◆第十六話『リヴェティア大陸』
操縦席に座るナトゥールの身体にアウラが集まっていく。
彼女の前には色違いの、掌大の丸水晶が幾つも埋め込まれていた。
あれはオルティエ水晶と呼ばれるものでアウラを通しやすい性質を持っている。
オルティエ水晶を通して、操縦者はアウラを飛空船に流し込むことができる。
各色ごとでアウラが滞留する場所も変わるので、それによって飛空船の航行を制御するという仕組みだ。
ちなみに操縦者から光翼が出ることはない。
これは放出先が、一時的に背中から手に移っているからである。
ナトゥールがオルティエ水晶に手を当てると、間もなく飛空船の下部からアウラが溢れ出し、ベルリオットは浮遊感を覚えた。
飛空船は徐々に上空へと向かい始める。
機体後部からアウラが噴出し始めると、前方へゆっくり進みだす。
「お気をつけて行ってらっしゃいませ~!」
地上で手を振るメルザリッテに見送られ、ベルリオットを乗せた飛空船は一気に加速した。
上空から見下ろす王都は城塞都市と言ってもよく、周りを円形の城壁に囲まれていた。
王都北側に位置する王城は、その権威を象徴するかのごとく巨大である。
城下町では、ストレニアス通りを基準に西側の貴族居住区、東側の平民居住区が均整に並び、南側にあるリヴェティア・ポータスでは飛空船が発着を繰り返していた。
すべてに無駄がない。
なんというか、ぎっしりと詰まった感じだ。
その圧迫感をレニス広場や、そこから延びるように王都を横断する川の青々さが和らげている。
「綺麗……だな」
流れていく王都の景色を見下ろしながら、ベルリオットはそう零した。
それがベルリオットの前に座っていたエリアスに聞こえていたらしい。
「普段、上空から見慣れていないから余計にそう見えるのでしょう」
「その通り、飛べない俺には新鮮な景色だよ」
おざなりに返事をすると、エリアスがふんっと鼻を鳴らした。
「王都リヴェティアの基盤は『ベッチェ・ラヴィエーナ』の構想を元に設計されたものですから。美に重きが置かれているのはそのためでしょう」
ベッチェ・ラヴィエーナとは、天才芸術家と謳われた古代の人物である。
そして芸術家でありながら、「美を求めることで人は進化する」という持論のもと、多くの発明品を残した発明家でもある。
ベッチェの技術や思想は、ラヴィエーナの家系に代々受け継がれていると聞く。
リズアートが会話に入ってくる。
「ベッチェ・ラヴィエーナと言えば……飛空船も彼女が造ったものよね」
「構造自体は簡単らしいし、今じゃ当たり前みたいな技術になってるが……当時、同じようなものを造れと言われても俺には到底無理だったろうな」
大量のアウラを放出することによって、大陸を浮遊させている《飛翔核》。
その《飛翔核》の影響が及ばない大陸の外はアウラが薄い。そのため、飛空船がまだなかった大昔では大陸間の移動ができなかったという。
そんな折、ベッチェ・ラヴィエーナが、一定時間ではあるがアウラを滞留させる技術を発明した。
大陸間を行き来できる、飛空船の誕生である。
飛空船の登場により、みるみるうちに大陸間の貿易は活性化。
大陸間で、得手不得手の生産品を補い合うという概念が次第に強くなった。
結果、今では飛空船なしでは国家は成り立たなくなっている。
「『ラヴィエーナは変人である』と伝わるぐらいですから、我々には到底及びもつかない思考回路をしていたのではないでしょうか。とはいえ“前代未聞のアウラを使えない”という異質な点では同じである誰かとは、功績において天と地ほどの差がありますね」
「口を開けば嫌味しか出てこないのか、あんたは」
相も変わらず嫌われたものである。
「そういえば最近はラヴィエーナの噂を聞かないな」
「ラヴィエーナの家系は代々放浪癖があると聞きますから。またどこかで新たな発明をしているのではないでしょうか」
「落ち着きがない家系だな」
「まあ、だからこそ、全大陸を通じてその名を馳せることが出来たのだと思いますが」
話しているうちに飛空船は王都上空から離れていた。
視界の中、王都が段々と小さくなっていく。
王都郊外の西側一帯に広がる巨大な原生林。
そこにはアウラを吸い、放出と共に水を作り出すウォルトポットと呼ばれる木が多く生えている。
そのウォルトポットが生み出した湖から水を引くことで、王都は水源を確保していた。
西側を除き、王都の周りには起伏が緩やかで緑豊かな草原が広がっている。
散在する村々では農業、牧畜を営む者が多い。
それら景色をあとにし、飛空船は南方に進む。
前方に山々の連なりが見えてくる。
なだらかな稜線の先は霞んでいて見えない。
「少し高度を上げます。イオル、補助してもらってもいい?」
「ああ」
飛空船内部にアウラを流すためのオルティエ水晶が、補助席にもひとつだけある。
そこにイオルが手を当てると、飛空船の高度が徐々に上がっていく。
やがて地面が緑であること以外、わからなくなるぐらいまでに到達する。
普段、ベルリオットはこれほどの高さまで来ることがない。
下を見るだけで股間が縮むような感覚に陥ってしまう。
大陸の外縁が目に入る。
さらに外側には白い靄がどこまでも広がっていた。
そのため、シグルが住むという地上の姿はまったく見えない。
突如、骨を震わせるような音が耳をついた。
不快になるほどではないし、集中していなければわからないほど微量な音。
この音をベルリオットはよく知っている。
「《運命の輪》か」
振り返った先――北側に、大陸に近づく巨大な影があった。
大陸ほどではないが、それに近いほどの大きさを持った、白銀の球。
輪郭には、まとわりつくように白の光が渦巻く。球は動いているのかわからないほど緩やかな動きで、リヴェティア大陸に近づいてくる。
太古、神より人間に授けられたという、《運命の輪》。
各大陸がもっとも下降する《災厄日》に近づいては、《飛翔核》にアウラを供給し、大陸を上昇させる。アウラを供給し終えた《運命の輪》は、また《災厄日》を迎える大陸に近づき、アウラを供給する。
繰り返しである。
人智を超えたその技術を、人は未だ解明できていない。
そもそも《運命の輪》に近づけば、青の光の激流に飲まれ、命はないのだというから調べることすらできない。
確実なのは、《運命の輪》がなければ大陸は地上へ落ちてしまう、ということだ。
「あんなわけのわからないものに生かされていると思うと、なんか生きた心地がしないよな」
「どうしてですか?」
とエリアス。
「いや、もしあれが壊れでもしたら誰も直せないだろ」
「壊れる? そんなことがあるわけないでしょう」
鼻で笑われた。
「神が与えてくださったものですから。万が一にも、そんなことはありません」
エリアスの言う神とは、慈愛の女神ベネフィリアのことだ。
リヴェティア民のほとんどが属するサンティアカ教が信仰する神である。
信仰心の薄いベルリオットにとっては、信じて疑わないエリアスの思考に共感できなかった。
とはいえベルリオットも思ったことを口にしただけで、《運命の輪》が壊れることなど想像できない。
もし仮に壊れるとしても約千七百年と続いてきた歴史がある。
今、である可能性は低いだろう。
まあ、俺には関係のない話だな。
他人事のように頭の片隅へと追いやった。
程なくして、山の表面がはっきりと見えてくる。
連なる山々の頂上には防壁が築かれていた。
ただ石を積み上げただけの簡単な造りだが、切れ目が見えないほど続くその姿は、まさに壮観だ。
あれがシグルの侵攻を防ぐため、築かれた南方防衛線だ。
稜線がなだらかに見えたのは、防壁を築くために山が整備されたからである。
防壁上には騎士たちがまばらに待機していた。
一箇所に何人もという配置ではなく、かなり間隔を空けている。
城壁の内側――つまりベルリオットたちから見て手前側に、幾つもの尖塔が等間隔に建てられている。その中でも、ひと際大きな尖塔の手前に、ベルリオットたちを乗せた飛空船は着陸した。
他にも幾つかの飛空船が無造作に停められていた。
王城騎士の紋章が描かれている。
恐らくとも言わず、王都から出征してきた王城騎士たちの物だ。
尖塔の中に入り、内部外壁を伝うように造られた螺旋階段を上っていく。
途中にあるのは寝床と休憩所を兼ねた、ただの広間ばかりだった。
ベルリオットは呟く。
「あんまり人がいないな」
「防衛線の駐留騎士たちは《災厄日》の二日前から、応援部隊である王城騎士たちは昨日から迎撃にあたっていますから」
そう答えたエリアスに、リズアートが憮然としていた。
「気遣われたのよねー。まあ、立場もあるし仕方ないけれど。でも、やっぱり腹が立つわ」
「本日の泊り込みも、本当ならばご遠慮して頂きたかったのですが」
「それだけは譲れないわ。だって一度でもいいからちゃんと体験しておきたいじゃない。王族として、騎士たちの仕事がどういうものか把握しておくべきだと思うもの。あなたもそう思うでしょう? ベルリオット」
「単に興味があっただけだろ」
「まっ、そうなんだけどね」
悪びれたふうでもなく、さらりと言ってのけた。
まるでベルリオットがそう返すのがわかっていたかのような、あっさりした感じだ。
わかっていたとしたら、なぜ訊いてきたのか。
ときどきというか、リズアートの思考はいつもよくわからない。
「とはいえ、もっともシグルが活性化する時間帯は本日の正午前です。それ以外は、ガリオンやアビスのような下位のシグルが散発的に現れるぐらいですから、経験してもあまり得にはならないと思います」
「そうかもしれないけど。こう……長時間、シグルの襲撃にさらされ続け磨り減った精神状態で、どこまでできるか! みたいなことを経験したかったのよ」
つい先日、ガリオンの襲撃を受け、窮地に陥った人間の言葉とは思えなかった。
時間という点ではそう長くはなかったかもしれないが、相手はガリオン十体という圧倒的不利な状態の中で攻撃を受け続け、相当に精神をすり減らされたはずだ。
あれでもまだ足りないというのか。
まったくもって理解しがたい。
だがエリアスの話を聞いて、ベルリオットも早めに来ていれば良かったと思った。
下位のシグルが散発的にやってくるのなら試せると思ったのだ。
ただの剣でシグルを斬れるかどうか、を。
まっ、今日だって機会はあるだろ。エリアスたちが撃ち漏らしたシグル相手にでも狙ってみるか。
と、淡い期待を抱きながら、ベルリオットは腰に佩いた剣の柄を、ぐっと握った。