◆『昇る光は世界を巡る』②
ベルリオットは王都を出たのち、西方防衛線を訪れた。
視察の名目もあるが、実際はある人物に会うのが目的だ。
防壁上を歩きながら外縁部のほうを横目に確認する。
シグルの姿は見られなかった。
本日は災厄日ではないが、それにしたって静かだ。
大陸落下する前は災厄日でなくともシグルはちらほらと湧いていた。
なにもかもが変わっている。
外縁部側から視線を戻すと、狭間胸壁にもたれかかっている騎士が目に入った。
ツンツンにはねた髪や無愛想な顔が特徴的な彼はイオル・アレイトロス。
騎士団内序列四位の王城騎士だ。
こちらに気づいたイオルが鋭い目を向けてくる。
「こんなところになんのようだ?」
「一言目がそれかよ」
ベルリオットは肩をすくめて応じたのち、イオルのそばまで向かった。
近くの狭間胸壁の凸部分に飛び乗り、座る。
その様子を見ていたイオルが呆れたように息を吐いた。
「貴様が来たせいでほかの騎士が萎縮している。そろそろ自分の立場を弁えたらどうだ」
「それを言ったらお前のほうがダメなんじゃないか?」
「俺が仕えるのはあくまで陛下だけだ。貴様がいくら成り上がろうとも態度を変えるつもりはない」
「そーかよ」
互いに遠慮はない。
この距離感がベルリオットには心地よかった。
「どんな感じなんだ? シグルの数」
「変わりない。災厄日に少し湧く程度だ」
「やっぱ向こう百年ぐらいはこんな感じなんだろうな」
「……なにか思うところがありそうだな」
「危機感っての、なかなか意識してるだけじゃ保てないだろ。シグルが出ないに越したことはないんだけどな。でも二千年だぜ」
「伝えていくしかないだろう。俺たちにできることはそれだけだ」
そう口にしたイオルは遠くを見つめていた。
厳しい顔は相変わらずだが、以前のような鋭さは感じられない。
本当に変わった、と思う。
なにが彼を変えたのか。
きっとシグルとの決戦だけではないはずだ。
そこまで思考が行きついてから「ところでイオル」とベルリオットは話を切り替えた。
「ルッチェのこと、好きなのか?」
イオルが壁にかけていたずるりと右膝を外した。
その勢いで腕を打ったらしく痛みで顔を引きつらせている。
大げさな反応をしないよう我慢しているようだ。
「……おい、大丈夫か?」
「き、貴様がおかしなことを言うからだ」
「あの堅物のイオルがここまで動揺するとはな」
「俺は動揺などっ」
この反応、間違いないようだ。
確信を得たベルリオットは口元が思わず緩んでしまった。
抑えようとも抑えられない。
そんな状態でイオルを問い詰める。
「で、どうなんだよ?」
「なぜ貴様にそんな話をせねばならん」
「べつにいいだろ。同期なんだしさ」
「それがなんの理由になる」
イオル少しの間だけ黙り込んだのち、感情を押し殺すように喋りはじめる。
「共に戦った仲というだけだ。それ以上でもそれ以下でもない」
「お前がそれでいいならいいけどよ。もたもたしてると取られちまうかもよ。ルッチェ、モテるんだぜ」
「……本当なのか?」
表面に動揺を出さないようにしているようだが、その瞳はたしかに揺れている。
「もともと容姿は良いだろ。それでもいままでモテなかったのはあんまり人目につかなかったからだ。それが最近はリヴェティア・ポータスに入り浸ってるからな」
作り話というわけではない。
実際に作業中のルッチェを見つめる男の視線は少なくなかった。
イオルが険しい表情のままうつむいた。
色んな感情が混ざり合っているようだ。
眉間や頬、口元がおかしな動きをしている。
「俺らの同期も結構くっついたよな。あのモルスだって結婚したし」
決戦の際、モルスは一人の女生徒を救ったらしいのだが……。
戦いが終わったのちに、その女生徒と交際を始め、なんと約一ヶ月という早さで結ばれたのだ。いまや一人の息子もおり、父として王城騎士の務めを果たしている。
モルスを引き合いに出したからか、イオルが眉をひそめた。
「まさか貴様にこんなことを言われる日が来るとはな……」
「一応、そっちの道に関しては先輩だからな」
イオルに舌打ちされた。
その勢いでなにか言い返してくるかと思いきや、彼は静かに深呼吸をした。
「俺の話はいい。それより……二日後だったか。それまでどうするんだ」
「せっかくだし道中の大陸に寄ってこうと思ってる。久しぶりに会いたい奴らもいるしな」
ファルール、メルヴェロンド、ティゴーグ……。
そこにいる知人たちの顔を思い浮かべると、楽しみな想いで胸が一杯になった。
ベルリオットは壁から飛び下りたのち、イオルに向きなおる。
「リヴェティアのこと、頼んだぜ」
「貴様に言われなくともそのつもりだ」
◆◆◆◆◆
「まさかファルールで会うなんてな」
翌日。ベルリオットはファルール大陸を訪れた際に思わぬ人物と出逢った。
リンカ・アシュテッド。
リヴェティア騎士団序列三位の王城騎士だ。
いまは川にかかった橋の欄干に二人して身を預けている。
人通りがあまり多くないため、水の流れる音を聞くことができた。
リンカが顔に垂れた一房の髪をかきあげる。
昔と違って彼女は髪を後ろで結うことなく流している。
「お母様の実家に用があったから。それよりそっちはどうしてここに? 予定の日は今日じゃないでしょ」
「いや、せっかくだし通る大陸に寄りつつのんびり行こうと思ってさ」
「良いご身分ね。こっちは休みなんてほとんどないのに」
「俺に言われてもな……あ、なんならユング団長に伝えとくぜ。リンカが休暇欲しがってましたって」
「絶対やめて。どんな嫌味言われるかわかったもんじゃない。ただでさえホリィさんが引退して人員が減ってるのに」
リンカの言うとおり、ホリィ・ヴィリッシュは一年ほど前に騎士団を引退していた。
その理由は――。
「まさかオルバとホリィさんがくっつくとはな」
「あたしは遅かれ早かれくっつくと思ってたけど。あの二人一緒にいること多かったし」
「いや、なんか性格ど反対って感じだろ。几帳面なホリィさんに大雑把なオルバってさ」
「ホリィさん、口うるさいけど面倒見が良いからちょうどいいのかも」
「さらっと毒づいてるな」
「だって本当のことだし」
まったく悪びれた様子がない。
本心から思っているようだ。
ただ、二人の仲が悪くないことはよく知っている。
あとから聞いた話だが、訓練校の頃は先輩後輩として親しくしていたらしい。
ちなみにホリィが先輩でリンカが後輩だ。
涼やかな風が流れた。
わずかに訪れた沈黙の中、リンカのほうをじっと見やる。
三年が経ったいまでも相変わらず小柄なままだが……わずかなあどけなさを残しながらも大人びた雰囲気を持ったその相貌も変わっていなかった。
「その……あれから良い人とか見つかったのか?」
リンカの容姿なら色んな男から言い寄られているのではないか。
そんな考えから出た言葉だったが、すぐにまずいと思った。
リンカから射殺さんとばかりの鋭い目を向けられる。
「いきなりなに? 喧嘩売ってる?」
「んなわけないだろ」
「じゃあ刺して欲しいの? お望みならいまここで刺してあげるけど」
「ま、待て待て待ってくれ! 望んでないし、てか訊く前からアウラ取り込んでんじゃねえかっ」
リンカはさらに剣を生成して振り上げたが、なんとか思いとどまってくれた。
手を震わしながら剣を手放し、纏ったアウラも四散させる。
「ほんとどういう神経してんだか」
「……悪かった」
「そんな言葉ですむような問題じゃないから」
言って、リンカがついっと目をそらした。
たしかに無神経な質問だったとベルリオットが猛省していると、リンカの盛大なため息が聞こえて来た。
「この傷があるせいで、あいにくとあたしの容姿を褒める人なんてひとりもいないから。誰かさんを除いて、ね」
リンカがこちらに正面を向ける。
と、左眼に刻まれた傷が目に入る。
ベルリオットが過ちを犯したことで、つけてしまった傷だ。
負い目として、いまも深く胸の中に突き刺さっている。
だが、リンカは傷のことを引け目に思っている様子はなかった。
それどころか見せつけるように堂々としている。
「言っとくけど、あたしベルのこと諦めてないから」
「諦めてないって、俺には――」
「わかってる。けど、あの時とは違うから。いまは同じ高さにいる。地上に行くよりずっと近くて……手を伸ばせば届くから」
言いながら、リンカが右手をすっと伸ばした。
彼女の手の平がベルリオットの胸に当てられる。
布越しに伝わる温もりは本当にほんのわずかだ。
ただ、感じる以上に熱がこもっているように思えた。
「ほんと強いな、リンカは」
「そうだったらいいんだけど」
リンカは自嘲するような憂い顔を浮かべた。
かと思うや、すぐに目を伏せて表情を戻した。
脇を通りすぎてすたすたと歩きはじめる。
「それじゃ、さっさと行くわよ」
「行くってどこに?」
「ファルール王のところ行くんでしょ。途中まで案内したげる」
「いや、何度も来てるしべつに案内は――」
立ち止まったリンカがおもむろに左眼に手の平を当てると、明らかに感情のこもっていない声でこう呟いた。
「あー、眼の傷が痛いなー」
「それはずるいだろっ」
リンカが肩越しにしたり顔を向けてくる。
ベルリオットは後ろ髪をかきながら息を吐いた。
「ったく……わかったよ。それじゃ案内頼む」
「ん」




