◆二十三話『傷と剣』
空がくすみ始めた頃、ベルリオットは訓練校に足を運んだ。
建物の中には入らず、わき道を歩いていく。戦いが終わって間もないこともあり、いま訓練生と顔を合わせれば、もみくちゃにされそうな気がしたのだ。
訓練校の光景を色んな角度から目に焼きつけていく。
外壁に描かれた落書き、名も知らない花、芝の剥げた地面……。
不思議なものだ。
長い間通っていた場所だというのに新たな発見がいくつもあった。
もう少しここにいたら気づいてたのかもしれないな。
そんなことを心の中で口にし、思わず自嘲してしまう。
「ようやく見つけたぞ」
ふいに背後から覚えのある声が聞こえてきた。
振り向くと少し離れた場所にイオルが立っていた。
なにやら、いかめしい表情でこちらを睨んでいる。
「イオル?」
「俺と勝負しろ、ベルリオット」
「勝負って……いきなりどうしたんだよ」
ベルリオットが戸惑いながらそう聞き返すと、イオルがさらに表情を険しくした。
「きさま、地上に残るそうだな」
「……ったく、誰が言ったんだ」
頭をかきながら、思い当たる節をさぐってみる。考えてもみれば各国の騎士が動き出しているのだ。知ろうと思えば、、どこからでも漏れる可能性があるな、と思った。
イオルが荒々しくアウラを纏った。
いまや彼の纏う紫の光は、王城騎士序列一桁台のそれとも見劣りしない。
「俺が勝ったら、きさまはリーヴェに残れ」
「それはできないな」
「だったら俺が叩きのめして動けなくしてやるまでだ」
大剣を生成するやいなや、切っ先をこちらに向けてくる。
どうやら冗談ではないようだ。
「どうして、そこまでして止めたいんだ」
「俺はきさまのことなどどうでもいい。だが、陛下がきさまを求めている。だから――っ!」
狂気というほどではない。
ただ、それに近い強い意思がイオルの瞳には宿っていた。
「俺と勝負しろ、ベルリオット!」
イオルは本気だ。
騎士として、己が信じる者のために、己の道を突き進もうとしている。
かつて自分が劣等感を抱いた男。
そして、心の底では憧れに近い感情を抱いた男でもあった、イオル・ウィディールが決闘を申し込んできている。
断る理由は、ない。
ベルリオットはアウラを纏った。
取り込んだ青い燐光が同心円状に渦巻き、周囲に巡りはじめる。
生成した青の剣を握り、構える。
「……わかった。それでおまえが納得するなら、いくらでも相手してやるよ」
「手加減だけはするなよ」
「まさか、おまえにそんな風に言われる日が来るなんてなっ」
ベルリオットは己のすべてを剣に乗せ、地を蹴った。
/////
「まさかトレスティングさまが来られるとは……」
「ああ、どうしましょう、あなた。どうにかしてすぐにでも美味しいお料理をご用意できないかしら」
ベルリオットはアシュテッド邸を訪れていた。
もちろんリンカに逢うためだが、玄関で真っ先に出迎えてくれたのは彼女の両親だった。
二人ともいかにも貴族といった瀟洒な服を着た格好だ。容姿は、さすがリンカの親といったところか、どちらもひどく整っていた。
ただ、貴族らしき落ちつきはいっさいない。むしろおろおろとうろたえている。
リンカが遅れて顔を出した。
騎士服はすでに脱いだようで、簡素な部屋着を身に纏っている。
「お父様もお母様も大げさ。こんなの別にもてなさなくてもいいから」
「こら、リンカ! トレスティングさまになんて口の利き方を!」
うるさいな、とばかりにリンカが目をそらした。
なんだか場が荒れそうだ。いや、もう手遅れか。
ベルリオットは苦笑しながら、こっそりと言葉を割りこませる。
「あ~……彼女の言うとおりできればお構いなく」
「ついてきて、ベル」
親の言葉を無視しながら、リンカがそばの階段を上がっていった。
「あ、ああ」
ベルリオットもあとを上階へと向かう。その際、リンカの両親から不気味なほどにこやかな表情で見送られた。その意味が理解できず、思わず引きつりながら笑顔を返すことしかできなかった。
リンカに連れられ、部屋に通される。
入った瞬間、甘い匂いが鼻に届いた。なんだか覚えがある匂いだ。
もしかすると、リンカが普段つけている香水と同じものかもしれない。
部屋の中は赤系統の色味を持った調度品が多く置かれていた。
リンカの印象そのものだと思った。
「そこ、座って」
リンカがベッドにどかっと腰を下ろすと、部屋中央に置かれた椅子を指さした。
ベルリオットは若干の緊張を感じながら言われるがまま椅子に座った。
「初めて逢ったけど……すごいな、リンカの両親」
「あれでもつい最近まであなたを恨んでたんだけどね」
リンカが傷を負ったことに、少なからずベルリオットは関わっている。
だから、恨まれるのは当然のことだ。
「俺も殴られるぐらい覚悟してたんだけどな。けど、それがどうしてあんなに」
「それは……」
リンカが顔をそむけ、口ごもってしまった。
なにか言いにくい理由があるようだ。「そ、それより」と声を荒げながら、彼女はあからさまに話しを切り替えた。
「その傷、どうしたの」
「ああ、これか」
ベルリオットは、自身の右頬に手を当てた。
そこには放っておいても数日で跡形がなくなるほどの浅い斬り傷が刻まれている。
「ちょっとな」
そう苦笑しながら答えると、リンカがいぶかしむような目を向けてきた。が、それ以上、問い詰めるようなことはしてこなかった。
「それで、別れの挨拶でもしにきたの?」
前触れなくリンカから放たれた言葉に、ベルリオットは思わずまぶたを跳ね上げてしまう。とはいえ、こちらとしてもいつ切り出そうか迷っていたところだ。
ちょうどいい、と思った。
「やっぱりもう耳に入ってたか」
「少なからずリヴェティアの騎士も動いてるし、知らないわけがないでしょ」
「そりゃそうか。まあ、そういうわけだから行く前に少し話せたらなって思ってさ」
おどけたように言った。
それが気に食わなかったのか、鋭い目で睨まれてしまう。
「どうせ、あんたのことだからなに言っても無駄だってわかってる。けど、納得したわけじゃないから」
「どうしたら納得してくれるんだ?」
「なにをしても納得するつもりはないけど、そうね……」
リンカがすっくと立ち上がると、手を伸ばせば届く距離まで近寄ってきた。
「目、閉じて」
「目って、なにする気だ?」
「いいから」
リンカの顔はあくまで真剣だった。
気圧される形で、ベルリオットは目を閉じた。
いったいなにをされるのか。視覚が使えないからか、嗅覚が研ぎ澄まされていく。甘い匂いに鼻腔がくすぐられる。リンカの匂いだ。部屋に入ったときとは比べ物にはならないほど、はっきりと感じることができる。
また、リンカの吐息を近くに感じた。
妙な緊張感に見舞われ、ベルリオットは思わずごくりと喉を鳴らしてしまう。これほどまでに近い距離にいる。それが、あることを連想させた。
まさか、と思って目を開けようとした、そのとき――。
服の襟元になにかが差し込まれた。感触から察するにおそらくリンカの手だ。肩があらわになるまでぐい、と強引に広げられた。
ベルリオットは慌てて目を開け、そちらを見やると、肩にリンカの口が押し当てられていた。
「って、なにしてんだっ!?」
そう問いかけてみても、リンカは答えてくれない。
代わりに歯を立てた。
がぶっと思い切り噛まれる。
「いっつ!!」
ベルリオットは跳びはねるようにして立ち上がり、リンカから離れた。
油断していたからか恐ろしく痛かった。
正直、オウルと戦ったときに受けたどの痛みをも遥かに上回るぐらいだ。
「って~……なにしてんだ。冗談抜きで結構痛かったぞ……って、歯型くっきりじゃないか」
ベルリオットは部屋に置かれていた鏡面台を使い、肩口を確認した。驚くほどくっきりと歯型がつけられている。というか血が出ている。
鏡面台に映るリンカは何食わぬ顔で服の袖で口を拭っている。
文句を言うため、ベルリオットは振り返る。
「お、おいリンカ、これはどういう――」
「これでおあいこ」
リンカが不敵な笑みを浮かべながら言った。
ただ、その顔は少し強張っていて無理に笑っているのがひしひしと伝わってきた。
ベルリオットは思わず面食らってしまう。
リンカの目尻から涙があふれた。つぅ、と頬を伝い、顎から滴り落ちていく。
「……リンカ」
「もう、気にしなくていいから。あたしはとっくに前を見てるから」
ベルリオットは、いまだにリンカの失った左眼のことに負い目を感じている。
だが、もう気にするな、と彼女は言ってくれているのだ。
負い目を感じる必要はない、と。
「だから、ベルは自由に飛んで。振り向かずに、あんたの速度で思いっきり翔けぬけて」
震えでうまく動かなくなった唇を強く噛みながら、リンカが言葉を継いだ。
「じゃないと追いかけたくなるから……」
彼女は最後まで俯くことはなかった。
ただただ、笑顔でいつづけてくれた。
本当に強い人だ、とベルリオットは思った。
そして、同じぐらい優しい人だ、と。
彼女がここまでしてくれたのだ。
しかと答えなければならない。
ベルリオットは噛まれた箇所に左手を当てた。
そこから感じる痛みは、いまや温もりに変わっている。
姿勢を但した。
リンカ・アシュテッドを見据えながら、力強くうなずいて見せる。
「ああ」
/////
「リズさま、トレスティングさまがお見えになっております。どうか扉を開けてはもらえないでしょうか?」
侍女の声を耳にしながら、ベルリオットは扉の向こうにいるであろうリズアートに意識を向けた。
侍女の話では、会議が終わってからのち、リズアートは寝室に篭ったきりになってしまったという。責任感の強い彼女が、どうしてこのような状態に陥ってしまったのか。
その原因が自分にあることを、ベルリオットは充分にわかっていた。
だからこそ、こうして話をしにきたのだが……。
リズアートからの応答は一向になかった。
侍女が振り返り、窺うような目を向けてくる。
まだあどけない少女だ。彼女はリズアートの世話係を専属で務めている。何度か顔を合わせているため、知らない仲ではなかった。
ベルリオットは侍女に下がってもらい、自ら扉に向かう。
「リズ、開けてくれないか」
やはり返事はない。
「頼む」
少し待ってみたものの、静寂が虚しく響くだけだった。
ベルリオットは目を瞑りながら息を吐く。
彼女とろくに話もできないまま別れるなんてことは出来ればしたくない。
だが、彼女が怒っている――ベルリオットが地上に残る――ことは、こちらにとっても譲れないことだ。
「リズさま……」
侍女が心配そうに声を漏らす。
本当に残念だが、このまま立っていてもしかたない。
「悪いな、付きあわせて」
「い、いえ。お力になれず申し訳ございません」
「ほんと気にしないでくれ。悪いのは……全部俺なんだ」
ベルリオットは自嘲気味に言ったのち、その場を立ち去ろうと歩みだす。
と、見知った女性騎士が前を塞ぐように立っていた。
腰ほどまである淡い金の髪を流す彼女は、エリアス・ログナートだ。
「……エリアス」
「やはり逢えませんでしたか」
彼女は穏やかな笑みを浮かべながら続けて言った。
「少し話をしませんか」
/////
ベルリオットは、エリアスとともに中庭を囲む回廊へとやってきた。
この辺りの警備に当たっていた騎士には一旦外れてもらったため、いまは近くに誰もいない。城下町から離れていることもあり、歓喜に酔いしれる民の声も聞こえてこない。
とても静かだ。
「俺もエリアスと話したいと思ってたからちょうど良かったよ」
ベルリオットは欄干に両腕を乗せ、夜空を望んだ。
くっきりと映った星が瞬いている。
夜はあれほど力強く輝いているのに、朝を迎えれば見えなくなってしまう。いま、星はどんな気持ちでいるのだろうか。そんなことを考えながら、ベルリオットは得も知れぬ寂しさで胸が満たされた。
横に並んだエリアスが、そっと欄干に片手を乗せる。
「姫さまのついで、ではないのですか?」
「もしかして拗ねてるのか?」
「す、拗ねって……わたしはそのようなことっ」
暗がりでもわかるほどエリアスの顔は赤らんでいた。
あたふたとする彼女の姿に思わず笑ってしまいそうになるのを堪え、ベルリオットは「そんなことはない」と言った。
「エリアスも大切な仲間の一人だ。ついでで済ませるなんてこと、するわけないだろ」
アムールの強大な力を手に入れたとき、父への劣等感に苛まれ、ただただ力を誇示することだけに囚われてしまった。
そのせいでリズアートを傷つけてしまった。
リンカを傷つけてしまった。
そんなとき、目を覚まさせてくれたのは紛れもなくエリアスの一言だった。
――騎士の剣はなんのためにあるのか。今一度、自分の胸に聞いてみなさい。
目を閉じれば、いまでもあの声が鮮明に思い出される。
「あのとき、エリアスに怒ってもらえなかったらいまの自分はなかったって思う」
付き合いとしては一年と少しだろうか。
決して長いわけではないが、あらためて思う。
エリアスと知り合えたことは自分にとって本当に幸せなことだった、と。
「本当にありがとな」
「……大げさです。わたしから言わずともあなたはきっとたどり着いていたと思います」
「仮にそうだったとしても、俺はエリアスに言ってもらえて良かったと思ってる。誰よりも護るために剣を振るいつづけてきたエリアスの言葉だから……こんなにも胸の奥深くに刻まれたんだと思う」
ベルリオットは欄干から身を離し、エリアスへと向きなおった。
ひんやりとした風が吹いていた。視界の中、月明かりを受け、白銀のように煌くエリアスの髪が波打つようになびく。
「リズのことを頼む」
しかと彼女の目を見据えながら口にした。
エリアスが少し困ったように眉尻を下げる。
ただ、それはほんのわずかな間で、すぐにいつもの凛々しい表情へと戻った。
「わたしがいつから姫さまの護衛を務めてきたと思っているのですか。あなたに言われずとも、姫さまに降りかかる火の粉はすべてなぎ払ってみせます」
「頼もしいな。おかげで俺も安心して行ける」
もっとも信頼できる仲間だ。
彼女がいれば、なにも心配することはない。
「じゃあな、エリアス」
別れの言葉は、それ以上いらないと思った。
ベルリオットは彼女に背を向ける。
未練は少なくない。
足は重い。
だが、想いを振り切るように足を踏み出した。
「まっ、待ってください!」
ふいに背中に重みを感じた。
伝わってきたぬくもりから、すぐになにが起こったのかをベルリオットは理解した。
エリアスが背後から抱きついてきたのだ。
とはいえ、腕を回されていない。
ただ、体を押しつけられた格好だ。
「……エリアス?」
「いつからか、あなたのことばかり考えるようになっていました。それからあなたの顔を思い出すたび胸が苦しくなるようになって……ようやく気づいたのです」
そこに、どれほどの想いがこめられているのか。
苦しそうに漏らす彼女の声から痛いほど伝わってきた。
「わたしはあなたが好きなのだと」
静かな夜に、その言葉はよく響いた。
遮るものなどなく、ベルリオットの耳に届いた。
胸に届いた。
素直に嬉しい、と思った。
だが、直後に襲ってきたのは、心臓を針でつつかれたような、そんな痛みだ。
「エリアス、俺は――」
「わかっています!」
背中に押し当てられたエリアスの手が、ぎゅうと服を握りしめてくる。
「……わかっています。あなたの気持ちが違うところにあることを。ですが、それでも伝えたかった……! そうしなければわたしは前に進めないから……っ!」
顔を見ずとも、彼女が無理やりに言葉を押し出しているのが伝わってきた。
それを感じるたびに、ベルリオットは胸を締めつけられるようで苦しくなった。
出逢う時期が、出逢う場所が違っていたら、この胸に抱いた気持ちは変わっていたかもしれない。それほど自分がエリアス・ログナートという女性に向けていた気持ちは大きかった。
いま、自分がエリアスにおくれる言葉があるとすれば、やはりこれしかない。
ベルリオットは前へと歩き出す。
そして振り返らずに、その言葉を口にした。
「ありがとう、エリアス」




