◆『昇る光は世界を巡る』③
絨毯の敷かれていない石質の廊下は足音がよく響いた。
廊下の脇には区画ごとに違った花々が飾られており、歩いているだけで様々な香りを楽しませてくれた。本当に何度訪れても飽きない造りだな、と思う。
ベルリオットはファルール王宮に無事到着した。
ちなみに、すでにリンカとは別れている。
いまは先を行く政務官に続いて王宮内を歩いているところだ。
「ベルさんっ」
角を曲がると、見覚えのある人物と鉢合わせた。
ふわっとした大きな帽子を被り、緑基調の法衣を纏っている。
彼はディザイドリウムの宰相。
ラグ・コルドフェンだ。
「久しぶりに会えて嬉しいです!」
「っても二ヶ月ぶりぐらいだけどな」
ベルリオットは話しながらラグと握手を交わした。
手を離したのち、ラグの頭から足の先までをあらためて視界に収める。
「それにしても、ほんと身長伸びたよな」
いまだ少年に見える身長ではある。
だが、それでも以前に比べれば伸びているのは間違いない。
「あはは……今頃になってまた伸びはじめるなんて思いもしなかったので戸惑ってますけどね。服もすぐに合わなくなっちゃいますし」
「そのうち俺より大きくなったりしてな」
「そ、それは困ります。いまの見上げるほうがわたしの性に合ってるので」
常に相手に尊敬の念を持って接している彼らしい答えだ。
ラグがそばの政務官のほうをちらりと見やったのち、訊いてくる。
「これからファルール王のところへ行かれるのですよね?」
「ああ。ラグさんのほうは?」
「これからファルールの宰相とお話しをする予定でして。ただ、すでに内容は詰めてあるので夜までには終わるかと」
そこまで言い終えてから、「あの」とラグが話を継いだ。
「もし良かったら今夜一緒にお食事でもどうですか? 久しぶりに色々お話ししたいなって」
「もちろん。俺もディーザのこととか聞きたいしさ」
「本当ですか! でしたら早速、良いお店を教えてもらいに行かないとっ」
目をきらきらと輝かせながら、ラグが満面の笑みを浮かべている。
それだけ喜んでもらえるのはこちらとしても嬉しい限りだが……。
すぐそばに政務官が控えていることを間違いなく失念している。
「ラグさん、周り周り」
「あっ」
気づいた途端、ラグが俯きながら頬を赤く染め上げた。
「あ、あまりに嬉しかったので、つい。お、お恥ずかしい……」
「相変わらずだな」
本当に感情豊かで裏表がない人だ。
……ま、それがラグさんの良いところでもあるんだけどな。
そんなことを思いながら、ベルリオットはラグに背を向けた。
「それじゃ、また夜に」
「はいっ、お待ちしております!」
◆◆◆◆◆
「ベルリオットさま、ようこそお越しくださいました」
「やめてくれって。調子狂うからいつも通りで頼むよ。てか、謁見の間じゃないんだから始めからそのつもりだろ」
「よくわかってるじゃないか」
ベルリオットの向かい側、同じくソファに座るファルール王がにやりと笑ってみせた。
ここは王宮内の貴賓室だ。
部屋中のあらゆるものが煌びやかに彩られている。
自分の立場を考えれば無理もないが、少し居心地が悪く感じた。
ファルール王のそばには禿頭の男が二人、控えていた。
ナド族のハーゲンとマルコだ。
彼らはなにを思ったか、おもむろに股間を覆う下着に手をかける。
「では、我々もいつも通りで」
「行かせていただこう」
「いや、あんたたちの格好だけはそのままにしててくれ。頼むから」
こちらは座っていて、あちらは立っている。
そのせいで目線の高さに彼らの股間があるのだ。
脱衣だけは絶対にやめてもらいたい。
ふとファルール王が満足気に笑みながらまじまじと見つめてきた。
「なかなか良い面構えになってきたねぇ」
「自分じゃわからないな」
「風格ってのを充分に感じられるよ」
いまやアムールであることは公言している。
そのうえで生活していることが影響しているのかもしれない。
ただ、やはり自分ではそんな風格があるとはとても思えなかった。
「それでどうだった? ここに来るまで王都を回ってたんだろ」
「元通りどころか以前より明るくなってる気がしたよ。決戦の名残はどこにも見当たらなかったな」
活気という点ではリヴェティアを遥かに上回っている。
リヴェティア育ちの身としては少しばかり悔しいと思うぐらいだ。
「うちの民は良くも悪くもみんな陽気だからねえ」
「誰に似たんだろうな」
「いつだって幸せな気分でいたいと思うのは当然だろう?」
「違いない」
「ま、人ってのは思ってるより切り替えが早いもんさ。そして忘れるのも、ね」
「だから伝えてかなきゃいけないんだろうな」
「うちの民なら歌に混ぜれば上手くいきそうだ」
「名案だな」
ふと大陸落下前に王都ファルールで出会った演奏家たちのことを思い出した。
シグルとの決戦が終わったら世界を回りたいと言っていたが、元気にしているだろうか。
底抜けに明るかった彼らのことだ。
きっと心配は不要だろう。
ともあれ、いずれまたどこかで出逢えればいいな、とベルリオットは思った。
「ここに寄ったってことはメルヴェロンドにも寄るのかい?」
「ああ、そのつもりだ」
「うちにだけ寄ってあっちには寄らなかったってなると恨まれそうだから助かるよ。なにしろ彼女たちにとっちゃ神様同然だからねえ」
「逆にそれのせいでちょっと寄りにくかったりするんだけどな」
ベルリオットは苦笑しながらそう答えたのち、これから向かうメルヴェロンド大陸へと意識を向けた。
あいつ、元気にしてるかな……。
◆◆◆◆◆
サンティアカ教会本部、オルヴェノア大聖堂にて。
ベルリオットは跪座をした教徒たちによって両脇を埋め尽くされた廊下を歩いていた。
大聖堂を訪れた際は毎回このような待遇を受けている。
はっきり言ってやりすぎだと思う。
その思いを教会に伝えたことはある。
が、やんわりと断られてしまった。
やはりサンティアカ教会にとって崇めるべき対象――アムールであることが大きな理由らしい。
「ベルリオットさま、そちらの角を右に。突き当たりの部屋に入っていただけますか」
後ろからひそめた声をかけられた。
肩越しに見やった先、周りよりも良質な法衣を纏った小柄な女性が続いている。
彼女はクーティリアス・フォルネア。
サンティアカ教会の司教であり、ベルリオットと誓いを交わした精霊だ。
ベルリオットは彼女の案内通りに進み、部屋へと入った。
ゆったりした応接間といった感じだ。
華美な装飾はないが、不快な要素はいっさいない。
「さて……」
クーティリアスが部屋に入るなり、扉の鍵をかけた。
かと思うや、跳躍して勢いよく抱きついてきた。
「逢いたかったよ、ベルさまっ!」
クーティリアスは小柄だが、一点だけ成長著しい箇所がある。
胸だ。
彼女の身長に似つかわしくない大きなそれが思い切り押し当てられ、布越しに柔らかな感触を伝えてくる。
「お、おいっ、いきなり抱きつくな!」
「だってベルさま全然逢いに来てくれないし! ぜーんぶベルさまのせいだよ!」
「お前、なんか誰かに似てきてるぞっ」
「ぼくを育ててくれた人だもん。当然だよっ」
「だーっ、とにかく離れろ!」
ベルリオットはクーティリアスを無理矢理引き剥がした。
クーティリアスが「むぅ」と頬を膨らませながら睨んでくる。
その姿は、楚々としていたつい先ほどまでとはまるで別人だ。
「ったく、クティも歳とればちょっとは落ちつくと思ったらこれだからな……」
「時間なんて関係ないよ。ぼくは一生このままで行くつもりだからね」
言って、クーティリアスは両手を腰に当ててフフンと胸を張る。
意外と強かな彼女のことだ。
言葉通り上手くやってみせるのだろう。
ふとクーティリアスがふざけた調子を崩し、眉尻を下げながら笑んだ。
「でも、寂しかったってのは本当だよ」
「……クティ」
「もちろん教会のみんなも良くしてくれるんだけど、やっぱり本当の自分を出せるのはベルさまの前だけだから」
「それこそクティの素を見せればいいんじゃないか? 教会の人たちにも」
「ダメだよ。ぼくの溢れんばかりの威厳がなくなっちゃう」
そんな威厳なんてないだろう。
と言いたいところだが、実際にその通りなので反論できなかった。
「ね、ベルさまのところに行ってもいいかな」
ぽつり、とクーティリアスがこぼした。
教会を出る、と言っているのだ。
「……あんまり構ってやれないかもだぜ」
「ほら、護衛としてだよ。ティーアさんとナトゥールさんもしてるみたいに」
「クティの場合戦えないんだから逆に護衛されるほうだろ」
「た、たしかにそうだけど……あ、ぼくには精霊の翼があるし!」
「言ったろ、同化させるつもりはないって。そもそも、いまじゃその力も必要になることなんてないしな」
「うぅ~……」
少し意地悪をしすぎただろうか。
クーティリアスが涙目になっていた。
だが、なにか閃いたのか、彼女は途端に顔を明るくする。
「じゃ、じゃあじゃあっ、メイドになる!」
「……は?」
「いらないとは言わせないよ。ベルさまってば、ずっとメイドさんにお世話になってたんだから」
「でもクティ、家事できないだろ」
「うぐ……それはほら、練習あるのみだよ」
正論を言ってやったとばかりにクーティリアスがうんうんとうなずいていた。
ただ、態度ほど自信があったわけではないらしい。
少ししてから「ダメかな?」と窺うような目を向けてきた。
いまでこそ帯同していないが、いつもは護衛としてトウェイル姉妹もいるのだ。
一人や二人増えたところであまり変わりない。
ただ、気になることがあっただけだ。
「俺が促したことではあるけど、クティが納得いく形で教会を出られるならもうなにも言うつもりはない」
――大戦で心に傷を負った人々がしっかりと前を向いて歩けるよう導いて欲しい。
地上に残る際、ベルリオットはクーティリアスにそう願った。
もちろん本心からだったが、彼女を地上に残らせないようにするためでもあった。
ただ、あの時とは状況が変わっている。
今、立っているのは狭間の――浮遊大陸だ。
ベルリオットは穏やかな笑みを浮かべる。
「だから……いつかな」
「うんっ」
クーティリアスが不安そうな顔から一転。
弾けるような笑みを浮かべると、跳躍からの飛びつきを再び見舞ってきた。
「ベルさま~っ!」
「お、おいっ! だからことあるごとにくっつくなってっ」
「えへへ~、やっぱりベルさまはベルさまだよ」
言いながら、彼女はまるで小動物のように顔をこすり付けてくる。
あまりにも幸せそうな顔をするものだから、すっかり怒る気が失せてしまった。
……クティは本当にいつまでも変わらないな。
そう思いながら、ベルリオットは数年ぶりに彼女の頭をそっと撫でた。