◆第十二話『冥獄穿孔』
まるで光に群がる羽虫のように、それらは視界を埋め尽くしてきた。
ベルリオットは青の剣を正面の虚空へと滑らせた。さしたる抵抗なく流れた剣に次いで幾つもの慟哭が重なり、不快音となって辺りに響く。
一瞬だけ青い空が目に映ったが、すぐに黒く塗りつぶされてしまう。
絶え間なく押し寄せてくるシグルを前に、ベルリオットは思わず舌打ちした。
いったいどれほどの数がいるのだろうか。
斬っても斬ってもまるで減っている気がしない。
とはいえ苦戦しているわけではなかった。
南方防衛線を出発してからというもの、仲間とともに陣形を維持できていることが大きな理由だろう。全員が味方の死角を補っているため、いっさいの隙を敵に与えずに済んでいるのだ。
ベルリオットは仲間とともにシグルによる包囲の中をさらに突き進む。
敵は接触した順から蒸発していった。ベリアル、ドリアーク、モノセロスであってもそれは例外ではない。
全員が奮闘している。
だが、その中でもひと際目立っている者がいた。
あの人、あんなに強かったんだな……。
先頭で戦うアムール、ニアのことだ。
一対の剣を順手で両手に持つといった、メルザリッテと同じ格好だった。
ただ、その戦い方は似ても似つかない。
メルザリッテが技を駆使して戦う柔だとすれば、ニアは剛そのもの。
南方防衛線を発ってからおり、彼女は敵を粉砕せんとばかりに力強く剣を振り続け、ずっと先頭を翔けている。
ふと、これまでほぼ黒一色だった視界の中に広大な荒地が映った。
よく見れば、正面のシグルが少なくなっている。
包囲の終わりが近づいている証拠だ。
「一気に翔け抜けます!」
ニアに続いて、全員が飛行速度を上げた。
敵の攻撃もいっそう激しくなったが、さした被害もなく包囲を抜けられた。
シグルのいない大地と空を前にベルリオットは一瞬ほっとしそうになるが、すぐに気を引き締めた。包囲を抜けただけであって後方の脅威がなくなったわけではない。
いまもドリアークやベリアル、アビスなどが発狂したかのような金切り声をあげながら追いかけてきている。
ふいにメルザリッテが急停止し、振り返った。
「メルザ!?」
「ここで敵を止めます!」
言って、彼女は勢いよく降下すると、両手に持った剣を勢いよく地面に突き刺した。
直後、彼女の前方に先の尖った巨大な結晶柱が飛び出した。それは天まで届くのではないかというほどまで伸び、間近に迫っていたシグルたちを突き刺し、または粉砕していった。
メルザリッテが得意とする技――戒刃逆天だ。
ただいつもとは様子が違った。
飛び出した一本の結晶柱。その両側地面からさらに結晶柱が飛び出した。
しかも一度ではない。まるで壁が横へ伸びていくかのように新たな結晶柱が無数に飛びだしてくるのだ。
やがてメルザリッテの戒刃逆天はまるで防壁のようにその姿を変えた。
眼前に広がる壮観な光景に、ベルリオットは仲間とともに思わず唖然としてしまう。
青の光を扱うようになったメルザリッテは、これほどの力を持っているのか。
こんなの……敵なしじゃないか。
そうベルリオットは思いつつもある疑問が尽きなかった。
なぜ彼女が青の光を使えるのか。青の光は、アムールの長であるベネフィリアの血を引く者でしか使えなかったのではないのか。
実は昨夜、あらためて問いかけてみたのだが、うまくはぐらかされてしまった。
あのような態度のときは話したくないとの意思表示だ。それを誰よりもよく知っているため、ベルリオットはさらに詮索するようなことはしなかった。
なにはともあれ、彼女がもっとも頼れる仲間であることには変わりない。
メルザリッテが結晶の防壁に背を向け、飛翔した。
合流するなり、平然とした様子で言ってくる。
「さあ、先を急ぎましょう!」
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しばらく進んでも荒地ばかりが続いた。
冥獄穿孔に近づいている予兆だろうか。
だが、包囲を抜け出してからシグルとは一度も遭遇していないことが不気味だった。
ベルリオットは眼下の景色を見つめながらぼそりとつぶやく。
「包囲を抜けてもある程度の襲撃は覚悟してたけど……まったく来ないな」
「それだけ侵攻のほうへ戦力を割いているのかもしれません」
「ニアの言うとおりですね。先ほど戦った中にメギオラの姿は見られませんでしたし」
そのメルザリッテの言葉を聞いたティーアが、難しい顔をしながら話しはじめる。
「現段階では敵が冥獄穿孔の守りを固めている可能性と同様に、南以外の防衛線侵攻に主力が侵攻している可能性が高いか。どちらにせよ、早くに冥獄穿孔を破壊するに越したことはないが」
「そうだな。もとより我々にとって長期戦は不利だ。これから先、なにがあっても冥獄穿孔の破壊を最優先に動こう」
ジャノがそう締めくくったとき――。
「みなさま、前を!」
ニアが叫んだ。
ベルリオットは言われるがまま前方へと視線を向ける。
遥か先の大地に鈍色の建造物が見えた。
それは半球形状をしている以外、特徴的なものはない。
だが、その大きさが規格外だった。
初めに目視してから移動を続けているとはいえ、まだまだ距離はある。
それにも関わらず、すでに視界の大半が占められているのだ。
ヴァロンが眼前の建物の正体を確認せんと叫ぶ。
「リアン殿!」
「はい、あれが冥獄穿孔です!」
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「思っていた以上にでかいな」
「まるで巨大な城塞だな」
「リヴェティアの王都ぐらいあるんじゃないか」
冥獄穿孔の前に下り立ったあと、各々が感嘆の声をもらした。
遠くからでもその巨大さは充分にうかがえたが、やはり間近にすると迫力は桁違いだ。
ベルリオットもまたほかの者たちと同様に思わず圧倒されてしまった。
ただ――。
「これを壊すってなると、さすがに骨が折れそうだな」
あまりにもでかすぎる。
とても一振りで壊せるようなものではない。
全員で一日中振り回したところで破壊できるかどうかも怪しいぐらいだ。
「これを破壊する必要はありません」
そう発言したのはメルザリッテだ。
ベルリオットは目を瞬かせながら聞き返す。
「そうなのか? てっきりこれがもう冥獄穿孔そのものかと」
「これは冥獄穿孔の外殻に当たるところなのです。ですから、これを壊したところで冥獄穿孔の機能は止まりません」
ティーアが問う。
「だが、外郭を壊せば本体をさらけ出せるのでは?」
「前回の大戦の際にわたくしも試してみたのですが、とても分厚いので破壊は非効率でした。正面から中に入ったほうが良いでしょう」
メルザリッテがある一方を見つめながらこたえた。
その視線の先には冥獄穿孔の外殻部に設けられた巨大な門があった。
木や石で作られたような扉はなく、ただくぐるだけの門だ。
なにやら薄暗い靄で覆われているため、中の様子は窺えない。
「それならさっさと入っちまおうぜ。いまなら敵もいないしな」
「この状況……罠のにおいがしまくりだが、だからといって進まないわけにはいかないしな」
ライジェルの言葉に、ジャノがそう続けた。
直後、後方でカンッという音が聞こえた。
ひどく鋭く短い音だったが、紛れもなく結晶のかち合う音だ。
ベルリオットはとっさに振り返る。
と、両手に剣を構えたメルザリッテの姿が目に入った。
まるで攻撃を受けたあとのような体勢をとりながら、彼女は冥獄穿孔に背を向けている。
「これは懐かしい顔だ。《青天の戦姫》」
いつの間にここまで接近されていたのか、メルザリッテの正面に人型のシグルが立っていた。
ベリアルよりも小柄で、形体がより人に近い。
ほかには額から後ろへ流れるように伸びた一本の角が特徴的だ。
見たことのないシグルを前にベルリオットが息を呑んでいると、一本角のシグルの脇から巨大な岩が飛んできた。
それは凄まじい速度で迫ってきたが、メルザリッテが剣を一振りして難なく粉砕する。
岩石が飛んできた方向から一体のシグルが向かってきていた。
二本足で歩くそれは、歩くたびに地面が揺れるほど巨大だった。
高さはリヴェティア大陸の防壁程度、体つきにいたってはギガントよりも一回りどころか二回り、いや三回りも大きい。
このシグルにも角が生えていた。
ただ、先ほどのシグルとは違い、頭部両側面から二本の角が生えている。
二本角のシグルが一本角のシグルのそばに立つと、まるで金属を軋ませたような雄たけびを漏らした。奴もまた一本角と同様に、メルザリッテとの再会に奮い立っているのだろうか。
ベルリオットは叫ぶ。
「メルザ、あいつらは?」
「一本角がヴェリス。二本角がドゥラオス。三柱に位置するシグルです」
「あいつらが……」
奴らの身を覆う禍々しい靄は、刃を交えずともその力を伝えてくる。
ベリアルやドリアーク、モノセロスなどとは比較にならない。
オウルに次ぐ力と言われた実力をベルリオットは一瞬で理解した。
「きさまには手を出すなとジディアスから言われているが……わたしもきさまには借りがあるのでなッ!!」
一本角――ヴェリスが地を蹴った。体の輪郭線がぼやけるほど速く、静かな動きだしだった。すぅと地上を滑るように移動するヴェリスが、瞬く間にメルザリッテとの距離を詰め――。
突如、ガンッという音が辺りに響いた。
「きさまは……リンカ・アシュテッド」
ヴェリスの行く手をリンカが阻んでいた。
互いに交差した得物で競りながら睨みあう。
「まさかその体でふたたび戦場へ来るとはな。だが、先の戦いで力の差を思い知っただろう。きさまではわたしの相手にはならない」
「……次はあたしが勝つ」
言って、リンカは周囲に造りだした十本ほどの神の矢をヴェリス目がけて放った。
舌打ちしながら後退したヴェリスが叫ぶ。
「ドゥラオス!」
二本角――ドゥラオスが猛った。
その巨体に似つかわしくない移動速度で地上を駆けてくる。
ふとドゥラオスの進行上に影が割りこんだ。
その影の正体がエリアスだとわかったと同時、ドゥラオスの拳が振り下ろされた。
人の体よりも遥かに大きな拳が鈍重とは無縁の速さで迫っていく。
相当な破壊力が秘められているのは明らかだ。
しかしエリアスに避ける素振りは見られない。彼女は通常よりも刀身が太く、長めの剣を作り出すと、ドゥラオスの拳をまともに受け止めた。
エリアスの足場から幾つもの亀裂が放射状に広がった。ドゥラオスの拳によって起こった風がベルリオットのほうまで届いてくる。
「きさまの相手はわたしだ」
エリアスが鋭い眼光を向けながら威圧するように言い放つと、さらに全身を強張らせた。
「――ぁあああッ!!」
こめかみから血管が浮き上がるほどに叫んだ。。
さらに彼女の足が地面に食いこんだと同時、剣が振り上げられた。弾かれた拳とともにドゥラオスが上半身をわずかに仰け反らせる。
あの攻撃を弾き返すとは、なんとも凄まじい気迫だ。
ベルリオットはエリアスの見せた気迫に感嘆するが、直後に目を見開いた。
彼女が体をふらつかせたのだ。
幸い剣を地に突き立てたので倒れることはなかった。が、戦える状態でないことは誰が見ても明らかだ。
ベルリオットはすぐさま助けに向かおうとする。
「エリアス!!」
「来ないでください!」
エリアスの声によって制止させられた。
彼女はよろめきながら二の足でしっかりと立つと、振り返らずに叫ぶ。
「先ほどシャディン殿も言っていたでしょう! 我々には時間がないのです! なによりも冥獄穿孔の破壊を優先すべきだと!」
「全員でかかればすぐに――」
斃せるはずだ。
そうベルリオットが訴えかけたとき、右肩に誰かの手が置かれた。
見れば、すぐ近くにライジェルの顔があった。
彼は達観したような目つきで二体のシグルを見つめる。
「あれはどう見ても馬鹿じゃねえ。数をかけたらかけたで逃げるか、若しくはそれなりの対策をとってくるだろうよ」
「けど……二人は怪我で!」
「ここまで休ませてもらった! だから問題ない!」
ヴェリスと高速で打ち合いながら、リンカがこたえた。
休んだと言っても一刻にも満たない程度だ。
そんな時間で傷が癒えるはずがない。
現にリンカもまた、エリアスと同様に苦痛を必死に堪えているのが顔からありありと伝わってきた。
「必ず追いつきます。ですからみなは早く先へ!」
エリアスがそう叫んだあと、ドゥラオスに飛びかかっていった。
客観的に見ても二人の力は敵に遠く及ばない。
だが、それでも仲間として彼女たちを信じたいと思った。
そして、彼女たちの決意を無駄にするわけにはいかないと思った。
右肩に置かれた、ライジェルの手に力が込められる。
「行くぞ、ベル」
「……わかった」
ベルリオットは腕が震えるほどに強く拳を握りながらこたえた。
「では行きます!」
ニアに続いて、ほかの者たちも冥獄穿孔の門をくぐっていく。
ライジェルも肩を軽く叩いてきたのち、先に進んだ。
最後にひとり残ったベルリオットは、冥獄穿孔のほうを向きながら叫ぶ。
「エリアス、リンカッ!!」
たった一言だけ伝えたかったのだ。
頼んだ、と。
そう言い残したあと、ベルリオットは冥獄穿孔の門をくぐった。
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「なんという分厚さだ。これを壊そうとしていたら一日どころでは済まなかっただろうな」
ベルリオットの前を飛ぶ、ジャノがそうこぼした。
外殻の門をくぐった先に繋がっていたのはひどく長い通路だった。
進んでも進んでも壁に囲まれた光景ばかりが続く。
先ほどエリアスとリンカを残してきたこともあり、ベルリオットは気持ちが焦っていた。
苛立つように思わず言葉を漏らしてしまう。
「本当にいつまで続くんだ」
「このまま反対側まで突きぬけちまったりしてな」
ライジェルが冗談交じりに返してくる。
こんな状況であっても動じないその豪胆さには感心するほかない。
自分も彼のようになれればいいのに、とベルリオットは思ってはみたものの、一時だけ気の持ちようを変えたところでどうにかなるものでもなかった。
「見えてきました。あれが冥獄穿孔です!」
先頭を翔けるメルザリッテの声が通路内に響いた。
ようやくか、とベルリオットは思った。
通路の先に映る光景がどんどん広がっていき、やがて仲間とともに開けた場所へと飛び出た。
そこはとてつもなく広かった。
端から端までを一度に見渡すことなどとてもできない。
もしかするとリヴェティア王都がすっぽりと中に入ってしまうかもしれないほどだ。
外から見た通り中も半球状だった。
しかし鈍色だった外装は、中では明るめの紫から暗めの紫が入り混じったような不規則な模様で彩られていた。日の光はないはずなのに、不思議と周囲の様子ははっきりとうかがえる。まるで別世界に迷い込んだかのような、なんとも不思議な感覚だ。
「あれが……冥獄穿孔」
中央にそびえる巨大な尖塔を見つめながら、ベルリオットはつぶやいた。
高さは屋内の天頂部に到達するほど。距離があるので正確にはわからないが、太さも相当なものだ。さらに目を引くのは根元のほうに生えた大量の結晶だ。禍々しい黒や紫色のそれは外側へはねるようにして伸びている。
「なんだこれは……」
ティーアが動揺の声をあげた。
彼女はひどく嫌悪した様子で近場の左手側へと目を向けている。
視線を追うと、外殻内側の壁に沿うよう地面に張り巡らされた網のようなものが目に入った。網とは言っても、それを構成する一本一本の線は人間の腰回りほどの太さを持っている。
色はくすんだ青紫で、表面には皺のような凹凸が見られる。
なにより特徴的なのは脈打っていることだろうか。
まるで生きているかのように動くそれは、見ているだけで妙な不快感を抱かされる。
ベルリオットは慌てて反対側の様子もうかがってみたが、左手側と同じような光景が広がっていた。
メルザリッテが口を開く。
「そこからシグルが上がってくるのです」
「そうなのか? けど、シグルの姿はどこにも……」
「わたくしも詳しくはわかりませんが、常に繋がっているわけではないようなのです」
てっきり常に地底と地上とを繋ぐ穴が開けられており、そこからシグルが延々と上がってくるものだと思っていた。だが、常にシグルが上がってくるわけではないのであれば、敵の拠点でありながら極端にシグルが少ない現状にもうなずける。
「だったらいまのうちに破壊するべきか」
言うや、ジャノが飛閃を放った。
もっとも近くに張られていた網へと向かっていく。接触と同時、ぶちぶちと不快な音をたてて二本の線が切断される。が、それは酸のようなものを撒き散らしたのち、踊るようにうねると、瞬時に対の断面同士と接合した。
「再生した!?」
「それを完全に止めるには冥獄穿孔を破壊するほかに手はないかと」
驚愕するジャノに、メルザリッテが冷静な口調で言った。
ヴァロンが自身の顎鬚を撫でる。
「楽はできんということじゃな」
ふいに網が激しくうねりはじめた。
三拍後、絞られた雑巾のように収縮したかと思うや、その身から黒い煙を吐き出した。濛々と舞い上がった黒煙は、《災厄日》に大陸外縁部に上がってきていたシグルの姿を彷彿とさせる。だが、その色は似ても似つかないほどに濃い。
やがて黒煙は大小様々なシグルへと変貌を遂げた。
ガリオンやアビス、ギガント。モノセロス、ドリアーク、ベリアルといった、これまで見たことのあるシグルの顔がほぼ揃っている。
さらには、まるでドリアークがそのまま人型になったような翼を持ったシグルも見られた。ベルリオットは初めて目にするシグルだったが、メルザリッテより聞かされたメギオラの姿と一致する。
より上位の固体ほど数は少ないものの、出現したシグルの数は軽く五百は越えている。
「一瞬のうちにこんな……!」
ベルリオットは左右に出現した大量のシグルに向かって即座に身構える。
と、歩み出たジャノ、ティーア、ヴァロンによって前をふさがれた。
「これを放っておけば背後をとられてしまうな」
「どうやらここでも足止めが必要なようだ」
「なんとも骨が折れそうな数じゃな」
彼らならばこの数が相手でももしかしたら、という思いはある。
だが、ベルリオットはメギオラが実際にどの程度の強さなのかを知らない。
この場を任せるか否か。
判断を決めかねていると、メルザリッテが険しい顔つきで口を開いた。
「ですが、この数に加えてメギオラが相手では……」
「わたしたちも残ります」
ニアが言った。
彼女に続いてほかのアムールもジャノたちと同様にシグルに向かう。
「ニア……お願いします」
「はい。お任せください!」
そうニアが威勢よくこたえたときだった。
シグルたちが咆えるやいなや、一斉に飛びかかってきた。そこに譲り合いなどいっさいない。獰猛な獣の如く、我先に獲物を食い殺さんとばかりに突っこんでくる。
ジャノたちもまた飛翔し、迎撃へと飛び出した。瞬く間に辺りが戦場と化し、そこかしこで結晶の打ち合う音やシグルの慟哭が響きはじめる。
「行け、ベルリオット!」
ジャノがシグルと交戦しながら叫んだ。
ベルリオットは一瞬の躊躇を見せてしまった。
それを読み取ったのか、ジャノがまるでこちらを安心させるような笑みを見せる。
「なに心配はいらん! みな、こんなところでやられるような玉ではない!」
「ここでシグルを押さえれば王都への進行も防げるしの。一挙両得じゃろ」
「あんなこと言ってるじいさんもいることだし、なッ!」
ジャノとヴァロンが互いの背中をかばいながら襲い来るシグルを次々に迎撃していく。決して余裕があるわけではない。だが、そう感じさせない戦いぶりを前に、ベルリオットは自身の中に生まれた不安が徐々に薄れていくのを感じた。
ふと視界の端で、ティーアがメギオラの放った黒球を槍で受け止めているのが見えた。
彼女は衝撃を殺しきれずに飛ばされてしまうが、なんとか空中で体勢を整え、二の足で地面に着地。足裏と槍の切っ先を地面にこすらせる。その勢いはベルリオットの近くでようやく止まる。
「ティーアッ!!」
「問題ない。それよりも――」
槍を支えに立ち上がったティーアが自嘲気味に口を開く。
「トゥトゥを傷つけた奴を絶対に討ってくれ。情けないが、あいにくとわたしではとても敵いそうにないのでな」
「……わかった。けど、ティーアの分もきっちり取って来る」
その言葉を聞いた途端、ティーアがなぜか目を見開いた。
が、次の瞬間にはふっと笑みを漏らす。
「ああ、任せた!」
彼女は晴れやかな顔を残し、地面を蹴った。
瞬時に上空のメギオラとの距離を詰めるなり、激しい撃ち合いを始める。
ティーアを見送ったあと、ベルリオットはライジェルとメルザリッテに向かった。
「行こう、親父、メルザ!」
/////
冥獄穿孔の周囲は、まるで侵入者を拒むかのように円状の溝が掘られていた。
その溝と外周とを区切るように先の尖った柱が幾つも見られる。高さは冥獄穿孔ほどではないが、見上げなければ天辺が見えないほどに高い。
外周の網から這い上がったシグルが、その尖塔を越えてくることはなかった。
敵にとって越えてはならない線引きがなされいるのか。
はたまたなんらかの強制力が働いているのか。
いずれにせよ、外周に出現したシグルに側面を襲撃されることはなさそうだった。
ベルリオットは、ライジェルとメルザリッテとともに溝の手前に到達した。
溝はどれほどの深さかはわからない。ただ少しでも覗きこめば呑みこまれるのではないか、と思うほどの暗闇を秘めている。
冥獄穿孔へは一本の橋がかかっていた。
その横幅は王都のストレニアス通りとは比較にならないほどに広い。
また近づいてみてわかったが、溝は思っていた以上に巨大らしく対岸の冥獄穿孔まで相当な距離があった。
わざわざ橋を渡る必要はない。
だが、溝に身をさらすことはしたくない、とベルリオットは本能的に思った。
ほかの二人も同じようで、なにも言わずに揃って橋の上空を進んだ。
少し先、橋の中間辺りが円形の広場となっているのが見えた。
ただ、そこには誰もいない。妙な虚しさだけがたたずんでいるだけだ。
円形の広場に差しかかると、頭上で風の乱れを感じた。同時、体が無意識に動きだしていた。弾かれるようにして横へ身を投げ打つと、先ほどまで浮いていた場所を上空から降ってきた黒球が襲った。それは凄まじい勢いで橋を穿ち、下に広がる溝へと消えていく。
周囲を見やると、同じように回避行動をとったライジェルの姿が映った。どうやら黒球に襲われたのは自分だけではなかったらしい。
視界の中、猛烈な速度で駆け抜けていく黒い影が映った。
それが人型のシグルであり、また初めて目にする固体であることを認識できたのはメルザリッテに肉迫したときだった。
メルザリッテが敵の突撃を交差した一対の剣で受け止める。が、あまりにも凄まじい勢いだったため、その場に留まることはかなわなかった。押し出され、橋を貫通。溝のほうへと追いやられていく。
敵が叫ぶ。
「待っていたぞッ!!」
「ジディアスっ……!」
メルザリッテより聞かされた三柱に数えられる目傷のシグル。
ジディアス。
あれが……!
ベルリオットは一目見ただけでわかった。
同じく三柱であるヴェリスやドゥラオスもとてつもない力を持っていたが、あのジディアスというシグルは段違いだ。
オウルを除けば、もっとも強いと言われているのもうなずける。
ベルリオットはすぐさま加勢に向かおうとする。
「メルザッ!」
「これの相手はわたくしがします! どうか、お二人は先へ!」
メルザリッテが荒々しく青の光を噴出させるやいなや、ジディアスの攻撃を受け流すようにして弾いた。いまや巨大になった二本の剣を大きく左右に広げながら彼女は敵との距離を詰めると、目にも留まらぬ速さで剣を振り反撃に出る。
「ご安心を! これを倒し次第、すぐに合流します!」
「すでに勝った風な口を!」
ジディアスもまた負けじと凄まじい速度で攻撃を繰り出す。得物が衝突するたびに鳴るひどく重い音が威力も相当なものであることを語っていた。
ベルリオットはかすかな動揺を覚えた。
自分の中で、メルザリッテは絶対に誰にも負けないという確固たる認識があった。
だが、初めて彼女と互角に戦える相手を目の当たりにしたことで、その認識が脅かされたのだ。
だから助けに向かうのか。
だから彼女の思いを無駄にするのか。
いや、違う。
自分がいますべきことは、これまで通りメルザリッテを信じることだ。
そして彼女と、ここまで送り届けてくれた仲間のために前へ進まなければならない。
一刻も早く冥獄穿孔を破壊しなければならない。
ベルリオットはライジェルを見た。
なにも言わなかったが、こちらの意図が伝わったらしい。
彼もまた無言のうなずきという形で応じてくれた。
いまだ激しい攻防を繰り広げるメルザリッテとジディアスに背を向け、ベルリオットはライジェルとともに先を急いだ。
進むにつれ、冥獄穿孔の天辺が見えなくなった。
代わりに根元に生えた大量の禍々しい結晶が視界を埋めていく。
ようやく橋を渡りきったとき、結晶の前にひとつの影が見えた。
「やはりきさまらが来たか」
シグルの王。
イジャル・グル・オウル。
二度目の対峙であっても、その威圧感に慣れることはなかった。
ベルリオットは半ば反射的に剣を手に身構える。
冥獄穿孔を破壊したければ自分を倒せ、と。
そう言わんばかりにオウルが両手を左右に広げた。
「さあ決着をつけようではないか。天上と、そして狭間の子らよ」




