◆二十四話『証』
「しかし、本当に良かったのですか? あなたの功績なら盛大に見送ることも出来たのですが」
翌日、ベルリオットは南外郭門前でユングとラグによる見送りを受けていた。
商人が動きだすよりも早い時間とあって辺りは暗いうえ、とても静かだ。空気も冷たい。おかげでわずかに覚えていた眠気もいまやすっかりなくなっている。
「勘弁してください。そんなことされても恥ずかしいだけですから」
「あなたがそれでいいのなら……」
ユングが困り顔をつくった。
最近の彼は表情が少し豊かになった。
とはいえ、まだまだ無表情が多いことも事実だ。
今後、彼はどのように変わっていくだろうか。
興味が湧いたものの、それを知ることは叶わない。
「ベルさん!」
「っと」
ラグが正面から抱きついてきた。
腹に顔を埋めた彼の姿は年甲斐もないと言えるだろう。とはいえ、その小柄な体型もあってか、まったくといっていいほど違和感がなかった。
ラグがずり落ちそうになった帽子を押さえながら、顔を上向けてくる。
「寂しくなります。わたしにとって初めて気兼ねなく話せる方だったので……」
「大丈夫だって。ラグさんなら、これからもっとたくさんの友人が作れるさ」
「そう、でしょうか」
「ああ。俺が保証する。なんだったら手始めにそこにいるユング団長と友達になってみたらどうだ?」
「ふぉ、フォーリングス卿と!?」
ラグが跳びはね、振り返った。
その先に立つユングが眼鏡の位置をなおしたあと、無表情でこたえる。
「わたしでよろしければ」
「ぜ、ぜひよろしくお願いします」
自分で言っておいてなんだが、大丈夫だろうか、というのが本音だった。
とはいえ、ここから先は二人の問題だ。
これ以上は関わるべきではないな、と思った。
ふいに、ベルリオットは彼らとの距離が遠くなったような、そんな錯覚を抱いた。
今後、狭間の世界は自分のいないところで時間が進んでいく。
狭間でなにが行なわれているのか、知ることすら叶わない。
これ以上、この場にいては足が重くなりそうだった。
生まれた感情を振り払わんと、ベルリオットは顔を引き締めた。
「団長、リヴェティアのこと、よろしくお願いします」
「任せてください」
「ラグさんも、ディーザの復興、頑張ってくれ」
「はい。みんながまた笑って暮らせるように頑張ります」
二人と握手を交わしたのち、足もとに置いていた荷袋をかついだ。
「それじゃ」
そう短く言い残したのち、ベルリオットは外郭門の見張り番に目で合図を送った。
門が軋むような音を鳴らし、開きはじめる。
これが開けられたとき、自分は踏み出さなければならない。
この狭間の世界と隔絶された世界へと旅立つための一歩を――。
やがて門が開け放たれたとき、ベルリオットは映った光景を前に思わず目を見開いた。
一瞬、あっけに取られながらも、すぐさま意識を取り戻して振り返った。
これはいったいどういうことなのか、とユングとラグに目で問いかける。
二人とも首を振っている。
それどころか彼らも驚いているようだった。
ベルリオットは門の外側へと向きなおった。
じゃあ、これは……。
ユング、ラグが主導で行なったわけではない。
これは〝集まった騎士たち〟が自ら行なったということだ。
王都南側に広がる荒野のうえに多くの騎士が整列していた。
その数、百や千どころではない。
優に一万を超えている。
外郭門上に炊かれた火や、天から射し込むかすかな明かりによって暗がりでも騎士たちの姿を視認するのは難しくなかった。
さすがにリヴェティアの騎士が多いが、各国の騎士の姿も見られた。
よく見れば、訓練生たちの姿も見られた。
最前列には各国の名だたる騎士が並んでいる。
メルザリッテを除いた空の騎士と、クーティリアスもそこに立っていた。
ジャノが一歩前に出たかと思うや、大声で叫ぶ。
「我らが戦友、ベルリオット・トレスティングに最大の敬意をッ!!」
騎士たちが一斉にアウラを纏った。
生成した剣を胸の前で持ち、切っ先を天へと向ける。
「なんだよ……やめてくれよ……」
ベルリオットはようやく事態を呑み込むことができた。
自分を見送るため、彼らは集まってくれたのだ。
「こんなことされたら……俺……っ」
ずっと我慢してきた。
仲間が心配しないようにとずっと顔をあげていた。
だが、もう堪えることなどできなかった。
視界が一気に滲んだ。
くそっ……!
とめどなく涙があふれ出てくる。
それと同じぐらい、心の底からあらゆる感情がない交ぜになって湧きあがってきた。
狭間の世界を救う存在であると告げられても、自分に出来るはずがない、という思いが先に立った。それを決意したところで、次はなにをすればいいのかわからなかった。
どこへ進めばいいのかわからない。
試しに進んだところで間違えてばかりで何度も失敗した。
それでも自分が正しいと思う道を選んで、今日、このときまで翔けつづけてきた。
ほかに最善の道があったのかもしれない。
いや、きっとあったのだろう。
だが。
それでも――。
ベルリオットは顔を上げた。
多くの仲間の光を視界いっぱいに収めながら、心の底から思う。
自分が進んだ道はこれで良かったんだ、と。
涙をぬぐった。ゆっくりと足を踏み出した。もう顔を下向けるつもりはなかった。見送ってくれる仲間に、これ以上情けない姿を見せたくない。
騎士たちの間に作られた一本の道を歩いていく。
言葉を交わすことはない。
騎士の剣が、アウラの光が多くを語ってくれた。
長い、長い道だ。
どこまでも続いているのではないか、とそんな錯覚を思わず覚えてしまう。
だが、それはやはりまやかしだ。
やがて道の終わりが見えてくる。
本当はずっと前から気づいていた。
そこに彼女がいることを。
「リズ……来てくれたんだな」
道の終わりにリズアートが立っていた。
彼女は下向いたまま、こちらを見てくれない。
「本当は来るつもりなんてなかった。それでも来ないと、一生後悔すると思ったから……!」
彼女の言葉ひとつひとつが胸にひびいた。
「やっぱり止めても行くのよね」
「ああ」
「わたしがどうしても、ってお願いしても」
「ああ」
リズアートが唇を思いきり噛んだ。
両手を強く握りしめたのち、勢いよく顔をあげる。
「あなたはいつもそう! みんなのためだと言って自分ばかり辛い思いをして! 今回だってそう。あなたが望めば違う未来だってあったはずなのにっ!」
違う未来。
それは代わりに誰かが犠牲になる未来だ。
決して選ぶことなどできない。
それはリズアートも充分にわかっているはずだ。
しかし、それでも口にしたのは、すべてはこちらを思ってのことだ。
「ありがとうな、リズ。俺のために怒ってくれて」
「やめてよ……わたしが欲しいのはそんな言葉じゃない……わたしはただ、あなたに一緒にいて欲しくて……」
リズアートがゆっくりと首を振りながら、いくつもの涙をこぼしていく。
そこには普段の気丈に振舞うリヴェティア国王の姿はなかった。
年頃の女の子となんら変わらない。
ベルリオットは、いまにも泣き崩れそうな彼女のそばへと歩み寄った。
彼女の頭を片手で胸元に抱き寄せる。
「だめだろ。みんなが見てるぞ」
「誰のっ、せいだと……思ってるのよ……っ」
返す言葉もなかった。
だが、自分にはリズアートの涙を止められる、唯一の言葉を口にできない。
口にしてはならない。
ただ、受け止めるしかできなかった。
ベルリオットは彼女の髪を優しく撫でる。
「リズがいてくれたからこそ俺はここまで来られたんだ。一番、護りたいって思うリズがいたから」
「いまごろ、そんなこと……」
胸元に拳を何度も叩きつけられた。
それは勢いもついていないのに胸の奥まで響くほど痛かった。
彼女の気が済むまでそばにいられたらいいのだが、時間があまり残っていない。
ベルリオットはリズアートの肩を掴み、離した。
「リズこれを」
自身の胸元に片手を当てた。それは抵抗なく自然に引き出すことができた。眩い光を放つ、白の力。炎のごとく揺らめくそれを脱力したリズの手に持たせた。
「それから、これも。リズに持っていて欲しい」
腰に携えていた実剣を外した。白の光同様、リズアートの手に掴ませる。
どちらも彼女は落とさずに持っていてくれたものの、なにも言ってくれなかった。
ただ、力なくこちらを見つめている。
彼女の目尻から流れ落ちようとしていた涙を拭ったあと、ベルリオットは告げる。
「行ってくる」
「やっぱりわたしも――」
「その先は言っちゃだめだろ。女王さま」
最後に軽口を言い残し、ベルリオットは彼女に背を向けた。
静かにアウラを取りこんだ。青の燐光が周囲にちらつきだしたと同時、空へと一気に飛び上がる。
「待ってるから!」
リズアートの叫び声が耳に届く。
振り返りたくなる気持ちを必死にこらえた。
いま振り返れば、きっと飛べなくなると思った。
「いつまでも待ってるから、だから――!」
風の音にかき消され、それ以上は聞き取ることができなかった。
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南方防衛線を越えたとき、ベルリオットは縁の辺りに二つの人影を見つけた。
近づくにつれ、その正体があらわになっていく。革造りの簡素な服を身に纏った筋骨隆々とした男性と、フリルがふんだんにつけられたメイド服姿の女性。
あんな特徴的な組み合わせはそうそういない。
人影の正体はライジェルとメルザリッテだ。
二人とも荷袋を担いでいた。ライジェルは小さめのものを、メルザリッテにいたっては自分の身体よりも大きなものだ。
ベルリオットはライジェルたちの前に下り立つ。
「……親父、メルザ」
「なんだ、その顔は? てっきりうるさく言ってくるかと思ったんだがな」
「わたくしも聞き流す準備をしていたのですが、どうやら杞憂だったようです」
二人がおどけるように言った。
この場に、旅に出るかのような様相で待っていた。
つまり彼らは共に地上に残るつもりなのだ。
一緒に残って欲しいなんて一言も口にしていない。
そもそも地上に残ることすら伝えていない。
それでもベルリオットの中に意外に思う気持ちはなかった。
「もちろん二人には最後まで黙っているつもりだった。けど……さ。話さなくてもきっと一緒に来るんだろうなって想いが心のどこかにあったんだ」
ベルリオットはばつの悪さを感じながら、かすかに微笑んだ。
「付きあわせて悪い」
「なにガキが親に気ぃ遣ってんだよ」
「そうです。ベルさまがいらっしゃる場所に、このメルザありです。気遣っていただく必要など微塵もございませんっ!」
言って、二人が笑顔を向けてくる。
そこからは絶望なんてものはいっさい感じられない。
むしろ、これから明るい未来が待っているかのような雰囲気だ。
「ま、途切れちまった家族生活の続きをやるにはちょうどいいだろ」
「大半がシグルとの戦いで埋め尽くされそうだけどな」
「違いねえ」
「その点は問題ございません。わたくしがすべて排除いたしますから」
「頼もしいな」
「代わりと言ってはなんですが、ご褒美の接吻を頂きたいと――」
「だったら自分で戦うほうを選ぶ」
「ひどいですベルさま! 少しぐらい、少しぐらいならいいじゃないですかー!」
なんだか懐かしいやり取りだ。
ライジェルが軽口を叩いて、メルザリッテが暴走して。
そんな二人に挟まれる形で自分がいる。
不思議だ。
先ほどまで沈みかけていた気持ちが、いつの間にか上向いている。
これが家族というものなのかもしれない、とベルリオットはいまさらながらに感じた。
「行こう」
「ああ」
「はいっ」
ベルリオットは、ライジェルとメルザリッテとともにリヴェティア大陸から飛び立った。
始まるときも終わるときも、この三人でいられることがなにより嬉しくて、心強かった。
飛行しながら肩越しに振り返る。
まだ大陸のすべてが視界に収まっていなかった。
自分はこんなにも大きなところで過ごしてきたのか、とあらためて驚かされる。
一瞬では思い出しきれないほどの記憶が蘇ってくる。
本当に色んな場所で色んなことがあった。
それらの記憶は、かけがえのないものとして、いまも胸に刻まれている。
段々と小さくなっていく大陸を見つめながら、ベルリオットは心の中で口にする。
人でも、土地でもない。
大陸へ向かって――。
……ありがとう。




