◆第九話『一夜の休息』
円形の広間の中、三列に並んだ木造の長机と乱雑に置かれた椅子。
ほかはほとんどなにもない。特徴と言えば防壁上へと繋がる扉があるぐらいか。
ここは防壁に隣する尖塔の最上階。
大陸が浮遊大陸であった頃、《災厄日》には司令室の役割を果たしていた場所だ。
いまでは騎士が疲れた体を休めるための場所になっており、ベルリオットもいま、ライジェルやメルザリッテとともに休息をとっていた。
ちなみにラグはもう南方防衛線にはいない。
各防衛線への作戦通達を終えたあと、状況報告のために王都へ帰還したのだ。
代わりというわけではないが、約一刻を経て、空の騎士であるヴァロンとジャノが南方防衛線に到着していた。
「まさか生きとったとはな。まったくしぶとい奴よ」
「そんな歳になってまで最前線で剣振ってるジジイに言われたくねーな」
「ふん、あいも変わらず口の悪い」
「そっくりそのまま返すぜ」
ライジェルとヴァロンは会って早々に軽口を叩き合っていた。
会話の内容だけ抜き取ればいがみ合っているようにしか見えない。
だが、彼らはいやみのいっさいない笑みを浮かべているだけだった。
ジャノがライジェルのもとへ歩み寄っていく。
「ジャノ・シャディンだ。貴殿の名は嫉妬するほど聞かせてもらっていた」
「シャディンってーと、ディーザの《四騎士》だったか?」
「わたしのことを知っていたのか?」
「ああ、リヴェティアにいるときは俺もよくあんたの名は聞いてたぜ。ジャノだから……たしか長兄だったよな」
「そ、そうか。かの剣聖もわたしの名を知っていたか。ははっ、さすがベルリオットの父親だな。なかなか話のわかる奴じゃないか!」
ジャノはよほど気をよくしたらしい。
嬉しさを隠しきれない顔でライジェルと握手を交わしていた。
そんな光景をベルリオットは机に肩肘をつきながら見つめていた。
とくに思考を働かせたつもりはいない。
ただぼけーっとしているだけだが、なぜか自然と顔が弛緩してしまっていた。
「ベルさま、嬉しそうな顔してます」
そう言ってきたのは隣に座っていたメルザリッテだ。
彼女も傷の応急処置を終えたため、体のあちこちに包帯が巻かれている。
ベルリオットはとっさに顔に力を入れて引き締めた。
押し寄せてきた気恥ずかしさを誤魔化すようにそっぽを向く。
「あ、いまさら直してもしっかり目に焼きつけたので無意味ですよ」
くすくすと笑われる。
ベルリオットは思わず拗ねてしまいそうになったが、すぐに止めた。
彼女に意地を張ったところで無意味なのはわかりきったことだ。
観念して顔から緊張を解いた、そのとき。
ヴァロンが辺りを見回しながらぼそりとつぶやいた。
「しかし空の騎士も四人か。簡単にはいかぬと思っていたが、まさかこんなにも早々に削られるとはな」
先ほどまで明るかったジャノの表情が一気に暗くなっていく。
「すまない。アシュテッドの加勢に向かいたかったが、如何せん敵の戦力も多く……」
「それを言ったら同じ場所におったわしもじゃろう」
二人ともリンカと同じく西方防衛線の担当だ。
つまり、三柱の一体と戦う彼女の姿を目にしている。
一番近い場所にいながらも、助けられなかった。
それがどれほど苦しいか、ベルリオットは充分にわかっているつもりだ。
「みんな一生懸命戦って、その上でこういう結果になったんだ。おっさんたちが謝ることじゃないだろ。ただ、出来れば聞かせて欲しい……リンカがどんな風に戦ったのか」
ベルリオットは現実として受け止めていながらも、やはりリンカが負けるところを容易には想像できなかった。なにしろ彼女は、エリアスとともにもっとも成長したうちのひとりだからだ。
ヴァロンが重そうなまぶたを持ち上げた。虹彩の薄くなった瞳を覗かせながら、ゆっくりと語りはじめる。
「アムールが援軍に来るまでの間、たったひとりであの化け物を止めておった。仮にわしがあやつと戦っていても、あのようにはいかんかったじゃろう。その戦いぶりや誠の騎士であった」
「……そうか。ありがとう、じいさん」
ベルリオットはヴァロンの言葉をしかと胸に刻んだ。
聞いた報せでは、エリアスの戦いぶりも同じようなものだったという。
たったひとりで強敵を食い止めてくれた。
そう考え、褒め称えるべきなのだろう。
だが、彼女たちが負った傷の痛みを思うと胸が痛む。
手放しで褒め称えるなどという思考には至らなかった。
ベルリオットが下向いていると、ジャノが空気を読んだように話題を変えてくれた。
「そう言えばリアン殿。アムールはどれほどの援軍を送ってくれたのだ? われらが守っていた西側には、ざっと見たところで二百といったところだったが」
「五百ほどだそうです」
「こう言ってはなんだが……あまり多くないのだな」
「そもそもアムール自体、そう数が多くありませんから」
メルザリッテは「それに」と続ける。
「今回は精霊の翼を持つ者しか来なかったそうです。おそらくは前回の大戦でほぼ全軍に近いアムールを送って、無駄に死者を増やしてしまったことが理由でしょう」
「つまりは選りすぐりの精鋭ということか」
「はい。冥獄穿孔へ行く際も数人ほどついて来てもらう予定です」
「それは心強い」
「とはいえ、楽観できる状況ではありません」
メルザリッテの言葉に、ベルリオットは「ああ」とうなずきながら話を継いだ。
「なにしろ敵にはオウルがいるからな。俺たちが冥獄穿孔を破壊しに来ることは相手も当然わかってるだろうし、奴はそこで待ち受けてる可能性が高い」
「間違いないでしょう。わたくしが戦っていた三柱のシグル――ジディアスは去り際にこう言い残していきましたから。『来るのだろう、冥獄穿孔に。そこで決着をつけるぞ』と」
決戦の地が冥獄穿孔であることを敵も充分にわかっているのだ。
「あまりこういうことを訊きたくはないが……ベルリオット、勝てそうだったのか? オウルに」
「正直わからない。親父と力を合わせてやっとまともに渡り合えるって感じだったし。それに相手はまだまだ余裕があるように感じられた。ただ――」
ベルリオットは机の上に両手を置いた。
広げた掌を見つめたあと、ぐっと握り締める。
「俺自身、いけると思った。いや、この際言い切るよ。きっと勝てる」
「俺もベルと同じように感じてる」
ライジェルが勝ち気な笑みを見せながら同調してくれた。
「……親父」
「オウルがいること自体おかしなことだが、いまはそれが仮初の姿だったことが不幸中の幸いだと思ってる。仮初の体であれだからな。もし本物だったらいま頭を抱えることすらできなかっただろう。ま、つまりはいくらオウルでも、あの状態ならなんとかなるってことだ」
可能性があるとはいえ、決して簡単なことではない。
そのはずなのに、ライジェルが口にすると簡単なことのように思えてしまうから不思議だった。
答えに満足したのか、ジャノが憂いをいっさい感じさせない表情を浮かべる。
「それを聞けてよかった。希望すらなければ出せる力も出なくなるからな。これで安心して我らも命を懸けておまえたちにすべて託せる」
隣に立つヴァロンも顎鬚をさすりながら、うなずいていた。
「おっさん……じいさんも……」
彼らの決意に、ベルリオットは直接的に胸を叩かれたような感覚に見舞われた。
たとえ命を賭してでも、オウルのもとへと送り届けてみせる。
そう彼らは言っているのだ。
「わたしもいるぞ」
ふと覚えのある声が背後から聞こえた。
ベルリオットは慌てて振り返る。と、部屋の入り口となる階段を上がった先に、クーティリアスの肩を借りた格好で立つティーアの姿が目に入った。
「ティーア? どうして……休んでないとダメだろ」
「もともと体を強く打ちつけたぐらいだ。問題ない」
「ぐらいだって、オウルの一撃を受けたんだぞ? 問題ないわけないだろ」
「……たしかにそうだな。いまもこうして歩けているのは、クーティリアスが肩を貸してくれているおかげだ。ひとりで歩くとなると、少し足もとがおぼつかない」
「だったら!」
「だが、その程度だ。動かないわけじゃない。わたしはまだ槍を握れるし、空も飛べる」
「ティーア……」
「だから、頼む。わたしも戦わせてくれ」
言って、ティーアがたしかな意志のこもった瞳を向けてくる。
負ければ終わりの戦いとはいえ、代償として命を失えば意味はない。
だが、命を懸ける覚悟がなければ、決してこの戦いを生き抜くことはできない。
それをベルリオットはオウルとの戦いを通じていやでも実感した。
「わかった」
――けど、無理だけはしないでくれ。
そう続けて言おとした口をすかさず閉じた。
「感謝する」
そこでようやく強張っていたティーアの顔が緩んだ。
きっと同行を許されるまで気を張りつめ、弱みを見せないようにしていたのだろう。
そんな彼女の健気なさまを前にし、ベルリオットは思わず微笑んでしまった。
気持ちに余裕が生まれたからか、別の心配事がわき上がってくる。
「それで、トゥトゥは大丈夫なのか?」
「まだ寝ている。命には別状ないそうだが、やはりわたしよりも傷が酷いみたいでな。とても一緒にはいけないだろう」
「そうか……わかった」
大陸が落下しはじめてからのち、シグルと戦闘していたのは時間にして二刻程度。
当初、予定されていた時間よりも圧倒的に短い。それは思わぬ形でオウルがシグルを引かせたからにほかならないが……。
それだけでも決して少なくない被害を受けた。
もし戦いが長引いていれば、いったいどうなっていたのか。
次にまたシグルと刃を交えたとき、いったいどうなるのか。
そう、ベルリオットの思考が悪いほうへ向きはじめたときだった。
「さて、お話も落ちつきましたね」
部屋に満ちた空気を一掃するように、メルザリッテが明るい声をあげた。
彼女はすっくと立ち上がると、いまが戦時中とは思えぬほどにっこりと微笑んだ。
「オウルの言葉は信用できませんし、いつ襲撃を受けるかわからない状況ではありますが、せっかくこうして休息のときを得られたのです。せっかくですし見張りの方々に甘えて、わたくしたちはしっかりと体を休めましょうっ」
/////
ベルリオットは自然と目が覚めた。
まぶたは重たくなかったし、意識もはっきりとしている。
それほど長い間寝ていたわけではないが、不思議と体の疲れもあまりない。
強いて言うなら、座って寝ていたせいで尻が痛むぐらいか。
とはいえ、この程度なら立っていればそのうち治るだろうし問題ない。
ベルリオットは立ち上がろうとする。
が、なぜか両腕が動かせないせいでうまく立ち上がれなかった。
そこでようやく両脇でメルザリッテとクーティリアスが寝ていることに気づいた。
どうやら腕が動かなかったのは彼女たちに掴まれていたからだったようだ。
二人ともすやすやと静かな寝息を立てている。
とても気持ち良さそうだが、如何せんその顔がだらしなかった。
「もうっ、ベルさまったら。こんなところでなんて……メルザ、困ります……」
「そんなにいっぱい触っちゃって、ベルさまもやっぱり好きなんだね……」
一瞬、叩き起こしたい衝動に駆られたが、なんとか堪えた。
彼女たちの拘束からそっと抜け出したあと、ずれてしまった布をかけなおした。
もう一度、彼女たちの寝顔を目に収める。
だらしなくはあるが、これはこれで彼女たちらしいかもしれない。
そう思いながらベルリオットはくすりと笑みをこぼし、その場をあとにした。
外はまだ星の輝きが見られるほどには暗かった。
見張りの聖堂騎士と挨拶を交わしながら防壁上をぶらぶらと歩いていく。
等間隔に置かれた篝火のおかげで足場は明るかった。ある程度ならば離れた場所に立つ見張り番の姿も確認できる。
少し先の防壁上で、明らかにほかの聖堂騎士とは違う格好で見張りをしている者を見つけた。その者は狭間胸壁の上であぐらをかきながら、じっと大陸の外側を見つめている。
あの体格や雰囲気は間違いない。
ライジェルだ。
ベルリオットは急ぐこともなく、ただ気が向くままに彼のもとまで歩いた。
「なんだ、もう起きたのか。もう少し寝てても良かったんだぞ」
ライジェルがこちらを見ることなく言った。
どうやら気づかれていたらしい。
ベルリオットは近くの凸部に両腕を置きながらこたえる。
「やけに目覚めが良かったし、また眠れって言われても無理だ。てか親父こそ休んだらどうだよ。もしかして寝てないんじゃないのか?」
「ふかふかのベッドじゃねぇと寝られないタチなんだよ」
「ふかふかって……そんなの、ここにあるわけないだろ」
「ついでに美味い飯もたらふく食いてえなぁ」
「……あのな」
「そんな怒るなって。冗談に決まってるだろ」
「ほんとかよ」
そう言いながらベルリオットはライジェルをにらみつけるが、すぐに顔から力が抜けてしまった。目に映った父の顔が妙に嬉しそうだったからだ。
「あんまり眠くないんだよ。まだシグルとの戦いは終わってないってのによ、ようやく……ようやく大陸に帰って来られたんだって気持ちが俺ん中で膨れ上がっちまってな。まあ、言っちまえば昂ぶってるってことだよ」
「……親父」
息子として、「おかえり」と言うべきなのだろう。だが、恥ずかしいと思う気持ちが先行して、その言葉はなかなか喉から出てきてくれなかった。
「見ろよ」
ライジェルがあごでしゃくり、大陸の外側を指し示した。
星の輝きに照らされてか、はたまた目が慣れたせいか。くすんだ青色で染められているものの、大陸の外側に広がる地上の姿をうかがうことができた。
手前側は大半が荒地で占められているが、もう少し先には森林地帯が見られる。そこからは一本の長い川が流れ、伝っていけば山岳地帯へと突き当たった。低い稜線の向こう側に目を向ければ、星明りを受けてきらきらと光る水面が映った。全体像はわからないが、それはどこまでも奥へと続いているようにも見える。
知識としてしか知らないが、あれが海というものなのかもしれない。
昼間はシグルとの戦闘でじっくりと見る機会がなかった。
あらためて地上の姿を目にしたベルリオットは、ただただ見とれてしまった。
見える範囲では決して緑が多いわけではない。
だが、地上の自然は、大陸に生きていた自然よりももっと力強いものに見えた。
根拠なんてものはない。
ただ、どうしようもなく惹きつけられるのだ。
その感動が崩れぬよう配慮してくれたのか。
ライジェルが静かに言葉を紡ぐ。
「てっきり地上は腐りまくってんのかと思ったが、まったくそんなことはなくてただただ驚いてるぜ」
「俺も、緑はもちろん水も大地すら残ってないんじゃないかって勝手に想像してた」
「それが蓋を開けてみりゃこれだからな」
「ああ」
「シグルってのは意外と自然を愛してたりな」
「どうだろうな」
シグルがどのような思いから自然を残しているのかはわからない。
ただ、いまは自然が残っていてくれたことに感謝したいと思った。
しばらく無言のまま、ベルリオットはライジェルとともに目に映る光景を眺めつづけた。
過去、地上に住んでいた人たちがどのような生活を送っていたのか。
初めはそんなことを考えていたが、いつの間にか違うことを頭の中が支配しはじめる。
「なあ、親父」
「ん、なんだ?」
「あれからずっと天上で過ごしてたんだよな」
「まあ、そうだな」
「その……俺の母親……ベネフィリアとも会ったのか?」
「会ったぞ。てか天上で目が覚めたときとき、最初に逢ったのがあいつだったしな」
「そう、なのか」
「ただベネフィリアって名前を聞いた瞬間、怒鳴っちまったけどな」
「なんでだよ? 普通、命を助けてもらった礼が先だろ」
「いや、いつか機会があったら文句言ってやろうと思ってたんだよ。どうしてベルをひとりで狭間に行かせたんだ、ってな」
「親父……」
やっぱり親馬鹿だ、とベルリオットは思った。
ライジェルの想いは素直に嬉しいが、ベネフィリアにも止むぬ止まれぬ事情があってのことだ。
「けど、それは運命の時に備えるためだったんだろ。人が勝ち抜くためには、それしかないと思って――」
「それでも自分の子どもを手放す親がどこにいるかよ。まあ、それで俺は文句を言いまくってたんだが、あいつは感情がないのかってぐらい『仕方のないことだったのです』を繰り返すだけでな」
その言葉を聞いたとき、ベルリオットは胸がずきりと痛んだ。
とっくに折り合いをつけたと思っていたが、どうやら自分はまだ母親というものに幻想を抱いていたらしい。ベネフィリアがどのような人なのか。実際に会ったわけでもないのに、尽きることのない愛情を注いでくれる存在であると勝手に思いこんでいたのだ。
ベルリオットが顔を下向ける中、ライジェルは感情をあらわにしながら話を継ぐ。
「でも、そんな言葉で納得できるかって話だ。俺は頭にきてさらに文句を言い続けたんだが、あるときふっとあいつが涙を流したんだよ。アムールの王が苦しそうに胸を押さえながらみっともなく叫んだんだ。本当は手放したくなどありませんでしたってな」
ベルリオットは先ほどまで胸の中に溜まっていた靄が一瞬で晴れたのを感じた。
顔も知らない母親が、いったいどんな風に気持ちを吐露したのかなんて想像がつかない。
ただ、ライジェルの言葉を通じてたしかな温かみだけは伝わってきた。
母は自分を愛してくれているのだ、と。
ライジェルは全身から力を抜くと、ばつが悪いといったような複雑な表情を浮かべた。
「まあ、いま思えば当然のことなんだけどな。誰よりも苦しい思いしてんのはベネフィリアなんだって。本当に俺の自己満足だったよ。けどま、そのおかげで俺はやっと目の前の……ベネフィリアってやつがおまえの母親なんだって認めることが出来たがな」
ライジェルは自身の胸の前に右手を持っていった。
広げた掌を見つめながら、顔を引き締める。
「でもって俺はそのときあいつに誓ったんだ」
言って、ぐっと力強く握りこぶしを作る。
「シグルとの決戦を迎えたとき、地上へと下り立ち、必ずベルを守りきってみせるってな」
どうしてライジェルが圧倒的なまでの力を手に入れたのか。
それは精霊になったからだとか、天上で修行を続けていたからだとか、そうした単純な理由だけではなかったのだ。
本当の母。
そして育ててくれた父。
二人の親から向けられた直接的な想いに、こうも激しく気持ちがゆさぶられるとは思いもしなかった。ベルリオットは熱くなった目頭から余計なものが出ないよう、必死になって奥歯をかみ締めた。
そんなこちらの気持ちを知ってか知らでか、ライジェルが訊いてくる。
「それでどうだ、少しは役に立ったか?」
「……力になったよ。てか、親父が来てくれなかったら、たぶん」
「なんだやけに素直じゃねーか。メルザが言ってた人目がなければってのは本当だな」
人がせっかく真面目にこたえたのにこれだ。
そう茶化されると、いやでも反対のことを言いたくなる。
「今度はベルの話を聞かせろよ。色々あったんだろ」
「まあ、誰かさんが死んだと思わせてくれたおかげでな」
「おいおい拗ねるなよ。悪かったって。てか俺だって生きてたのが信じられねーぐらいなんだからよ」
もう少し困らせてやりたいところだが、あまり長引かせても大人気ないか、と思った。
なにしろいまの自分は、昔と違って父親と同じ目線で外を見られるのだ。
もう子どもではない。
「……訓練校に入ってからぐらいでいいなら」
「おう、話してくれ。俺は父親だからな。息子のことならなんでも聞くぞ」
言って、ライジェルが年甲斐もなく目を輝かせた。
どれだけ興味があるというのか。
ベルリオットは父の姿に苦笑しながら、過去をゆっくりと思い出して語りはじる。
「けど、なにから話すかな。色々ありすぎて……ああ、そうだ。イオルって奴がいるんだけど、そいつが本当にいけすかないやつでさ、入学早々――」
/////
「まさか本当に夜明けまで攻めてこないなんてな」
「おかげで息子と色々話せたから、そこだけはオウルの奴に感謝してるぜ」
星の輝きが見えなくなり、空が明るみはじめてきた頃。
ベルリオットは冥獄穿孔へ向かう面々とともに防壁外側に集合していた。
ニアが連れてきた五人のアムールも控えている。
纏っている空気感のためか、見るからに手練であることがわかる。
ニアが問いかけてくる。
「ベルリオットさま、隊列は方円でよろしいでしょうか。正面は我々が担当します」
「構わないが、いいのか?」
「もちろんです。ベルリオットさまと、ライジェル殿は出来る限り体力を温存してください」
彼女の申し出はありがたく受けさせてもらうつもりだが、任せっきりでいいのだろうか、という思いもないわけではなかった。
なにしろ冥獄穿孔へ辿りつくにはシグルの群れを突っ切らなければならないのだ。
生半可な実力では、耐え抜くことなどできないだろう。
そんなことをベルリオットが考えていると、ライジェルが肩に手を置いてきた。
「ニアの実力は本物だから安心しろ」
「知ってるのか?」
「知ってるもなにも、よく手合わせしてもらってたからな。初めの頃は何回負けたかわからねーぐらい負けたよ」
「そんなに……」
ニアが少し困ったような笑みを見せる。
「といっても二年目であっさり抜かれてしまいましたけどね」
「そうだっけか」
「そうです。本当に人間なのかと何度疑ったことか」
「ひでぇな。俺はれっきとした人間だっての。あ、でも半分だが精霊も混じってるから、一概には言えねえのか」
そうライジェルはのん気な口調で言う。
本当に我が父ながら緊張感がなさすぎるな、とベルリオットは思った。
しかし、安心はさせてもらった。
「ニア、あらためてお願いするよ。冥獄穿孔までの道のり、正面を頼めるか」
「はいっ!」
そうニアが凛々しい顔つきで返事をしたときだった。
後方から耳障りな音が聞こえてきた。
この無駄に風を荒らすような音は間違いない。
飛空船の音だ。
振り返ると、二隻の飛空船が防壁を越えてくるのが目に入った。
土ぼこりを巻き上げながら飛空船が着陸すると、早々に側面の扉が開かれた。
どちらの飛空船からも騎士がひとりずつ出てくる。
ベルリオットは思わず目を見張ってしまった。
飛空船から出てきた騎士が、戦線から離脱したはずのエリアスとリンカだったのだ。
「エリアス、リンカ……? どうして」
「どうしてもなにも、あたしたちも空の騎士だから」
「いや、けどっ! その体で……」
二人の騎士服はすでにぼろぼろだ。
身体にいたっては頭や腕、大腿部などあちこちに包帯が巻かれているし、あらわになった肌からも痛々しい斬り傷が多く刻まれている。
なにより彼女らの眉間が常に震えていた。
いまも立っているだけでやっとといった状態なのだろう。
ティーアの負傷とは比較にならないほど酷い。
だが、彼女らは肩を下げたり、膝を折り曲げたりなどといったことはいっさいしない。
自分たちは大丈夫だと言わんばかりに、ぴんと背筋を伸ばして立っている。
「お願いします。わたしたちも同行させてください」
エリアスが真っすぐな瞳で訴えかけてくる。
ベルリオットは思わず目を逸らしそうになった。
出来るなら、この問いかけから逃げ出したいと思ったのだ。
だが、今回の責任者は自分だ。
ティーアのときと同じように、また選択しなければならないというのか。
大切な仲間が命を懸けるかどうかの選択を自分がしなければならないのか。
「ベルさま、お早く! 敵が来ました!」
メルザリッテの切羽詰った声が聞こえた。
ベルリオットは振り返ると、まぶしい光に目を刺激された。
日の出だ。
そのまぶしい光を背に、大地からせりあがってくる大量の影が映る。
シグルの大群。
それらは一斉に視界の両端まで伸びると、高さを持って防衛線へ迫ってくる。
オウルの宣言通り、夜明けとともにシグルの侵攻が再開されたのだ。
もう時間がない。
ベルリオットは視線をエリアスたちのほうへ戻した。
奥歯を強くかみ締める。
ティーアを許したから、などという理由ではない。
ただ、彼女たちの力が必要だからだ。
そう自分に言い聞かせながら、ベルリオットはうなずいた。
「ではっ!」
エリアスのまぶたが跳ねた直後、ベルリオットは釘を差すように「ただし!」と続けた。
「二人には方円の中央に入ってもらう。冥獄穿孔まで少しでも体力を温存してくれ。いいな?」
それは彼女たちを大事にしているから出た発言ではない。
彼女たちの力をあてにしているからこそ出た発言だ。しかしそれがエリアスとリンカにとっては嬉しかったのか、彼女たちはそろって口もとを緩めた。
「感謝します」
「……ん」
エリアスがかすかに頭を下げ、リンカがうなずいた。
足もとから小刻みな振動が伝わってきたのを機に、ベルリオットは素早く振り返った。
シグルの大群が早くも大陸の外縁部に到達していた。
日の光や空の青はもう見えず、代わりに黒で染められている。
防壁上や防壁前で陣取っている聖堂騎士やアミカスの末裔、アムールが一斉に身構えていた。
「ベルさまっ」
ベルリオットは飛びこんできたクーティリアスの手をとった。燐光と化した彼女に身体が包まれていく。背中へと回りこんだ燐光が弾けるように散った。
あらわれた精霊の翼を大きく羽ばたかせながら、ベルリオットはそばに立つエリアスとリンカに向かって叫ぶ。
「行こう、二人とも」
うなずいた彼女たちとともに仲間と合流した。
すぐさま陣形を組んだ。ニアを先頭に両脇をアムールが固め、左側面にはライジェルが、右側面のベルリオットが入る。もっとも後方にはメルザリッテがつき、その両脇をジャノ、ヴァロン、ティーアが固める格好だ。
陣形を整える中、エリアスがほかの騎士へ向かって言う。
「遅れて申し訳ありません!」
「構わん構わん」
「これで空の騎士が揃ったしな」
「必ず来ると思っていた」
ヴァロンに続いて、ジャノ、ティーアがこたえた。
全員がエリアスとリンカの復帰を歓迎しているようだ。
ライジェルが冗談交じりに言う。
「なんだ、いまの時代は男より女のが骨があるんじゃねえのか」
「……失礼ですが、あなたは?」
「あー、それ俺の親父だ」
ベルリオットは、こんな状況下で紹介するとは思ってもみなかったので、エリアスにさらりと言ってしまった。
「そ、それって」
普段あまり驚くような素振りを見せないリンカがいち早く反応した。
エリアスにいたっては驚いて口をぽかんと開けてしまっている。
「おい、ベル。親父に対してその扱いはあんまりじゃねえのか」
「もうシグルが来てんだからしかたないだろ!」
悠長に会話を交わしていたが、シグルの群れはもう目前に迫っていた。
飛び出すならばいまを置いてほかにない。
後方からメルザリッテの声が飛んでくる。
「お喋りはそこまでにしましょう! ニアっ!」
「はい、では行きます! みなさま遅れずについて来てください!」
そう叫んだニアとともに一斉に飛翔した。
目指すはシグルの群れを越えた先――。
冥獄穿孔。




