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天と地と狭間の世界 イェラティアム  作者: 夜々里 春
終章【光満ちる空】
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◆第十九話『闇の世界』

 すべての風が自身に向かってくるようだった。

 荒々しく体内を駆け巡り、また外へと戻っていく。

 これほどまでにアウラの循環を鮮明に感じとったことはない。

 純粋に心地良かった。


 おかげで激しく鼓動する心臓とは相反し、心が落ちついていた。

 それはまるで一切の波すら立っていない湖のように――。


 ベルリオットは目線をあげる。

 その先ではオウルが浮遊していた。

 先ほどライジェルの攻撃によって傷を負ったはずだが、すでにその痕はない。地底よりいずる瘴気によってまた傷を癒したのだろう。

 ただ、全快したにも関わらず、その顔には余裕がなかった。

 オウルが理解できないとばかりに片腕を振るう。


「なぜだ、なぜきさまがその光を纏っている……ッ!?」

「親父が託してくれたんだ」


 ベルリオットは自身の右手を見つめる。

 白き力を得るとき、かすかに触れた父の手。

 十年以上も経ったというのに、幼い頃、触れたときとまったく変わっていなかった。

 大きいうえに、ごつごつとして温かい。

 父の手。

 生まれた懐かしさを大切に仕舞いこむように、ゆっくりと手を握る。


「俺をならできるって言ってくれたんだ」

「二つの至高を得るなど、ありえぬ!」


 オウルが発狂したように叫んだかと思うや、黒槍結晶を生成し、片腕で投擲してきた。周囲の風とともに無数の闇の糸を引きながら迫りくる。


 リズアートの切羽詰まった声が背後から聞こえてくる中、ベルリオットは突っ立ったままだった。ただ目を細めながら、自身の心の余裕に驚いていていた。


 クーティリアスの名を心の中でささやきながら、右手を胸の前へと持っていく。青に輝く天精霊の剣が瞬時に生成されたと同時、その輪郭を眩い白の光が包みこむ。

 すでに間近にまで迫っていた黒槍結晶へと天精霊の剣を薙いだ。自分でも驚くほど澄んだ一振りだった。初めに接触した黒槍結晶の先端を音もなく砕いた。さらに追随した白の光が波打つように舞い、残りの黒槍結晶を吹きとばすように霧散させる。


 白の光の勢いは止まらなかった。虚空をうねるように進み、オウルへと到達。その身に無数の傷を刻みながら押しやり、壁面へと勢いよく打ちつけた。

 一瞬だけふらついたオウルだったが、すぐさま生気を取り戻していた。それを証明するかのように雄々しく黒翼を広げた。

 すでに、その身に刻まれた傷口はすべて塞がっている。


「なんだ……なんだその力はぁッ!!」


 オウルの叫び声に応じ、そのそばに十本ほどの黒槍結晶が生成された。すべての切っ先がぎらつくように煌く。黒色の風を纏ったそれらは周囲の風を切り裂きながら一斉にこちらへと向かってきた。


 ベルリオットは目を細め、迫りくる黒槍結晶の動きを捉えた。一本ごとの到達時間は瞬きひとつにも満たない。そのわずかな間隔を見逃さず、素早く剣を振り、正確に黒槍結晶を斬り払っていく。砕け散った黒槍結晶の欠片が青と白の光を受け、儚い輝きを見せる。

 すべての黒槍結晶が消滅したとき、オウルが驚愕の声を漏らす。


 ベルリオットは翼をはためかせると同時、静かに跳躍した。纏わりつくように青と白の光が追随してくる。恐ろしいほどに素早い移動に驚きつつも心の奥底では当然だという思いも抱いていた。


 肉迫するやいなや天精霊の剣を勢いよく振り下ろす。敵が迎撃せんと黒槍結晶を突き出してくるが、障害にはならなかった。黒槍結晶を破壊後、さらにその先の右腕をも斬り落とす。

 オウルの顔が苦痛に歪んだ。だが、すぐさま憤怒の形相へと変貌する。反撃の意志をこめた瞳で射抜いてきたかと思うや、その背後で尻尾がくねった。しなりながら勢いよく側面から向かってくる。


 敵にも動揺することがあるのか、と考えるほどの余裕がベルリオットにはあった。間近まで迫った尻尾を素手で掴んだ。アウラを纏わせたとはいえ、鈍い痛みが腕から肩へと走る。刃のような鋭さを持っていることもあってか、手のひらも少し切られたようだ。血がこぼれ落ちる。


 それらは覚悟の上だった。

 ベルリオットは間髪をいれずに剣を突き出した。オウルの胸元へと吸い込まれるように突き刺さる。そのまま止まることなく敵の体ごと押し込んでいく。

 やがて溝の壁面へと激突したとき、オウルの慟哭が響きわたった。


 ベルリオットは手を緩めるつもりなどなかった。オウルから生気が失われていなかったからだ。すかさず次の一手を繰り出さんとするが、それよりも早くオウルの鋭く尖らせた左手が側頭部の近くまで迫っていた。

 受けるには手が足りない。ベルリオットは天精霊の剣を手放し、たまらず後退する。その機を見逃さんとオウルもまたこちらから弾かれるようにして距離をとった。


 荒く息を吐きながら、オウルがこちらを睨みつけてくる。胸元に刺さっていた天精霊の剣はもう霧散してしまっている。空いた穴も、溝の底から這い上がってくる黒い霧によって見る見るうちに塞がっていく。


 やがて、すべての傷が完全に修復してしまうが、これまでに比べて治りが明らかに遅かった。おそらく傷が深かったからだろう、とベルリオットは思う。

 それをオウルも感じとっているのか、顔に焦りが滲んでいた。


「認めんぞ……我を超える力を持つ者など認めんぞッ!」

「当然だろ。これは俺ひとりの力じゃない。みんなで得た力だ。おまえひとりに負けるはずがない」


 言いながら、ベルリオットは右手を掲げた。

 天精霊の剣を再生成し、胸元に引き寄せる。

 混ざり合う青と白の光越しにオウルを射抜く。

 いまいましいとばかりに歪んだオウルの顔が映った。

 だが、その顔はすぐになにか含んだような笑みに変わった。


「きさまには我に勝てない決定的な弱点がある」


 いったいなにを考えているのか。

 どこか不気味な雰囲気をかもし出したオウルが両手、両翼を勢いよく広げた。


「その答えがこれだ……!」


 上空にアウラの激しい乱れを感じた。見上げると、溝の上空を埋め尽くすように黒槍結晶が生成されていた。その数は先ほどの十本どころではない。数十、いや、百本近い。


 ベルリオットは眼下の様子をうかがった。溝の中には尖塔の上で多くの仲間がいまだ動けずに横たわっている。

 オウルの狙いは彼らだ。


 黒槍結晶が落下を始める中、ベルリオットはほっとしていた。

 オウルから感じた不気味な雰囲気の正体がわかったからだ。

 この程度ならば、なんの問題もない。


 ベルリオットは全身から力を抜いた。ゆらりと体の上下を反転させ、頭から落ちていく。黒槍結晶がほぼ同じ高さにまで来たとき、一気にアウラを噴出させた。左脇から後ろへ流した剣を溜めたのち、体を横回転させながら大きく薙いだ。白の光が天精霊の剣から離れ、円形に迸る。距離が開くごとにその円は巨大化し、すべての黒槍結晶を両断した。


 拾いきれないほど多くの破砕音が鳴り響く。黒槍結晶の欠片が黒煙と化し、空気中に溶けていく中、ベルリオットは体勢を整えた。上空で浮遊するオウルを睨みつけながら、しかと言い放つ。


「みんながいてくれたからこそ俺はここまで来られたんだ。みんながいる限り、俺はおまえには負けない」


 オウルの顔は初めこそうろたえていたが、すぐに平静を取り戻していた。

 余裕はないが、焦りも感じられない。

 どこか覚悟を決めた者の顔をしていた。


「あくまで創造主の定めた道を行くか。きさまが繋ぎの力を求めるならば……我はあくまで個を求めよう」


 オウルが天を見上げた。

 その獰猛な牙を覗かせながら叫ぶ。


「集え、地底に蔓延る闇よ! 集え、地上に渦巻く闇よ! 我はシグルの王、イジャル・グル・オウルなり! いま、すべての闇をもってこの世界を滅ぼさん!」


 一瞬の静寂ののち、地鳴りのような音が響きはじめた。周囲の建造物が激しく揺れる。溝の内側へと倒れた尖塔にひびが入り、次々に崩落していく。

 いったいなにが起こっているのか。

 そう疑問に思ったとき、突如として影が差した。天を仰げば、その先では黒い霧が蠢いていた。それはあまりに巨大で、いまや天井がいっさい見えない状態だ。


 と、渦巻いた黒い霧が奔流となり、叩きつけるようにオウルへと降り注いだ。その身を呑みこむと、無造作に巨大化していく。

 さらに溝の底からも同様の黒の奔流がオウルの身へと向かった。上下から挟まれた格好だ。見る見るうちにオウルだったものが、黒く巨大ななにかへと変貌していく。


 ベルリオットは全身の毛という毛が逆立った。凄まじい怖気に見舞われる。

 これはオウル本体にすら感じなかったものだ。

 すかさず周囲の様子をうかがった。


 崩れゆく尖塔の上で多くの仲間がいまだ動けずにいる。

 その中で、ひしゃげた機構人形のそばで二の足で立つルッチェが見えた。激しい揺れに動揺しているが、見たところ無事のようだ。

 別の尖塔を足場にしているが、ジンの無事もまた確認できた。

 リズアートとあわせれば、三人。


「リズ、ジン、ラヴィエーナッ! いますぐみんなを連れて逃げろ!」


 気づけば叫んでいた。

 地鳴りのせいで声が届いたかどうか心配だったが、どうやら聞こえたようだ。

 三人ともうなずき、すぐさま近くの仲間の元へと向かっていく。


 リズアートがライジェル、メルザリッテを。

 ジンがイオル、ヴァロン、ジャノを。

 ルッチェがリンカ、ティーア、エリアスを担ぎ上げ、上空へと退避していく。

 と、リズアートが振り返った。

 不安に満ちた顔を向けてくる。


「ベルリオットは――」

「早く行け!」


 半ば怒鳴るようにベルリオットは声をあげてしまった。

 我ながら焦りを隠せなかったことを悔いた。

 心を落ちつかせたのち、リズアートに背を向ける。


「俺は大丈夫だから。みんなを頼む」


 言って、ぎりりと奥歯をかみ締めた。

 返事はなかった。

 だが、それが彼女から向けられた最大限の信頼であるとベルリオットは受け取った。


 振り返りたい気持ちを堪え、顔をあげた。

 真っすぐに目を向け、その先で蠢く黒き存在を視界におさめる。

 黒の奔流はすでに勢いを失っていた。

 肥大化していた黒き存在が輪郭を持ち、形を整えていく。

 それはリヴェティア王城に匹敵するほどの大きさを持った巨大な生物だった。


 鳥類の嘴をさらに厚くしたような口、そこから覗く無骨な牙。加えて、その身を包みこむほどの黒翼や槍のように鋭く尖った尻尾、とどこかドリアークを彷彿とさせる。

 規格以外に違うところと言えば翼の形状だろうか。

 広げられた翼の端から触手のような細長いものがじゃらじゃらと無数に伸びていた。翼に追随して虚空をうねるそれらが、黒き存在をさらに大きく見せる。


《アムール、そして人の子よ》


 骨に直接、響いてくるような声だった。


《我はきさまという存在を決して認めん。いや、認めるわけにはいかんのだ》


 その言葉には、ベルリオットが知りえない感情が込められているような気がした。


《我すらも計り知れぬこの力をもって必ずやきさまを屠ってやろう》


 オウルが猛った。

 たったそれだけで凄まじい突風が周囲へと迸る。

 ベルリオットはとっさに両翼で自身を包みこんだ。無視できない衝撃が全身へと届く。傷こそ負わなかったものの、これまで受けた傷がうずいた。思わず飛びそうになった意識を繋ぐため、唇を強く噛む。


 血の味を口内で感じながら翼をゆっくりと広げた。

 目に映るオウルには、もはや人型だった頃の面影はいっさいない。

 圧倒的な力に満たされた獰猛な獣そのものだ。


『……ベルさま』


 クーティリアスの声が脳に響いてきた。

 ベルリオットは本能的に感じとっていた。

 きっとこれが本当に最後の戦いになるだろう、と。

 剣をぐっと握りしめた。

 柄を腰へと引き寄せ、切っ先をオウルへと向ける。


「クティ、俺に力を貸してくれ」



   /////


 もうリズアートたちの気配は近くに存在しない。

 無事に逃げられたようだ。

 安堵感が押し寄せてくるが、それに満たされることはなかった。

 いまも目の前で泰然と滞空するオウルの存在が心に落ちつきを与えてくれない。

 強敵と対峙したときのような、ひりつくような緊張感はなかった。

 ただ、生温かい空気が肌を舐め回すようにまとわりついている。


 オウルが咆哮をあげた。

 先と同様、衝撃波が襲いくる。まともに受けていては身がもたない。ベルリオットは前方の虚空を薙いだ。剣撃が荒れ狂うように広がり、衝撃波を吹きとばす。相殺されずに突き進んだ衝撃波が壁面に激突。辺りが激しく揺れる。


 攻撃の機会もなく、上方から無数の黒槍結晶が降り注いでくる。それらは先のオウルが人型だった頃とは明らかに違う瘴気を纏っていた。ベルリオットは接近する前に飛閃を放ち、試しに一本だけ撃墜してみる。と、弾け飛んだ黒槍結晶の欠片が瘴気に包まれたかと思うや、それらすべてが独立して迫ってきた。

 ベルリオットはとっさに剣を大きく振るった。

 生まれた相応に巨大な飛閃が黒槍結晶の欠片を一掃する。


 その間にも無数の黒槍結晶が迫ってきていた。

 弾かれるようにして翔けた。黒槍結晶を躱しながら思わず舌打ちしてしまう。下手に破壊しても敵の攻撃の手を増やすことになる。つまり避けるしかない。


 ただ、避けるだけでは敵を斃すことはできない。

 オウルの姿をいま一度捉えた。次々に襲いくる黒槍結晶の間を縫いながらオウルとの距離を詰めていく。


 このまま肉迫すれば――!


 そうベルリオットが思ったとき、オウルが両翼を大きく広げた。直後、その翼の端から無数に垂れていた触手らしきものがぴんと伸びた。それらは意思をもったようにうねると、凄まじい勢いで向かってくる。


 それらの先端はたやすく肉を抉るような鋭さを持っている。直撃だけは絶対に避けなければならない。ベルリオットは剣を振るい、初めに迫った一本目の触手を破壊する。思った以上に脆かった。


 二本目の触手が襲いくる。間隔があまりに短かったため、迎撃を選べなかった。とっさに躱す。と、脇を通り過ぎた触手が、ちょうど近くを通り過ぎた黒槍結晶へと激突した。甲高い破砕音とともに黒槍結晶が無数の欠片へと変貌する。瘴気の力を得たそれらが異なる軌道で迫ってくる。


 残る触手の攻撃も含め、まともに相手をしていてはきりがない。そう瞬時に判断するや、ベルリオットは自身のうちに巡るアウラの大半を天精霊の剣へと流し込む。白の光が迸ったのを機に体を横回転させながら剣を荒々しく薙いだ。剣を離れた白の光が近くの黒槍結晶や触手を消し飛ばしていく。一瞬の静寂ののち、幾つもの破砕音が鳴り響く。


 ただ、破壊したのはすべてではない。すぐさま二撃目を放つ。ふたたび無数の破砕音が響き、すべての黒槍結晶や触手を破壊した。

 ベルリオットは即座に反撃へと向かおうとする。と、巨大な影が差した。見上げれば、そこにはいつの間にかオウルの尻尾が迫っていた。避ける間はない。振り下ろされた尻尾を天精霊の剣で受け止める。伝わった衝撃を感じるよりも早く、体は下方へと突き飛ばされていた。


 あまりに凄まじい勢いだったため、すぐに止まることはできなかった。溝の底へと落ちていく。暗さが増していく。どれだけの深さまで来ているのかまったく判断がつかない。


 こちらを追いかけてくるオウルの姿が視界に映った。先ほど消し飛ばしたはずの触手が周囲の黒い瘴気を吸い込み、見る見るうちに再生している。どうやら人型のときの再生能力は失っていないらしい。

 オウルが両翼をはためかせた。大口を開け、こちらを呑み込まんとしてくる。


 神の種でさえ簡単に呑みこんでしまうほどの大きな口だ。いま、手に持っている天精霊の剣ではとても受けとめきれない。剣を通じて、その周囲へとアウラを流した。同心円状に広がった青と白の光が巨大な障壁へと変貌していく。


 それが結晶化したと同時、オウルの口が激突した。障壁が割れることはなかった。だが、体勢が不十分だったこともあり、さらに下方へと押し込まれていく。

 障壁の向こうで哮るオウルが映った。黒く怪しげに光る瞳がぎらつき、こちらを鋭く射抜いてくる。

 と、オウルの口内に黒い瘴気が瞬時に集まった。脅威を感じとる間もなかった。オウルのあげたけたたましい声と同時、集まった黒い瘴気が放たれる。密着状態だったため、それは障壁にすぐ到達した。


 先の突撃を受けたときとは比較にならない衝撃が全身を襲う。叩かれたようにさらに下方へと追いやられる。障壁ががりがりと削られていく。その向こう側では黒い瘴気がオウルの口から柱のように伸びていた。

 いつか見た、飛空戦艦(ドストメギオス)白煌砲(ラディス・ヴィア)を彷彿とさせる形状だ。


 障壁にひびが入った。これ以上はもたない。ベルリオットは咆え、全身に力を漲らせた。天精霊の剣を振り、障壁を傾ける。と、黒い瘴気に勢いよく弾かれた。

 阻むものがなくなった黒い瘴気が下方へと突き進み、やがてすぅと消えていく。きぃんと耳鳴りのような音がしたかと思うや、猛烈な突風が押し寄せてきた。


 ベルリオットは思わず顔を歪めてしまった。ただ、それは突風によるものではない。両手が痺れていたのだ。おそらくとも言わず、先ほど受けた黒い瘴気による影響だろう。

 剣を落としそうになるが、なんとか堪えた。いま、相手に気取られれば一気に形勢が傾いてしまう。それだけはなんとか避けねばならない。


 ふとベルリオットは、周囲の様子が先ほどまでとは明らかに違っていることに気づいた。

 溝の中のような壁面はない。終わりの見えない開けた場所だ。ただただ、どこまでも深い黒とそれに近い色身を持った青や紫が混ざり合ったような景色が広がっている。底には足場らしきものが見えるが、地上の土や岩とあまり変わりない。若干、黒味が強いぐらいだろうか。

 湖のようなものも見られたが、染めているのは水色ではなかった。血の海と言われても信じてしまうほどそれは不快な赤色だった。


 ここは……?


《見たか、これが我らシグルの世界よ》


 オウルの声が上方から聞こえてきた。

 そちらを見やると、真っ暗な闇が広がる中、紫の巨大な輪が明滅していた。おそらく、あれが冥獄穿孔によって開けられた穴なのだろう。


《人やアムールの世界ではすべてが手に入るというのに、この世界にはなにもない》


 紫の輪の中を通り、オウルが姿を現した。

 緩やかに羽ばたきながら同じ高さまで下りてくる。


《ときを同じくして生みだされたアムールにはあり、なぜ我らにはないのか。さらに遅く生み出された人にはあり、なぜ我らにはないのか》


 まるで自問するように語ったのち、オウルは継ぐ。


《幾年も考え、我は理解した。そこに意味などはない。すべては創造主の戯れであるのだと。だが、いくらそれを理解したところで我の中に湧き上がる妬みは消えぬ。憎しみは消えぬ。それらは我の血肉を喰らうようにただただ燃え上がり、きさまらを殺せと命じてくる》


 なぜ、シグルが地上の自然を荒らさなかったのか。

 ベルリオットはほんの少しだが、わかったような気がした。


「俺には創造主がどんな奴なのかはわからないし、創造主に対して特別な感情はない。けど、おまえは創造主を理解して、なおかつ抗おうとしてる。だったら相手は俺たちじゃないだろ」

《もちろん創造主は我の手で滅ぼすつもりだ。だがそれは――》


 オウルが大きく翼を広げた。


《きさまを殺したあとだ》


 ふんだんに威圧の込められた言葉が放たれたと同時、黒翼から垂れていた触手が一斉に伸びた。一本一本が意思を持ったようにうねり、あらゆる角度から襲いくる。

 はなから説得できる相手ではないことなどわかりきっていた。

 ただ、時間が欲しかっただけだ。


 手は……動く!


 痺れが解けたのを確認したのち、ベルリオットは剣をふたたび強く握りしめた。間近まで迫った触手を撃ち払っていく。

 視界の中、オウルが翼で虚空を叩き、前へと翔けだしたのが見えた。


《恨むならば我という存在を生み出した創造主を恨むがいい!》


 獰猛な牙を覗かせた大口が迫る。ベルリオットは剣で受けようとしたが、すぐさま考えをあらためた。オウルの脇をかいくぐるように飛び、回避する。


 すぐそばを通り過ぎたオウルが、はるか先で弧を描きながら反転をはじめる。その光景を目にしながら、ベルリオットは険しい顔つきで自身の手に持った剣を見つめた。

 ――剣に対し、敵が大きすぎる。


「クティ、頼みがある」

『剣が小さすぎるんだよね』

「ああ、このままじゃまともにやりあえない。大きくできるか?」

『うんっ、たぶん出来ると思うよ』


 クーティリアスの弾むような返事ののち、青の燐光がぽつぽつと周囲に現れた。それらは次々に天精霊の剣へと向かい、すぅと音もなく吸い込まれていく。やがて燐光が消えたとき、刃がもとの十倍を超えるほどに巨大化した。先と同様、白の光は青の剣を包みこむようにまとわりついている。


『どう、かな?』


 どこか窺うような声音でクーティリアスが訊いてくる。

 ベルリオットは、くいと手首をひねる。もとの大きさのときと軽さも変わらない。扱いづらくなった感覚もない。文句のない一品に仕上がっている。


「充分だ!」


 そう答える中、オウルが旋回を終え、こちらに照準を定めていた。矢のごとく一直線に突撃をしかけてくる。

 ベルリオットは翔けた。真正面からオウルの大口とぶつかり合う。瞬間、生まれた衝撃により凄まじい突風が辺りへと迸った。眼下に広がる大地の表面がまるでひっくり返るように抉られていく。周囲とは言い難いほどの広範囲に影響を及ぼしている。


 ベルリオットは戦慄した。

 同等の力を持ったオウルとの衝突がこれほどまでに凄惨な光景を生むのか、と。

 巻き起こる風によって髪や騎士服が激しく踊り狂う中、自身の体と同じほどもある敵の瞳を見据える。


 オウルの口内に瘴気が集まりだした。

 ベルリオットは即座に敵の正面から退避した。先ほどまで浮遊していた場所を貫くように黒い瘴気が放たれる。その間、ベルリオットは敵の首へと剣を振るうが、しかし鞭打つようにしなった尻尾に弾かれてしまった。


 たまらず後退するが、触手が追撃をしかけてきた。肉迫した触手を弾きながら全速力で翔ける。進路を阻むように上方から黒槍結晶が降り注いでくる。それらをかいくぐりながらベルリオットは振り返った。


 やられてばかりじゃ!


 三度、剣を瞬時に振るった。それらの剣撃をなぞるように生成された巨大な飛閃が、触手や黒槍結晶をすべてなぎ払う。さらに勢いは止まらず、虚空を突き進んでいく。

 その先で滞空するオウルが骨に響くような咆哮をあげた。同時、飛閃はたやすくかき消されてしまう。


 だが、ベルリオットの攻撃はまだ終わっていない。すでにオウルの頭上に三十もの《神の種子》を生成していた。これまでとは違い、青色の結晶塊の輪郭は白く輝いている。


「落ちろぉおおおおおおおお――ッ!!」


 《神の種子》の空中維持を一斉に解いた。

 青の結晶塊が落下していく。速度が上がるにつれ、まとわりついていた白の光が燃え上がるように広がっていく。さすがのオウルも直撃を避けたかったか。その場から退避せんと翔けはじめる。

 だが、あまりに広範囲に渡っての攻撃だったため、ひとつがオウルの翼に激突した。がくん、と傾いたオウルに、さらにもうひとつの《神の種子》が追撃を加える。


 オウルの身をわずかに下方へ押しやる。が、衝突した二つの《神の種子》は早々に砕け散ってしまう。いくら白の光を得たとはいえ、《神の種子》ではオウルに傷を負わせることは難しかったようだった。


 ただ、ベルリオットはそれを充分にわかっていた。

 一気に間合いを詰める。先ほどまで視界に収まっていたオウルの姿が一瞬にして収まりきらなくなる。オウルが振り返ったとき、ベルリオットの目には敵の無防備な腹が映った。渾身の力を込め、剣を薙いだ。


 感触はあった。

 だが、浅い――。

 攻撃の瞬間、オウルがとっさに後退していたようだ。

 敵の腹には長めの斬り傷が刻まれているが、決して深くはないものだった。

 さらに傷は周囲の瘴気を吸い込み、瞬時に塞がっていく。


 ベルリオットは思わず顔をしかめる。

 触手だけではない。

 やはり本体部分もすぐに再生してしまうようだ。

 いったいどうすれば――。


《きさまの力は認めよう。だが、我には絶対勝てぬ!》


 オウルが口を開き、みたび黒い瘴気を放ってきた。まともに受ければ、またも手が痺れる可能性がある。それどころか、すでに限界近い肉体が動かなくなるかもしれない。

 避ける選択肢しかなかった。


 すぐそばの虚空を黒い瘴気が貫いていく。やがてはるか先に見られた隆起した場所へと到達。轟音を鳴らして辺り一帯を吹きとばした。

 何度見ても怖気がはしる威力だ。


 と、視界の端で捉えていたオウルが急に上方へ向かって翔けだした。

 その先には冥獄穿孔によって開けられた穴がある。


 地上へ向かうつもりか!?



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