてなにも感じられなくなったとき、真っ白な世界から暗転した。

 ふと蘇った全身の感覚に、ベルリオットは覚醒する。

 ゆっくりと目蓋を上げ、半身を起こした。

 呟く。


「夢……か」


 よりにもよって親父の夢を見るなんてな……。


 自嘲しながら、ベルリオットはベッドから起き上がった。

 身支度を整え、階下のリビングへと向かう。



 リズアートの誕生祭は国王暗殺事件という悲劇によって強く塗り替えられた。

 暗殺が行われたあのとき、激昂した騎士団長グラトリオが犯人を追撃したものの、ついに捕縛することはできなかったという。

 それほどの手練だったこと、そして謎の遠隔攻撃が事件の真相を一層深めた。

 国民が悲しみに浸る間もなく、王位が空いてしまったことによる問題が浮上。

 追悼式が行われると、すぐに戴冠式が行われリズアートはリヴェティアの女王として即位した。

 国王の死という大きな傷を負った女王を心配する声もあったが、それを一切感じさせない見事な振る舞いで公務をこなしているという。


 あれから早くも五日が過ぎた。

 リヴェティアが激動の日々を送る中、

 ベルリオット・トレスティングは、まるで違う世界に生きるかのように静かなときを過ごしていた。


 早朝。

 トレスティング邸のリビングにて。

 椅子に座り本を片手に持ちながら、ベルリオットは爽やかな茶の味を楽しんでいた。

 足を組みながら、深く背もたれに寄りかかる。

 椅子の前脚二本が浮き、ぐらぐらと不安定な体勢になる。

 その揺れがまたなんとも心地よく、やめられない。


 片手に持っている本はかなり分厚く、ずしりと重い。

 実は持っているだけで、そこに書いてある文字など一切頭に入っていなかった。

 ただぼうっと眺めている。

 それだけだった。

 机に置かれた茶入り陶器を口元に運ぶ。湧き立つ湯気が爽やかな匂いを届けてくれる。


「ベル様、お行儀が悪いです」


 傍に控えるメルザリッテにたしなめられた。

 いつまでも温かい茶を飲めるのは彼女のおかげだった。

 けれどそれが頭の中で感謝という言葉に構築されることはなかった。

 頭がなにも考えようとしない。そんな感じだ。

「ああ」と何度目かの生返事をして、また茶を口に含み、カップを置く。

 どれくらい時間が経ったのか。

 しばらくすると、メルザリッテから声がかかる。


「ベル様。もうすぐ訓練校のお時間です」

「あ、ああ」


 閉じた本を机に置き、気だるげに立ち上がった。

 脇目も振らずに玄関へと向かう。

 扉の前まで来ると、またメルザから名前を呼ばれた。


「これを」


 差し出されたのは、ベルリオットがいつも携帯している長剣だった。

 受け取ろうとベルリオットは右手を伸ばし、触れる寸前でぴたりと動きを止めた。

 すっと手を引く。


「いや……今日は置いてく」

「そうですか」


 短くそう答え、メルザリッテは剣を持った手を下ろした。

 外出時、ベルリオットはその剣を片時も放したことがなかった。

 アウラが使えるようになっても同じだ。

 その剣を持っていかないと言ったのだから、少なからずメルザに追求されると思っていた。

 だが意外にも追求はなく、そればかりか慈しむような笑みを向けられる。

 思わず目をそらしてしまった。


「なにも……言わないのか?」

「はい」

「相変わらず甘すぎるよ、お前は」


 剣のことだけではない。

 ここ数日のベルリオットの素行について彼女は知っているはずなのに、なにも咎めようとしない。


「ベル様限定です。なんでしたら抱擁もおまけしますよ」

「なんのおまけだよ。……それじゃ行ってくる」

「はい。行ってらっしゃいませ」


 メルザリッテに見送られ、ベルリオットは屋敷をあとにした。

 いつもどおりに接してくれる。

 それが嬉しくもあり、逆に心の傷を的確に突かれているような気分だった。

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