◆第十六話『最たる黒』
王都外周の北西部に建てられた仮説住居。主にティゴーグの民が住まうそこより、さらに外側へと進んだ先にて訓練生部隊は剣を振るっていた。
モルス・ドギオンは間近に迫ったガリオンの突撃を大盾で弾いた。敵がよろめいたところを狙い、すかさず右手に持った斧を振り下ろす。と、頭頂部から腹底まで荒々しく両断されたガリオンが慟哭をあげながら霧散した。
多くなってきやがったな!
大陸落下時より外縁部側から抜けてくるシグルは少なくなかった。それでもいまのところはガリオンやアビスといった下位のものばかりなため、訓練生しかいない部隊でも持ちこたえることはできている。
ただ、時折、王都側からアビスが抜けてくるのが気になった。数は本当に少ない。だが、問題はそこではない。王都になにかあったかもしれないということだ。
予想を上回る数のシグルが防衛線から抜けてきているのも、それに関係しているのかもしれない。
大丈夫なのかよ、王都は!
王都を案じたとき、モルスは視界に映った訓練生たちの戦いぶりが気になった。
下位のシグル相手に手こずり過ぎだったのだ。
本来の彼らなら、もっと上手くやれるはずだ。
それをよくわかっているからこそ、もどかしく感じた。
「おい、おめぇら! ちんたら戦ってんじゃねぇぞ! びびってんのか!」
モルスは声を張り上げた。
その言葉を聞いた訓練生の多くが顔を強張らせた。さらに怒りをぶつけるように目の前のシグルに一撃を加えると、大声をあげる。
「部隊長だからって調子乗ってんじゃねーぞ、モルス!」
「誰もおまえの下についた覚えはねーからな!」
「あんたの声、汚くて耳が痛いんだから! ちょっと黙っててよ!」
「おうおう、そんなに元気ありあまってんなら、そんな雑魚どもさっさと斃しちまえよ!」
言われなくても、とあちこちから声があがった。
勢いを増した訓練生たちがシグルを圧倒しはじめる。
近くには訓練生しかいない。
危険度の低い防衛地点ということもあるが、実力を買われてのことだ。
ここはなんとしても俺たちで守んなきゃなぁ!
ふいに、うめき声が耳に入った。
そちらへと目を向けると、少し先でひとりの女生徒が片膝をついていた。左手で押さえられた右腕からは血が流れている。
女生徒に傷を負わせた固体だろうか、ガリオンがそばを駆けていた。鋭い牙をむき出しにしながら、好機とばかりに女生徒へ飛びかかっていく。
モルスは動きだしていた。
そう遠くなかったこともあり、すぐにガリオンとの距離を詰められた。盾を正面に構え、勢いよく体当たりをかます。高めの鳴き声を漏らし、ガリオンが突き飛んだ。地面を何度も跳ねたあと、転がった。やがて勢いが止まったあと、そのまま動かなくなり、音もなく消滅していく。
ふぅ、とモルスが息をついたとき、横合いから女生徒の声が聞こえてくる。
「……ありがと、モルス」
「やべーときは俺さまの後ろに隠れてろ。そしたらいくらでも守ってやるからよ」
「一丁前に隊長ぶっちゃって」
「ぶってんじゃなくて、俺さまはれっきとした隊長だ!」
モルスは女生徒を背にしながら盾を構えた。
斧を天に突き出し、シグルを威嚇する。
安心しろ、ベルリオット。
後ろは俺さまが守ってるからよ。
だからよ、おめぇは敵の頭、とってこい!
モルスは咆哮を上げ、襲いくるシグルへと向かった。
◆◇◆◇◆
「クティっ!」
『あいっ!』
ベルリオットは真っ先に動いた。天精霊の剣を生成。オウルとの間合いを詰める。握る剣の切り刃は青白く煌いている。ライジェルより教わった技だ。この剣であれば、いかに強固な身を持つオウルであろうと攻撃を徹すことができる。
オウルに肉迫した。敵はこちらを凝視するだけで微動だにしていない。構わずに剣を振り下ろす。切り刃が敵の額を捉える、直前。オウルの身体がすぅと音もなく真横へずれた。剣は空を斬り、その先の地面を刻む。
あっさりと躱された。だが、こちらはひとりではない。後方からライジェルが続いた。その逞しい腕から気迫のこもった横薙ぎが繰り出される。が、即座にオウルが上空へと逃げ延びてしまい、剣が届くことはなかった。
虚空を斬るライジェルの剣。その切り刃から光が放たれた。飛閃だ。それはオウルの脇を勢いよく通り抜け、その奥にそびえる冥獄穿孔へと向かっていく。間もなく下方から生えていた巨大な結晶に衝突するが、飛閃はあっけなく弾け飛んだ。
巨大結晶には小さなひびが入った程度か。
とても大きな損傷を与えられたとは言い難い。
その様子を見ていたオウルが鼻で笑った。
「言っておくが、そんな生ぬるい攻撃では冥獄穿孔を破壊することなどできんぞ」
その言葉通りのようだ。
飛閃や神の矢などの遠隔攻撃では破壊できそうにない。つまり冥獄穿孔を壊すにはオウルを斃したのち、全力の一撃を食らわすしかないとういうことか。
前方上空に浮遊するオウルが両手を左右に伸ばした。その手に無骨な片刃の黒剣が生成される。その切り刃は刀身よりもさらに深い黒で覆われている。
「では、こちらも行かせてもらうとしよう」
そうオウルが言い放った直後、ベルリオットは頭上に異変を感じた。見上げた先、とてつもなく大きな黒槍結晶が映る。それは凄まじい速さでこちらに向かって落ちてくる。
ベルリオットは弾かれるようにして飛び退いた。先ほどまで自分が浮遊していた場所を黒槍結晶が通過する、瞬間。黒槍結晶に亀裂が走り、弾け飛んだ。無数の破片が飛び散る中を潜り抜け、オウルが迫ってくる。
不意をつかれた。体勢が悪い。多少の傷を覚悟しながらベルリオットは剣を構えた、そのとき。オウルの右側面から影が迫るのが見えた。ライジェルだ。彼はオウルに肉迫するや、上段に構えた剣を振り下ろす。とっさに防御体勢に入ったオウルに受け止められてしまうが、勢いをつけていたこともあってか後方へ押しやった。接触した剣同士が、つんざくような音を響かせる。
ベルリオットはすぐさまあとを追った。いまもライジェルと競り合っているオウルの下方へと潜りこみ、剣を突き上げる。
オウルが舌打ちするや、ライジェルの剣を弾き、後退。上空へと逃げていく。
ベルリオットは予め神の種を五つ生成していた。縦に並べたそれらの空中維持を一斉に解いた。周囲の空気を巻き込み、轟々と音を鳴らしながら落下していく。もっとも下方にあった神の種がオウルに衝突した。残りの神の種が後押しするように激突していく。
オウルを下方へ追いやった。が、それは一瞬だった。すぐに勢いは止まり、オウルが接触した部分から神の種のすべてに亀裂が走る。
神の種が弾け飛んだ。無数の青色結晶片が煌きながらぱらぱらと中空を舞う中、黒き身を持つオウルの姿はひどく目立った。
ベルリオットは神の種を落としたときから、すでに動きだしていた。オウルの側面を狙う軌道だ。オウルを挟んだ向こう側には同じく攻撃をしかけんとするライジェルの姿が映っている。
決して示し合わせたわけではない。
だが、親父ならそうするだろう、という根拠のない理由から動いた。
神の種を破壊したことで、わずかに硬直したのが理由か。オウルは剣で受けるのではなく、後退しはじめる。
逃がすまい、とベルリオットは速度を上げた。ライジェルもまた同様だ。
互いに剣を突き出す。青の剣がオウルの胸を、赤の剣がオウルの腹を擦るように裂いていく。あまりに勢いをつけていたこともあり、オウルのそばを通り過ぎたあともすぐには止まれなかった。
ベルリオットは少し離れたところで停止、振り返る。
オウルの身体から黒煙が漏れ出ていた。
先ほどライジェルとともに刻んだ傷からだ。
致命傷とはいかないだろう。
だが、たしかに傷を負わせられた。
いける! 親父と一緒なら……っ!
ベルリオットはふたたび剣を握る手に力を込めながら、オウルを見据えた。
オウルが自分の身体を見下ろしていた。
負傷した箇所を見つめながらもなぜか泰然としている。
「やはり貴様ら二人が相手では分が悪いようだ」
その言葉とは相反して、オウルには焦りなどいっさい見られない。
余裕すら感じられる。
追い詰めているのはこちらだというのに、オウルの態度はどういうことなのか。
ベルリオットが言い得ぬ違和感を覚えたとき、そばで浮遊するライジェルがおどけたような口調で話しはじめた。
「だったら、さっさと俺らに斃されてくれねーか」
「我が斃されるとは……笑わせてくれるな」
「自分が劣勢って自覚あるんだろ」
「あくまで現状の話だ。我が負ける未来はない」
オウルが両手に持った剣を投げ捨てた。
その行動になんの意味があるのかわからない。
だが、ベルリオットはライジェルともども警戒を強めた。
オウルがにたりと不気味に笑う。
「昨日、なぜ我が引いたのか、おかしいとは思わなかったか」
「なにが言いたい」
そうベルリオットが聞き返すと、オウルが「二千年」と静かに口にした。
「きさまら人とアムールが準備してきたように、我もこの戦いのために多くのときを費やしたということだ」
オウルが目を見開いた。
翼を、手を左右に大きく広げながら声を張り上げる。
「今、このときをもって冥獄穿孔が真の役割を果たす! 穿て、冥獄穿孔よ! そしてこの広大なる地を黒き力で満たすのだ!」
オウルの渇望する声が辺りに響き渡った、そのとき――。
冥獄穿孔を取り囲む溝。その周囲に巡るように建っていたすべての尖塔が内側へと一斉に倒れた。それらはうねるように伸び、冥獄穿孔へと勢いよく向かっていく。根から生えていた結晶を破壊し、突き刺さる。
いったいなにが起こっているのか。
ベルリオットは状況を把握しようと努めるが、とても理解が追いつきそうにない。
尖塔に押しやられるようにして冥獄穿孔が溝の底へと吸い込まれていく。凄まじい地鳴りが響く中、天井からは無数の瓦礫が落ちてくる。
やがて冥獄穿孔の天頂部分が見えなくなったとき、この世のものとは思えないほど深い黒を乗せ、荒々しい風が溝の底から噴きあがった。始めは好き勝手に周囲を飛び回っていた黒き風が、すぐにオウルという一点に集中し、その身を包みこんだ。それらが球形を模ってから間もなく弾けるように散った。
そこに浮遊していたのはオウルと変わらない人型の黒い存在だ。
刺々しい巨大な翼に加え、身の丈ほどもある長い尻尾、と人間とは程遠い部位が存在ものの、顔や手足は人のそれと酷似していた。肌は薄黒いが、仮に肌色に塗り替えれば人と言われても疑えないほどだ。
黒い存在が自身の両手を見つめる。
「やはり我の身体は最高だ。この味を知らば、ベリアルごとき小さな器では満足できようはずもない」
動きを確かめるように両手を何度も閉じては開く。
ベルリオットはいまだ状況を理解できていなかった。
だが、眼前で起こったことから、あることだけは推測できる。
「オウル、なのか?」
「いかにも。先の姿は仮初。これこそが我の真の姿だ」
「真の姿って……冗談じゃねぇ。おまえ、地上に来られなかったんじゃないのか」
ライジェルが険しい顔つきで問いかける。
その表情から、彼も本当は答えがわかっているのだ、とベルリオットは思った。
黒い存在――オウルが悠然としながら口を開く。
「いましがた、冥獄穿孔が地底と地上とを阻む壁を穿った。つまりは、そういうことだ」
地底と地上を繋げた。
そうすることで地底でしか活動できない身を地上でも活動できるようにした、ということか。
そんなことが可能なのか、という疑問がベルリオットの脳裏を過ぎる。
だが、問題はそこではない。現に目の前に存在するオウルは先ほどとは比べ物にならないほどの圧倒的な存在感を放っている。
ベルリオットは思わず剣を握る手が震えた。全身の毛という毛が逆立った。暑くもないのに汗がじわりと滲んだ。こめかみ、背筋を汗が流れていく。
ライジェルの様子を横目にうかがうと、わずかに顔を引きつらせていた。
「ベル、やべぇぞ。勝ち負けとかいう話じゃねぇ。あれは格が違いすぎる」
「……ああ」
ベルリオットはうなずきながらオウルを見据えた。
あれが創造主によって、ベネフィリアとともに最初期に作られた存在――。
シグルの王、イジャル・グル・オウルの本来の姿。
悲観的な言葉が何度も脳裏を過ぎっていた。
それらを意識しないようにしているものの、心はどんどんそちらに傾いていく。
呼応するように力も抜けていく。
だめだ……奴の空気にのまれるな!
ベルリオットは自分自身を鼓舞するため、荒々しくアウラを取り込んだ。剣の柄を強く握りしめ、切っ先をオウルへと向ける。
その様子を見てか、オウルがにやりと笑う。
「かかってこい。一撃だけ受けてやろう。我も久方ぶりの身体を試したいのでな」
その泰然とした態度に、ベルリオットはいやがおうにも焦りがかきたてられた。
わざわざ受けてくれるってんならっ!
オウルへと切っ先を向けながら剣を引き絞る。
と、ふいにライジェルから肩に手を乗せられた。
「ベル、おまえはそこで待ってろ」
その手には止まれと言わんばかりに力が込められていた。
思わず反論しそうになったが、ライジェルの余裕のない顔を前にうまく言葉が出てこなかった。
「……親父?」
ベルリオットが目を瞬かせる中、ライジェルが弾かれるようにして翔け出した。瞬く間にオウルとの距離を詰めると、脇に流していた剣を横薙ぎに繰り出す。流麗でありながら豪快さも兼ね備えた一振りだ。
いまだオウルは微動だにしていない。そこにベルリオットは疑問を抱きつつも、いけるかもしれない、という気持ちが思わず先行してしまう。
ライジェルの剣がオウルの左腕に衝突した。
音が響かなかった。
辺りが静けさに支配される中、ライジェルの動揺する声だけが響いた。
オウルが自身の左腕を見つめながら、落ち着き払った様子で言う。
「ふむ、やはりこの身体であれば脅威ではないか」
ベルリオットは瞠目した。
たしかにライジェルの剣が接触したはずなのに、どうして斬れないのか。
目を凝らしてみると、ライジェルの剣とオウルの腕にかすかな空間が存在することがわかった。ただ、そこにはなにもないわけではない。
まるで剣を持ち上げるように黒い靄が蠢いているのだ。
ライジェルが剣を離したかと思うや、すぐさま連撃を繰り出しはじめる。どれもが剣筋を捉えることすら難しい、恐ろしく速い攻撃だ。しかし空気を斬り裂く音が何度も響いては音すらない虚しい間が生まれた。
初撃同様、オウルの身を傷つけることすら叶わない。
顔を歪めたライジェルが一度体勢を整えた。全身の力をこめ、思い切り剣を振り下ろす。が、オウルの左手によってあっさりと受け止められてしまう。
これまで静観していたオウルが冷めた目でライジェル睨みつける。
「一撃だけと言っただろう」
言うや、剣を握り潰した。
結晶が弾け、ぱらぱらと中空を舞う。
その間、オウルの背後でうねった尻尾がまるで鞭のごとくしなり、ライジェルの身を打った。重く、鈍い音が鳴った。ライジェルがベルリオットの脇を通り過ぎ、凄まじい勢いで飛ばされていく。
その先には冥獄穿孔を下方へ押しやり、内側に倒れたままの尖塔があった。そこへ激突し、ようやく勢いが止まる。
尖塔は巨大なため、溝の底へずり落ちることはなかった。
だが、ライジェルに動きだす気配はない。
「親父ぃい!!」
ベルリオットは叫んだ。
初めに押し寄せてきたのは不安と恐怖だ。
しかし、それを上塗りするように怒りが心の中を支配していく。
握りつぶさんとするほどの力で天精霊の剣を握り、その切っ先をオウルへと向けた。
こちらの様子を見てか、愉快だといわんばかりにオウルが笑みを浮かべる。
「次はきさまだ。ベネフィリアの子よ」




