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◆『昇る光は世界を巡る』⑤

 半日程かけてリヴェティア大陸に戻ったベルリオットは、その足で王城を訪れた。

 いまでは見慣れた城内を歩き、回廊へと出る。

 ふと中庭の噴水に腰掛ける一人の女性騎士が目に入った。


 一瞬、長い髪が揺らめいたような気がしたが、それは錯覚だった。

 彼女の髪は肩にかかる程度で切り揃えられている。

 怜悧な顔立ち、すらりと伸びた手足。

 背後で飛沫を上げる噴水もあいまって、まるで絵のような美しさを持っていた。


 彼女の名はエリアス・ログナート。

 リヴェティア騎士団序列二位の王城騎士だ。

 ベルリオットはエリアスのもとへと向かい、声をかけた。


「よっ」

「戻られたのですね、殿下」


 エリアスは立ち上がり、軽く頭を下げてきた。

 そのあまりの自然な動作に、ベルリオットは凄まじい違和感を覚えてしまう。


「……いつになったらやめてくれるんだ、その呼び方」

「やめるもなにも間違っていないのですから問題ないでしょう。なんでしたらベルリオットさまとお呼びしても良いのですよ?」

「完全に嫌がらせだろ」

「普段から気をつけたいというのが一番ですが、たしかにその意図も少なからずあることは否定しません」

「俺がなにしたって言うんだ」

「自身の胸に聞かれてはいかがですか?」


 悪びれた風でも冗談といった風でもない。

 ごく真面目な顔で言われた。

 付け入る隙がまるで見当たらない。


「やめだやめ。その話をされたら俺に勝ち目ないからな」

「逃げるのですか?」

「煽っても無駄だ」

「あなたも丸くなりましたね」

「それを言ったらエリアスもだろ」

「そう……ですね。自分でもそう思います。ただ、わたしはいまの自分が意外と気に入っているのですよ」


 言って、彼女は柔らかな笑みを浮かべる。


「素直に自分の気持ちを伝えることができますから。いまでもあなたのことを想っています、と」


 不意打ち過ぎて一瞬だけ思考が止まった。

 なんとか言葉の意味を理解すると、ベルリオットは息を吐きながら片手を額に当てた。


「エリアスもかよ……」

「も……? まさかリンカですか?」

「そのまさかだ。ファルールに寄ったときに偶然出逢ってな」

「くっ、先を越されましたか……!」


 うつむいたエリアスが下唇を噛み、わなわなと震えはじめた。

 かと思うや、がばっと顔を上げて詰め寄ってくる。


「で、ですが、想いの強さであれば劣りはしません! な、なにしろあれから一日足りともあなたを忘れたことはありませんから! 目を瞑ればいつでもあなたの顔を思い出せますし、そ、それに夢にだって何度も――」

「落ち着け! ここが城内だってこと忘れてるだろ! そんな大声出したら誰かに聞かれるぞ!」


 ベルリオットは自身の戸惑いをよそにそう忠告すると、エリアスがはっとなって周囲に視線を巡らせた。誰にも聞かれていなかったことにほっとした途端、彼女は一気に顔を真っ赤に染めあげた。その場にしゃがみ込み、顔を両手で隠してしまう。


「……いまのこと、すべて忘れて下さい。お願いします」

「さすがに衝撃的だったから忘れるのは無理だな」

「う、うぅ……」


 出逢って間もない頃は互いに嫌味を言い合いっぱなしだった。

 そんな仲であったというのに、いつの間にか心を許せるようになり……。

 いつしか、こんな風に羞恥心に悶える姿まで見せてくれるようになった。

 この未来をいったい誰が想像できただろうか。

 彼女の赤い耳を見ながら、ベルリオットは思わずふっと噴出してしまう。


「わ、笑わないで下さい!」

「いや、悪い。あの堅物だったエリアスがって思うとどうしてもな」


 エリアスは恨みがましい目を向けてきたのち、すっくと立ち上がった。

 深呼吸をして赤くなった顔を平常に戻すと、彼女は真剣な眼差しで言う。


「ひとつ補足しておきたいのですが、べつにわたしは姫様からあなたを奪おうなどとは考えていません。ただ、一人の女としてあなたのそばにいたい、と。そう願っているだけです」

「ああ、わかってる」


 こちらの気持ちは伝えてあるし、伝わっているはずだ。

 それでもなお宣言してきたのは彼女にとってきっと必要なことだったのだろう。


 恥ずかしい生き方はできないな、とベルリオットは思う。

 エリアスだけではない。

 多くの者が自分に好意を向けてくれた。


 その好意を受けるに相応しい者であった。

 そう思ってもらうことが彼女たちにできる唯一のことだ。

 こちらに背を向けたエリアスが肩越しに微笑んでくる。


「では、そろそろ行きましょう。姫様がお待ちです」



     ◆◆◆◆◆


「おーい、爺ちゃんだぞ。わかるか~? べろべろば~っ!」


 ベルリオットが王城居住区のテラスに辿りついたとき、真っ先に映ったのはライジェル・トレスティングの間抜け顔だった。いかにも屈強な戦士といった体つきのせいもあり、あまりにも不釣合いな組み合わせだ。


 彼の向かいでは、赤子を抱いた女性が穏やかな表情で立っている。

 リズアート・ニール・リヴェティア。

 リヴェティア王国の王だ。


 昔は後ろで結っていた髪はいまでは下ろしている。また、長さは腰にかかるほどまで伸びている。そのせいか、昔より大人びた雰囲気を纏っていた。

 ふと赤子の表情が綻んだ。

 ライジェルが素早く反応し、興奮したように声をあげる。


「お、見たか? いま笑ったぞ」

「あんな顔したら誰だって笑っちゃうわよ」


 くすりとリズアートが笑みをこぼした。

 調子付いたライジェルがまたも間抜け顔をつくりはじめる。

 かつて《剣聖》と呼ばれていた男が赤子の前ではこの様だ。

 それがおかしくて、ベルリオットは思わずにやけながら彼らのそばへと向かった。


「相変わらず爺馬鹿発揮してるな」

「いいじゃねえか。赤ん坊を喜ばせるために馬鹿になれるほうがよっぽど格好良いと思うぜ、俺は」


 言って、ライジェルは不敵な笑みを向けてきた。

 ……親父の奴、俺のときもきっとこんな風にあやしてたんだろうな。

 物心がついていない頃のことを知れたような気がして、ベルリオットは胸が温かくなった。


「悪いな、親父。俺がいない間、リズの護衛頼んじまって」

「ログナートの嬢ちゃんもいたし、大したことしてねぇよ。ま、第一いまじゃ姫は俺の娘でもあるからな。気にする必要なんかねえっての」


 そう口にしたライジェルに、リズアートが悪戯っ子のような笑みを向けた。


「あら、その自覚があるのなら放浪癖を直したらどうなの? 王族に連ねることになったのだから、少しは周りを意識して欲しいのだけど」

「おい、ベル。お前の嫁さん、二言目にはこれなんだが……どうにかしてくれ」

「一度言い出したら実行するまで曲げないからな。俺にも手に負えねえよ」

「ちょっと、それじゃわたしがしつこいみたいじゃない」


 言葉にはせず、「違うのか?」とベルリオットはからかうように肩をすくめてみせる。

 と、リズアートが拗ねたように「もう」と声を漏らした。


「おかえり、ベルリオット」


 いまや聞き慣れた心地よい彼女の言葉だった。


「ああ、ただいま」


 続けて、リズアートが抱いている赤子に顔を寄せる。


「メルもただいま」


 メルクラス・ベル・リヴェティア。

 この子の名前だ。

 間の「ベル」は父であるベルリオットの愛称からだ。


 もし生まれた子が女の子であればリズアートの愛称である「リズ」がつけられていた。

 メルクラスがじっと見つめてきたのち、ついっと顔をそらした。そのままリズアートの胸に顔をうずめてしまう。


「ははっ、避けられてんじゃねえか!」

「う、うるせえな。親父は黙っててくれ!」


 赤子はみんな母親のほうが好きだからしかたない。そう自分に言い聞かせ、ベルリオットは溢れそうになった悔しさを無理矢理に押さえ込んだ。


「それで、どうだったの? 久しぶりにみんなと会ったんでしょう」


 リズアートが興味津々といった様子で訊いてきた。


「色々変わってたよ。けど、根っこの部分は全然変わってなかった」

「そう……わたしもちょっと見てみたかったかも」

「また行けばいいさ。メルも一緒にな」

「ええ」


 やれること。

 やりたいこと。

 たっぷりある時間をそれらで埋められたら、これほど幸せなことはない。

 そう思いながら、ベルリオットはメルクラスの頭を優しく撫でた。


「姫様、殿下。ラヴィエーナから用意ができたとの報告が入りました」


 エリアスの声が後ろ手から聞こえてきた。

 時間だ。

 ライジェルのほうを見やると、うなずきが返ってきた。


「恥ずかしいところ見せねえようにな」

「わかってる」


 そう答えたのち、ベルリオットはリズアートへと向きなおる。


「それじゃ行こうか」

「ええ。やっと……やっと彼女に紹介できるのね」


 言って、リズアートは自身の胸に抱いたメルクラスの顔を覗き込んだ。



     ◆◆◆◆◆


 リヴェティア王城の北端には歴代の王族が眠る王墓があった。

 前庭ほどではないが、それに近いゆったりとした土地に数えきれないほどの墓石が建てられている。


 中央辺りに大層な石で組まれた台座が見えた。

 上には巨大な結晶塊が鎮座している。

 飛翔核。

 メルザリッテの命によって生まれたものだ。


 そばにはルッチェが立っていた。

 彼女はこちらの存在を認めると、うなずいたのちに無言で去っていく。

 ありがとう、とベルリオットは心の中でルッチェに感謝の言葉を贈った。


「行こう」


 リズアートの背に手を当て、彼女の体に気を配りながら歩んでいく。

 穏やかな風が流れ、王墓を埋め尽くす背の低い芝がさらさらと揺れる。

 まるでこのときを待っていたかのような、そんな祝福を受けた気がした。

 やがて飛翔核の前にリズアートと並んで立った。


「どうだ、久しぶりのリヴェティアの空気は? やっぱり美味いし落ちつくよな」


 ベルリオットは飛翔核に向かって問いかける。

 返答はない。

 ただ、飛翔核の中でほのかな光が揺らめいているだけだ。


「報告が遅れたけど、俺たち結婚したんだ」


 言って、隣に立つリズアートのほうを見やった。

 互いに気恥ずかしさを感じてか、思わず頬が綻んでしまう。


「それから子どもも生まれた。名前はメルクラスって言うんだ」


 目線を少し下げた先、リズアートに抱かれたメルクラスは飛翔核の光に興味を示しているのか、はたまたべつのなにかを感じとっているのかまじまじと飛翔核を見つめていた。


「光を捩った言葉。それから……メルザ、お前の名前をもらってる。リズがどうしてもって言うからさ」


 ベルリオットはリズアートに向かってうなずいた。

 彼女もまた意を決したようにうなずくと、一歩前へ出て話しはじめる。


「メルザさんがこの人を……ベルリオットを地上に戻してくれなかったら、この子は生まれなかったから。それにメルザさんのような明るい子に育ってくれるようにって願いを込めて……」


 リズアートはメルクラスの頭をそっと撫でたのち、顔を上げた。

 そして、その言葉を口にする。


「本当にありがとう」


 途端、リズアートの目から涙が溢れ、頬を伝って滴り落ちていく。

 嗚咽を我慢する彼女の肩をベルリオットはそっと抱き寄せた。

 その涙に込められた願いは嬉しさだけではない。


 ただ一つ、彼女はずっと前からこう言っていた。

 感謝の言葉を伝えたかった、と。


 その想いが通じたのか。

 飛翔核に宿る光が強く揺らめいた。


 だが、それは一瞬だった。

 光がふっとかき消えてしまう。

 リズアートが「あっ」と声を漏らした。

 ベルリオットは彼女の肩を強く抱いて口にする。


「消えてない」


 もう一度、力を込めて言う。


「あいつは消えてないさ」


 自分に言い聞かせているだけではなかった。

 本当にそう感じるのだ。


 飛翔核を離れた光だろうか。

 空を昇っていく無数の燐光が見えた。


 ふと脳裏に、ある言葉が流れていく。

 シグルとの大戦の折、イジャル・グル・オウルが残したものだ。

 ――シグルとアムールは対となる存在。アムールがいる限り、我らシグルは何度でも蘇る。


 あの言葉が本当だとすれば……。

 どれほどの時間を要するのかはわからない。

 だが、それでもメルザリッテがまた人の姿をして現れるときがくるかもしれない。


 彼女の命によって地上に残してもらった身だ。

 あいつがまた地上を訪れたとき、幻滅されないように。また笑顔を作ってくれるように頑張らないといけないな……。

 ベルリオットはそう心に誓った。


 少し強めの風が流れた。

 空を舞う燐光たちが散っていく。

 ベルリオットは笑顔を作った。

 そして、流れる風に乗せるよう、そっと言葉を紡いだ。



 ――またな、メルザ。




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