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『剣聖の名』

最後にお知らせがあります。

 頬をそっと撫でていく、陽の温もりを乗せた柔らかな風。周囲の草花がそよいでいるのだろう。さらさらと心地良い音が聞こえてくる。


 そこにあって当然のもの。


 生命の息吹とも言えるその力──アウラを人間は無意識に感じ取っている。だが、それでは、この先には辿りつけないのではないか。


 そう考えはじめてから幾年ものときが経ったが、いまだ納得できる領域には達していない。


 より深く、より強くアウラを理解し、感じる。そのためにアウラが色濃く含まれる風に意識を向け続けているが、手がかりすらも掴めずにいる状態だ。


「……やっぱりダメだな」


 ライジェル・トレスティングは、そう呟きながら半身を起こした。ずっと寝転がっていたせいか、髪に癖がついてしまっている。煩わしくなって後髪をかき乱すと、おまけとばかりに幾つもの草が絡んできた。


 ここは訓練校にほど近い場所にある丘陵地帯。訓練生時代から好んでいた場所とあって、卒業後もたびたび訪れているお気に入りの場所だ。のどかな空気もだし、なにより1人になれるのが最高だった。


 今日は夜間警備の担当で騎士団本部に駐在しなければならない。睡眠は必要だし、このままアウラのことは忘れて1度思い切り寝てしまうか、と。そう思ったときだった。


「おい、ライジェル! ここにいるんだろ!? 返事をしろ!」


 どこからか怒声が聞こえてきた。不幸にもその怒りはこの身に向けられているようだった。ライジェルは緩慢に立ち上がったのち、背後の丘陵から声の主へと顔を見せる。


「ここだグラトリオ、聞こえてる」

「そこにいたのか……!」


 こちらの顔を見るなり、1人の男がずんずんと歩んでくる。


 精悍な顔つきに見合った逞しい体。歩みや所作からか、あるいは真っすぐにこちらを見る目からか。その男からは実直さがありありと伝わってきていた。


 彼はグラトリオ・ウィディール。訓練校の卒業と同時、ともに王城騎士となった同期だ。なにかと一緒になることが多いため、腐れ縁とも言える仲だ。


「どうしたんだ、そんな大声を出して。言っとくが、いまの俺は非番だからな」

「そんなことは知っている!」

「だったらなんだよ。まさか訓練生んとき、みんなの前で俺がくしゃみをして大量の唾を吹きかけちまったのをいまだに怒ってるんじゃないだろうな。あの件については何度も謝っただろ?」

「その話はまたべつの機会だ!」

「やっぱまだ根に持ってるのか」


 どうやら軽口を許してもらえるのはここまでのようだ。グラトリオの顔が一気に険しくなった。


「お前……よくそんな平然としていられるな……っ! フィーナの気持ちをなんだと思っている!?」

「その話か」

「その話とはなんだ! あいつがお前のことをどれだけ想っていると……っ」


 言いながら、グラトリオが全身を震わせながら下唇を強く噛んだ。


 フィーナは訓練生時代の同期だ。グラトリオと同じく授業で一緒になることが多かったため、流れでよく3人でつるんでいた。


 卒業後はフィーナだけが王城騎士になれなかったこともあり、以前のように話をする機会は減ってしまったが、それでも同じ騎士団所属だ。本部やべつの場所でも顔を合わせる機会はいまでもあった。


 ただ、偶然とは言えない出会いが多かった。その理由については……フィーナから告げられた想いが答えだった。


 ライジェルは目をそらしたい気持ちをぐっと堪えながら、ゆっくりと口を開く。


「わかってる。わかってるから断ったんだ。俺の隣を歩こうとすれば不幸になるってな。お前もわかってるだろ……?」

「ライジェル……だが、しかし、あいつの気持ちを思うと……っ」

「誰かが支えてやればいいんじゃないか」

「……お前、まさか」


 グラトリオが目を見開いていた。

 そこから覗ける感情はあまりに複雑で完全には読み切れなかった。ただ、やはりと言うべきか。なによりも怒りが強いのはたしかなようだった。


 こちらには向けられた怒りを受け止める義務がある。だが、グラトリオはそれ以降、自身の感情を上手く呑み込んでいたようだった。


 大人だ。

 本当に大人だ。


 ライジェルは自らを嘲るように口を緩め、肩を竦める。


「自分勝手にしか生きられない俺にはとうてい無理なことだ。……尊敬するぜ。誰かと一緒になるなんてな」


 誰かと夫婦になるのはもちろん、子どもを作るなんてことも想像できない。仮に作ったとしても上手く育てられる自信なんてなかった。


 だが、グラトリオならばきっと上手く子を育てるに違いない。そう確信を抱きながら、ライジェルは彼と、未来の嫁を祝福した。



     ◆◆◆◆◆


「お、なんだライジェルいたのか」

「どもっす先輩」


 ある日の夜。

 騎士団本部の1階待機所にて。ライジェルはほかの騎士団員とくつろぎながら談笑していると、1人の騎士に話しかけられた。訓練生時代によくしてもらった1つ上の先輩だ。


 先輩騎士は肩を組んでくるなり、隣の席にどかっと座る。


「なぁ~にが先輩だ。俺をすっ飛ばして王城騎士の、しかも序列10位にまでなっといてよ」

「俺が1番驚いてますよ」

「俺は驚いてないけどな。お前はそれだけやれるってわかってたしな」


 言って、先輩騎士がようやく肩から腕をどかしてくれた。


 こちらとしては訓練生時代と変わらず接してくれる先輩騎士の存在がありがたかった。王城騎士になったことで、以前と態度を変える人がいるから余計にそう感じられた。


「そう言ってもらえるのは嬉しいんですけどね。でも、それを言ったら同期のグラトリオは俺より上の9位ですよ」

「あいつもなかなかやるよな。ってか、お前らの代はとにかくみんな優秀だって騎士団でも持ち切りだったぜ」

「そいつはなによりです」

「ともかくだ! 俺が一番期待してるのはお前ってことだ。お前はもっと上に行ける! それこそ団長になでな!」

「買ってくれるのはありがたいんですけど、ほかに聞こえたらまずいっすよ」

「あ、やべっ」


 慌てて口をふさぐ先輩騎士だが、もう遅い。先輩騎士の声は無駄に大きいため、間違いなく全員に聞こえていた。だが、居合わせた5人の誰ひとりとして咎める声をあげなかった。それどころか、くすくすと笑っているぐらいだ。


「べつに聞こえたってなんも言わねえよ」

「大体、俺たちだってライジェルには期待してっからな」

「だな。こいつならなんかやってくれそうって感じがするんだよな」


 あちこちから飛んでくる好意的な言葉。

 それらを耳にしてか、先輩騎士がなぜか大きなため息を吐いていた。


「相変わらずの人たらしだな、お前」

「それいつも言ってきますけど、そんな風に感じたこと1度もないっすよ」

「ったく、そういうとこだよ」


 なにやらわけもわからず呆れられてしまったが、逆に気をよくしたらしい。先輩騎士がすっくと立ちあがったのち、「よし」と声をあげる。


「どうだ、このあと俺ん家で飲まないか? いい酒が入ってよ」

「災厄日ですからね、一応。朝まで待機してへとへとのまま飲んでもまずくなるだけっすよ。わかってて言ってますよね」

「ったく、そこは乗ってくれよ!」

「俺だって忘れたいのはやまやまっすけどね。でもま、これでも王城騎士なんで」

「こいつ、偉そうに……っ」


 またも先輩騎士が肩を組んできた、瞬間。ばんっと勢いよく入口の扉が開かれた。まろぶように飛び込んできた1人の騎士が、息も整わないうちに声をあげはじめる。


「で、伝令! 外縁部に未知のシグルが出現! 西方防衛線が突破されかけています!」


 突然の報告に待機所の空気が一瞬にして張り詰めた。だが、いまの報告だけでは詳しい状況がわからない。この場でもっとも上の立場である者として、ライジェルは代表して伝令に問いかける。


「突破ってどういうことだ。現地にはいま団長がいるんだぞ。それにグラトリオも」

「……き、騎士団長はその未知のシグルに……っ」


 伝令が続きを言い切らない。

 それが答えだった。


「冗談だろ、おい。団長だぞ……?」


 言わずにはいられなかった。


 待機所に言わせたほかの騎士たちも信じられないといった様子で声を失っている。無理もない。基本的に騎士団の団長は、もっとも強い者がなる。いまの騎士団長も、その例にならった人だった。


 ただ、気にすべきことはほかにもあった。ライジェルははやる気持ちを抑えられず、責め立てるように伝令へとさらなる疑問を投げかける。


「おい、グラトリオは? グラトリオはどうした? あいつは無事なのか!?」

「怪我をなされていました。少なくともわたしが出る際には……まだ無事でした」


 騎士団長だけでなく、あのグラトリオですらも勝てないとは。これまでのシグルとは比べ物にならない強さのようだ。ただ、それだけの犠牲を払ったにもかかわらず、状況はなにも好転していない。最悪の状況だ。


 外縁部で押さえられなかったシグルは王都へと侵攻してくるだろう。そうなればここで暮らす人や建物すべてが失われる。それだけは絶対に防がなければならない。


「先輩、王都は任せました」

「任せたって……おい、ライジェルお前なにを……まさか! 待て!」


 先輩騎士から制止の声が飛んできたときには、すでにライジェルは騎士団本部を飛び出していた。


 すでに多くの者が寝静まり、王都は暗闇に支配されていた。いまなら輝く星々をこれ以上なく最高の状態で望めるだろう。だが、いまはそんなものに目を向ける余裕なんてなかった。


 紫の光を闇に引きながら、ただひたすらに外縁部へと向かって飛び続ける。


 ──死ぬなよ、グラトリオ……ッ!



     ◆◆◆◆◆


 外縁部に到達する前、眼下の荒野に30人ほどの騎士が待機している姿を捉えた。ただ、なにやら様子がおかしい。多くが寝転んだりうずくまったりといった格好で苦しんでいる。どうやら彼らは負傷者らしく、残りの数人が応急処置に当たっているようだ。


 その負傷者の中にグラトリオの姿を見つけることができた。


「グラトリオ!」


 ライジェルは急降下でその場に下り立つと、グラトリオのそばに駆け寄った。見たところ、負傷したのは頭部と右腕のようだ。頭部には血が滲んだ包帯が巻かれている。右腕は処置前なのか血まみれのままだらりと下がった状態だ。


「ライジェル? どうしてお前がここに?」

「未知のシグルが現れたって報告を聞いてな」


 そう伝えたところ、グラトリオが静かに視線を落とした。


「……団長がやられた」

「ああ、聞いた。残念だが……でも、お前が無事でよかった」

「俺もしばらくは戦えそうにないがな」


 やはり悔いを感じているのだろう。

 そう口にするグラトリオの顔からはいつもの力強さを感じられなかった。


 団長の死を嘆き悲しむことはできる。だが、それで事態がどうなるわけでもなかった。非情とわかっていても、直面する問題の解決をなにより優先しなければならない。


「状況はどうなってる?」

「奴は……一角は外縁部の防壁を破壊して、そのままこっちに──王都側へ突き進んでる。いま、騎士たちが気をひいて侵攻を遅らせているが……」

「それもいつまでもつかわからない、か。わかった」


 どうやら戦場はこの先のようだ。

 ライジェルはグラトリオに向けていた視線を外縁部側へと向ける。


「どこへ行くつもりだ?」

「決まってるだろ。そいつを倒しにいくんだよ」

「正気か? 団長がやられたんだぞ? しかも善戦なんてもんじゃない。攻撃すら徹らずなすすべなくやられたんだ。お前が勝てるわけがないだろ! いや、お前だけじゃない。ほかの誰にも倒せるわけがない!」


 グラトリオがここまで弱気になるとは。その一角とやらは聞いている以上に強敵のようだ。しかし、だからといって考えを改める理由にはならなかった。ライジェルは歩みを進め、グラトリオに背を向けたまま語りかける。


「なあ、前に話したよな。俺が自分勝手だってこと。どのみち誰かが倒さなきゃ、このまま王都は壊滅する。それに、な……いま、どうしようもなくうずうずしてるんだ」


 開いた右手をぐっと握りしめる。これまで対峙したシグルでは、まるで歯ごたえがなかった。本気を出すまでもなく倒せてしまうのだ。しかし、その一角であればあるいは、と期待を抱かずにはいられない。


「ライジェル、お前……」

「フィーナのこと、大事にしてやれよ」


 その言葉を最後にライジェルは光翼を出して飛翔した。グラトリオが叫んでいたようだったが、もはやなにも聞こえない。


 ただひたすらに駆け続けると、やがてそれは見えてきた。夜空に舞う複数の光点、騎士たちだ。そしてそれらに囲まれる形で巨大な存在が暴れ狂っている。


 四つ足で立つ巨獣だ。猪のごとくでっぷりとした体躯もだが、なにより特徴的なのはその頭部の鼻先から生えた1本の角だ。黒々とした艶を持つそれは、すべてを貫くかのごとく威圧感を持っている。


 おそらくあれが一角で間違いないだろう。

 団長を殺し、グラトリオを負傷させるにまで至った未知のシグル。そんな前情報があるせいか、一角の姿からより強い存在感を覚えてしまう。


「敵の気をひきつづけるだけでいい! 絶対に近づくなよ!」


 騎士たちが一角の周囲を飛び回りつづけている。すでに攻撃は諦めているようだが、それが上手く機能しているようだ。近づいては離れる騎士たちを一角が鬱陶しそうにしている。


 上手い。

 時間稼ぎだけならば、このまま続けられるかもしれない。


 そう思った矢先だった。一角が直立に近い状態まで前足を持ち上げると、勢いよく地面に叩きつけた。まるで大陸すべてが揺れたのではないかと思うほどの地鳴りが響く。同時に一角を中心にとてつもない衝撃波が放たれた。


 周囲を飛んでいた大半の騎士がそれを受け、弾き飛ばされていた。まだ距離のあったこちらにまで飛んできた。


「なるほど、こいつは厄介だな……っ」


 いましがたの衝撃波のせいで、騎士たちはほぼ壊滅状態だ。半数は辛うじて飛べる様子だが、とても戦闘を続行できる状況ではない。


 ライジェルは生成した結晶剣を握りながら、一気に加速。一角との距離を詰めていく。どうやら一角に脅威と認定されたようだ。こちらに向き直るや、その象徴ともいえる角を向けてきた。


 受けて立つとばかりにライジェルは真っ向から激突した。剣と角。ぶつかり合った2つの得物からとてつもない衝撃音が鳴り響く。


 これまでのシグルならいまの攻撃で粉砕していただろう。だが、この一角はどうか。まるで傷一つついていない。団長やグラトリオが勝てなかったのも、騎士たちが攻撃を諦めていたのも、この一瞬ですべて納得できた。


「硬すぎだろ、お前っ」


 ライジェルはそう吐き捨てながら、剣を振り切って自らを後方へと弾いた。そのまま上空へと一旦退避。一角を見据えたまま、後ろの騎士たちに向かって叫ぶ。


「負傷者を連れて下がれ、こいつの相手は俺がする!」

「トレスティング卿……!? しかし、いくらあなたでも1人では……あの団長ですらも倒されてしまったのですよ……!?」

「これでも人情溢れる人間なんでな。死体でも転がってられちゃ気になってまともに戦えないんだよ」


 こちらの遠回しな配慮を汲んでくれたらしい。無事だった数少ない騎士たちが負傷者を抱きかかえたのち、「ご武運を」と言い残して去っていった。


 騎士となった者たちだ。その矜持に反する行動であったにもかかわらず従ってくれた。彼らに胸中で最大限の敬意と感謝を述べつつ、ライジェルは改めて一角へと対峙する。


「さあて待たせたな、一角」


 こちらの言葉が通じているのではないか。そう思えるほどに一角はちょうどよく咆哮で応えてきた。びりびりと全身が震えるほどの圧。これまでのシグルからは感じなかった恐怖が身を襲ってきている。


 だが、体が竦むことはない。

 むしろ高揚し、活性化してすらいる。


「行くぞッ!」


 ライジェルは裂帛の気合とともに翔けだした。ごう、と荒々しい風をまといながら真正面から肉迫。反撃にと角を突きつけてきた敵の攻撃をするりと躱し、右側面へ。回り込んだ勢いを殺さず剣へと乗せ、斬りつける。


 がんっと鈍く重い衝突音が響く。当然、剣の刃はいっさいめり込んでいない。とても生物を攻撃したとは思えなかった。それこそこん棒で鉱石を叩いたかのような感覚だ。


「ったく、硬すぎんだろっ」


 このままただ斬りつけるだけでは勝てない。それどころか、体力が尽きてこちらが負ける未来が待っている。


 もっとだ。もっと剣を鋭く。

 いや、それだけではない。

 いまよりもアウラを濃く、強くしなければ──。


 漠然とだが、強くなるための道筋が見えてきた。あと少しだ。あと少しでなにか掴めそうな気がする。そんなわずらわしい気持ちに胸中が支配されかけた、瞬間。


 一角が高く上げた前足を下ろし、衝撃波を放ってきた。これまで以上に唐突だったこともあり、防御が遅れた。ライジェルはたまらず弾かれ、地上に落とされてしまう。


 傷は負っていないし、意識もしっかりしている。だが、完全に体勢を崩してしまった。このまま追撃されたら危ない。そう警戒して即座に身を起こし、体勢を整えたが──。


 拍子抜けしてしまった。追撃がなかったのだ。しかし、代わりに信じがたい光景を目にしてしまった。


 こちらを無視して駆けていく一角。その遠くの空に光点が見えたのだ。大きさからして人ではない。あれは飛空船だ。


「ちぃっ」


 ライジェルは急いで一角を追いかけるが、すでに衝撃波が放たれていた。一隻の飛空船が遠くのほうへと弾き飛ばされ、ついには墜落してしまう。


 撃墜とともに搭乗者が投げ出されていた。アウラの恩恵もあってか、幸いにも生きてはいるようだった。大人の男1人に、幼い少女が1人。おそらく親子だろう。ただ、落下の衝撃で2人の距離は少し離れてしまっていた。


 そして少女の1人へと一角が猛進している。騎士ですら一角の攻撃を防げないのだ。あんな幼い少女では、触れただけでも無事では済まない。


「くっそがぁあああッ!」


 ライジェルは咆哮をあげながら、いま自らができる最大の力で加速。少女を庇う形で一角の前に踊り出ると、そのまま突進を受け止めた。


 両腕、肩を伝って凄まじい衝撃に襲われる。両足も地に深くめり込んでしまった。全身に限界がきている。いまにも顔が苦痛で歪みそうだ。


 しかし、ライジェルはあえて笑みを浮かべた。肩越しに振り返り、その先で座り込んだ少女へと声をかける。


「もう大丈夫だ、嬢ちゃん。お前は俺が護ってやる」

「……おじさん、だれ?」

「俺か。俺は……そうだな……どこにでもいる、ただのおっさんだ」


 おっさんなんて歳でもない。ただ、いまは少女を安心させたくておどけてみせた。状況が状況だからか、笑わせることも呆れさせることもできなかった。ただ、少女が無事ならそれでいいという気持ちで満足できた。


「おらぁっ!」


 みちみちと軋む腕を振るい、一角を突き飛ばした。転ばせることはできなかったが、それでも注意を完全に向けなおすことはできた。上手く誘導し、少女から離していく。


 視界の端では、先ほどの親子が逃げていくさまが映っていた。少女を抱いて、アウラを纏った父親が王都のほうへと飛んでいる。


 ひとまず安心といったところだが、もちろん気を抜くことは許されない。いまの親子も、すぐ近くで待機中の騎士たちも。そして大陸に住まう多くの人たちも。いま目の前にいる一角を倒さなければ、もれなく未来はないのだ。


「俺はしぶといぜ、一角!」


 ライジェルは自らを奮い立たせるように叫びながら、みたび一角へと攻撃を仕掛けていく。しかし、どれもが硬い皮膚に阻まれ、ただ弾かれるだけに終わってしまう。


 一角はシグルとは思えないほどに戦い慣れていた。飛べないという不利を、衝撃波や反撃を駆使することで対等以上に渡り合ってくる。


 このままではやはりこちらの体力が尽きるのが先だ。ただ、劣勢な状況とは裏腹に、心は高揚しつづけていた。これまで1撃で倒せるシグルばかりだったこともあり、こんなに何度も全力をぶつけられる機会がなかった。


 だが、いまはどうか。1撃を重ねるごとにどれだけ自分が成長しているかを確認できる。最高の環境だ。この機会を逃す手はない。


 ライジェルはただひたすらに剣を振り続ける。


 アウラをより深く理解し、強くする。

 その感覚を1撃ごとに深め、研ぎ澄ましていく。


 自らも剣の強度が高まっているのをうっすらと感じ取っていた。それが実感に変わったのは、幾度目かの攻撃だろうか。一角の目蓋を軽く刻んだときだった。


 一角が初めて痛がるように咆えた。

 その場でたたらを踏み、身もだえている。


「はは、来たぞ! ついにお前に傷をつけてやった!」


 そう歓喜の声を思わずもらしてしまった直後、一角が突進をかましてきた。すかさず回避を選択するが、急停止した一角がこれまで以上に素早く衝撃波を放ってきた。


 たまらず防御態勢をとるも、体に走った痛みもあって遅れてしまった。かなりの距離を跳ね転がったのちに、ようやく勢いが止まる。


 どうやら昂る心に相反して体はもう限界に近いらしい。ライジェルは朦朧とする意識の中、ゆらりと立ち上がって剣を構える。見据える先、一角はすでにこちらを照準に捉えて突進を繰り出そうとしている。


「次で決着をつけてやる」


 どうやら一角もその気らしい。溜めた力を解き放つようにどんっと地を蹴った。視界が揺れるほど強く地を踏みしめながら、こちらに向かってくる一角。その姿と勢いは凄まじく、見ているだけでも気圧されそうになる。


 だが、不思議と頭の中は冷静でいられた。これまで漠然と掴みかけていた感覚。アウラをより深く、強くするというそれは、いまやこの手に形となっていた。


 もはや臆することはなにもない。ライジェルは後ろに流すように剣を構え、身を低く落とした。ただひと蹴りで間合いを詰められる距離にまで一角が達した、瞬間。


「──ッ!」


 前へと踏み出し、すれ違いざまに剣を薙いだ。込めた力はそれほど強くない。だが、より洗練されたアウラのおかげか。これまでたた硬いとしか感じられなかった一角の抵抗をまるで感じなかった。


 どすんと背後から重い音が聞こえてくる。両断したという感覚が手にしかと残っているからか、それが一角が倒れた音であると確認するまでもなかった。


 安堵とともに全身の疲労感から思わず後ろに倒れ込んでしまった。


 視界の上半分、無数の色濃い黒点がまるで天上へと昇るように消えていくのが見えた。おそらく一角だったものだろう。


「くぁ~~っ! さすがに疲れたな……」


 自らが課題としていたことをなすことができた。だが、素直に喜ぶことはできない。団長を始め、多くの死者が出ている。負傷者も多数だ。おそらくこの日は、最悪の日として後世に語り継がれるに違いない。


「ライジェル! 無事か……っ!?」


 聞こえてきた声に思わず耳を疑った。

 なぜならその声の主は、グラトリオのものだったからだ。


 顔だけを傾けると、こちらに飛んでくるグラトリオの姿が映り込んだ。どうやら本物らしい。そばに下り立ったグラトリオへと、ライジェルはひらひらと手を振って応じる。


「ああ、大丈夫だ。てかお前、なんでここに来てんだよ。怪我してんだろ」

「やはりお前1人だけ戦わせるなど俺にはできない……っ」


 だから、こうして加勢に来たというわけか。不器用というべきか、あるいは誠実というべきか。いずれにせよ、彼のこうした性格は嫌いではなかった。


「それより一角はどうした……? まさか突破されたのか?」

「いや、倒したぜ。いまさっきな」

「……倒した、だと?」

「あ~、なんとかな。いやー、強かったぜ」


 あっけらかんとそう報告したところ、グラトリオに唖然とされてしまった。それから事実を受け入れるのに時間がかかったのだろう。しばらくしたのち、グラトリオが乾いた笑いをこぼしていた。


「は、はは……昔からただ者じゃないとは思ってたが、まさかここまでだったとはな」

「みんなが戦ってくれたからきっと弱ってたんだよ」

「謙遜する必要はない。間違いなくお前の力で倒したのだと、あいつと戦った奴は全員がわかってる」


 言って、グラトリオがこちらの肩に左手を置いてきた。


「すごいな、お前は。本当に大した奴だ」

「……グラトリオ」


 その目には羨望の色が濃く映っていた。


 同期とあって、これまで幾度となく比べられてきた。そんな関係とあってグラトリオにも思うところはあるだろう。だが、それでも称賛を贈ってくれた。そんなグラトリオの心意気に、いまはただただ感謝した。


「トレスティング卿! やはり我々も戦わせてください!」

「ここを抜けられたら王都があるんです!」

「邪魔にならないように支援に徹しますので!」


 先ほどの騎士たちが負傷者を避難させたあとに戻ってきたらしい。それだけでなく、新たに加わった騎士たちもいるようだ。リヴェティアの騎士は勇敢だと言われているが、まったくもってその通りだといまばかりは深く頷けた。


 決意をもって戻ってきてくれた彼らには悪いが、もう一角は倒してしまっていた。そのことを伝えんと立ち上がろうとしたところ、グラトリオに肩をぐっと押さえられてしまった。どうやら座っていろということらしい。


 その後、立ち上がったグラトリオが加勢に戻ってきた騎士たち全員に聞こえるようにと大声をあげはじめる。


「聞け、皆の者! 防衛線を突破し、王都へ侵攻していた未知のシグル……一角はいましがた倒された! このライジェル・トレスティングの手によってな!」


 その宣言がされてから少しの間、静寂が辺りを支配した。多くがすぐには信じられなかったのだろう。だが、一角の姿が周囲に見当たらないことで真実であると受け入れられたようだ。真夜中とは思えないほどの大歓声が辺りを包み込んだ。


 称賛と感謝の声が絶え間なく降り注ぐ。

 あまり慣れていないこともあってなんともむず痒い。


「いまは素直に喜んでおけ」

「そう、だな。そうするとするか。ってか疲れたし寝るわ」

「……は? ここでか? 待て、寝るならせめて駐屯地で──」


 馴染みのあるグラトリオのお小言が遠くなり、ついに聞こえなくなるまでそう時間はかからなかった。疲労感や安堵感もそうだが、なにより達成感のおかげか。満ち足りた気持ちで心地良く眠りにつけたのだ。


 ……俺はまだまだ強くなれる。


 最後に胸中でそう思ったのを機に、ライジェルは完全に意識をまどろみの中へと投じた。




 ――のちにモノセロスと呼ばれることになったシグルを討伐したこの話は、英雄譚として後世へと長く語り継がれることになる。そして、その英雄となった者は当時国王だったレヴェン・タキヤ・リヴェティアより、《剣聖》の称号を与えられることになる。


 最強の騎士。

 ライジェル・トレスティングがそう謡われるようになった始まりだった。



2023/06/24より、本作の漫画版が連載開始しております。

場所は一二三書房さんの『コミックノヴァ』です。


詳しい経緯については活動報告に書いておりますので、ぜひそちらをご覧になって頂ければと思います。なにはともあれ、まずは読んで頂ければ幸いです……!

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