◆第二十二話『空虚』
二十七日(シェトの日)
翌日。
ナトゥールと共に校舎間を繋ぐ回廊を歩いていると、ベルリオットは二人の訓練生に道をふさがれた。
下級生の女の子で、どちらも小柄な体型だ。
もじもじとしながら上目遣い気味に話しかけてくる。
「い、いきなりですみません! ロロン・ヴィークルと申します」
「わたしはレジー・フェイルーです!」
「あの……」「えっと……」
「「握手してくださいっ」」
頭を下げながら、手を差し出される。
「あ、ああ。構わないが……」
ぞんざいに扱うわけにもいかない。
不器用ながらも腫れ物に触るように、順番に握手を返した。
ごつごつした感触はない。
どちらも小さくて柔らかな手だった。
「あ、ありがとうございます!」
蕾が今まさに花開いたような笑顔を返される。
なんとも照れくさい。
きゃあきゃあと大げさに声を出しながら、二人の下級生は嬉々とした様子で去っていった。
その後ろ姿をベルリオットが呆然と見つめていると、隣で様子を見守っていたナトゥールから細めた目を向けられる。
居た堪れなくなったので歩みを再開した。
だがナトゥールの追求は止まらない。
「ねえ、ベル。これで何人目?」
「……覚えてないな」
「覚え切れないほど多い、もんね」
呆れたように言われた。
実は、同じようなことを今朝から何度か経験していた。
おそらく昨日の演習結果、訓練校の序列上位者であるナトゥールとモルスを倒したという噂が訓練校内に広まったからだろう。
もともとモノセロスを倒したという噂も囁かれていた身だ。
先の演習結果が、疑われていたベルリオットの実力の真偽を証明した形になったのは言うまでもない。
とはいえ……。
「ここまで手の平を返すような態度だと、素直に喜んでいいのかわからないってのが本音だな」
悪い気はしない。
しないのだが、ろくに知らない人間から賞賛されたところで、一時の悦しか得られなかった。
ずっと求めていた、アウラを使えるようになった。
強大な力を身につけた。
結果、多くの人に認められた。
なのに――。
この上、自分はなにを求めているのだろうか。
なにが不満なのだろうか。
上手く言葉にできないが、心の中になにかが引っかかっていることだけは、はっきりと感じていた。
「仕方ないよ、急激な変化だったもん。わたしも一気に追い抜かれちゃったし。……はぁ~、これでベル専用の運び屋も用無しかぁ。ちょっと寂しいかも」
「俺としては最高の気分だ」
「薄情だね?」
むっとした表情を向けられる。
「なにが薄情だ。そりゃあ今までトゥトゥには何度も運んでもらって感謝してるけどな。それでも誰かに運ばれるってのはすげー恥ずかしいんだぞ。というか惨めな気分になる」
「そうかな? リズ様みたいな運び方だったらともかく――」
ベルリオットは無意識的に顔をしかめてしまった。
それに目ざとく気づいたナトゥールが、紡いでいた言葉を中断させた。
うつむき、ばつが悪そうな顔をする。
「……ごめん」
「なんで謝んだよ」
「だって」
言いかけて、ナトゥールは開きかけた口を閉じた。
続きを紡がないのはベルリオットに配慮してのことだろう。
きっと一瞬でもベルリオットが顔を崩したのを見てしまったから。
重い空気を払拭するように、ナトゥールがその顔に笑みを浮かばせた。
「リズ様、元気にしてるかな」
「さあな」
「寂しい?」
「メルザは寂しがってたけどな。俺は別に」
「ふーん……」
なにか意味ありげな表情をするものだから、「なんだよ?」とぶっきらぼうに問いかけてみると、「なんでもないよ」とはぐらかされてしまった。
気にはなったが、それ以上の追求は言いえぬ危険を孕んでいる、と本能的に感じ取ったため、素直に手を引いた。
「あ、そうそう。リズ様と言えば、もうすぐ誕生祭だね」
思い出したように、ナトゥールが言う。
「そういやあいつ、もうすぐ誕生日だって言ってたな。たしか、それから本格的に政務に参加することになるって」
「言ってたって誕生日のこと、姫様本人から聞いたの? 王族の誕生日は授業で習ってるはずだよ?」
「あー、なら、その授業のときは寝てたかもな」
「ときは、じゃなくていつも寝てるじゃん。だめだめだよ」
「わかったわかった。これからちゃんとする」
「もー、ほんとかなー」
疑いの目から逃れるため、早々に話題を戻す。
「……それで、あいつの誕生祭がどうしたって?」
「うん。だから、今年の誕生祭は大々的に行われるんだよ。ちょうど次の《安息日》に重なったっていうのもあるみたいだけどね」
「当日の王城騎士はさぞかし忙しいだろうな。前日の《災厄日》は防衛線に出征して、翌日の《安息日》には王都へ戻るんだぜ?」
「仕方ないよ。王族は騎士の護るべき象徴だし、騎士が護るべき国と民は王族ありきだもの。すべてを満たそうとするなら、騎士が忙しくなるのは当然のことだよ」
「まったく王族様々だな」
「ベ、ベルっ。滅多なこと言わないのっ! 誰かに聞かれたらどうするのっ」
たっぷりと皮肉を込めて放ったベルリオットの言葉に、ナトゥールが慌てふためく。
面と向かって王族であるリズアートに敬意を払っていなかった身としては、今さら取り繕うのも手遅れだと思った。
国王がどうかはわからないが、そもそもこんな言葉ひとつでリズアートが誰かを裁こうとする人間ではないことをベルリオットはよく知っている。
ふと思う。
これは、実は彼女に敬意を払っているのと同じ見解なのではないか、と。
それに気づいたベルリオットはなんだか可笑しくて、つい口元を緩めてしまった。
未だ慌てるナトゥールの髪をくしゃりと撫でる。
「心配いらねえよ。幸い、不敬罪にはならないらしい」
「らしい? ん、んー?」
首を傾げるナトゥールを置いて、ベルリオットが先を行く。
と、前方に見知った顔を見つけた。
イオルだ。
実は、先日の南方防衛線でベルリオットが気を失って以降、初めてイオルの姿を見た。
だからか、彼を見た途端、なにか違和感を覚えた。
いつもは威風堂々とした雰囲気を醸し出しているのに、今のイオルからはそれが感じられなかったのだ。
本来なら話しかけるのも避ける相手だが、
「おい」
なぜだか自然と声をかけていた。
しかしイオルは通り過ぎていく。
まるで声が聞こえていないかのような態度だ。
「無視かよ」
「……ん? なんだ、ベルリオットか」
ようやく気づいたらしい。
イオルが足を止めた。
「何か用か? 悪いが、俺は貴様のように暇ではない。用があるなら手短にな」
先ほどまでの憂い顔はどこへやら。
嘲り笑われた。
別に心配していたわけではないのだが……。
やっぱむかつな、こいつ。
ベルリオットはどうにか一泡吹かせられないかと考え、あることを思いつく。
「なあ、イオル。俺と一戦、やってみないか?」
「俺とお前が? はっ、笑わせる」
わざとらしく、こみ上げる笑いを堪えるような仕草をされた。
「力のない奴が、ある日突然なんらかの力を持てば調子に乗るというが、どうやら貴様はその典型的なタイプのようだな」
「んだと?」
「ちょ、ちょっとベルっ! 落ち着いて!」
掴みかかろうとするが、寸前でナトゥールに羽交い絞めにされてしまう。
眼前に伸ばされたベルリオットの手を、イオルが不愉快そうに一瞥する。
「なんだよ、逃げるのか? あ~、そうか。お前、俺に負けるのが怖いんだろ?」
「せいぜい好きなように吠えるんだな。貴様は、俺と対峙するに値しない」
言い残し、イオルは去っていった。
イオルなら挑発に乗ってくると思っていたのだが、相手にすらされなかった。
思い切り舌打ちをする。
「んだよ、イオルのやつ。すましやがって」
ベルリオットは強大な力を得た。
それは、エリアスでさえ倒せなかったモノセロスを倒せるほどの力だ。
訓練校最強と謳われるイオル・アレイトロスでさえ、凌駕していると断言できる。
だから、イオルが勝負から逃げたのも無理はない。
そう心では折り合いがついているのに。
ひどく胸糞が悪かった。




