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◆第二十四話『王女誕生祭』

 九月一日(リーヴェの日)


 王都民が一切の危険を感じることなく《災厄日》は過ぎ、迎えた《安息日》。

 王女誕生祭が行われていた。

 ストレニアス通りでは、派手な衣装に身を包んだ者たちが絶えず行進を続けていた。

 演奏を披露する者たちもいる。

 そしらぬ顔で混ざる大道芸人も少なくない。

 ときおり騎士たちも姿を見せ、行進する。

 そのときは歓声がひと際強くなった。


 行進を避け、左右の建物に沿うように多くの人が往来する。

 普段は目にしない露天商がたくさん見られた。

 手に持って歩けるような軽食であったり、リヴェティア独自の工芸品であったり、様々な物が売られている。

 近年、これほど盛り上がったことはないのではないか。

 誰もがそう思うほど王都は盛大に賑わっていた。


 まいったな……。


 人の波に流されるまま、ベルリオットはだらだらと歩いていた。

 なにがまいったのか。

 端的に言えば、つい先刻、一緒にいたナトゥールとはぐれたのである。

 この雑踏とした中、捜しだすのはかなりの運がなければ難しい。

 どうするか、と自問した瞬間、


「きゃっ」「うおっ」


 右横から誰かに突き飛ばされた。

 人ごみから外れ路地に弾き出される。

 咄嗟のことだったので、ろくに受身も取れずに左肩から地面に倒れた。


「ってぇ……」


 言うほど痛くはなかったのだが、予想外かつ理不尽な出来事に愚痴をこぼさずにはいられなかった。

 ふと腰に重みを感じた。

 もぞもぞとなにかが動く感触。

 なんだか柔らかい。

 仰向けになってから、ベルリオットは恐る恐る半身を起こして窺う。


「いたたー……。って、ん? あまり痛くないです……」


 見知らぬ少女が、腹辺りに抱きついていた。

 濃淡のある珍しい緑髪が目に入った。

 彼女が纏った鈍色外套の中に毛先が及んでいるため、髪の長さがどれほどかはわからない。

 暗紅色の大きな瞳に小さめの鼻、とあどけなさを感じさせる容姿なのに、胸にはたわわに実った二つのふくらみがあった。


 なるほど先ほどの柔らかい感触はこれか、とベルリオットは心の中で頷く。


 しかしなんというか不均衡な造りである。

 身長はやや低めか。年齢は少し下といった印象だ。

 首を傾げながら、少女は緩衝材代わりにしたベルリオットの腹を見つめていた。

 それから徐々に視点を上げていき――。

 ベルリオットと少女の視線がようやく交差した。

 ぎりっと睨んでやる。


「おい」

「うっ。わー、睨まないでこわいこわいごめんなさいごめんなさい!」


 わめきながら、ぐりぐりと顔面を押し付けてくる。


「あー……もういいから早くどいてくれ。重い」

「お、重いーっ!? ぼくそんなに重くないよ! たしかに胸は結構あるけどー……。でもでも、お腹はきゅっとしまってるよ! 脚だってすらっとしてるし! こんのー!」


 乗っかったまま、ぽかぽかと腹を叩かれる。

 まったく痛くない。


 なんか面倒な奴に絡まれたな……。


「わかったわかった。お前は重くないどころかすっげー軽い。おまけに最高の身体だ。これでいいか?」

「えっ、そ、そんな目でぼくを見ていたの? た、たしかにぼくの身体はすごいからね。いやらしいことを考えちゃうのは仕方ないかもしれないけど」

「あー、くそっ! なんなんだお前は、めんどくさい奴だな!」


 もう無理矢理にでも退かしてやる。

 そう決めて少女の脇を抱えようとベルリオットが両手を伸ばしたそのとき、唐突に少女がぴくりと身体を震わせた。


「はっ、殺気――!」


 言って、素早い動きで少女はベルリオットに抱きついてきた。「なっ」と驚愕に目を見開くベルリオットを余所に、ぐるりと身体を横回転させ、体勢を入れ替えた。

 つまり、ベルリオットが少女に覆い被さる形である。


「お、おい! なに考えて――」


 少女の手によって抗議の声が塞がれる。


「しっ。少しだけ静かにしてて!」


 そこに先ほどまでのとぼけた雰囲気はない。

 真剣そのものだった。

 様子から察するに誰かに追われているのか。

 ベルリオットの背後を覗くように、少女はちらちらと大通り側へと視線を送っている。


 緊迫した状態。

 そう認識していることは少女の速い鼓動からもわかる。

 ただ、別の意味でベルリオットも緊迫していた。

 聞こえていた喧騒も遠ざかっていく。

 なぜか。


 息遣いが聞こえるほど少女の唇が近いのだ。

 緊張しているからか息は荒く、くすぐったく感じる程度に肌に当たる。

 甘い匂いが鼻腔をくすぐり、脳をとろけさせていく。

 ふと視線を下げると、ベルリオットの鍛え上げた胸筋が、少女の豊満な乳を蹂躙(じゅうりん)もとい押しつぶしていた。

 むにゅっとした感触に加えて形の変わった乳が、触覚、視覚の両方から脳を刺激する。

 痺れるような感覚が下腹部から脳に向かって流れ、相反して血が下半身へと流れていく。


 普段、メルザリッテによく抱きつかれているので、女性に免疫がないわけではない。ないのだが、見知らぬ人が相手だったり、こうした予想外の出来事にはどうやら弱いらしい。

 自分でも今、初めて知った。


 これ以上は……まずい。


「お、おい。まだか」

「もー少しだけ」


 潤んだ瞳で懇願されては断るわけにはいかなかった。

 ごくりと喉を鳴らし、嫌な汗をかきながら、しばらく待つ。

 すると後方の雑踏の中から気になる会話が聞こえてきた。


「おられたかっ!」

「いえ、見つかりません」

「まったく、どこに行かれたのだ……」


 やけに勇ましい女性の声だった。

 会話の内容から誰かを捜しているのだということはわかった。

 声は遠ざかっていき、やがて聞こえなくなる。


「よし、もういいよっ」


 少女の合図で、どちらからともなく身体を起こした。

 動揺していたことを感じ取らせたくなかった。

 平静を装いつつ、ベルリオットは即座に立ち上がる。


「ふぅ」

「いきなりごめんね。それとー、ありがとっ」

「おう」


 端的に答え、ベルリオットは服についた砂埃を払い落とす。

 少女も同じように埃を払っていたが、その手はすぐに止まった。

 恐る恐るといった感じで訊いてくる。


「訊かない……の?」


 なぜ追われていたのかについて、だろう。


「ん、ああ。なんか事情があるんだろ?」

「う、うん。そうだけどー……」

「だったら別に無理して話す必要ないだろ」

「そっか……。うん、そうだよね。ふふっ、予想どおりの人だなぁー」

「予想どおり?」

「ううん。なんでもなーい!」


 あからさまなとぼけ方だったが、ベルリオットに追求する気はなかった。


「よーしっ、目的も果たしたし! あと少しだけ遊んでくるぞぉー!」


 意気揚々と片手を挙げた少女が、大通りへ戻らんと背を向けた。

 その拍子に、少女の後ろ髪に砂埃がついているのをベルリオットは見つける。


「あ、ちょっと待て。そのままじっとしてろ」

「んっ」


 髪を払われている間、少女がぎゅっと目を瞑っていた。

 なんだか子どもの髪を洗っているかのような気分になる。


「さっき寝転んだときのだな。よし、これでいい」

「へへ……ありがとう」


 はにかみながら、少女が上目遣いを向けてくる。

 愛らしいそのしぐさに、ベルリオットはなんだか照れくさくなった。

 誤魔化しついでに彼女の髪をくしゃくしゃと撫で回す。


「あー、ぐちゃぐちゃにしたー!」

「ははっ、お前にはその方がお似合いだ」

「むーっ! 良い人だって思ったのにー!」

「自分で言うのもなんだが俺の性根は曲がりまくってるからな」


 ひひっ、と笑いながら少女は一歩下がった。

 一拍間を置いてから、柔らかな笑みを浮かべる。


「それじゃあね」

「おう。また誰かに体当たりなんかしないよう気をつけろよ」

「わかってるよもー」


 ぷくー、と頬を膨らませる。

 ベルリオットは人付き合いが苦手だと自覚している。

 なのに、いつの間にか少女に心を許してしまっていた。

 からかいたくなるのはもちろんなのだが、憎めない。


 それになんだか少女はなにか不思議なものを持っている。

 そう、ベルリオットは感じた。

 少し離れた少女が、振り返って満面の笑みを向けてくる。


「またね! ベル様!」


 元気よく手を振りながら、大通りへと戻っていった。

 少女の姿は人ごみに紛れ、流されすぐに見えなくなる。

 首を傾げる。


 なんであいつ、俺の名前を……?


 記憶を辿るも、あんな少女との面識はないとすぐに脳が結論を出した。

 ではなぜ、ベルリオットの名前を知っているのか。

 それだけではない。少女が残した「またね」という言葉。


 なんだか既視感を覚えた。



   ◆◇◆◇◆


 眼下では盛大な祭りが行われている。

 続々と他大陸からの来訪者が増えてきたのか。

 大通りだけでなく、家々の隘路(あいろ)にまで人がひしめいていた。

 人々の笑顔は見ていて眩しかった。

 一瞬、羨ましいと思ってしまう。が、すぐに頭を振ってその思いを払い落とした。

 これは雑念だ。自分には関係ない、と。


 西側の時計塔屋上。

 そこに、ジン・ザッパはいた。

 長身痩躯に黒ずんだ農緑の一張羅。

 主張の激しい頬骨と、極細の唇が特徴的だ。

 腕ほどの太さを持った筒のようなものを、ジンは両手に抱えていた。

 筒には無数の輪が通されている。輪の大きさは、尻部分から先端にかけて緩やかに増していくという、不思議な形状である。


「兄ちゃん、こいつらどうするよー?」


 鐘の裏側から、巨体の男が出てきた。

 巨体の男も、ジン同様に一張羅を羽織っていた。

 彼はドン・ザッパ。

 ジンの弟だ。

 ドンは脂がたっぷりと乗った体躯に加え、くりっとした目、だんご鼻、極太の唇、と兄であるジンとは似ても似つかない貌の作りをしている。


 ドンは白目を剥いた二人の男を引きずっていた。

 引きずられている男たちの胸元には、一本の剣を翼で包み込んだ徽章があった。

 それはリヴェティアの一般騎士を示すものだ。

 つまり王城騎士に入れなかった、“大したことのない騎士”である。


「そこらに放っとけ。それよりさっさと準備しろ。もうすぐ式典が始まるぞ」

「あいよー」


 動かなくなった男たちをぞんざいに投げると、ドンは隅に置いてあった大きな袋を手に取り、開けた。中から取り出されたのは樽型の容器。

 表面は光沢のある銀色で、照りつける陽光を余すことなく反射させている。

 その樽型容器の上部に空けられた拳大の穴を、ジンが持っていた筒の尻部分に接触、結合させる。


「今回の仕事はまじでやばそうだなあ。それにこの変な筒、本番で動くか心配だよ」


 ドンが樽型容器をトントン、と叩く。


「変な筒じゃなくてサジタリウスだ」


 神の矢フィーリウス・サジッタから捩られた名だ。

 大層な名ではあるが、しっくりとくるじゃないか、とジンは気に入っている。


「でもさー、いくらラヴィエーナ作って言っても、実際に使うのって僕らが始めてなんだろー」

「試し撃ちなら何度もしただろ。それとヴィエーナの家系は変人だが、実力は間違いない。振動することでアウラを結晶化させるトリミスタル鉱石。それを加工し、意図的に振動させることで手元から離れた結晶の形状を維持させる。こんな時代の先を行く武器を誰よりも早く扱えるんだぜ。最高の気分じゃねえか」

「僕にはよくわからないよ」

「……お前は黙ってアウラを詰め込んどけばそれでいい」

「ふぁーい」


 間抜けな声で返事をしたドンが、樽型容器の外側に取り付けられた半球水晶に右手を当てた。

 水晶を通し、身体に集めたアウラを樽型容器の中に注いでいく。

 その間、ジンはポケットから単眼鏡を取り出し、それを筒の上部に装着した。

 筒の先端を、屋上の塀に乗せる。

 左目をぎゅっと瞑り、右目で単眼鏡を覗き込む。


 見つめる先は――。

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