◆第十一話『白の光』
リズアートは手を伸ばし、白の光を掴んだ。
瞬間、白の光が弾けるように散り、辺りを眩い光で包みこんだ。
「な、なんだこの光は!?」
メギオラの動揺した声が聞こえてくる。
ほかにも周囲の者たちが騒然としているのが伝わってきた。
辺りに満ちた白の光が、さらに強い光を放った。
それを機に、まるで吸い込まれるようにリズアートの身に収まっていく。
やがて辺りを包んでいた白の光が完全に消えたと同時、リズアートの心臓が大きく跳ねた。まるで全身を強く叩かれたような感覚に襲われる。
これは、アウラを取りこむときと同じだ。
ただ、体に入ってくるアウラの量はこれまでとは比較にならない。
心臓の鼓動が速い。息苦しい。いまにも倒れてしまいそうだ。
そんな状態から一瞬ののち、もう一度全身を叩かれる感覚に襲われた。
直後、これまでの負荷が嘘のように体が軽くなった。
視界の端に映る自分の身体の輪郭は真っ白に光り輝いている。
その色は、まさしく先ほど掴んだ白の光と同じだ。
リズアートは体で感じていた。
この白の光は純粋な力である、と。
人に与えられた至高の色である、と。
リズアートは驚愕する王たちをよそに即座に翔けた。
風を越えたのではないか、と思うほどおそろしく速い。
あわせた両手の中に結晶剣を造り出す。少し細身の長剣だ。
純白だからか、ほかの色とは段違いの輝きを放っているように見えた。
王城騎士の脇をかぎわけるように通り抜けると、その先でいまにも攻撃せんと手を振り上げるメギオラが映った。
「なっ!?」
気づけば眼前まで迫られていたという感じなのだろう。
メギオラが驚愕の声を漏らすと同時、その身を守るために慌てて両腕を交差させた。
リズアートは構わずに白の剣を突き出した。接触の音が鳴ったかどうかわからない。それほど抵抗を感じなかった。まるで柔らかいものに突き刺さるように、白の剣はすぅと腕ごと敵の胸を貫いた。
メギオラが一瞬の硬直ののち、その顔をゆっくりと下向ける。
「馬鹿な……この体をこうもたやすく――」
その言葉を最後に消滅していった。
リズアートは剣を突き出した格好のまま、ゆっくりと息を吐いた。
室内が静けさに満たされる。
外ではいまだ戦闘が行なわれているものの、どこか遠くに聞こえるようだった。
「す、素晴らしい! この力さえあれば、きっとオウルさえも!」
ガスペラント王が沈黙を破った。
それを皮切りにほかの者たちも動き出し、一様に明るい表情を浮かべる。
みな、白の光に希望を見出しているのだろう。
だが、そんな中でリズアートはただひとり顔をほころばせることができなかった。
白の剣を霧散させたあと、自身の手をじっと見つめる。
「いえ、だめです……」
言って、リズアートは下唇を強く噛んだ。
先ほどの明るい空気が嘘のように暗雲が立ちこめた。
ガスペラント王が憮然とした表情で訊いてくる。
「どういうことなのだ、リヴェティア王?」
「使ってみてわかりました。この力はわたしでは使いこなせません」
「しかし現にいま、奴を簡単に倒したではないか! 疑いようもなく圧倒していたぞ!」
「この程度の相手ならばどうにかなると思います。ただ、これ以上の力を持った敵が相手となると勝つのは困難だと思います。ましてやオウルが相手となると、おそらく……」
メギオラを圧倒したとはいえ、攻撃には反応されていた。
もしメギオラ以上の強度を持ち、俊敏な敵が相手だったならば、こうも簡単にはいかなかっただろう。そして報告書の中では少なくともメギオラよりも強いシグルが複数存在する。つまり白の光を使ったとしても、自分ではすべての敵に勝てるわけではないのだ。
せっかく力を手に入れたのに、どうして……!
本当に悔しい。
認めたくはない。
だが、認めるしかないのだ。
自分には、この力は相応しくない、と。
「そ、そんな……では、どうするというのだ」
「託します。もっとも相応しい人に」
白の光が譲渡可能な力であることをリズアートは感覚的に悟っていた。
ただ、条件はひとつ。
人であることだ。
渡す相手はもう決めている。
人の中でもっとも高みに登りつめた男。
彼に――。
「ただ、その前にこの状況をどうにかするのが先ですね」
王たちを守るのは王城騎士が三人と少ない。
白の光を持っているいま、敵の包囲を切り抜けるのは簡単だが、それでは王たちの命を危険にさらしてしまう。
ふと、視界の端でユングがゆらりと立ち上がるのが見えた。
彼は割れてしまった眼鏡を放り捨てると、濃紫のアウラを纏う。
「この場は我々にお任せください。ですからどうか陛下は、いま、なすべきことをなさってください」
「ユング。けれど、あなた……」
「ご心配はいりません。わたしはまだ戦えます。それに……どうやら援軍が来てくれたようですから」
ユングの視線の先を追って、リズアートは振り返る。
と、遠くの空からこちらに向かってくる一団が見えた。
数は五十以上か。
纏っているアウラは、ほとんどが紫の光だ。
どうやらアムールも混じっているようで赤の光も確認できた。
彼らが来るならば、この場を任せても問題ないだろう。
ふいに空気を切り裂くような音が耳をついた。
音のほうを見ると、廊下側からドリアークが向かってきていた。
ただの突撃だが、その勢いは凄まじい。放っておけば会議室にいる者たちはひとたまりもない。
リズアートは即座に迎撃の態勢に入った。
が、ドリアークと肉迫することはなかった。ドリアークが廊下に到達した時点で、空から舞い下りたひとりの男によって消滅させられたのだ。
「あなた、どうして……」
リズアートは眼前の男に向かって問いかける。
男はドリアークを斬り裂いた大剣を霧散させると、こちらに向き直った。
片膝をつき、頭を下げる。
「イオル・ウィディール。陛下を守るため馳せ参じました。緊急とはいえこの王城に踏み入ったこと、どうかお許しください」
「そんなこと、まだ気にして――」
「わたしは取り返しのつかない罪を犯しました。にも関わらず陛下の温情によりいまだ罰を受けてはおりません」
いま話さなければならないことではない。
だが、イオルがあまりに真剣だったため、無視できなかった。
「あれは彼に命じられたからであって、あなたが責を負うことはっ」
「それでも加担したことには変わりありません。どうかわたしに罰をお与えください。でなければ、わたしは……」
前に進めない。
そう続けようとしたのだとリズアートは悟った。
いまの自分は人の未来を左右するほどの力を持っている。
これを相応しい人物に届けることこそが自らに課せられた使命であるとも理解している。
だが、いまはひとりの王として、目の前の男に向き合わなければならないと思った。
「あなたはいかなる罰であっても受けるというのね」
「はい」
「ではイオル・アレイトロス……いえ、イオル・ウィディールに命じます」
全身を強張らせたイオルへと、リズアートは凛とした声で告げる。
「リヴェティアの騎士として今後の生涯を捧げなさい」
「なっ、陛下!? それは――」
「これは罰です。異論は認めません」
慌てて顔を上げたイオルだったが、硬直した。
見るからになにか言いたげだ。
リズアートは彼が求める罰を理解していた。
だが、それだけは絶対に言い渡すつもりはない。
「いいですね」
「……仰せのままに」
イオルが顔を下向けながら、明らかに不満を押し殺した声でこたえた。
彼にとっては、ある意味でもっとも酷な罰だったかもしれない。
だが、リズアートは決してそのような意味で命じたわけではなかった。
ただ純粋に、彼に戻ってきて欲しいと思ったのだ。
リヴェティアで育ったイオルとして――。
自然とその言葉が口から出ていた。
「おかえりなさい」
「……はい」
まるで嗚咽を堪えるような声だった。
かすかに肩も震えていたが、リズアートは見なかったことにした。
「ユング、あとのことは頼んだわ」
そう告げたあと、リズアートは王たちへと向きなおった。
うなずき合うだけの簡単な挨拶だったが、彼らの気持ちは充分に伝わってきた。
ファルール王が勝ち気な笑みを見せながら一言告げてくる。
「頼んだよ」
「はい!」
言って、リズアートは南の空を望んだ。
立ち上がったイオルが、そばで目を瞬かせながら訊いてくる。
「陛下、いったいどこへ行かれるおつもりですか?」
「冥獄穿孔よ。そこへ行って、この力を届けなければならないの」
ずっと纏っていたものの、彼には白の光については話していない。
それでも彼は最低限のことを理解したのか、白の光について訊いてくることはなかった。
「お一人で……ですか?」
「ええ」
「では、わたしもお供させていただきます」
「なにを言って――」
べつにイオルの力が足りないとは言っていない。
むしろ冥獄穿孔に行くまでの険しい道のりを考えれば、来てくれるならありがたいとさえ思う。だが、同時にそれは大きな危険を伴う。
先ほど彼に罰を与えなかった意味がなくなってしまうかもしれないのだ。
そうリズアートは考えたのだが、イオルに思わぬ返しをされてしまった。
「リヴェティアの騎士が陛下の身を守るのは当然のことでしょう」
「イオル、あなた……」
「それにわたしは陛下に救われた身です。陛下のために使えるならば、この命惜しくはありません」
真っすぐな瞳を向けられ、リズアートは思った。
これがイオル・ウィディールという男なのだ、と。
「……ありがとう」
それ以外の返しを思いつけなかった。
だが、彼の言葉を――想いを聞いたうえでの判断だ。
後悔はしていない。
「理由ってのは俺にもあるぜ」
別の声が聞こえてきた。
天井に空いた穴からひとりの男が飛び下りてくる。
その細身の体や、鼻筋に刻まれた大きな斬り傷が特徴的な顔には見覚えがある。
「あなたは……ジン・ザッパ」
「話は聞かせてもらった。俺も同行させてもらうぜ。まあ、俺は流浪の身だし、あんたにだめと言われても関係ないけどな」
おどけた口調でそうジンが言った。
直後、彼の隣になにか巨大なものがずしんと音をたてて落ちてきた。
それは大半が球体で構成されているといった特殊な形状だが、紛れもなく四肢が存在した。間違いない。機巧人形だ。
「おい、ラヴィエーナ! 危ねぇだろ! どこ見て操縦してんだ!」
ジンが怒鳴りながら、機巧人形の足を蹴りつけた。
かんっと音が響く。
間もなくして、丸型の機巧人形の頭頂部がぱかっと開いた。
最初に見えた二つのとんがりに続いて、ひょこっと中の人物が顔を出した。
もう何度も会っているので、その顔を見間違えることはない。
ルッチェ・ラヴィエーナだ。
彼女は厚硝子の眼鏡を額にずらすと、搭乗口から上半身を乗りだした。
「ちょっとジンさん、あたしのダンゴマル三号になんてことしてくれるんだよ! もう銃の調整してあげないよ!」
「うげ、それは困るな……」
ジンが顔を引きずらせながら後ずさる。
そんな彼をさらに追い立てるように身を乗り出したルッチェだったが、唐突にはっと目を見開いた。
「あっといまはそれどころじゃなかった。えっとリズさん、あたしもついて行くつもりなので、よろしくー!」
まるで遊びに行くかのような明るい口調だった。
ただ、決してふざけているわけではない。
ルッチェは、もとからこのような感じなのだ。
長い間ではないが、彼女と関わってみてよくわかったことだった。
「ルッチェさん、あなたまで……」
「冥獄穿孔がどんな構造してるのか、気になるんだよねー」
「おいおい、ラヴィエーナ。俺が言うのもなんだが、それはないんじゃないか?」
「冗談だよ冗談だよ。ま、リズさんには王城のことで色々お世話になったしね。ついてく理由は充分にあるよ」
ジンの言葉を軽く受け流したあと、ルッチェが人懐っこい笑みを浮かべた。
イオルにジン。
そしてルッチェまでもが協力してくれるという。
リズアートは、いまが戦いの最中だとはとても思えないほど心が温かいもので満たされた。自分はなんて恵まれているのだろうか、と。
「……みんな、本当にありがとう」
湿っぽい空気はごめんだとばかりに、ジンが明るい声をあげる。
「んじゃまっ、派手に暴れつつ向かうとするかね」
「陛下に誤射でもしたら、きさまの首を真っ先に斬りおとすからな」
「おいおい、俺がそんなへまするかよ」
「こらこらそこ喧嘩しないしない! リズさんが困ってるでしょー」
なんともやかましい三人だ。
そもそも、この者たちがどうやって知り合ったのかすら想像がつかなかった。
おそらく生まれも育ちも違うのではないだろうか。
だが、この上なく相性の良い組み合わせだと思った。
リズアートは目の前の光景にくすりと笑みをこぼしたのち、ふたたび南の空を見つめた。
その先にある目的の地を見据えながら、三人の同行者に向かって言う。
「行きましょう!」