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『トレスティング邸』

ベルが小さい頃の話です。

 浮遊島アーバスの夜に、ほんのり冷えた空気が流れていた。


 慎ましやかな木造の家屋。

 その居間の隅で、ベルリオット・トレスティングは体を丸めて座っていた。

 こくりこくりと船を漕いでははっとまぶたを跳ね上げる。


 先ほど廊下へと消えたメルザリッテが戻ってきた。

 その手に持った毛布をそっとかけてくれる。


「ベル様、もうお休みになられたほうが……」

「まだ寝ない」


 気持ちが前に出て無愛想な返事をしてしまった。

 メルザリッテの顔が困ったように歪む。


 自分が悪いのはわかっている。

 けれど心に余裕がなくて素直に謝れなかった。


 きぃ、と軋むような音が玄関のほうで鳴った。

 音をたてないよう気をつけているようだが、古びた家だ。

 静々と歩く足音もしっかりと聞こえていた。


 頼りない蝋燭の火に照らされた壁に、新たな影が映り込む。

 影の正体はこの家の主、ライジェルだ。

 その逞しい体もあり、居間が一気に狭くなったような気がした。


「おかえりなさいませ」


 メルザリッテが恭しく頭を下げて迎える。


「お夜食はいかがいたしましょうか。冷めてしまったので少々お時間を頂くことになりますが」

「あ~……そのままでいい。悪いな、せっかく作ってくれたのに」

「いえ、わたくしのことはお気になさらないでください。それよりも……」


 メルザリッテに促され、ライジェルはようやくこちらに気づいたようだった。


「……ベル、起きてたのか」

「今日、稽古つけてくれるって言ってたのに。嘘つき」


 ベルリオットは精一杯睨みながら言い放つ。

 ライジェルはばつが悪そうな顔をした。


 弁解しようとしてか。

 一度口を開けたが、すぐに閉じてしまった。

 それから静かに息を吐いたあと、真っ直ぐな目を向けてくる。


「……すまない。騎士団のほうで急用が入ってな」

「わかってる。わかってるよ、そんなこと……っ」


 ライジェルはリヴェティア騎士団の団長だ。

 責任ある立場として立派に務めなければならない。

 すべてにおいて騎士団を優先しなければならない。


 我侭を言っていることは充分に理解している。

 それでも選んで欲しかった。


「近いうちに暇ができるはずだ。そしたら――」

「近いうちっていつ? それに約束したってお仕事が入ったらまた破るんでしょ」

「わかってくれ。俺は騎士団の団長なんだ。みんなを纏めなきゃいけない」


 その言葉にはいっさい苛立ちが混ざっていない。

 ただただ誠実に対応してくれる。


 ライジェルは大人だ。

 それに比べて自分は子供だ。


 ……すごく胸がもやもやする。


 このままだと、どうにかなってしまいそうだ。

 ベルリオットは勢いよく立ち上がり、毛布をメルザリッテに手渡した。


「もう寝る」

「お、おいっ、ベル!」



     ◆◆◆◆◆


 翌日。

 ベルリオットはメルザリッテに連れられ、王都を訪れていた。


 いつものように買い物に来たのだろう。

 初めはそう思っていたが、どうやら違うようだった。


 たくさんの店が並ぶストレニアス通りを抜け、レニス広場を左に折れる。

 やがて控えめな装飾ながら立派な造りの屋敷が幾つも視界に入り込んできた。


 滅多に訪れることのない場所とあって、まるで敵地に潜り込んだかのような気持ちに陥ってしまう。ベルリオットは不安な気持ちを押し隠しながら、メルザリッテに質問する。


「ねえ、どこまで行くの? ここ貴族街だよ」

「もう少しだけお付き合いください」

「なにか変なこと考えてたりしない?」

「いえ、まったく。誰も来ない路地にベル様を連れ込んで好きなだけ抱擁しようなどとはいっさい考えておりません」

「……なんだか帰りたくなったよ」


 そんな普段通りの会話をしつつ、貴族街をさらに進み――。

 メルザリッテが足を止めた。


「つきました」

「うわ……」


 ベルリオットは思わず感嘆の声を漏らしてしまった。

 目の前に鎮座する屋敷が、とても大きく、とても立派だったからだ。


 飛空船が何台も置けそうなぐらい広い庭もある。

 素人目に見ても辺りの屋敷より一段も二段も上な気がする。


 こんな屋敷、見たことない。

 人知れず目を輝かせていると、屋敷の扉が開いた。


「お、来たか」


 中から出てきたのはライジェルだった。

 飄々とした様子でこちらに向かってくる。


「お父さん……?」


 どうしてあの屋敷の中から出てきたのか。

 気になるところだが、そんなことより胸中に湧き上がったもやもやが勝った。

 ベルリオットは反射的についと視線をそらしてしまう。


「まだ怒ってるのか」

「べつに」


 口を尖らせて、ぶっきらぼうな返事をしてしまう。

 こんな空気、自分だって嫌だ。

 けれど、どうすれば解決できるかわからなかった。


「ま、そのままでもいいから聞いてくれ。なにしろベルにも関係のあることだからな」


 僕にも関係あること……?

 そう思いながらベルリオットは横目で様子を窺う。

 ライジェルが体を横に開き、目の前の立派な屋敷を見やった。


「今日からここが俺たちの家だ」

「…………え?」


 頭が真っ白だ。

 騎士団の忙しい毎日で、ついに頭が壊れてしまったのかもしれない。


「僕たちの家って……どういうこと?」

「金、余ってたからな。買っちまった」


 ライジェルはあっけらかんと言った。

 これまで収入に反して質素な生活を送ってきたトレスティング家だ。

 屋敷を購入する余裕はあったかもしれないが……。


「でも、だからってこんな大きな屋敷……」

「王都なら移動の時間も少なくなるだろ」


 以前より一緒にいられる時間を増やす。

 そのために屋敷を購入したと言っているのだ。


 ベルリオットは思わず俯いてしまった。

 なんだか悪いことをしたような気分になったのだ。


「本当は少し前に建て終ってたんだが、なかなか引っ越す機会がなくてな」


 ライジェルが近くで屈むと、目線を合わせてきた。


「昨日は悪かったな」

「……ううん。僕も大人げなかったし」

「なーにが大人げないだ。まだまだ子供だっての」


 わしゃわしゃと頭を撫でられる。不思議だ。

 いつの間にか胸中のもやもやが消えていた。

 ベルリオットはライジェルの大きな手から逃げると、屋敷を指差した。


「ねえ、中見てきてもいい?」

「おういいぞ」


 許しをもらうやいなや、ベルリオットは屋敷の中へと飛び込んだ。


 玄関は、屋内にも関わらず不思議と視界が開けるような造りだった。

 思わず息を呑んでしまう。


 窓から射し込んだ陽光によって、わずかな埃が映っている。

 けれど不潔な感じはない。

 むしろ壁も床も、すべてがピカピカだ。


 思い切り息を吸い込む。

 アーバスの家より木の匂いは薄い。

 けれど嫌いな匂いではなかった。


 玄関から廊下へと繰り出した。

 早速、一階の探検開始だ。


 居間に台所、浴室。

 どこもアーバスの家より大きい。

 それに、やっぱりピカピカだ。


 ――ここが新しい家。

 そう思うとワクワクしてたまらなかった。


 ベルリオットは軽やかな足取りで軋む階段をのぼり、今度は二階へ。

 一階と違って部屋が沢山ある。

 手前から順に扉を開けていく。


「いち、にー、さん、しー、ごー……すごい、部屋が一杯だ!」


 人数分の三つしか部屋がなかったアーバスの家とは大違いだ。

 ベルリオットは一番隅の部屋を物色する。

 当然、まだ家具がないので殺風景だ。


 奥へと進んで窓を開ける。

 貴族街独特の、ゆったりとした家々の配置のおかげか。

 視界は遮られることなく、遠くまで見晴らすことができた。


 入り込んできた涼やかな風を感じながら、思う。

 ――最高だ。


 ベルリオットは弾かれるように踵を返し、走った。

 二階の縁から一階を覗くと、ちょうど屋敷の中に入ってきたライジェルとメルザリッテの姿を見つけた。先ほどの部屋を指差しながら叫ぶ。


「ここが僕の部屋でもいい!?」

「おう、好きにしろ」


 ライジェルはにかっと笑いながら応じてくれた。

 ベルリオットは昨日からずっと拗ねていたことが馬鹿らしくなった。

 溢れ出る幸せな気持ちをそのまま言葉にする。


「お父さん、ありがとう!」



     ◆◆◆◆◆


 ……寝られない。


 ベルリオットは何度も寝返っては唸っていた。

 新しく用意してもらったベッドはすごく柔らかいし、シーツはつるつる。

 毛布だってふんわりとして温かい。


 文句のつけようがないぐらい寝心地は最高だ。

 なのに、なんだか落ちつかなかった。


 むくりと半身を起こして目を開ける。

 まだカーテンを取り付けていないこともあり、窓越しにすっかり暗くなった空が見えた。


 普段、寝つきがいいこともあって真夜中に起きることは滅多にない。

 そのうえ引っ越したばかりの家だ。

 不安な気持ちがせりあがってきた。


 枕を持って廊下を出ると、ライジェルの寝室を目指した。

 こっそり扉を開け、中に入る。


 と、なるべく音を立てないようにしていたのに起こしてしまったようだ。

 ライジェルが眠たそうな眼を向けてくる。


「どうしたんだ、こんな時間に」


 眠れないなんて恥ずかしくて言えなかった。

 枕を抱きしめながら黙り込んでしまう。


「こっちこい」


 ライジェルがベッドの端に寄ると、入れとばかりに毛布を持ち上げた。

 ベルリオットは少しだけためらったあと、促されるまま潜り込んだ。

 自分の枕に頭を乗せて、ライジェルと向かい合うようにもぞもぞと体を動かす。


「メルザには内緒にしてね。僕が眠れなかったってこと」

「ああ、約束だ。俺の口からは絶対に言わねぇよ」


 ライジェルは優しい声で応じてくれる。

 普段は気になる髭も、いまはなんだか嫌いになれなかった。


「ねえ、お父さん。なにかお話しして」

「なにかって漠然とし過ぎだろ」

「なんでもいいよ」


 最近、二人でゆっくり話す機会がなかった。

 だから起きている時間が延びれば、話の内容なんて本当にどうでもよかった。

 ライジェルは天井を見上げるように体勢を変え、静かに話しはじめる。


「そういや俺の親の話は、あんましてなかったよな」

「うん。話したくないみたいだったし」


 ライジェルはなにも答えなかった。

 ただ少し困ったように眉尻を下げていた。


「うちの親は農家でな。アーバスでのんびり暮らしてたんだ」

「もしかして家の裏手にあった草が剥げてたところって」

「元は畑だ。いまじゃもう使い物にならねえけどな」


 ずっと前にメルザリッテとドロ遊びをしたことがあった場所だ。

 それがまさか畑だったとは思いもしなかった。


「まあ、農家っても苦労のわりにあんまり稼ぎが良くなくてな。だから両親を楽させてやりたい。そう思って俺は騎士になろうと思ったんだ。騎士になれば沢山のお金をもらえるからな」


 父親が騎士を目指した理由。

 もっと強くなるためだとか、国を守りたいだとか。

 そんな格好良い理由だと思っていたけれど、まさかお金のためだったとは。


 ただ、親のためだと聞いたからか。

 不思議といやな気持ちはなかった。


「そんで訓練校に入って、ひたすらに剣の腕を磨いて……まあ、そこからはお前も知ってるとおりだ」

「うん。騎士に……それも王城騎士になった」


 王都に足を運べば騎士ライジェルの噂話を聞くことは簡単だ。

 それほどの人が自分の父親であることは、ベルリオットにとってなによりの誇りだった。


「ただな、ほぼ同時期のことだ。両親ともに倒れてたって知ったのは」

「……え」

「どっちも過労だったらしい」


 ベルリオットはどう反応すればいいかわからなかった。

 そんな心境を読み取ってか、ライジェルは話を続ける。


「俺は言ったよ。どうして教えてくれなかったんだって。そしたら親たちはこう言うんだ。お前に心配をかけたくなかったって」


 ベルリオットは恐る恐る質問する。


「そのあと、どうしちゃったの?」

「亡くなったよ、二人ともな。母親のほうが少し遅かった」


 あっさりとした声に反して、その唇はかすかに震えていた。


「どうしようもねぇよな。親を楽させようって思って始めたのに、その親がいなくなっちまったんだから」


 言いながら、ライジェルは自嘲するように笑う。

 当時、どれほど悔やんでいたのか。

 その顔を見れば容易に想像できた。


「家を継ごうって思わなかったの」

「思った。思ったけど、親はいやな顔ひとつせずに俺を応援してくれてたんだ。だからその想いに報いるためにも、俺は自分が選んだ道を進むって決めた」


 ライジェルはそこで言葉を切った。

 けれど、そのあとになにか続くような気がした。


「僕のせいだよね」


 ベルリオットは気づけばそう零していた。


「本当はずっとアーバスで暮らしていたかったんでしょ」

「正直に言うとな」

「……やっぱり」

「けど、いまの俺にはお前と過ごす時間のほうが大切だ」

「お父さん……」


 騎士団の仕事を優先して、息子のことなんてどうでもいいと思っているに違いない。

 最近はそう思うことが多くあったけれど……。


 違った。

 本当はちゃんと考えてくれていたのだ。


「たまに戻ろう。アーバスに」

「……ベル?」


 ライジェルが少し驚いたように目を開いた。


「僕もアーバスの空気が大好きだから。お父さんが買ってくれた、この新しい家も好きになれそうだけど、やっぱりアーバスの家も大好きだから」


 精一杯、笑顔で告げた。

 ライジェルが望んだ答えだったかはわからない。

 けれど、それが偽りのない気持ちだった。


「あ、でもボロくてたまに床が抜けるのは嫌だけどね」

「ったく、最後のは余計だ。……けど、俺の最高の息子だよ」

「えへへ」


 抱き寄せられた。

 逞しい腕に逞しい胸。

 少しばかり暑苦しいけれど……。


 ここも僕の大好きな場所だ。



     ◆◆◆◆◆


「ベル様? どうしてライジェル様のベッドに……?」


 翌朝。

 目覚めると、メルザリッテの驚いた顔が視界に飛び込んできた。


 どうしてそんな顔をしているのか。

 すぐにはわからなかったけれど、いまも隣でいびきをかいているライジェルを見て、ようやく思い出した。


「こ、これは違うから。べつに寂しくて眠れなかったわけじゃないからっ」


 ベルリオットはベッドから飛び出るなり、懸命に弁解する。

 ただ、肝心のメルザリッテの様子がおかしかった。

 なにやら俯いて、わなわなと震えている。


「……どうして」

「メ、メルザ?」

「どうしてわたくしのところに来てくださらなかったのですかっ!?」

「き、気にするとこそこなのっ?」


 必死な顔で詰め寄ってくるメルザリッテ。

 ベルリオットは顔をそらしながら答える。


「だってメルザのところにいったら抱き枕にされそうだし……」

「もちろんです。それはもう朝まで包みこんで寂しい思いなんて絶対にさせません!」


 やはりメルザリッテはメルザリッテだ。

 ベルリオットは呆れつつベッドに目を向ける。


「お父さん、まだ寝てる。こんなにうるさくしてるのに」

「相変わらずですね、ライジェル様は」

「いつまで寝てるの! もう朝だよっ」


 大きく体を揺さぶると、ようやくライジェルが目を覚ました。


「おはよう、お父さん」

「おはようございます、ライジェル様」

「ん……あ、ああ……おはよう」


 ライジェルは気だるさを隠さずにあくびをしたあと、こちらをじっと見つめてきた。


「どうしたんだ、今日はえらく元気じゃねぇか」

「べっつにー。いつもと変わらないよ」


 嘘だった。

 本当はいつも以上に体も心も軽かった。

 昨夜のことが少なからず影響しているのは間違いなかった。


「すでに食事のご用意ができています」

「着替えたらすぐに下りる」


 ベルリオットはいつも寝間着のまま朝飯を食べる。

 先に部屋をあとにしたメルザリッテに続いて、部屋を出ようとする。


「あ、そうだ」


 言い忘れていたことがあった。

 ベルリオットは振り返って、にかっと笑う。


「お父さん、今日も騎士団のお仕事がんばってね!」





現在はべつの作品を連載しております。

もしよければ、こちらもお読みいただけましたら幸いです。

『五つの塔の頂へ』

URL→(https://ncode.syosetu.com/n7069ds/)

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