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◆第二十五話『歌姫』

 リヴェティア王城大城門を抜けた先。

 外城壁に囲まれた前庭に、およそ六千もの人が集まっていた。

 そのうちの約半数以上を政務官及び、貴族が占めている。

 リヴェティアのみならず、他大陸から招待された者も多くいた。

 思い思いの瀟洒な衣装に身を包み、彼らは前庭の中央に陣取っている。


 リヴェティアの一般騎士が、貴族を囲むように千五百ほど配されていた。

 王城騎士は内城門前の階段脇にずらりと並び、貴族と向かい合う形で待機。

 全員が結晶ではなく鉄製の剣を足下に突き刺し、柄尻に両手を添えている。

 こちらは二百人と少なめだが、一般騎士とは比較にならない実力を持つ者たちである。

 そこには空気を凍らせるような威圧感があった。


 リヴェティア騎士の訓練生たちも前庭にいた。

 といってもベルリオットたち最高学年のみである。

 左右の城壁に沿うように配され、中央へと向いている。

 教師からは経験を得るためとの説明を受けたが、裏ではただの飾り役であるともっぱらの噂だ。


「リズ様、綺麗だねー」


 ベルリオットの隣にはナトゥールがいた。

 彼女はうっとりとした表情で、王城騎士の遥か上空を見つめている。

 そこには中空に浮かぶ床があった。

 いや、厳密には浮いたように見える床だ。

 その床は、王城の最上階から伸びる通路によって支えられている。


 通路の下部には、たわませたような石造りの支柱が取り付けられている。

 ちょうど橋を中央で分断したような形だ。

 その浮いたように見える床は、天空の間と呼ばれている。

 天空の間には、貴族たちよりもさらに華美な衣装を身に纏い、注目を集めている人物が二人いた。レヴェン国王とその娘のリズアートだ。


 二人は椅子に座り、これから始まる祭事にそなえている。

 ベルリオットがいる場所からでは離れ過ぎているため、細かい装飾までは見えない。

 ましてや表情など窺えるはずもない。

 なんだかこの距離が、リズアートとの住む世界の差を表しているようだった。


 つい先日まで同じ屋根の下で暮らしていたのも、夢だったのではないかという気さえしてくる。

 勝手にやってきて、勝手に去って行った。

 何も言わずに。

 色々思い出していると、ベルリオットは無性に腹が立ってきた。

 先刻のナトゥールの言葉に、ついぞんざいに返してしまう。


「こっからじゃ綺麗もなにも遠すぎて見えないだろ」

「もう。ベルは相変わらず素直じゃないなぁ」

「相変わらずってなんだよ」

「あ、始まるよ」


 ちょうどいいとばかりにナトゥールが会話を中断した。

 大城門の向こう、ストレニアス通りから大歓声が聞こえてきた。

 この前庭に入れなかった国民たちも、王城の近くへと押しかけてきているのだ。

 そして彼らに送られてきた集団が大城門を潜り、次々に姿を現した。

 サンティアカ教会の者たちである。


 先導するのは、十人の威風堂々とした女性たちだ。

 白生地に空色で鮮やかに模様づけされた長衣を着込んでいる。

 彼女たちは教会の守護者――聖堂騎士である。

 聖堂騎士は二列になって、前庭の中央に設けられた道を進む。


 そのあとに続くのは、ゆったりと歩く女性たち。

 数はこちらも十人。

 聖堂騎士と同じ色彩だが、こちらは軽装ではなく肌の露出を極力抑えた法衣である。

 オラクルと呼ばれる彼女たちは、アウラを振動させることによって自らの声を強く、そして美しく昇華させ、人々に届けることを得意としている。


 最後に現れたのは箱型の物体だった。

 箱型といっても角はなく丸みがある。

 表面には金糸で描かれた精緻な模様。

 見たところ人一人が入れるぐらいの大きさだ。

 それは周囲を護る四人の聖堂騎士のアウラで浮遊しているらしく、地面の上を滑るように移動している。

 要人が乗っていると言わんばかりである。


 信仰者は性別を問わないが、サンティアカ教会は女性のみで構成されている。

 なんでも、女神ベネフィリアに処女を捧げることで聖なる加護を得ている、という理由らしい。

 理解しかねる、というのがベルリオットの感想だ。

 もっともそんなことを口にしようものなら異端者として吊るし上げられかねないため、口が裂けても言えないが。

 貴族たちの目が中央を歩く教徒たちに向けられる中、ナトゥールが言う。


「今回、聖都メルヴェロンドから《歌姫》って言われてる子が来るんだよ。しかもその子、わたしたちより年下なのにもう大司教になるかもって」

「で、そんだけ偉い奴にトゥトゥは“子”なんて言ってるが……いいのか?」

「……あっ! 聞かれて……ないよね?」


 きょろきょろと辺りを見回してから、ふぅと息を吐く。


「でもそれを言ったらベルもだよ。“奴”って」

「くっ」


 目を瞠ったベルリオットを見て、ナトゥールがくすくすと笑う。

 談笑している間に、教徒たちの先頭が王城騎士の近くまで到達していた。

 縦二列に並んでいた聖堂騎士が左右に分かれ、王城騎士たちと向かい合う。

 それに倣うように後ろの教徒も続く。

 やがて聖堂騎士の前に教徒が並び、横二列になる。

 聖堂騎士に引かれていた箱型の物体が動きを止めた。

 前面の壁が開き、上へと引き上げられる。


《歌姫》などと大層な呼び名がつけられた人物とはいかほどか。

 と、ベルリオットは値踏みするつもりで目を向ける。

 中から人影が現れた。

 その人物は、まるで静かな水面に降り立つ妖精のように、ふわり、と地に足をつけた。

 神秘的な美しさに、会場は呑まれたように静まり返る。

 ベルリオットは驚愕に目を見開いた。


「あ、あいつっ!」


 思わず声をあげてしまった。

 周囲の注目が集まる。

 はっとなって明後日の方向へ視線を向けて誤魔化していると、ナトゥールが潜めた声で訊いてくる。


「ベル、もしかしてあの子――じゃなくて、クーティリアス・フォルネア様を知ってるの?」

「いや、知ってるっていうか……さっき会った」

「ええっ」


 たしかめるように、ベルリオットは《歌姫》ことクーティリアスへと目を向けた。

 彼女が着ている法衣は他のオラクルたちの物よりもひと際大きい。

 子どもが大人の服を着ているような感じで、服を引きずるようにして緩やかに歩いている。


 遠く離れているため、細かい貌の造りまではわからない。

 しかしなにより、あの濃淡のある緑髪は忘れようがない。

 先ほどは服に隠れて見られなかったが、髪は腰まで伸びていて、量もかなりのものだった。

 あんな特殊な髪、見間違えるはずがない。


「失礼なことしなかった?」

「……むしろされた方だな」

「な、なにをされたの?」

「……」


 思い出すと、クーティリアスの体温や胸の感触が蘇ってきた。

 温かくて、大きかった。

 そしてなにより柔らかかった。

 一瞬でも押し黙ったせいか、ナトゥールから細めた目を向けられる。


「ベル……なんかいやらしい目してるよ」

「んなわけあるか。それよりほら、式に目を向けろよ」

「もう、すぐそうやって誤魔化す」


 唇を尖らしたナトゥールを余所に、ベルリオットはクーティリアスを見やる。

 クーティリアスは、左右に並んだ他のオラクルたちの真ん中に立っていた。

 高低差はあるが、そこは国王がいる天空の間の正面である。

 貴族たちへと振り返り、腰を下ろし目を伏せるだけの優美な一礼をする。

 流れるようにまた天空の間側へと身体を向きなおすと、一歩、二歩と前へ出た。


 国王とリズアートへ向けて、貴族たちよりも深く一礼したあと、クーティリアスは姿勢を正した。

 一拍前を置いたあと、両手を胸の前で組み合わせた。

 他のオラクルたちも続き、全員が薄緑のアウラを全身に集め始める。

 アウラの放出によってできる光翼が全員の背から現れたとき、それは始まった。


 クーティリアスによる独唱。

 大気を震わすオラクル独特の声は、まるで耳元で囁かれるかのような明瞭さを持っていた。

 聴き易く、それでいて優しい歌声。

 どこまでも澄み切っているのに、たしかな重みを持ってベルリオットの胸をひびかせる。


 やがてオラクル全員の声が、クーティリアスの歌に静かに重なっていく。

 幾人ものオラクルの歌声が反響し合い、壮大な歌へと変貌する。

 一切の楽器を使わずに、人はここまでの音を奏でることができるのか。


 不思議な昂揚感に包まれていく。

 オラクルたちが紡いでいるのは、人が浮遊大陸に住み着いたときから伝わる有名な聖歌だ。

 オラクル以外にも目を瞑り、祈るように口ずさんでいる者も少なくない。

 歌の意味は、こうだ。



 そこに滅びゆく世界がありました

 とある少年の家が壊れました

 これは大変だ 誰か助けを呼ばないと

 けれど少年の声は誰にも届きません。

 人々は平穏を演じ続けます


 そこに滅びゆく世界がありました

 また家が壊れました 今度はとある少女の家

 これは大変だ 僕が助けてあげないと

 少女と手を取り合い、少年は世界について考えます

 人々は遠くからこっそり見ています


 そこに滅びゆく世界がありました

 また家が壊れました 今度はすべての家

 これは大変だ 僕がどうにかしないと

 少年の声に誰もが耳を向けました

 人々は手を取り合い ようやく一歩を踏み出します


 そこは滅びゆく世界

 とてもとても希望に満ちた世界



 人の可能性を示した歌だという。

 ベルリオットはこの歌が嫌いだった。

 誰も少年に救いの手を差し出さなかったからではない。

 滅ぶことがわかっているのに、誰も最初から足掻こうとしないのがもどかしいと感じるからだ。


 もちろん色々なしがらみだってあるだろう。

 だからといって問題から目を背けていい理由にはならない。

 ベルリオットは、この歌の世界の人間たちに良い印象を抱けなかった。


 色々考えているうちに、歌が終わってしまった。

 歌の意味は好きではないが、オラクルたちの歌声自体は心地よい。

 それだけに途中から聞き逃してしまったことに後悔した。


 盛大な拍手が送られる。

 ナトゥールは「すごかったねー」と目を輝かせ、興奮を隠し切れない様子だった。

 前庭の雰囲気からも、《歌姫》なるクーティリアスを筆頭にしたオラクルたちの歌は大成功だったと言えるだろう。


 国王へ、次に貴族たちへと揃って一礼をしたあと、オラクルたちは二歩ほど下がってまた国王へと向き直った。

 立ち上がった国王が、天空の間の手すりに当たるぐらいまで前に出てくる。

 拍手がさらに強まった。

 遠目ながらも国王が大層ご機嫌なことが窺えた。

 頷きながら国王が右手を軽く掲げると、拍手が緩やかに収まっていく。

 掲げた右手を下げると、国王が大勢に声を届ける。


「実に素晴らしく、美しい歌声だった。そして我が娘、リズアートのために来訪してくれたこと、誠に嬉しく思う。サンティアカ教会と我がリヴェティアの友好は永久に続くことであろう」


 また拍手が起こった。

 聖堂騎士を含めた教会関係者が、国王へ一礼する。

 それがさらに国王の機嫌を良くしたようだった。

 先ほどよりも軽やかな動きで右手を掲げ、拍手の制止を呼びかける。

 膝ほどの高さの塀に手をかけ、王は前のめりになる。


「皆もよく来てくれた。国王として、この日、このときを迎えられたことを嬉しく――」


 ふいに、ベルリオットの背中に悪寒が走った。

 その原因がなんなのか。

 探る間もなくあるものが意識を傾けさせる。

 耳鳴りののち、幾つもの輪状の光を突き抜け、どこからか伸びたひと筋の光が国王の頭部を貫いた。


 一瞬の出来事だった。

 世界が止まったかと思った。

 それもそのはずだ。

 この場で唯ひとり喋っていた国王が、口を開いたまま動かなくなったのだから。


 王の体がぐらりと傾き、前に折れる。

 緩やかにずり落ち、上半身に誘われるようにして下半身が中空に投げ出された。

 長いようで短い落下が終わり、鈍い音とともに国王が地面に衝突した。


 国王は動かない。

 不恰好に寝たまま、ぴくりともしない。

 とろり、とこめかみから赤いなにかが流れ、地を染めた。

 悲鳴にも似たリズアートの声が、前庭中に響く。


「お父様っ!」

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