◆二十話『すべての想いを翼に』
リズアートはルッチェやジンとともに負傷者を抱えながら敵拠点から脱出した。その後もひたすらに前へと翔け、距離をとっていく。
先ほどから地鳴りが絶えなかった。冗談ではなく地上全体が揺れているのではないか、と思うほどの凄まじい揺れだ。さらに時折、轟音も聞こえてきた。目に見えなくとも、どれほど熾烈な争いが繰り広げられているのかが否応なく伝わってくる。
六人のアムールがそばを飛んでいた。
彼らと合流したのは溝を抜け出した際だ。
「ニアさん、でしたよね。対峙していたシグルはどこへ?」
隣を飛行する女性のアムール――ニアへと声をかけた。
彼女の腕の中にはメルザリッテが抱かれている。彼女から申し出を受け、預けたのだ。
「我々との戦闘中に黒煙と化し、溝の中へと向かっていきました」
溝から脱出した際、シグルの姿はいっさい見られなかったが、どうやら殲滅したというわけではなかったらしい。それを知ったとき、リズアートの中で妙に納得がいった。
「やっぱり……きっとオウルはほかのシグルを取りこんであの力を得たんだわ」
「黒煙は外からも大量に押し寄せてきました。もしかすると大陸を襲撃していたシグルも取りこんだのかもしれません」
だとすれば、いま、リヴェティア大陸は安全ということだ。
とはいえ、それもオウルという強大な存在が生きている限り、一時的なものであることには変わりない。
……ベルリオット。
リズアートは心の中でその名を呼んだ。
そのとき、後ろ手からジンの声が聞こえてきた。
「おい! もうここらでいいんじゃねえか?」
すでに半球状の敵拠点が小さく映るほどには離れている。
だが、まだ油断はできない。
「いえ、もっと遠くへ行きましょう!」
「けどよ」
「ジンさんもあれ見たでしょ! これぐらいじゃ――」
ルッチェが半ば怒鳴るように声をあげた、瞬間。
凄まじい轟音が耳をついた。ほんのわずかに遅れて背中を叩かれたような感覚に見舞われる。突風が押し寄せてきたのだ。飛行していた全員がたまらず地上に下り立った。
リズアートは肩で担いでいたライジェルを地上に下ろしたのち、なんとかその場に踏みとどまる。
ようやく風が止んだ。
いったいなにが起こったのか。
目を開いた矢先、冥獄穿孔から黒い柱が天に昇った。同時、出所である敵拠点が弾けるように吹き飛んだ。周囲の地面も盛り上がり、目に映る光景が一瞬にして凄惨なものへと変わってしまう。
黒い柱が細くなり、すぅと消え去ったとき、巨大な影が空へと飛びだした。溝から抜け出す際、確認したので間違いない。
あのドリアークを彷彿とさせる姿はオウルの新たな姿だ。
あとを追って小さな影が空へと飛び出した。あまりに遠いのではっきりと姿は窺えないが、混ざり合う青と白の光を纏っていることからベルリオットに間違いない、とリズアートは思った。
ベルリオットとオウルは何度もぶつかり合いながら螺旋状に空を昇っていく。それぞれが纏うアウラの色が青空に描かれては溶けるように消えていく。
彼らがぶつかるたびに空気が、地上が震えた。
リズアートはほかの者たち同様、ぼう然としてしまった。
あまりに熾烈だった。
いまだかつて、このような戦いがあっただろうか。
まるで現実世界ではないような、そんな感覚すら抱いてしまう。
「……なんて戦いだよ」
ジンの口からこぼれた言葉が、すぐにベルリオットたちの戦闘による轟音によってかき消された。
リズアートは視界の中で行なわれる戦いを必死になって目で追った。とはいえ人智を超えた戦いだ。どちらが有利に運んでいるのか計りようがない。
ただ、ベルリオットは白の力を得た時点で、すでに瀕死といってもおかしくない状態だった。彼が勝つには早期決着しかないように思える。
とはいえ時折オウルが傷を負っても、すぐさま再生しているのが見えた。どうやら人型だった頃の再生能力が継承されているようだ。
そんな……このままじゃベルリオットが……っ!
ベルリオットはきっと勝ってくれる。
勝って、戻ってきてくれる。
そう信じていても、目の前の芳しくない状況が心を落ちつかせてくれない。
ふと、誰かのうめき声が聞こえた。
見れば、先ほどまで横たわっていたイオルが漏らしたものだった。彼は半身を起こしたのち、自らの力だけでゆっくりと立ち上がっていく。
「イオル……?」
「陛下、どうかわたしをお許しください。あなたさまを護ると誓ったそばから……」
「あなた、なにを考えて――」
イオルは震える足で立ち上がると、アウラを取り込んだ。
その身は紫の光に包まれ、背からは光翼が噴出する。
彼の目はしかと真っすぐを見ていた。その先では、ベルリオットとオウルによる激戦が繰り広げられている。
まさか、その傷ついた体で戦いの場へ臨もうというのか。
無謀としか言いようがない。
リズアートはとっさに止めに入ろうとするが、それよりも早く動いたものがいた。
メルザリッテだ。
彼女はおぼつかない足取りでニアのそばから離れ、イオルの前に立ちふさがる。
「イオルさま、どうか留まってください。あなたが行ったところで傷ひとつつけるどころか、足を引っ張ることになりかねません。それほどまでに力の次元が違いすぎます」
「そんなことは充分にわかっている。だが……友を見捨てる騎士がどこにいる」
言って、イオルが結晶剣を生成した。
特有の大剣を両手で構えると、固い決意を感じさせるほど強く柄を握りしめる。
「たった一瞬でもいい。この身を犠牲にしてでもあのデカブツの気をそらせられれば、それで」
呼応するように陽の光を受けた大剣が煌いた。
イオルの決死の覚悟を汲んだのか。
それとも気迫に圧されたか。
メルザリッテが険しい顔つきのまま口をつぐんだ。
「じゃあ、おめぇの友ってやつも一緒に行かねぇとなあ」
「……ジン」
ジンが悪戯っ子のような笑みを浮かべながらイオルのそばに歩み寄った。
危険を顧みず、ともに戦うと言っている。そんな相手に対し、イオルが向けたのは相変わらずの無愛想な顔だった。
「言っておくが、おまえを友として認めた覚えはない」
「って、ひでぇなおい」
「だが……助力は感謝する」
「へっ、相変わらず素直じゃねぇやつだぜ」
ジンがやれやれとばかりに肩をすくめた。
あちこちで砂の擦れる音が聞こえてくる。
見回せば、倒れていた空の騎士たちが立ち上がろうとしていた。
「わたしもベルリオットに死なれては困る。戦いが終わったのち、四騎士に入ってもらわねばならんからな」
「孫のような歳のガキだけ戦わせるわけにはいかんしの」
真っ先に立ち上がったのは、ジャノとヴァロンだ。
「いまやわたしの槍は主のためにある。ここで折れるわけにはいかない」
「ベルには仮があるから……ここで死なれたら困る」
続いてティーアとリンカが立ち上がる。
最後に残ったエリアスは、いまだ立ち上がれずにいた。腕を胸元に引き寄せ、なんとか上半身を起こす。膝をたて、ゆっくりと立ち上がっていく。
いまにも倒れそうなほど体を揺らしながらではあったが、なんとか二の足で立った。
「我々はいつも彼に助けられてきました。いまそれらを返せるというのなら……このエリアス・ログナート、命尽きるまで剣を振り続けます」
いまにもかき消えそうなほどか細い声だったが、そこには強い意志をしかと感じられた。
エリアスが顔をあげたとき、空の騎士たちがそろってアウラを纏った。各々の色だけでなく濃度も同じではない。だが、総じて荒々しく揺らめいた。まるで命という名の炎を燃やしているかのように――。
全員が立っているだけでも、いや、生きているだけでも不思議なぐらいだ。
勇敢な騎士たちの姿を目にし、リズアートは言い得ぬ感情がこみ上げてきた。視界がかすみはじめた。おかしい。悲しい気持ちはない。むしろ誇らしいとさえ思っているはずなのに、どうして涙が出てくるのだろうか。
リズアートは涙がこぼれ落ちないようにと必死に自分の感情を抑制した。
さらに瞬きをしないように堪えた。
この光景は目に焼きつけておかなければならないと思ったのだ。
「ベルのやつ、良い仲間がいるじゃねぇか」
そう零したのはライジェルだ。
彼はいまだ横たわったままだった。オウルと戦闘をしたのだから無理はない。ただ、その身に負った傷を感じさせることなく、誇らしげに笑っていた。
「皆様の覚悟、しかと受け取りました」
メルザリッテが目をつぶりながら静かに息を吐いた。
ふたたび目を開けると、加勢に向かわんとする騎士たちを見回し、話しはじめる。
「ただ、無闇に向かっても無駄死にするだけです」
「なにか作戦でもあるのか」
と、イオルが問う。
「オウルはいまやとてつもない大きさになりましたが、それは多くのシグルの力を取り込んだ結果。それらの力を留めておくための核が必ず存在するはずです」
「つまりその核を見つける、ということか」
メルザリッテがこくりとうなずく。
「だが、どうやって? 俺たちの攻撃じゃ敵は痛くもかゆくもないだろう」
「わたくしがすべての力をもって敵の核をあぶりだします。ですが、少し準備が必要ですので、みなさまにはその時間を稼いでいただければ、と」
彼女の瞳にもまた、イオルやジン、空の騎士たちと同様の決意を感じられた。
「了解しました」
「避けるのは得意」
エリアス、リンカが応じたのを皮切りにほかの者たちもうなずいた。
そばで見守っていたニアたちアムールが歩み出てくる。
「メルザリッテさま、わたしたちももちろんお力に」
「ありがとうございます、ニア」
言って、メルザリッテは優しく微笑みかけるが、すぐに顔を引き締めた。
全員を見回したのち、凜とした声で言い放つ。
「みなさま、あらためて申し上げます。我々全員の力を合わせても非常に難しい作戦です。どうか、お覚悟を――」
そのとき、リズアートは視界の端でなにかがちらついたのを捉えた。
何気なく視線を向けたのち、そこに映った光景に思わず目を見開いてしまう。
あれは……!
◆◇◆◇◆
手を抜けるときなどいっさいなかった。己のすべてを乗せ、攻撃を繰り出していく。敵と接触するたびに凄まじい衝撃が全身を襲った。肉が、骨が悲鳴をあげる。それらを無視して、ただただ無心に空を翔け、ベルリオットは剣を振りつづける。
地底でオウルを止めることはできず、地上へ出してしまった。
せめて被害が広がらぬようにと意識しながら戦う。が、こちらの思惑を嘲り笑うように敵の口から放たれる黒い瘴気が何度も地上に深い傷を刻んでいく。
出来れば回避せずに防ぎたいところだが、あれを受ければまた手が痺れ、敵の攻撃を一方的に受けるはめになってしまう。それだけは避けねばならない。
何度目かによる衝突を経て、互いの距離が大きく離れた。
ベルリオットはもどかしい気持ちを吐き出すように強く虚空を蹴った。敵もまた黒翼をはためかせ、勢いよく向かってくる。一瞬にして間合いが詰まる。天精霊の剣が無骨な牙を覗かせる敵の大口とかち合う。
凄まじい轟音が鳴りひびいた。
一瞬あとに互いの間から猛烈な突風が巻き起こり、見えるすべての範囲にわたって広がっていく。
互いに押しこむ力が拮抗し、空中でにらみ合った。
接触点がぎりぎりと音をたてる。
ふいに視界がぐらりと揺らいだ。
連動するように力が抜けてしまう。それはほんのわずかな間だったが、均衡が崩れるには充分だった。
ベルリオットは弾かれた。
間を置かずして敵の触手が迫ってくる。とっさに天精霊の剣をを割りこませる。が、体勢が不十分だった。突き飛ばされ、落下していく。
空中で体勢を立て直したが、勢いは止まらなかった。地上に激突する。足の裏、突き立てた剣でなんとか勢いを殺す。
休む間もなくオウルから黒い瘴気が放たれた。
ベルリオットは即座に地面を蹴り、大きく右方へ飛び退く。
黒い瘴気がすぐそばを通過していく。地面の上を転がったのち、ベルリオットは体を起こした。先ほどまで足をつけていた場所を見やると、渓谷のごとく深い溝が刻まれていた。
相変わらず恐ろしい威力だ。思わず戦慄してしまう。だが、いまはそれよりも先ほど自身を襲った眩みのほうが問題だ。
クーティリアスの声が脳に響いてくる。
『ベルさまっ!?』
「大丈夫だ! 俺はまだ戦えるッ!」
生まれた不安を振り払うように叫んだ
おそらく体はもう限界に近い。
いや、限界なんてものがあれば、とっくに超えているだろう。
だが、それでも体はまだ動く。
意識もまだ保てている。
止まる理由はない。
ベルリオットはふたたび立ち上がり、飛び立とうとする。
と、頭上をひとつの影が通過した。
目を凝らさなくとも、その正体はすぐにわかった。
イオルだ。
彼は一直線にオウルのもとへと向かっていく。
まさかオウルと戦うつもりなのか。
無茶だ。
「なにやってんだ! 下がれ! あいつはおまえひとりが相手できるようなやつじゃ――」
「俺だけではない!」
イオルがそう答えた直後、彼のあとを追うように人影が視界に割りこんできた。
ジャノ、ヴァロン、ティーア、ジン。続いてエリアス、リンカ。さらにニアたちアムールまでもがオウルのへと向かっていく。
言わずもがな全員が満身創痍だ。
とても戦える状態ではない。
「俺たちがなんとしてでも奴の核を見つける! きさまはそこへ全力の一撃を食らわせろ!」
「見つけるったって、どうやって!」
そうベルリオットが叫んだ直後、オウルが黒翼を大きく広げた。
《愚かな。雑魚がこの戦いに立ち入ろうというのか》
黒翼の端に生えた触手が勢いよく伸び、虚空を突き進んだ。まるで個々が意思を持ったように目前の騎士たちを追いかけ、突き刺すように攻撃を繰り出していく。躱すことが出来たのは、リンカ、ヴァロン、ニアの三人だけだった。
ほかの者は障壁を造り、何とか受け止めたものの、弾き飛ばされてしまう。
そばにエリアスが落下してきた。不恰好に地面を転がりながら、ようやくその勢いが止まる。
「エリアスっ!」
ベルリオットが彼女のもとへと駆け寄ろうとした、瞬間――。
「来ないでください!」
エリアスの叫び声が辺りに響き渡った。
彼女は顔を下向けながら、ふらふらと立ち上がる。
だらりと垂らされた腕には明らかに力は入っていない。
だが――。
「もうわたしの体には戦う力など残っていません。ですが、こんな体でも盾となることはできます。最後の剣である、あなたのために」
その瞳からはまったく力が抜けていなかった。
まるで眩く光るアウラのようだ、とベルリオットは思った。
エリアスが飛び立った。
ほかの者たちとともにふたたびオウルの周囲を翔け回る。全員が触手や黒槍結晶に妨害され、なかなか接近できないようだ。それどころか何度も何度も弾かれている。だが、誰一人として動きを止めていない。倒れた者はすぐに起き上がり、またオウルへと向かっていく。
エリアスたちの決意はわかる。
だが、このままでは弱点を見つける以前に彼女たちの体が壊れてしまいかねない。
くそっ!
「ベルリオット、堪えて!」
ふいに背後から聞こえてきた声に、ベルリオットは全身を硬直させた。
振り返った先、リズアートが立っていた。
どうして彼女がそこにいるのかという疑問が過ぎる。が、すぐに反論しなければという思いが先立った。
「堪えろって、わかってるだろ!? このままじゃみんなが――」
「お願いだから……!」
震える声で懇願された。
よく見れば、リズアートはひどく辛そうな顔をしていた。両手を胸元でぎゅっと握りしめながら、いまにも涙をこぼしそうな目で訴えかけてくる。
「みんな、決死の覚悟で向かってくれてるの。あなたのために……そしてわたしたち人の未来のために」
「……リズ」
辛いのは彼女だって同じはずだ。
それでも目的のために騎士たちの覚悟を汲み取り、必死に堪えた。
ベルリオットは下唇を強く噛んだ。
いまだ納得したわけではない。
だが、目的のために、そして命を懸けてくれている仲間のために、ここは堪えるべきだ。
そう自分に言い聞かせながら、ぐっと両手に拳をつくった。
リズアートが腕で目を拭ったあと、顔をあげる。
「ライジェルから伝言を預かってるわ」
「親父から?」
「ええ。力の意味を理解し、すべてを受け入れろ、って」
ベルリオットは、その言葉の意味をすぐには理解できなかった。
力、というのはおそらく白の光についてだろう。
だが、受け入れろとはどういうことだろうか。
白の光を纏うことに抵抗した覚えはない。
そもそも白の光はいまも使えているではないか、とそうベルリオットが疑問に思ったとき、脳内にクーティリアスの声が響いてきた。
『やっぱり、そうだったんだ』
「クティ?」
『天精霊の剣を造るとき、白の光を取りこもうとしてみたけど、出来なかったんだ。さっき剣を大きくするときにも試してみたけど、やっぱりダメだった』
先ほど天精霊の剣を巨大化した際、クーティリアスはどこか自信がなさそうだった。
どうやらあれは、白の光の扱い方に不安を感じていたからだったようだ。
リズアートが思案するように片手を顎にあてる。
「もしかすると、いまのベルリオットはただ白の光を纏っているだけなのかも。それを取りこむことが出来れば」
いまよりも、さらに力を引き出すことが出来るかもしれない。
ベルリオットは自身の右手を見つめた。本来、覆われるアウラは一色であるはずだが、青と白の光が目には映っている。
両者はただただ波打つだけで、混ざり合うことはない。
白の光を取りこむ……。
とはいえ、どうすればいいかわからなかった。
試しに脳で命じたものの白の光に動きはない。
ふいに右手がリズアートの両手によってそっと包みこまれた。
「ライジェルのように使いこなすことはできなかったけれど……わたしも、その力を手にしたから少しだけわかるの」
彼女はまるで祈るように穏やかな表情で目を閉じた。
いまも周囲にはオウルとの戦闘による轟音が鳴り響いている。
それらがどこか遠くに聞こえるような、そんな錯覚を抱いたとき――。
ベルリオットの耳に、すっとリズアートの声が入ってきた。
「この力は、わたしたちが知りえた人だけじゃない。わたしたちが生きたすべての大陸に住まう人々の力なんだって」
ふたたびリズアートの顔があげられたとき、そこには笑みが浮かんでいた。
そしてベルリオットは見た。
彼女の背後、遥か先から向かってくる大量の光を。
それは光の壁といっても過言ではなかった。
近づくにつれ、その全貌が明らかになっていく。
光の正体はアウラを纏った騎士たちだった。
その数は一千を優に超えている。
五千、一万。いや、それ以上か。
「どうして……みんな大陸を守ってるはずじゃ」
「おそらくオウルがシグルを取りこんだことで防衛に余裕が出来たのでしょうね。全員というわけにはいかなかったようだけれど、それでもこれだけの人たちが応援に駆けつけてくれたのよ」
応援に駆けつけた騎士たちを目にしながら、リズアートがそう誇らしげに語った。
ベルリオットが呆ける中、次々に騎士たちが頭上を通り過ぎ、オウルのもとへと臆することなく向かっていく。
「待たせたな、蒼翼の! 俺が来たからにはもう安心だぜ!」
「うわ、ぼろぼろじゃないですか。そんな体でよく生きてられますね」
オルバ、ホリィが――。
「いまが名をあげる絶好の機会だぜ!」
「ドギオン! どうして勝手についてきた!」
モルス、ボバンが――。
ほかにも多くの見知った騎士たちが通過していく。
ベルリオットは騎士たちを見上げながら、ぼそりとつぶやく。
「……みんなぼろぼろじゃないかよ」
無傷の者など誰一人としていなかった。
本来ならば逃げろというべきなのかもしれない。
いや、言うべきなのだろう。
いまも多くの騎士たちがあらゆる方向からオウルへと接近を試みているが、誰も達することはできていない。それどころか激しい反撃に遭ってしまっている。
いくら数で勝っていても、どうにもできない。
それほどまでに圧倒的な差が存在しているのだ。
なのに、どうしてだろうか。
多くの仲間が一緒に戦ってくれていることが、ただただ嬉しかった。心強かった。
ベルリオットはこみ上げてくる感情に胸が痛くなった。
目頭が熱い。唇が震える。思わず下向いてしまう。
リズアートの両手によって、もう一度右手が強く握りしめられる。
「ベルリオット、わたしたちはひとりじゃない。こんなにも多くの人たちと一緒に戦ってるの。ううん、この場にいない人たちも、きっと祈ってくれてる。わたしたちの未来を切り開くために」
自分の力は仲間がいたからこそ得られたものだ。
ただ、力を得たからこそ、心のどこかで自分ひとりでどうにかしなければならないという強い想いがいつも先行してしまっていた。
「あなたなら、きっとできるはずよ」
リズアートの言葉が心の中に染み渡っていく。
目を閉じれば、これまで出逢った人々の顔が次々に浮かんだ。
不思議と体が温かくなり、満たされたような感覚に見舞われる。
ベルリオットは気づくことができた。
多くの人たちの希望を背負っただけではない。
その希望には、こんなにも多くの力が乗せられていたのだ、と。
「ありがとう、リズ」
リズアートから優しい笑みが返ってきた。
どちらからともなく離れた。
ベルリオットはリズアートを背にし、オウルのほうへと向きなおる。
いまも多くの騎士たちがその身を削りながら剣を振りつづけている。倒れた者は少なくない。目をそむけたくなるほどの被害がすでに出ている。
だが、ベルリオットは決して目を閉じなかった。
騎士たちの勇士をしかと目に焼きつけながら、真っすぐに前を向く。
「クティ、もう一度力を貸してくれ」
『一度と言わず、何度だっていいよ!』
「それじゃだめだ。みんなのためにも次で絶対に決める」
『あいあいっ!』
ベルリオットは腰の前で両手を縦に重ねた。
わかっていたはずだ。
自分が掲げた剣の意味を。
戦う意味を。
リヴェティア。
ファルール。
メルヴェロンド。
ティゴーグ。
ガスペラント。
シェトゥーラ。
ディザイドリウム。
すべての大陸に住まう人々よ。
どうか、俺に力を貸して欲しい。
両手の中に青の燐光が集まりだした。柄からはじまり、刃が形勢されていく。これまでの天精霊の剣とは変わらない構築工程だ。しかし、柄が生成された時点で白の燐光もまた集まりだしていた。柔らかに渦巻きながら、それは青の結晶の中へと入り込んだ。まるで風が躍動するように精緻な模様を白で描いていく。
《ええい、雑魚がいくら束になろうとも脅威ではないわッ!》
オウルの咆哮が戦場に響きわたった。
それだけで多くの騎士たちが吹きとばされてしまう。
《きさまが死ねば、すべてが終わるッ!》
オウルが口に収束させた黒い瘴気を放った。一直線にこちらへと向かってくる。あの攻撃を受ければ一時的な痺れに見舞われてしまう。だが、避けようにもいまは背後にリズアートがいる。
天精霊の剣はいまだ完成していない。
だが、それでも受けとめるしかない。
そうベルリオットが覚悟を決め、未完成の天精霊の剣を構えたとき――。
視界に人影が割りこんだ。
その後ろ姿には、ひどく見覚えがあった。
間違いない。
ライジェルだ。
だが、そこにはいつもの逞しさがどこにもなかった。
いまにも倒れそうなほど弱々しい立ち姿で剣を高々と構えている。
まさか黒い瘴気を受け止めようとでも言うのか。
無茶だ。
白の光を持っていたときなら別かもしれないが、いまのライジェルには赤の光しかない。それに、あの傷らだけの体だ。
ベルリオットは逃げろと叫びたかったが、そんな間すらなかった。
黒い瘴気がライジェルへと激突した。直後、凄まじい風に顔面が叩かれる。思わず目を瞑ってしまいそうになったが、眼前の光景を前にすぐさままぶたを跳ねるように持ち上げた。
「ぉおおおおおおおおお――――ッ!!」
ライジェルが黒い瘴気を両断しているのだ。
まるで彼を避けるように黒い瘴気が左右に割れていく。
だが、ライジェルから燃えるように噴出していた赤の光がどんどん弱まっていた。まるで黒い瘴気に呑みこまれていくかのようだ。
「親父ぃいいいいいッ!!」
ベルリオットが叫び声をあげたとき、かすかにライジェルが笑みを見せた。
だが、その笑みを長く見ていることはできなかった。
消えかけていた赤の光が、ついに黒い瘴気に呑みこまれてしまったのだ。
しかし、黒い瘴気もまたその勢いを残していなかった。
こちらに到達するまでに煙のようにかき消えた。
巻き上げられた砂煙が周囲を覆っていた。ライジェルの姿は影でしか捉えられない。静寂で満たされる中、ベルリオットはライジェルが無事でいて欲しいと切に願いながら、砂煙が晴れるのを待った。
だが、想いに反して目の前に現れた父親の姿は見るも無残なものだった。
着ていた服も、またむき出しになった肌も焼け焦げたように黒くなっていた。石造のごとく固まったまま動かない。ただそこに立っているといった様子だ。
「うそ……だろ……」
やがて、音もなくライジェルが前のめりに倒れていく。
また見なければならないのか。
また味わわなければいけないのか。
大切な人が自分の前からいなくなるこの気持ちを。
ベルリオットは耐えられずに俯いた。
瞬間、ぐさりと小気味良い音が聞こえた。
これは刃物を土に突き刺す音だ。
「……俺ぁ誓ったんだよ」
その声を聞いた直後、ベルリオットは弾かれるようにして顔をあげた。
視界の中、ライジェルが剣を杖代わりにして立っていた。
いまも彼から生気を感じることなどできない。
もしかすると目の前の光景は錯覚なのではないか、と思った。
だが、そんな疑念を払うかのように、ふたたびライジェルの声が聞こえてくる。
「もう二度と息子に情けねぇ姿を見せねぇってな」
「親父……!」
わずかに振り返ったライジェルが不敵な笑みを見せた。
ベルリオットはいまほど思ったことはない。
自分の父親は本当にすごい人だ、と。
《馬鹿な……至高の力もなしに我の一撃を受けとめるだと……!》
オウルが少なからず動揺しているようだった。
ただ、その隙をついて致命傷を与えられる騎士はひとりとしていない。
「いまです、散ってくださいっ!」
そう高らかな声をあげたのはメルザリッテだ。
彼女はオウルとの戦闘に加わらず、少し離れた地上で片膝をついている。
騎士たちが一斉に散開したのを機に、オウルの下方に位置する地面から先の尖った結晶柱がいくつも飛びだした。それらは浮遊するオウルへと向かって勢いよく伸びていく。
メルザリッテが得意とする技、戒刃逆天だ。しかし、それら結晶柱はひとつとしてオウルを貫くことはできなかった。回避または触手を使って迎撃されてしまったのだ。
《このような攻撃、いまさら!》
「アルシェラッ!!」
メルザリッテが自身の翼に片手で触れながら、人物名らしきものを叫んだ。瞬間、すべての戒刃逆天に亀裂が走り、割れた。破砕音が戦場に響きわたる。
いったいどういうつもりなのか、と思うが、すぐにその意図がわかった。
青の結晶片が幾つも舞う中、明らかに洗練された剣が中空に浮いていたのだ。その数、おそらく百は超える。しかもよく目を凝らしてみれば、それらすべてが天精霊の剣だ。
いくらメルザリッテでも、こんなことが可能なのだろうか。
そう思いつつ彼女の顔を窺ってみたが、無茶をしているのが明白だった。いまも苦痛を耐えるように顔を歪ませている。
天精霊の剣が一斉にオウルへと向かった。
苛立ったようにうなり声をあげたオウルが触手で天精霊の剣を迎撃していく。が、あまりに多いため、処理しきれていなかった。触手の間を抜けた天精霊の剣が幾つもオウルの体へと突き刺さっていく。
オウルは途中から多くの天精霊の剣を無視しているように見えた。おそらく傷を負ったところですぐに再生できると考えたからだろう。だが、その中でも巨大な片翼を動かして庇った箇所が存在した。
胸元。
人間でいうところのちょうど心臓に当たるところだ。
「ベルさま!」
メルザリッテが叫んだ。
ベルリオットは、すでに動き出していた。
未完成の天精霊の剣を右脇に流し、地上を駆ける。
「決めてこい、ベル!」
ライジェルのそばを通り過ぎたのち、勢いのまま跳躍した。
アウラを噴出させ、一気に空高くまで舞い上がる。
あちこちから名を呼ばれた。
知人からも、そうでない人からもだ。
そのたびに己の中に力が溜まっていくのを感じた。
「ベルリオットッ!」
リズアートの声が耳に届く。
誰よりも大きなその声が聞こえたとき、剣の中で白の光が花開くように煌いた。
纏う光はいっさいない。
ただただ洗練され、ただただ美しい模様が刻まれた剣だ。
仲間が繋いでくれた、この機会。
絶対に無駄にはしない――。
そう強く思いながら、ベルリオットは生まれ変わった天精霊の剣をしかと握りしめた。
混ざり合う青と白の光の線を引きながら空を翔け、オウルのもとへと一直線に向かう。
《なにを企んでいるかと思えば、真正面から突っ込んでくるとは!》
オウルの口からみたび黒い瘴気が放たれた。
虚空をえぐりながら猛烈な速度で突き進んでくる。
ベルリオットは止まることも躱すこともしなかった。両手に持った剣を自身の前方へと突き出し、加速する。
黒い瘴気によって視界が埋めつくされた。直後、重い衝撃に全身が襲われる。ベルリオットは自分の体を前方へ押しこむように翼をはためかせた。気づけば翼の延長上に青白い燐光が続いていた。それはオウルの黒翼に負けないほど勇壮な光翼となっている。
ベルリオットは黒い瘴気を穿ちながら突き進む。
こちらの力が先ほどよりも増していることに気づいたか。
オウルの周囲に漂う空気が変わった。
《我はシグルの王、イジャル・グル・オウルなるぞッ!》
オウルの雄たけびが戦場に響きわたった。
直後、ベルリオットは前方から全身を叩かれたような衝撃に見舞われた。どうやら新たに黒い瘴気が放たれたようだ。ただ、規模も勢いも先ほどまでとはまるで違う。ぐいぐいと後方へ追いやられていく。
ベルリオットは視界に映る黒い瘴気を見据えた。
この戦いにオウルがどれほどのときをかけたのか。
どれほどの想いを抱いていたのかはわからない。
だが、きっとオウルもこの一撃に懸けている。
それほどの気迫が感じられた。
だが、こちらとて負けるわけにはいかない。
この身に背負った希望を未来に届けるために、絶対に負けるわけにはいかない。
後方から声援が届いた。
それは「行け」というたった一言だったが、充分に力を与えてくれた。
光翼がさらに肥大化し、躍動する。
「ぁあああああああああああ――――ッ!!」
ベルリオットは黒い瘴気を裂きながら一気に突き進んだ。
視界を覆いつくしていた黒い瘴気が消えうせる。
行く手を阻むものは、もうない。
ベルリオットは猛りながらいま一度すべての力を、想いを剣に乗せた。勢いを殺さずに一直線に敵の胸部へと向かい、突き刺す。剣だけでなく身体ごと敵の体内を突き進んでいく。やがて抵抗がなくなったとき、敵の身体を完全に貫いたのだと悟った。
後方から慟哭が聞こえた。
すぐさま振り返ると、オウルの体が黒煙と化していた。その中で人型だった頃のオウルらしき影が映った。ただ、それはほんのわずかな間だけだった。崩れ去るようにかき消え、すぐに見えなくなってしまう。
ほぼ同時、オウルの巨体から噴き出した黒煙が勢いよく渦巻いた。それはまるで最後の一瞬に強い揺らめきを見せる火のようだった。
それ以上、黒煙が蠢くことはなかった。
すぅと音もなく霧散していく。
ベルリオットは目の前の光景をじっと見つめていた。
本当にオウルを倒したのだろうか。
かすかにだが、そんな思いが胸の内にあったのだ。
しかし、周囲を見渡してみても黒のアウラは見当たらなかった。
あるのは穢れのない空気だけだ。
澄みきった青空を視界いっぱいに収めながら、ベルリオットは思う。
ついにオウルを倒したのだ、と。
そう認識した瞬間、静まりかけた気持ちが一気に昂ぶった。
右手に持った剣を強く握りしめ、天へと突き上げるように掲げる。
いま、この場にいる誰の目にもとまるようにと限界まで伸ばす。
まるで勝利を祝福するかのように剣が陽光を受けて煌いた、その瞬間――。
辺りが割れんばかりの歓声に包まれた。




