◆二十二話『絆と翼』
王城での会議を終えたのち、ベルリオットは自邸へと戻った。
玄関を抜け、居間に足を踏み入れる。と、ソファにどかっと座るライジェルの姿を見つけた。すでに騎士服から楽な格好へと着替えている。
遠い過去に見た光景と被さり、懐かしい思いがせりあがってきた。
本当の意味でライジェルが返ってきたのだ、とベルリオットはようやく実感できた。
「それで結局、どうなったんだ?」
ライジェルから開口一番に放たれたのは「おかえり」ではなかった。
ベルリオットは思わず跳ねそうになった心臓を抑えこむ
「各国の騎士が残ってくれることになったよ。俺は功労者だからって」
初めから決めていた言葉だったからか、さらりと口から出た。
不自然なところはないはずだ、と言い聞かせながら返答を待つ。
「そうか」
素っ気なくこたえると、ライジェルは目をそらした。それから目の前の机に置かれたカップを手に取ると、茶を一口含む。
「まあ、充分に戦ったからな。いいんじゃないか」
言って、静かにカップを置いた。
どこか含みのある言葉だ。
偽りであることに気づいたのだろうか。
ただ、それ以上追求されることはなかったため、ベルリオットからわざわざ話を蒸し返すようなことはしなかった。
「そう言えば、クティとティーアはどこに行ったんだ?」
「あ~、あいつらなら――」
ライジェルが答えようとしたそのとき、階段のほうから足音が聞こえてきた。居間から伸びた通路のほうへ顔を出すと、ちょうど階段を下りおえたメルザリッテと目が合った。
「お出迎え出来ずに申し訳ございません。ベルさま、おかえりなさいませ」
「ああ、ただいま」
「えっと、クティとティーアさまですね」
どうやら聞こえていたらしい。
「クティは城下の礼拝堂に行くと言って出かけましたよ。ティーアさまはナトゥールさまの御容態を伺うとのことで南方防衛線に立ち寄っていかれましたが……」
がちゃり、と玄関扉の取っ手が回される音がした。
「と、言っていたら戻ってきたようですね」
開けられた玄関扉からティーアが顔を出した。
彼女はこちらの姿を認めると、目をぱちくりとさせる。
「主、戻っていたのか」
「ああ、ついさっきな」
ベルリオットがそう答えた直後、ティーアの後ろから影が飛び出した。ティーアと同じく銀髪に褐色の肌を持っている。ナトゥールだ。
彼女は大粒の涙を散らしながら、勢いよく胸に飛びこんで来た。
「ベルッ」
「っと」
ベルリオットは思わず倒れそうになるが、なんとか踏ん張った。
胸の中に顔を埋めながら、ナトゥールが涙を流している。どれだけ心配してくれていたのかが伝わってきて嬉しかった。だが、いまは彼女の体のほうが心配だ。
くしゃくしゃになった彼女の顔から目をそらし、その体の様子をうかがう。オウルとの戦いで負った傷はもう見られない。どうやら創造主による治癒は敵拠点の周辺にいた者以外にも適用されたようだ。
ナトゥールにぎゅっと胸元を掴まれる。
「良かった。無事で」
「トゥトゥも治ったんだな」
「うん、びっくりしたよ。いきなり傷が跡形もなくなっちゃうんだもん」
ナトゥールが鼻をすすったあと、ようやく顔をあげた。
その後、大きな目を開けながらそのときのことを語りはじめる。
と、ティーアが大げさに咳をした。
「トゥトゥ、いつまでくっついているつもりだ」
「あっ」
ナトゥールが目を瞬かせた。
訓練学校時代、彼女とはともに行動することは多くとも、このように密着したことなど一度もなかった。ベルリオットもそのことを思い出し、つい意識して気恥ずかしくなってしまう。だが、自分以上にナトゥールのほうが照れているようだった。褐色の肌が、いまや真っ赤に染まってしまっている。
「ご、ごめんっ」
まるで敵から間合いを取るかのごとく彼女は素早く後退した。さらにティーアのそばで座りこみ、頭を抱えながら「うわぁ~」と唸りはじめる。
そんな彼女を目にしながらベルリオットがティーアとともに苦笑していると、メルザリッテがさりげなく近寄ってきた。
「ではベルさま。次はこのメルザが抱きつく番でございますね」
「……メルザは置いておくとして」
「そ、そんなぁ~!」
ちょうどいいな、とベルリオットは思った。
ナトゥール、ティーアに向かって言う。
「二人とも、ちょっと散歩に行かないか」
/////
すでに正午を過ぎているからか外の空気は生暖かかった。
大陸が空に浮いていた頃よりも幾分か温かい。
いま、飛翔核は機能していない。
つまり、この温かさは自然によるものということだ。
そう思うと、不思議と空気がおいしく感じた。
ベルリオットはティーアとナトゥールを伴い、屋敷からほど近い広場に足を運んだ。
ここはストレニアス通りとは反対側に位置するため、民による歓喜の声もあまり聞こえてこない。
無数の芝が風に優しく煽られ、ささめく音は気持ちの良いものだった。
誘われるようにして芝の上に座り込む。
ティーアとナトゥールもこちらと向かい合うように腰を下ろした。
三人そろって空を見上げた。
慌しく飛空船が空を飛び交っている。
すでに各国の騎士が各々の大陸へと移動を始めているのだ。
もちろん、すべてというわけにはいかない。
民の移動についても混乱を招きかねないということで後日おこなわれることに決まった。
「やっぱり行くつもりなのか?」
ティーアがぼそりとつぶやいた。
「なんだ、気づいてたのか」
ベルリオットはそうこたえながら視線を落とした。
眉尻を下げたティーアの顔が映った。隣に座るナトゥールも同じ表情だ。
ただ、どちらにも動じた様子はない。
どこか悟っていたような、そんな感じだ。
「しかし、よくリヴェティア王が許したな」
「あいつはずっと反対してた。ただ、時間がないことはみんなわかってたからな。ほかの王たちもなんとか動いてくれることになったよ」
とはいっても、ほかの王たちも素直に納得してくれたわけではない。
いや、最後まで納得していなかっただろう。
だがら、ほとんど押し切るような形で無理やりに会議を終えたのだ。
会議のことを思い出すと胸がちくちくと痛む。
結局、リズアートは最後まで顔を合わせてくれなかった。
話もろくに出来ない状態だった。
このまま話もせずに別れるというのは出来れば避けたい。
またあとで王城に立ち寄ってみよう、とベルリオットは思った。
「主、わたしたちも共に行かせてくれ」
唐突にティーアから放たれた言葉に思わず目を見開いてしまう。
「なに言って――」
それ以上、うまく言葉が出てくれなった。
ティーアから向けられた目が、どこまでも真っ直ぐで力強かったのだ。
そんな彼女の隣で、ナトゥールがわずかに下向きながら語りはじめる。
「実は帰ってくる途中、二人で話してたの。きっとベルなら、ひとりで残る道を選ぶだろうって……だから、そのときはついていこうって」
ナトゥールもまた強い意志を宿した瞳を向けてきた。
生半可な決意で口にした言葉ではない。
二人とも本気だ。
「トゥトゥ、ティーア……ありがとう」
ベルリオットはただただ嬉しくて、その言葉が自然と出た。
視界に映る褐色の少女たちがそろって笑顔を浮かべる。心底ほっとしたような表情だ。
ベルリオットは思わず目をそらしてしまいそうになるが、彼女たちの顔をしかと見据えた。
「けど、だめだ」
「なっ――どうして!?」
「いま、ありがとうって。それ、ついていっても良いって意味じゃなかったの?」
二人が膝立ちになって詰め寄ってくるが、ベルリオットは首を振った。
「長く迫害されてきたアミカスとして、わたしは様々な呪縛にとらわれていた。だが、そんな呪縛からわたしを救ってくれたのは紛れもなく主だ。その主のために、この命を使いわせてくれ……!」
「わたしもだよ。ベルがいなければずっと苛められてばかりだった。きっと訓練校もとっくにやめちゃってたと思う。だからわたしも恩返しがしたいの……こんなにも幸せな時間をくれたベルに」
二人から必死になって訴えかけられる。
自分のことを、こんなにも想ってくれている。
それを知れただけでもベルリオットは幸せだった。
「だからだ。ともに戦い抜いた仲間として、人とアミカスはこれからきっと良い関係を築いていけると思う。つまりアミカスにとって、いまよりもっと良い未来が待ってるはずなんだ」
あくまで希望だ。
だが、きっとそうなると信じている。
「これまで辛いことをたくさん経験してきた二人だから。これから訪れる人とアミカスの新たな世界を見守ってて欲しいんだ」
言って、ベルリオットは微笑んだ。
二人は強い。
アミカスの発言力を高めるためにもきっと欠かせない存在になる。
ここで狭間という舞台から降りていい存在ではない。
「ずるいよ、ベル」
「トゥトゥの言うとおりだ……」
ナトゥールは手で涙を拭い、ティーアは下向いたまま涙を垂れ流していた。
ベルリオットは鼻の奥がつんとした。こみ上げてくる感情に目頭を刺激され、熱くなっていく。
思わず涙しそうになったが、必死に堪えた。
出来れば、最後は笑顔でいたいと思ったのだ。
「二人とも、こんな俺についてきてくれて本当にありがとう」
/////
ストレニアス通りは、いまだ民衆の歓喜で満ちあふれていた。
普段は騒ぎと無縁である城下の礼拝堂前でも例外ではない。
感謝の礼拝をするためか、長い行列が出来上がっている。
本来は慎ましやかにするべき場所だが、いまは誰もが喜びを隠せないといった様子だ。
教会の者たちも、それを咎めようとはしないため、凄まじい喧騒となってしまっている。
そんな大勢の前に顔を出すようなことはせず、ベルリオットは裏手側から礼拝堂へと入った。アムールだからこそ許された特権といったところだ。
中は石造りとあってひんやりとしていた。待機場所とはいえ、寝床も設けられているため、少し広めの部屋だ。書棚が幾つかと大きめの長机が置かれている。それらが控えめな灯りに照らされ、質素な装飾がさらに際立っているように見えた。
数人の修道女や聖堂騎士の姿が見られた。彼女たちはこちらの姿を見るなり弾かれたようにぴんと背筋を伸ばし、次の瞬間には膝をついた。
何度経験しても慣れない光景だ。
ただ、そんな中、ひとりだけ驚いたように目を瞬かせる者がいた。
クーティリアスだ。
「よっ」
「ベル……ベルリオットさま? どうして」
「クティがここにいるって聞いてさ」
そう告げると、クーティリアスが周囲の者たちに目配せをした。
「少し外していただけますか」
修道女や聖堂騎士たちが一度深く頭を下げた。その後、静かに立ち上がると無言で部屋から退室していく。
扉が閉められたとき、クーティリアスが肩の力を抜いた。
先ほどまでの威厳ある姿はもうない。
「もうっ、来るなら来るって言ってよ。びっくりしたじゃんかー」
「悪い。急ぎってわけじゃないけど、ちょっとクティと話したいことがあってな」
言いながら、ベルリオットは近くの椅子に座った。
腰を落ちつけて話したいという意思表示をしたつもりだった。
だが、クーティリアスが応じることはなかった。
立ったまま、真剣な目でこちらをじっと見つめてくる。
「聖下から聞いたよ」
「そうか。なら話は早いな」
「当然、ぼくもついていくから」
固い決意をした目だった。
「ぼくが生まれてきたのは、やっぱりベルさまの翼になるためなんだよ。だから、これからもずっと一緒にいて、一緒に空を飛びまわるんだ」
言って、クーティリアスがまるで空を飛びまわるかのように両手を広げた。
その瞳にはいっさいの曇りがない。
ただただ純粋な期待で満ち、きらきらとしていた。
「なあ、本当はクティも気づいてるんだろ」
ずっと疑問に思っていた。
メルザリッテも精霊の翼を持っている。
天上から応援に駆けつけてくれたアムールも精霊の翼を持っていた。
だが、一度として目にしたことがなかったのだ。
クーティリアスのように人の姿をしている精霊を――。
「たぶん精霊の翼は使い続けるとアムールと同化する」
「そんなの、ずっと前から知ってたよ」
低く冷めた声だった。
クーティリアスがすっと下げた両手を胸元に持っていき、ぎゅうと握りしめる。
「けど、それでもぼくはベルさまの力になりたいって思ったんだ。この人になら、ぼくのすべてを捧げてもいいって」
ずっと前から覚悟していたということか。
自分という存在がなくなるかもしれない恐怖を押し殺し、ただ静かに翼として力を貸してくれていたということか。
これまで無邪気にはしゃいでいた彼女の姿が思い出されていく。それらが覚悟の上で成り立ったものだと知ったとき、胸が締めつけられるような痛みに襲われた。
「クティは強いな」
ベルリオットは自嘲しながら言葉をつむぐ。
「俺なんて自分で選んだ道なのに、いまは後悔ばかりが浮かんでくるよ。もっとみんなと一緒にいたいってさ」
初めは達観したような思いがどこかにあった。
だから、自分が地上に残るなんてことを淡々と告げられたのだ。
ただ、いざ口にすると色々な想いが湧きあがってきた。全身にまとわりついたそれらが後悔となって全身を強く縛りつけてきた。
そして叫びたくなる。
皆と一緒にいたい、と。
いまもせりあがってくる想いを抑えつけるのに必死だった。
「だってぼくにはベルさましかいないから。だから、迷わずに進めるんだよ」
近寄ってきたクーティリアスが片手で服の裾をぎゅっと掴んできた。
こちらを真っ直ぐに射抜いてくる目や言葉とは裏腹に、どこか儚さを感じた。
ベルリオットは彼女のふわっとした髪の上にぽんと手を乗せる。
「そんな悲しいこと言うなよ。メルザや教会の人たちが泣くぞ」
「う、それは……」
本気で忘れていたのか。
まずいとばかりに彼女は顔をゆがめた。
それがおかしくて、ベルリオットは思わず笑ってしまう。
いつもの調子だ。
やはりクティはこうでなければ、と思いながら、ベルリオットはそっと彼女の頭から手を離した。
「戦いは終わったけど、本当の意味で平和が訪れたわけじゃない。これから皆で協力しながら、長い時間をかけて復興していかなくちゃならない。……ただ、壊れた建物はある程度戻せるけど、なくなった人の命は戻せない」
幸いと言っていいのか、今回の戦いで友人が命を落とすことはなかった。
だが、ベルリオットは幾度となく命が散っていくのを目の当たりにした。
家族、友人、恋人。
亡くなった者と親しい間側の者には、深い悲しみが刻まれたことだろう。
「多くの人が辛い思いをしてると思う。泣いてると思う。だから、クティにはそういう人たちを導いてあげて欲しいんだ。しっかりと前を向いて生きられるように」
過去、ベルリオットはライジェルを失ったことで辛い思いを経験した。
本当は死んでなどいなかったのだが、抱いた感情は紛れもなく本物だ。
あのときの自分は悲しみに耐えられず、ずっと塞ぎこんでいた。それでも立ち上がることが出来たのは、メルザリッテやナトゥールなど親しい者たちの支えがあったからだ。
しかし、孤独な者も多くいるだろう。
また、支えがあっても立ち上がれない者もいるだろう。
そんな者たちを救うために教会という存在が。
教会の歌姫である、クーティリアスが必要だ。
「そんなことぼくには――っ」
「クティなら出来る」
ベルリオットは言い切った。
疑念などいっさいない。
あるのは絶対的な信頼だけだ。
見据える先、クーティリアスが視線を落とした。
ぽつぽつと音が鳴るたび、彼女の足もとに水玉が描かれていく。
「ひどいよ。そんなことお願いされたら、ついていけなくなるじゃんか……」
「クティが俺の翼になってくれなかったら、ここまで来られなかった」
「ベルさまなんて嫌いだよ! ばかっ、ばかぁ……っ!」
クーティリアスが、くしゃくしゃになった顔をさらした。
とめどなく溢れてくる涙を何度も袖で拭いながら嗚咽を漏らしつづける。
そんな彼女の姿を目にしていると、本当に胸が痛かった。
だが、目をそらすつもりはなかった。
感謝の気持ちを余すことなく伝えるため、ベルリオットは真っ直ぐにクーティリアスを見つめながら微笑んだ。
「本当にありがとう」




