表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
159/161

『剣聖記』

 ほんのりと温かくなりはじめた昼下がり。

 ライジェル・トレスティングはログナート家の屋敷を訪れていた。

 広々とした居間の中、向かいのソファに精悍な顔つきの男が座る。


「お前とこうして話すのも久しぶりだな、ライジェル」


 彼はハサン・ログナート。

 ログナート家の当主であり、元リヴェティア騎士団の団長だ。


「先輩が引退して以来ですからね」

「もう二年になるか。ときが経つのも早いな」


 そう口にしたハサンからは覇気が感じられなかった。

 ただ、貫禄が失われたわけではない。


「まだ、いけたんじゃないですか?」

「騎士として、か?」


 ライジェルは「ええ」とうなずいた。

 ハサンは少しの間目を閉じたのち、穏やかな笑みを浮かべる。


「優秀な騎士が下からどんどん伸びてきてるんだ。上で干からびた騎士が蓋をしていたら、伸びるものも伸びなくなってしまうだろう?」

「そんなもんですかね」

「そういうものだ」


 彼はおどけたように言って話を締めると、前へとわずかに身を傾けた。


「それであの件だが……なにも俺に頼まなくても、公的に申し込むのもありだと思うがな。いまや誰もが注目するところだろう。最強は《幻影騎士》か、あるいは《剣聖》か」


 ライジェルはハサンにある頼み事をしていた。

《幻影騎士》アヌ・ヴァロン。

 全体陸中最強と謳われる、彼との決闘の場を作って欲しいというものだ。


「派手な祭りになったらそれはそれで面白いかもしれないが、俺がやりたいのは見世物じゃない。誰にも邪魔されない真剣勝負なんですよ」


 言って、ライジェルは自身の右手をぐっと握りしめた。


 突如として現れた――モノセロスと呼ばれるシグルを倒してからというもの、最強の騎士と称されることが増えた。だが、本当の意味での〝最強の騎士〟はやはりヴァロンという壁を越えることでしか得られない。


「普段は飄々としてるくせに、根っこのところは相変わらずだな」

「褒め言葉として受け取っときます」


 仕方ない奴だなと苦笑したハサンに、ライジェルは不敵な笑みで応じた。


「いいだろう。ティゴーグの知己に一筆したためよう」

「感謝します」

「わたしにできるのはそこまでだ。実現するかまでは保障できんぞ」

「充分です」


 とにかく近くまで辿ればどうとでもなる。

 これまでも、そうして生きてきたのだ。


「お父様~。見てくださ~い!」


 ふいに明るい声とともに幼い少女が居間に入ってきた。

 七歳ぐらいだろうか。ベルリオットよりも少し上に見える。


 肩に軽く触れるほどの淡い金髪。それに縁取られた顔は小さく、またひどく整っている。将来美人になることは間違いない。


 ただ、少女の服は一般的な子が着るようなものではなかった。

 リヴェティアの騎士が着ているのと同じ騎士服だ。


「エリアス。すまないが、いま客人が来ているんだ」

「も、申し訳ありません……」


 ハサンにたしなめられた少女がしゅんと縮こまってしまう。


「俺のことは気にせずに。先輩の娘さんですか?」

「ああ。エリアス、彼のことは知っているな?」

「はい、もちろんです! お父様に代わって、新しく騎士団長に就任なされたライジェル・トレスティングさまです!」


 エリアスと呼ばれた少女は背筋をぴんと伸ばし、元気な声で続ける。


「お初にお目にかかります、エリアス・ログナートです!」


 ライジェルは思わず目を瞬いてしまった。

 ベルリオットとそう変わらない年齢の子だというのに、ここまでハキハキと挨拶ができるとは思いもしなかったのだ。


「先輩、やばいぐらいしっかりしてるじゃないすか」

「だろう。自慢の娘だ」


 褒められて嬉しかったのだろう。

 エリアスが俯いて「えへへ」とにやけていた。

 ちゃんと子どもらしい一面もあるようだ。


「それにしても、どうして騎士服を?」

「ああ、それなんだが……」


 ハサンの言葉を遮るようにエリアスが声をあげる。


「明日から、リズアート様の護衛を務めることになりました」

「と、いうことだ」


 ハサンが娘の報告にそう付け足したあと、顔を寄せてきた。

 小声で囁いてくる。


「姫の友人としてどうか、と陛下から以前より頼まれていてな」

「なるほど、そういうことですか。でも……護衛のほうも立派に務めてくれそうじゃないですか」

「剣のほうは抜かりないぞ。なにしろわたしの娘だからな」


 実際、基本的な剣術を身につけていることは立ち居振る舞いからも見て取れる。

 それに良い目をしている。

 十年後、間違いなく優れた騎士に育っているに違いない。


 ……こりゃ、ベルのほうももっとしごいてやらねぇとな。


 そんなことを思いながらライジェルは立ち上がり、エリアスに向かった。


「騎士、エリアス・ログナート!」

「は、はいっ」


 突然のことにびくりとしたエリアスだったが、すぐさま姿勢を正した。


「俺は、ゆえあって明日からリヴェティアを離れなくちゃならない。だから……俺の代わりに姫のことを頼んだぞ」

「……ッ!」


 一人前の騎士として扱われたことがよほど嬉しかったのか、エリアスはぱあっと顔を綻ばせた。が、すぐに目をつぶってぶんぶんと頭を振ると、きりりと顔を引き締めた。


「はい! この身に代えても必ずやリズアートさまをお守りしますっ!」


 エリアスの真っ直ぐな気持ちに、ライジェルは力強いうなずきで応じた。


 ……優秀な騎士が下からどんどん伸びてきてる、か。

 こりゃ、俺もうかうかしてられねぇな。



◆◆◆◆◆


 射し込む陽光はなかった。

 壁にかけられた蝋燭の灯を頼りに、ライジェルは荷袋を担いで玄関へと辿りつく。


 ふと階段のほうから軋む音が聞こえてきた。

 手燭を持ったメルザリッテが玄関にやってくる。


「ベルはもう寝たのか?」

「はい、本日も最高に可愛い寝顔でした」


 彼女は至福を噛みしめるように口元を緩ませる。蝋燭の灯に強調されているので嬉しさの度合いが痛いほどよくわかった。

 ライジェルは舌打ちしながら肩をすくめる。


「んだよ、ベルの奴。もう少し寂しがってくれりゃあ可愛げもあるんだけどな」


 本日、ログナート家から帰宅した際、少しの間旅に出ることをベルリオットに話すと、「お父さんがいなくたってべつに平気だし」と言われてしまった。その場限りの強がりかと思いきや、そうでもなかったらしい。


「ライジェル様に心配させまいと頑張って堪えているように思います。少なくとも、わたくしはそう感じました」

「ベルも、そういう歳になったか……」


 息子の成長は素直に嬉しいが、ほんの少し寂しくもあった。

 こんな感情を抱いているあたり、もしかしたら親離れより子離れのほうが遅くなるかもな、とライジェルは心中で笑った。


「ライジェル様。あなたの強さはすでに認めております。わたくしからこれ以上を求めるつもりはありません」


 行く必要はない、とメルザリッテは言っているのだ。

 ティゴーグ大陸へ向かう目的について、彼女には伝えてある。


「べつに俺はお前に認められたくて行くんじゃねぇよ。ただ、自分に自信が欲しいんだ」


 荷袋を掴んだ手に力を込めながら、ライジェルは語る。


「ベルがどんどん大きくなっていくうちに、父親として思うようになったんだ。世界の命運を分けるような使命をこいつだけに背負わせていいのかってな」


 ベルリオットを託されてから約五年。

 その間、緩やかに、そして大きく心境が変化した。


「メルザ。お前が俺に求めたのはベルを育てることだ。けどよ、俺はあいつと肩を並べて戦いてぇんだ」

「ならばいまのままでも充分に――」

「言ったろ、肩を並べるって。ベルはあのベネフィリアの子だ。だったら、隣に立つにはこの狭間の世界で〝最強の騎士〟ぐらいの称号は必要だろ」


 息子にとっていつまでも誇れる父でありたい。

 それがいま、なにより願うことであり、目標にしていることだった。


 メルザリッテがじっと見据えてくる。まるで心の奥底まで見透かされているような気分に陥る。だが、それでも構わないとばかりにライジェルは見つめ返した。

 メルザリッテがふっと顔を弛緩させる。


「やはり、あなたを選んで正解だったようです」

「それはなによりだ。ま、あいつの父親だって胸張ってられるよう、せいぜい頑張るぜ」


 空気が柔らかくなったのを機に、ライジェルはここぞとばかりにおどけた。


「ベルを頼む……って言ってもお前がいるなら安心か」

「ええ。このメルザがいる限り、いかなる害をも振り払ってみせます」

「お前の強さを知ってる身としちゃあ、頼もしい限りだぜ」


 メルザリッテはアムールだ。

 この狭間の世界において、彼女のそば以上に安全な場所はない。

 ライジェルは玄関扉に向かうと、肩越しに別れを告げた。


「んじゃま、ちょっくら最強の称号いただいてくるわ」

「ご武運を」



◆◆◆◆◆


 リヴェティア大陸からティゴーグ大陸へ渡るには、途中のファルール大陸だけでなくメルヴェロンド大陸も経由しなければならない。おかげで到着したときには相当な疲れが溜まっていた。


 ……こりゃあ、剣を一日中振っていたほうがマシだな。


 そう独りごちながら、ライジェルは発着場をあとにした。


 しばらくして、家屋と一体になった店が建ち並ぶ通り――流通街へと出た。貴族街と貧民街の間とあって道行く人の格好はさまざまだ。共通しているのは他人への興味の無さだろうか。そのせいもあって人は多いのに活気を感じられない。


 と、思いきや――。


「待ちやがれクソガキども!」


 前方から怒声が聞こえてきた。

 なにやら一人の男が、二人の子どもを追いかけている。


「もっと速く走れ、ドン!」

「そんなこと言われても~」


 子どもたちはどちらも十歳ぐらいか。

 片方は細身、もう片方はふっくらとした体型だ。


 二人して両手に沢山の野菜を抱えている。

 その様子から察するに盗みでもしたのだろう。


 子どもたちが脇を通りすぎ、路地へと逃げていく。追いかける男もまたそのあとに続こうとしていたが、ライジェルは腕を出して道を塞いだ。


「おい、邪魔すんじゃねぇ!」

「あ~、ちょっといいか」

「あぁ!? どけって言って――」


 ライジェルは男の肩に手を置いて地面に軽く押し付ける。と、男は呻いたのち、一瞬で大人しくなった。それを機にライジェルは男の手に硬貨を握らせる。


「あいつらが持ってったもん、これで足りるか?」

「え、あ、ああ……でも」


 かなり多めに渡した。

 大体、子どもたちが盗んだ分の五倍相当だ。


「今回は見逃してやってくれ」

「ま、まあ俺はいいんだけどよ……へへ」


 思いがけぬ収入に男は口元の綻びを止められないといった様子だ。

 本来、見知らぬ子たちが盗んだ分を払う義理はない。良いこととも思わないし、悪いこととも思わない。ただ、本当に気分で動いた結果だった。


「それより一つ訊きたいんだが、貴族街の入口がどこか教えてもらってもいいか?」

「へ、へい。それならこの通りを真っ直ぐ行ったら、右手に三階建ての赤い建物が見えますんで。そこの隣にある門を潜ってもらえれば、すぐです」

「そうか。案内、ありがとな」


 ライジェルは男の肩を軽く叩いたのち、貴族街を目指して歩みを再開した。



◆◆◆◆◆


 王都ティゴーグの貴族街は山のような円錐状の土地に築かれている。

 渦を巻くようにして麓から頂上の王城へと繋がる道。そこに沿うよう多くの屋敷がぎっしりと建ち並ぶさまはまさに圧巻の一言だ。

 そこかしこに配された緑や花々もまた貴族街の洗練さに一役を買っている。


 ……ここまであからさまだと呆れるほかないな。


 貴族街の坂道をのぼりながら、ライジェルは嘆息した。

 王都の外側に広がる貧民街に鮮やかさなどいっさいない。

 遠目からでもわかるほど地味で、貴族街との差をありありと見て取れる。


 ほんと、クソみてぇな国だよ。


 そんな悪態をつくしかできない自分にわずかな苛立ちを感じながら、ライジェルは目的の屋敷を目指した。



◆◆◆◆◆


 使用人に案内された先、居間でしばらく待っていると、歳のほど五十といったたくましい体つきの男が入室してきた。ライジェルはソファから立ち上がって迎える。


「ライジェル・トレスティングです」

「オルキ・デアブレスだ」


 握手を交わす。

 がっしりとした手の厚みが彼の実力を物語っていた。

 幾ばくか柔らかさを感じたのは年齢ゆえか。

 互いに腰を下ろすと、オルキが軽い口調で話を切り出した。


「きみのことはハサンからよく聞かされていたよ」

「なにか変なこと言われてそうですね……」

「生意気な後輩がいる、とは言っていたな」


 その言葉に、ライジェルは思わず頭をかいてしまう。

 訓練生の頃だったか。王城騎士であるハサンのことを「おっさん」と呼んだり、「俺が倒してやる」と大口を叩いたりしていた。いま思えば無礼にもほどがある。

 生意気などと言われても否定はできない。


「あ~……やっぱり」

「ただ、こうも言っていた。俺よりも強い、とね」


 オルキはにやりと笑ったのち、話を継ぐ。


「あのハサンよりも強いと聞いて、にわかには信じがたかったが……なるほど、どうやら本当のようだ」

「そちらも噂に違わぬ力をお持ちのようで」

「すでに引退した身だ」

「風格ってのは、そうそう失われないもんですよ」

「……ふむ、ハサンが気に入るわけだ」


 オルキが背もたれに身をあずけた。

 顎をさすりながら真剣な表情になる。


「結論から言おう。決闘の場を用意することは可能だ」

「本当ですか……!」

「ああ。これでもヴァロン卿の右腕を長く務めていたからな。一つや二つ頼みを聞いてもらうほどの繋がりはある。ただ、彼が王の護衛であることは知っているだろう?」

「やっぱり、すぐにってわけにはいきませんかね」


 一応、これでも騎士団長の身だ。

 長くリヴェティア大陸を離れるのは体裁的によくない。もちろん無計画に飛びだしてきたのが悪いとは自覚しているが。

 一度出直すしかないか、とライジェルが諦めかけたとき、オルキが不敵に笑った。


「それがちょうどいま、彼は若い奴らの教育に当たっていてな。たびたび各地の防衛線を飛び回っているところなんだよ」

「てことは――」

「ああ、いけるぞ。きみが良ければ、明日にでも」

「ぜひお願いします……!」


 闘えるのならいつだって構わない。

 それこそ、いますぐでも。


「ただ、一つだけ言っておくが、ヴァロン卿は戦いに関して気難しい一面がある。決闘の場に現れるかは彼次第だ」

「伝えてくれるだけで充分です」

「えらく自信あり気だな」

「なんとなくですけど、彼は必ず来てくれる、と……そう思ってます」

「高みに達したもの同士の共鳴、か」


 そんな言葉を残して、オルキはおもむろに立ち上がった。窓へと寄り、外の景色に目を向けながら口を開く。


「話は変わるが……噂では、まだきみは結婚をしていないらしいじゃないか」

「え、ええ。まあ」


 予想だにしない話を振られ、ライジェルは思わず目を瞬いてしまう。


「その歳でまだ独り身となると、世間体的にも難しいときがあるだろう。それにきみほどの騎士だ。血を絶やすのはもったいない。いまのうちに――」

「俺、子ども居ますよ」


 血は繋がっていないが、独り身ではない。

 そのことをライジェルが端的に伝えると、オルキが物凄い勢いで振り返った。


「なにっ!? どういうことなんだ?」

「いやまあ……ちょっと言えない事情があって」


 まさか女神ベネフィリアの子をアムールから預かった、なんて言えるわけもなく。そんな曖昧な言葉で濁すしかなかった。


「言えない事情…………まさか、いや……うぅむ」


 オルキが腕を組みながら、渋面のまま唸りだした。


「子持ちとなると跡継ぎの問題もある。非常に残念だが、諦めるしかなさそうだな」


 たびたび漏れていた言葉から察することはできた。

 おそらく彼は自身の娘を嫁がせようと考えていたのだろう。

 大事な娘の相手に選んでくれたのは光栄だが、いまは身を固めるつもりはない。だから、誤解を解く気も起こらなかった。


「なんか申し訳ないです」

「いや、きみは悪くない。きみは悪くないんだ」


 まるで自分に言い聞かせるように呟いたのち、オルキは「ハサンめ……!」と恨み節を放った。どうやらハサンの手紙には策略が巡らされていたようだ。詳細を知りたいところだが……きっと触れないほうが身のためだろう。


 気持ちを一新するためか、オルキが大きく息を吐いた。それから少しばかりに眉尻を下げながらという複雑な笑みで言った。


「今日はここに泊まってゆっくり休むといい」

「なにからなにまで本当に感謝いたします」


 ライジェルは深く頭を下げながら、早くも意識を決闘へと向けた。


 これでようやく闘える。

 最強の騎士アヌ・ヴァロンと――。



◆◆◆◆◆


 広い荒野に点在する欠損、風化の見られる柱や壁。過去、さぞかし立派な建物の一部を担っていたのだろう。だが、いまやその姿を想像することはかなわない。


 ティゴーグ大陸北西部――ジデスタ廃墟。

 この地こそが、決闘の舞台として指定された場所だった。


 ライジェルはちょうど頭の上辺りで折れた柱に身を預けながら、相手の到着を待っていた。ざらり、と砂がすれる音が遺跡に響く。


 ――来たか。


 ライジェルは柱から離れ、音のしたほうへと向き直る。

 と、そこに一人の男が立っていた。


 わずかに黒から白へと変わりかけた薄い髪、垂れかけたまぶたが特徴的だ。ハサンやオルキのような筋骨隆々といった体つきではない。それどころか騎士というにはあまりに線が細すぎる。ただ、彼から滲み出る圧は凄まじいものだった。


 これが狭間の世界で最強と謳われる騎士――アヌ・ヴァロン。

 越えなければならない壁。


 ライジェルは戦慄した。

 恐怖か、高揚か。


 どちらともとれる感情が、いますぐに剣を振るえと脳に訴えかけてくる。だが、ライジェルはそれを理性で抑えこみ、頭を下げた。


「このたびはこちらの勝手な要望に応じていただき、感謝いたします」

「……おぬしは生意気な若造だと聞いておるぞ。皮を被るな。それに、ここはそういう場じゃろう」


 ヴァロンの低い声音は、すでに意識が決闘へと向いていることを伝えてきた。

 ライジェルは自身に潜む野生を表に出しながら顔をあげた。


「ああ、そうだったな。ここは、そういう場所だ。アヌ・ヴァロン」

「《剣聖》よ。ワシに勝ってなにを望む? 最強の称号が欲しいのなら見届ける者が必要だろう」

「俺が欲しいのは大衆が認める最強じゃねぇ。俺自身が納得できる最強だ。そして、俺自身が誇れる最強だ」


 それを得るためには真剣勝負でなければならない。

 誰にも邪魔されぬ環境でなければ意味がない。

 ヴァロンの口端がかすかに吊り上がる。


「そんな貴様だからこそ、ワシはこの老体に鞭打ってこの場に立ったということ。ゆめゆめ忘れるなよ」

「恩に着るぜ」


 ライジェルが礼を述べた直後、ヴァロンが細く長く息を吸いはじめた。あわせてその老体を取り囲むように燐光がぽつぽつと現れる。まるでそよ風のような静かな循環だ。ヴァロンが息を吐きはじめた頃、その背から濃紫の光翼が姿をあらわした。

 ヴァロンは重ねた両手の中に結晶剣を生成する。


「……抜け。いま、これより――ワシのすべてをこの剣に乗せる」


 剣を交えてもいないのに侮られることはなかった。

 ヴァロンという本物の強者を相手にできる。その幸せにライジェルは歓喜しながなら、アウラの取り込みを開始した。


 こちらも取り繕う必要はない。

 いつも通り、自分らしく――。


 燐光を乗せた風が渦を巻くように広がった。髪が踊り狂い、辺りの砂が舞い上がる。

 ヴァロンとは対照的な荒々しい循環だが、性質が違うだけだ。

 そこに優劣は存在しない。


 ライジェルは長剣を生成し、構えた。

 訪れる静寂。

 存在する音はかすかに流れる風のみ。


「ライジェル・トレスティング」

「……アヌ・ヴァロン」


 過去を、矜持を名に乗せる。

 互いの呼吸が静まった、その瞬間。


 ライジェルは先に動いた。

 地を蹴り、一気に距離を縮める。

 相手もまた同様に前へと踏み出すが、こちらの振り下ろしをもって押さえつけた。互いの剣がかち合い、凄まじい衝突音が鳴り響く。


「っぁああおおおおおお――ッ!!」


 ライジェルは咆哮をあげながら押し込んだ。相手の足場が抉れ、大量の破片が両脇から飛び散っていく。重なった結晶剣の向こう、皺まみれのまぶたが持ち上がる。


「っかぁああああぁああ――ッ!!」


 ヴァロンもまた咆えた。

 続けて地に押し付けた足の片側を弧を描くようにしてずらす。


 その瞬間、ライジェルは前方へと放り出される。重みが消え失せたのを感じたとき、攻撃をいなされたのだと気づいた。剣を地面に刺し、すぐさま向き直る。と、すでに相手の剣が眼前に迫っていた。


 ライジェルはとっさに体を後方へ倒し、突き刺した剣を蹴り上げた。相手の剣と激突する。が、こちらはまともな力がこもっていない。ほぼ同格のアウラといえど差が出るのは必至。剣にみしりと亀裂が入る。


 ライジェルは剣を斜めに倒した。相手の剣が流れ、地に激突する。その間に体勢を立て直し、薙ぎの一撃を見舞う。相手は攻撃直後。その硬直した身に、こちらの剣が届くのは一瞬だった。


 すっと刻んだ。

 直後、ライジェルは異変に気づいた。

 この感触は肉を斬ったときのものではない。

 それに――。


 剣が捉えたものは色をなくしていた。

 浮き出た血管、歳相応に深い皺まで……。

 それはヴァロンとまったく同じ形状だが、結晶のように見える。

 いや、結晶のようではなく結晶そのものだった。


 両断されたヴァロンだった結晶が霧散していく中、右脇に存在を感じた。目を向ければ、煌く結晶剣がいまにも腹に刺し込まれんとしている。


 ライジェルは薙ぎの勢いを利用し、体を横にひねった。相手の剣が服を斬り、内側の肉をかすかに刻んでいく。ライジェルは顔を歪めながら、弾かれるようにその場から逃れた。


 相手は分身のように結晶を生み出せる。

 いまは情報としてそれだけわかれば充分だ。

 負った傷のほうも戦闘に支障が出るほどではない。


 ライジェルは即座に気持ちを切り替えると、ふたたび相手に肉迫した。

 ヴァロンはわずかにまぶたをぴくりとさせるが、それだけだった。

 耳をつんざくような音を奏で激突する二本の剣。幾度も離れては異なる軌道を経て、吸いつくようにかち合う。


 撃ち合うたび全身に衝撃が響いた。肉もみちみちと悲鳴をあげる。それでも構わずにライジェルは一撃一撃に全力をこめて剣を振るう。


 この闘い、そう長く続かない。

 それは相手もきっとわかっている。

 分身を使わないのも次が勝負と決めているからだ。


 なおも剣を撃ち合いながら廃墟の中を翔け巡る。あちこちで巻き上がった砂埃が、やがて廃墟全体を覆い尽くした、瞬間――。


 ライジェルは相手の剣を弾いた。勢いのまま相手へと剣を滑らせんとする。が、即座に剣を引いた。先の撃ち合い、ヴァロンにしてはあまりに粗雑だったのだ。罠の可能性が高い。


 予想は当たった。ヴァロンの体が色を失くしていく。その最中、風に吹かれた砂埃が結晶を覆い隠した。すでにヴァロンは眼前からいなくなったのか。いや――。


 影は飛び出ていない。

 何度も見逃すほど自分の目は腐ってはいない。そう自信を持ちながら、ライジェルは剣を握る手に力を込めた。

 ――ここまで一瞬の逡巡。


 眼前の結晶塊ではなく、さらにその奥へと定めて剣を薙ぐ。と、結晶塊とともに砂塵が霧散する中、ヴァロンが姿を現した。彼もまた剣をすでに薙いでいる。


 虚空を裂きながら、互いの剣は相手の首へと突き進み――。


 一瞬後に、ぴたりと止まる。


 勝敗は剣と肉の距離が示していた。


 相手の剣は拳が入るほど。

 対して、こちらの剣はヴァロンの細い首に触れている。


「……ワシの負けだ」


 ヴァロンが一度目を瞑ったのち、体勢を崩さずにそう漏らした。


 静かな幕引きだったからか、ライジェルは勝利の実感が湧かなかった。それよりもいまは緊張を解きたい気持ちのほうが勝っている。

 ふぅ、と息を吐きながらライジェルがアウラを散らすと、ヴァロンが訝るような目を向けてきた。


「殺さんのか?」

「言っただろ。俺が欲しいのは最強だって。そもそも、老い先短いあんたの命なんか取ってどうすんだって話だ」

「ほざけ。ワシはまだまだ死なんわ。まったく……オルキから聞いた通りの生意気な奴じゃな」


 そんな悪態をつきながら、ヴァロンもまたアウラを解き放った。

 いつの間にか、厳格な騎士の風格は消えうせている。


「しかし、おぬしのおかげで決心がついた」

「……決心?」

「騎士から身を引く、決心だ」


 ヴァロンの言葉にライジェルは耳を疑った。


「あんだけやれたんだ。老い先短いなんて言っといてなんだが、まだまだやれんだろ」

「そんなことは自分が一番よくわかっとる」


 ヴァロンがどこか遠くを見るように言った。

 その姿がリヴェティア元騎士団長ハサンと被る。


「下の世代のためか?」


 そう訊いてみても、ヴァロンはなにも語らなかった。

 ただ、戦闘前よりも深くなった皺が肯定しているような気がした。


 最強だった騎士。


 その姿をあらためて目に収めたとき、胸の底から言い得ぬ感情が噴き出してきた。突き動かされるようにライジェルは口を開いてしまう。


「詳しい事情は言えないんだが……」


 言えば、メルザリッテに怒られるだろう。

 だが、それでも口にしたいと思った。


「これから十年ぐらい先、この狭間の世界はきっと大きな混乱に呑まれる。そんとき、あんたの力は必要だ。だから――」


 真っ直ぐに老騎士を見据えながら、ライジェルは願う。


「剣は握り続けていてくれ」


 称賛するほかない、とは傲慢かもしれない。

 ただライジェルにとって、アヌ・ヴァロンは初めて全力で闘えた騎士だった。

 ここで終わっては欲しくない。


「なんともぼやけた話だな」


 そう言って、ヴァロンは鼻で笑うと、


「……だが、覚えておこう」


 踵を返してゆっくりと歩きはじめた。

 剣を持たず、アウラも纏わないその背はひどく小さい。


 ライジェルはヴァロンの後ろ姿をじっと見送った。

 やがて見えなくなったとき、ばたりと後ろへ倒れこんだ。

 両手足を広げながら、気持い良いほど澄んだ青空を見やる。


 ベルリオットにとって理想の父親でありたい。

 そんな想いを満たすための戦いだったが、なんとか果たすことができた。ただの自己満足かもしれないが、なかなかどうしていまは清々しい気持ちで一杯だ。


 これでようやく息子の隣に胸を張って立てる。

 息子が背負った使命を一緒に担いでやれる。


「なあ、ベル……お父さん、やってやったぞ」


 ライジェルは空へと、その先に広がる天へと手を伸ばした。

 そして――。


 ……お前は、俺が護ってやるからな。


 煌く陽光を掴むよう、ぐっと握りしめた。



誠に恐縮ですが宣伝失礼いたします。


皆様のおかげで『天と地と狭間の世界イェラティアム』3巻を出せることとなりました。

本当にありがとうございます。

今回の内容も3巻に登場するヴァロンにまつわる話として書かせていただきました。


発売日は6月15日となります。

お見かけの際はどうぞよろしくお願い致します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ