◆第二十六話『暴走』
誰もが唖然としていた。
ベルリオットも同じだった。
なにが起こったのか。
光の線が国王を貫いた。
貫かれた王は天空の間から落ち、動かなくなった。
ただそれだけしかわからない。
真っ先にリズアートが動いた。
着飾ったドレスを棚引かせ、アウラを使い天空の間より飛翔する。
すぐに国王の傍らに着地すると、国王の体を揺らした。
流れ出た鮮血によって純白のドレスが真っ赤に染まっていく。
リズアートの顔が悲痛に歪む。
「うそ……うそっ……。なにこれ……なんなの……なんでなの…………」
彼女が涙を流したのを皮切りに、そこかしこで悲鳴があがった。
その場で膝を折る者もいる。
「誰がやったぁああああああああああっ!!」
怒り狂ったように騎士団長グラトリオが叫んだ。
濃紫のアウラを撒き散らしながら猛烈な勢いで飛翔する。
向かう先は、国王を貫いた一条の光の出所である西時計塔の屋上。
そこから二つの紫の光が飛翔し、遠ざかっていくのが見えた。
「王様が……。な、なんなのこれ……。ねえ、ベルっ!」
「俺にもなにがなんだか……」
混沌とする現状に、さらなる混沌がやってくる。
突如として、貴族たちの間から黒くて太い柱が五本、天へと昇るように迸った。
やがてその黒い柱が収まると、中から巨大な物体が現れた。
漆黒の獣。
象徴たる一本の角は、数え切れないほどの犠牲を生み出してきた。
確認される中で最強最悪のシグル。
モノセロス。
ベルリオットは息をのむ。
「なんでモノセロスが……? どうなってんだよ、これ……」
「しかも五体同時にって……」
南方防衛線で対峙したとき、王城騎士が一斉にかかっても倒しきれなかったモノセロス。
それが五体も現れたのだ。
ベルリオットとナトゥールは愕然とした。
国王が死んだときとは異なる、身の危険を訴える悲鳴が、そこかしこから聞こえてきた。
全員が知っているのだ。
モノセロスの脅威を。
様々な燐光を散らしながら貴族たちが次々に飛翔し、前庭から離れていく。
逃げ遅れた貴族たちはモノセロスの発した衝撃波によって方々に吹き飛ばされ、何度も地面に体を打ちつけていた。
そこら中で幾人もの身体が不恰好に転がる。
悲鳴が、さらに強まった。
あちこちでモノセロスが突進を繰り出した。
地鳴りと共に、前庭の芝を土もろとも抉り散らしていく。
一般騎士が勇敢に挑みかかるが無残に散った。
その凄惨な光景を前にして近くにいた訓練生たちが「もう終わりだ」と口々にし、膝を折った。
訓練生であっても国民を護らなければならない。
その教えは訓練校に入ったときより体に深く刻み込まれてきた。
だから逃げられない。
逃げれば敵に背を向けたと笑いものにされる。
だからと言って、あまりの恐怖のために挑むことなどできないし、そもそも訓練生の敵う相手ではないのだ。
動揺が確かな恐怖に変わったとき、モノセロスに幾つもの黄色及び紫の光が飛び掛かった。
王城騎士だ。
見れば、五体すべてのモノセロスへと一斉に挑みかかっていた。
エリアスの怒号にも似た声が、前庭にひびく。
「一般騎士は諸公らの護衛をしつつ、後退! 教会の方々もここは我々に任せて、すぐにお逃げを! 訓練生たちもすぐにこの場から離れなさい! 我ら王城騎士が全力を持って敵の排除にあたります!」
突然の襲来だったためか、モノセロス一匹に対して王城騎士の人数調整ができていないようだった。数が充分なところもあれば少ないところもある。
「わたしは姫様の護衛に回ります! デイナート隊、リッケ隊、ホリィ隊、クノクス隊、ブグソン隊を中心に隊列を組みなおしてください!」
エリアスが後退し、リズアートの元へ向かう。
モノセロスが現れたことなど、リズアートの頭の中には入っていないようだった。
国王の頭を自らの膝の上に置き、その顔を見つめながら涙を流している。
「姫様! 今すぐにここから逃げてください!」
「いやよっ、お父様が! お父様が……っ!」
「ならば陛下の御身はわたしが――」
「触らないでっ!」
「姫様っ! どうかお聞き分けを!」
リズアートとエリアスが押し問答を繰り返している間。
五体のモノセロスはまるで示し合わせたように進行方向を定めた。
線が交わる場所にリズアートがいる。
その光景は、南方防衛線で戦ったモノセロスを想起させた。
奴らは明らかにリズアートを狙っている。
「ログナート卿! クノクス隊が崩れます! お急ぎを!」
モノセロスの衝撃波がリズアートに届かないよう、王城騎士は武器の代わりに造り出した障壁で押さえる。しかし衝撃波の威力は凄まじいらしく、一度で障壁を破壊され、さらには造り出した者をも吹き飛ばす。
一角が、じりじりと崩れていく。
「聖堂騎士の皆様はリヴェティア騎士の援護に回って差し上げてください。わたくしたちは自分の足で退避します」
「「「はっ!!」」」
クーティリアスの指示によって聖堂騎士が参戦した。
崩れていた一角が徐々に盛り返しを見せる。
エリアスの指示が飛んだ時点から、訓練生たちは待っていたと言わんばかりに前庭より逃げ始めていた。
戦わなくて済んだ。
その安堵からほっとする訓練生も多くいたが、現状を目にしてすぐにまた顔は歪む。
そんな中、ベルリオットは体が震え、動けずにいた。
恐怖による震えなのか、よくわからない。
ただ体中が麻痺したように動かなかった。
教師の叫び声が聞こえてくる。
「トレスティング! なにをしている! 早く逃げなさい!」
「ベルっ! ここにいたら巻き込まれるよ! 早く逃げよう!」
隣にいたナトゥールに、ベルリオットは腕を掴まれた。瞬間、はっとする。
ナトゥールが掴む力を弱め、諭すように話しかけてくる。
「怖い、よね。でも大丈夫だよ。王城騎士がなんとかしてくれるよ。だから、ベルはなにもしなくていいんだよ」
「なんとかしてくれるって……? どう見たって、やられそうじゃねえかよ……」
途中参戦した聖堂騎士の協力もあってなんとか持ちこたえているようだが、はっきり言って情勢はよくない。
今も、モノセロスとリズアートの距離がじりじりと縮まっていく。
俺、あいつに勝ったんだよな……。じゃあ、この震えはなんなんだ?
自分の震える手を見つめる。
これが怯えによるものでなければなんなのか。
わからないが、ベルリオットの心の中に、あるひとつの思いが芽生え始めていた。
試してみたい。
半ば無意識に倒したときとは違う。
今度は自分の意思で、今一度モノセロスに挑んでみたい。
しかし今度は五体。
一体のときとはわけが違う。
正気かと自問自答したそのとき――。
モノセロス一体を倒し《剣聖》と謳われたライジェルを越えられるのでは、との提案がベルリオットの脳裏を過ぎった。
ははっ……そうか。そうかよ……。なら、越えてやろうじゃねえか。
その思いを明確に意識したとき、片頬が緩み、引きつり笑いを浮かべていた。
「……トゥトゥ。お前、ちゃんと離れてろよ」
「えっ? ちょっとベルっ! なにを――」
ナトゥールがなにかを言いかける前に、ベルリオットは全身にアウラを集め、飛翔した。
身に纏うは薄赤のアウラ。燐光を散らしながら、前庭にいる誰よりも疾く翔ぶ。
右手に集めたアウラを凝縮し、結晶化させる。
現れたのは腕ほどの刀身を持った薄赤の剣。
だがモノセロスは巨大だ。
もっと大きな剣が欲しい。
そう思い、さらに右手の神経を尖らせ、剣にアウラを付与していく。
仄かな光が収束していき、固体化する。
出来上がったのは身の丈ほどの刀身を持った大剣。
そのとき、ベルリオットから見て手前に形成されていた王城騎士たちの戦列が崩れた。
モノセロスが抜け、リズアートに迫る――。
「うおあああああああああっ!!」
剣を突き出し、ベルリオットはモノセロスの横腹に激突した。
ガンッという音を鳴らし、剣先がモノセロスの頑強な肌に減り込む。
たたらを踏んだモノセロスが鈍い咆哮をあげる。
ベルリオットは止まらない。
突き刺した剣をさらに深く抉り込む。
岩のようなモノセロスに肌に足を突きたて、その体を右横腹から背中方向へと斬り裂きながら走る。
左横腹に到達したとき、とどめとばかりに思い切り剣を下へと振りぬいた。
断末魔をあげたモノセロスが弾け飛んだ。
無数の黒粒が小さな光球となり、空気へと霧散していく。
モノセロスの相手をしていた騎士たち全員が呆気にとられていた。
それらをベルリオットは気にも留めない。
南方防衛線のように一撃では倒せなかった。
だが。
いけるッ!!
確信したベルリオットは次の標的――近場のモノセロスへと狙いを定めた。
王城騎士や聖堂騎士が群がり、頑強な肌に攻撃を弾かれている。
攻撃が徹ってもかすり傷程度。致命傷には至っていない。
「どけぇええええええっ!!」
みだりに隊列を崩すわけにもいかないのか。
ベルリオットの叫びむなしく、騎士たちはモノセロスとの交戦を続ける。
「なんだお前はっ!?」
騎士たちの戸惑いの声。
構わずにベルリオットは間近まで接触した。
モノセロスの横腹近くの地に足を下ろし、勢いのまま腰を深く落とす。
大剣を左脇の後ろに流す。
一瞬の溜めののち、右斜めに振り上げる。
重い。
詰まるような感覚。
しかし斬れないわけではない。
裂帛の気合とともに振りぬく。
休みなく右から左への薙ぎ。突き。
――轟音。
どしん、と反対側へ横倒しになったモノセロスは動かなくなり、砕けた。
「次ぃっ!!」
騎士たちの目を無視し、ベルリオットは無意識的に次の標的――獲物を探す。
残りのモノセロスは三体。
同時に雄たけびをあげたかと思うと、群がる騎士たちを無視し、一斉にベルリオット目掛けて突進してきた。
ああ、それは正しい。正しいぜ……。
なにせベルリオットは、王城騎士が寄って集ってかかっても倒せなかったモノセロスをひとりで倒したのだ。脅威と判断し、一番に排除しようとするのは悪くない。
「でもな……今の俺は《帯剣の騎士》の頃とは違うんだよっ!!」
前方から三体のモノセロスによる突進。
突出した一体を後ろに流した。
後方からなにか聞こえた気がした。
が、地鳴りのような足音がベルリオットの意識をすぐに前へと向けさせる。
陽光を受け輝度を増した二本の黒い角が眼前に迫る。
ベルリオットは握っていた大剣を大気へと霧散させた。
地に足をつけ、両手を前に出し、構える。
と、咆哮をあげながら迫ったモノセロスの角を掴んだ。
全身にすさまじい衝撃が走る。
足で地面をえぐりながら、ずるずると後方へと押される。
だがすぐにその勢いは止まった。
それを見計らい、ベルリオットは角を掴んだままふわりと浮かぶ。
モノセロスの前足を浮かせると力任せに叩きつけた。
鈍い音とともに、モノセロスの下顎が地面を穿つ。
休む暇もなく後方から地鳴りが聞こえた。
振り返ると、先ほど流したモノセロスがこちらに向かってきていた。
ベルリオットは即座に、つい先刻に霧散させた大剣をふたたび造り出した。
突進を仕掛けてくるモノセロスの体の下に大剣を滑り込ませ、上へと振り上げた。
モノセロスが空高くへと突き飛ぶ。
後を追ってベルリオットも翔び、斬撃を繰り出す。
自分でも数え切れないほど、斬って斬って斬りまくった。
気づいたときには空中に浮いていたモノセロスが、あとかたもなく消えていた。
体が異様に軽かった。
思ったように体が動く。
自分の体ではないような、そんな感覚にベルリオットは捉われる。
眼下で、先ほど地面に叩きつけた二体のモノセロスが起き上がっていた。
前足を上げ、大口を開けている。
あれは衝撃波の構え――。
ふと、先ほど見た王城騎士たちの障壁が頭を過ぎった。
防御に特化した結晶。
アウラを扱い始めてから、まだ造ったことはない形状だが、結晶武器を造るのと原理は同じはずだ。
右手に大剣を持ち、左手を下方に突き出す。
頭に思い浮かべた形通りに意識を集中させる。
燐光が集まっていく。
輪郭を造っていき、凝固。
やがてベルリオットの全身を隠すほどの円形状の盾ができあがる。
同時、モノセロスの咆哮が耳をつんざいた。
放たれた衝撃波が大気を振るわせ、ベルリオットが造り出した盾に衝突する。
重い衝撃。
だが、耐えられる――。
凄まじい風圧が盾を避け、後ろへと流れていった直後。
自らの巨体をもろともせずに二体のモノセロスが跳び、向かってきた。
迎え撃つようにベルリオットは急降下する。
左手に造った盾を手から放し、新たに大剣を生み出す。
左右に一本ずつの大剣。
両手を横一杯に広げ、二体のモノセロスに切っ先を向ける。
「これで終わりだっ!!」
開けられた大口に大剣が突き刺さった。
モノセロスの体ごと落下する。
突き刺した大剣がさらに深くに到達する。
モノセロスの臀部が地面に接触する直前。
大剣が二体のモノセロスの体を貫いた。
一瞬の硬直を見せたモノセロスが爆ぜるように消滅する。
続いて地面に突き刺さった二本の大剣もベルリオットの手から離れ、霧散した。
「はぁ……はぁ……」
膝をついた状態から、ベルリオットはゆらりと体を起こした。
空を見上げながら、荒くなった呼吸を整える。
やった……やってやったぞ……。親父を越えた……。俺は親父を越えたッ!
腹の底から笑いがこみ上げてきた。
ライジェルの息子であるという強大な呪縛に、ベルリオットはずっととらわれていた。
ただアウラを使えるようになっただけでは完全には晴れなかった。
しかしその呪縛の鎖は、ライジェルの残した戦績を越えることで、ようやく解けたのだ。
これほどまで清々しいと感じたことはない。
最高の気分だった。
ふと、やけに静かなのが気になった。
周囲に目を向けたとき、棒立ちになった多くの騎士たちが目に入った。
そのどれもが、怖れに満ちた表情をしている。
なん、だよ……。
視界の端にリズアートが映った。
瞬間、ぞっとした。
傍に巨大な落石があったのだ。
上空を見れば、それが天空の間だったものだとすぐにわかった。
リズアートを避けるように落石が真っ二つに割れているのは、近くに立つエリアスが対処した結果だろう。
弾かれたようにベルリオットは飛翔し、リズアートの傍に向かった。
リズアートは膝上に乗せた国王の頭を見つめたまま、微動だにしない。
俯いているため、表情はうかがえない。
エリアスも無言で立ち尽くしている。
どんな言葉をかければいいのか、ベルリオットはわからなかった。
けれど、このままリズアートを放置するわけにはいけない。
「お、おい――」
「近寄るなっ!!」
遮ったのはエリアスの声だった。
いきなりのことに、ベルリオットは体がびくりとなる。
何事か、と。
次に聞こえてきたエリアスの声調から、彼女が怒っているのがひしひしと伝わってきた。
「貴方は……自分のしたことがわかっているのですか?」
「なにをしたって」
「この石は貴方がモノセロスと戦っているときに落ちてきたものです。危うく姫様の頭上に落ちるところでした」
「なっ――」
リズアートのすぐ傍にある落石。
これが自分のせいでできた?
その事実にベルリオットはさっと血の気が引いた。
数歩後退り、倒れそうになるのを辛うじて踏みとどまる。
とはいえ記憶にない。
モノセロスの進行方向には気をつけていた。
だとするなら衝撃波か。
あれは範囲が広く、見定めにくい。
気づけば、思考が弁解へと走っていた。
「いや、でも戦ってたんだから――」
「仕方ない……とでも言うつもりですか。ではあなたは、戦っているときならば自分以外はどうなってもいい、と。そう言うのですか。もしそうだと言うのなら、あなたに騎士になる資格はない」
騎士になる資格はない。
言われ、頭が真っ白になった。
冷たい瞳に射抜かれ、エリアスの抑揚のない声が耳に届く。
「貴方はまるで周りが見えていない。もう一度、辺りを見回してみなさい」
言われるまま振り返り、ベルリオットは前庭のすべてを視界に入れた。
上空には幾つもの光が浮いていた。
アウラで飛翔した人たちが遠巻きから様子を窺っているのだろう。
そしてそこかしこにいる騎士たち。
地に足をついている者や、中空で浮いている者もいる。
さらに下へ視線を向ける。
「――っ!」
あちこちで王城騎士が倒れていた。
うずくまったままの者や、無理やりに立とうとしている者もいるが、総じてただの怪我どころで済みそうにないのは明らかだった。
ベルリオットが手を出すまでは、王城騎士はひとりとして倒れていなかった。
では、なぜ。
「貴方がむやみやたらに暴れたことで隊列が乱れ、予期せぬモノセロスの攻撃に曝されたのです」
その言葉で、モノセロスと戦っていたときの自分の思考が甦った。
――ライジェルを越えられるかどうか、自分の力を試したい。
ただそれだけだった。
エリアスの言うとおり、周りのことなどまったく見えていなかった。
見ようともしていなかった。
ただただ自分のためだけに力を振るい、そして酔っていた。
結果、多くの騎士に傷を負わせてしまった。
これでは破壊の限りを尽くすただの化け物と変わらないじゃないか。
そこに行き着いたとき、全身が脱力していた。
無様に両膝、両手をついた。
「騎士の剣はなんのためにあるのか。今一度、自分の胸に聞いてみなさい」
頭上から降ってきたその言葉は耳に届かなかった。
事態の収拾をはかる声がどこか遠くに聞こえる中、ベルリオットはひとりうな垂れた。




