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◆第十八話『王女の定め』

 燭台の頼りない灯りに照らされた部屋内。

 雑魚寝しながら騎士たちが睡眠をとっていた。

 よっぽど疲れているのだろう。

 そこかしこから寝息が聞こえてくる。


 日が変わって半刻が経ったころ。

 ベルリオットは未だ眠れずにいた。

 壁に背を預け、座り込んでいる。

 目を閉じて眠ろうと努めてみたものの、意識はなかなか落ちてくれない。


 別段、なにか思い悩んでいるわけではなく、ただ単に眠れないのだ。

 理由は、《災厄日》の防衛戦を初めて経験した興奮からかもしれない。

 決して防衛戦でまったく貢献できなかったからではない……と思う。思いたい。

 ふと、視界の端で誰かの動く気配があった。

 連動するように、蝋燭の火によって壁に映された影も動く。

 暗がりでもわかる見慣れた姿。


 ……イオル?


 どこに行くのか、と考えたすぐあとに、用でも足しに行くのだろう、という結論に到った。

 イオルが部屋から出て行く。

 一旦、意識がイオルに向いたからか。

 部屋にひびく寝息の合唱が、先ほどにも増して騒がしく感じた。


「……」


 眠れないし、外の風にでも当たってくるか。


 そう決めるや、ベルリオットは螺旋階段を上がり防壁通路へと足を運んだ。

 篝火が等間隔に置かれているため、真夜中でも足場をはっきりと確認できた。

 月夜の淡い光も好きだが、篝火の揺れながらも力強く燃える様も悪くない。


 見張り番の騎士とすれ違いながら、散歩がてらに防壁上を歩く。

 と前方に、外側の狭間胸壁(はざまきょうへき)に身を預ける人影があった。

 近づくうちに、段々とその影の姿があらわになっていく。

 リズアートだ。


 彼女もこちらに気づいたようで、ベルリオットに微笑を向けてきた。

 だが、またすぐに空へと視線を戻した。

 リズアートは、狭間胸壁の凸部分に組んだ両腕を置いている。


 手を伸ばしても彼女にぎりぎり届かない距離を置いて、別の凸部分にベルリオットは背中を預けた。

 リズアートとは身体の向きが反対になる形だ。

 この距離、体勢にしたのは、これが自然だと思ったからだ。

 深い意味は、たぶんない。


「眠れないのか」

「ええ。あなたも?」

「おっさんたちの寝息がすごくてな。うるさくて眠れやしない」

「なら、女性騎士の寝床なら眠れたのかしら? とても静かだったわよ」

「逆に緊張して眠れねえよ」

「あら、泣いて喜ぶと思ったのだけど」

「あんたの中で俺はどういう風に見られてんだ」


 ったく、っと愚痴をこぼした。


「で、本当のところは、まったくシグルと戦えなかったから、と」

「ああ、そうだよ。悪いか」

「ううん。わたしだって似たようなものだもの。エリアスのせいでね」

「たしかにあれはやりすぎだったな……。まあ、だからといって手を抜いていいわけじゃないんだろうけど」

「エリアスは良くも悪くも真面目だから。融通がきかないのよ」


 ふふっとリズアートは上品に微笑む。

 いつもはなにを考えているのかわからないぐらいおてんばな彼女だが、時折こうした慎ましやかな面を見せる。

 それが、ベルリオットには酷く魅力的に感じた。


 篝火に照らされ少し赤みがかった、癖のない黄金の髪。

 澄んだ碧の瞳を飾るように伸びた、長い睫毛。

 小顔に似合う、瑞々しくも控えめな唇。

 認めたくないが、やはりリズアートの美貌は国内でもずば抜けている。


「静かね。昨日はあんなにうるさかったのに……今じゃシグルが一匹もいないなんて」


 耳にかかった一房の髪をかきあげながら、リズアートが言った。

 彼女に見惚れていた自分を否定するように、ベルリオットはさっと視線をそらす。


「……だな。防衛線の《災厄日》から《安息日》に移る瞬間。俺も初めて見たから、ちょっと驚いてる」

「《運命の輪》によって大量のアウラを注がれた《飛翔核》は、大陸全体にアウラを放出。アウラが満ちた大陸は上昇し、もっとも安全な《安息日》へと移り変わる……。真夜中でもこんなに暖かいのは、アウラが満ちてるからなのよね」

「王都の平穏な暮らしじゃ、こんな当たり前も、なかなか実感できないけどな」

「そうね」

「ただ……恩恵を預かってる身で言うのもなんだが、この世界ってわりと面倒くさい機能で成り立ってるよな」

「そう?」

「だって神って言えばなんでもできそうじゃねえか。《運命の輪》だって、神が与えてくれたもんなんだろ? だったら《運命の輪》を大陸分七つ用意してくれたっていいだろ。そしたら、ずっと大陸は上昇したまま《安息日》が続くしな」

「神様だって、できることとできないことがあるのかもしれないじゃない。でも、できないのではなくて、あえてそうしたという線も考えられるかも?」

「わざわざ? どうして?」

「たとえば、そうね……。《運命の輪》に終わりがあるとしたら? 終わりが決められている、と仮定してもいいわ。それで、いつか壊れるの。そしたら大陸は落ちるしかない。シグルがいっぱいいるという地上に、ね」

「今でこそ対処できてるが……それは《災厄日》でも、地上からはまだまだ遠いからだ。そう考えると大陸が地上に落ちた日には……やられるしかないだろうな」

「そう、絶望的。だから、あえてシグルと戦う日を作って、神は人間に危機意識を持たせようとした。どう?」

「極論だな」

「どうして? 結構良い線いってると思うんだけど」

「いや、その話だと人間はシグルに対抗できる力が備わっているということになる。けど実際は“今”の《災厄日》のシグルに対抗できる、ぐらいにしか当てはまらない。それにさっきも話に出たけど、人間にシグルに対する危機意識があるかどうか、と言われると、王都の平穏な日々を見る限り怪しいとこだろう。以前、俺たちが襲われたのは例外中の例外だ」

「ある程度、平和な場所がないと進化が難しくなると考えた、とか」

「進化してるか?」

「……うーん、停滞してるかも」


 リズアートは「思いつきで言うもんじゃないわねー」と苦笑していた。

 ほんの少しの間、無言が続いた。

 温かな風が、頬を撫でる。


「よっ……と」


 唐突に、リズアートが壁の上に飛び乗った。

 二の足で立つと、天上に輝く星々を掴むかのように両手を伸ばす。


「翼、欲しいなあ」

「俺へのあてつけか? あるだろ、お前には」

「アウラを放出して出るやつじゃなくて。本物の翼」

「ついに人間を止める気になったか」

「うーん、できるのなら、それも悪くないかも」


 とぼけているわけではなく、本当にそう考えているような表情だった。

 だから馬鹿にする言葉など口から出なかったし、考えすらも浮かばなかった。


「本物の翼があれば、どこにだって飛んでいけそうな気がするから」


 言って、リズアートは天に向けた手をおろした。

 人が空を飛べるのは、アウラが満ちている大陸内だけだ。

 天上や地上にはアウラが満ちているらしいが、少なくとも大陸が浮かぶ高度にはアウラがほとんどない。

 そしてアウラがなければ、人は空を飛ぶことができない。

 どうしてリズアートが本物の翼を望むのか。

 彼女が語りだしたことで、なんとなくだがベルリオットは理解した。


「わたしね、もう少しで誕生日なんだけど……次で成人だから、本格的に政務に関わっていくことになるの」


 少し間を置いて。


「だから自由な時間がなくなる前に、思い切って訓練校に行きたいってわがままを言ったの。お父様からすっごい反対されたけど……わたしの粘り勝ち」


 へへ、と悪戯っ子のように舌を出してリズアートは笑った。


「なんでまたそれを選んだんだ? 肉体を酷使してるようなもんだし、訓練自体は楽しいことじゃないだろ。もっとこう、他にあっただろ」

「わたしと同年代の子たちが経験してることを、わたしもただ経験してみたかった。たったそれだけ」


 王女だから、自由を得られない。

 権力やら金やら多く持っている王族は好き放題やれるだろう、などと軽く考えていたが、存外そういうわけでもないらしい。

 とはいえ王族が公務に就くのは当然である、という認識は変わらない。


 なにせ王族がいなければ国は回らない。動かない。

 それだけ国民が王族に寄せる信頼が厚いことをよく知っている。

 ベルリオットがそうなのだから、生まれてから王族の在り方を伝えられてきたであろうリズアートも当然の事実として受け入れているはずだ。

 だから諦めとしかとれない、こんなにも清々しい表情をしているのだろう。


「それで、経験してみた感想は?」

「楽しい。すっごく楽しい。メルザさんはベルリオット好きで暴走するのがちょっとあれだけど、作ってくれる料理はどれも愛情がこもっていて温かいし、とても良くしてくれてる。トゥトゥも、すごく優しくていい子。大人しくて、まだちょっと気遣われている感じはあるけど、それでもわたしにとっては一番の友達よ。他の訓練生の子たちも、やっぱりみんな良い子ばかり」

「楽しそうでなによりだ」

「まっ、仮住まいの屋敷に一癖も二癖もある人がいるけどね」

「そりゃー大変なことで」

「でも、その人は王女とか関係なく接してくれるから、一緒にいて一番気楽、かな」


 リズアートは篝火に背を向けているため、顔色がわかりにくい。

 それでも少しだが、頬が赤くなっているように見えた。

 初めて目にする、はにかむ彼女の表情。


「……褒め言葉として受け取っとく」


 ベルリオットは釣られて顔が熱くなってしまった。

 だが篝火の赤い光が、それを誤魔化してくれる。

 このときほど篝火があってよかったと思ったことはなかった。


「あと、どれくらいいられるんだ?」

「うーん、あと二週間ぐらいかな」

「……結構短いな」

「柄にもなく寂しがってくれてるのかしら」

「家が静かになるなと思っただけだ」


 ずっとメルザリッテと二人だったのだ。

 リズアートとエリアスが来てから騒がしくなったのは言うまでもなく。

 そして騒がしくされたあとの空間というものは、余計に静かに感じてしまうものだ。

 静かなのは好きだが、今まであったものがなくなる、という感覚はあまり好きではなかった。

 ただそれだけだ。


「なーんだ。寂しがってくれるなら、わたし専属の騎士になってもらおうと思ったのに」


 そう、拗ねたようにリズアートが言った。

 ベルリオットは思わず目を瞠る。


「お前……今日、シグルに頭でもぶたれたか?」

「ちょっと! 本気で心配するような顔しないでよ。わたしはいたって平常ですー」

「いや、アウラも使えない奴を専属騎士に選ぶとか正気を疑うだろ。居ても、前みたいにお荷物になるのが目に見えてる」

「たしかに騎士が護られてちゃ本末転倒よね」

「ぐっ……」


 悔しいが言い返せない。


「なら小間使いかしら?」

「絶対やらないぞ、俺は。全力で拒否する」

「なら全力でお願いするわ。そうね、エリアスあたりを差し向けようかしら」

「それ完全脅しだろ」


 くすくすとリズアートは無邪気に笑う。

 その姿は、歳相応の女の子のそれと変わらない。


「だいたい、なんで俺なんかにこだわるんだ。騎士にしても、小間使いにしても。もっと向いてるやつがいるだろ」


 自分で言うのもなんだが、かなりの役立たずだと思う。

 なんと言っても、『アウラを使えない』。この一言に限る。

 アウラを使えないことに諦観しているのは、そうしなければまともに人と付き合っていけないからだ。《帯剣の騎士》やら『ライジェルの息子なのに』と言いたいやつは言わせておけばいい。

 事実なのだから。


 いつか見返してやる、と。

 そう強く思っているが、決して表には出さない。

 アウラも使えない癖に、と馬鹿にされるのがわかりきっているからだ。

 だから、ベルリオットは密かに抗おうともがいている。


「ライジェルが言ってたのよ。あいつは絶対、俺より強くなるってね」

「は?」

「《剣聖》と謳われた、あのライジェルが自信満々に言ったのよ。彼の息子ってのを抜きにしても、気になるに決まってるじゃない」


 たしかにライジェル・トレスティングよりも強くなる者がいたとすれば、誰だって気になるだろう。

 それが本当の話ならば、だが。

 現実はアウラを使えない駄目息子である。

 当事者であるベルリオットから言わせてもらうと、嫌味にしか聞こえない。

 今ではライジェルの名前を聞くだけで苛立つようになってしまっだが、リズアートの話を聞いてさらに憎しみが増加した。


「あ、そうそう。あとこんなことも言ってたわ。『姫が国を治めることになったら、使いたおしてやってくれ』ってね」


 憎しみがなにかに昇華しそうだ。


「親父の奴……勝手なこと言いやがって」

「まー、一応考えておいて」


 などと軽い口調で言って、リズアートは壁から飛び降りた。

 ベルリオットに背を向けて、そのまま宿舎代わりの尖塔へ向かって歩き出す。


「お、おいっ。考えるもなにも、答えは――」

「たとえアウラを使えなくても、あなたはわたしを助けるためにシグルに立ち向かってくれた。そしてシグルを斬った。……ライジェルの言葉、わたしは本当だって信じてるわ」


 言い終えて振り向いたリズアートから、真っ直ぐな瞳を向けられた。

 そこには、一切のからかいが感じられなかった。

 言い返せなかった。

 言いたいことはたくさんあるのに、上手く言葉にならなくて反論できなかった。

 また、リズアートが背を向ける。


「そろそろ戻りましょ。エリアスに見つかったら怒られちゃいそうだし」

「あ、ああ……そうだな」


 胸焼けのようななにかを感じながらも、どうすればいいのかわからない。

 そんな感じだった。

 リズアートのあとを追って、ベルリオットも歩き出した。

 と、そのとき――。


「きゃっ」「うおっ」


 視界が小刻みに揺れた。

 地鳴りも聞こえる。音の出所は、防壁外側――。


「な、なんなんだあれ……」


 大陸の端側から、防壁に向かってくるどす黒い塊があった。

 ギガントと同程度の大きな体躯。

 荒野を激しく蹴りたてる極太の四本の足。

 太く短く伸びた頭部には万物をかみ砕きそうな獰猛な顎。

 そして鼻上部から猛々しく伸びる一本の角。


 ベルリオットの父親であるライジェルが《剣聖》と呼ばれるようになった最大の材料であり、多くの騎士を葬った過去最凶のシグル――。


「…………モノセロス」

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