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天と地と狭間の世界 イェラティアム  作者: 夜々里 春
終章【光満ちる空】
135/161

◆第八話『傷痕』

「……主、力になれなくてすまない」

「足引っ張っちゃってごめんね、ベル……」


 ベルリオットは防壁内側に張られた仮設テントのひとつを訪れていた。

 両脇では、ティーアとナトゥールが布地の敷物の上で横たわっている。

 どちらも体のあちこちに包帯が巻かれた状態だ。とはいえ、すべての傷や打ち身が覆われているわけではない。

 小さな擦り傷を数えればきりがなかった。

 ベルリオットはその場に屈み、彼女らの顔を覗きながら言う。


「そんなことはない。二人のおかげで俺は助かったんだ……ありがとう。とにかくいまは休んでてくれ」


 二人ともなにか言いたそうだったが、そろって口を閉ざした。ゆっくりとまぶたが下りていく。

 それを機にベルリオットは立ち上がり、振り返った。

 入り口に立っていたクーティリアスから声をかけられる。


「ベルさま、二人のことはぼくに任せて」

「いいのか?」

「うん。だって話したいでしょ?」

「いま思うと急ぐ必要はないかもなって」

「せっかく再会できたんだし、行ってきなよ」

「そう、だな……悪いが頼む」

「あいっ」


 彼女の気遣いに感謝しながら、ベルリオットはその場をあとにした。

 外に出ると、防壁内側に沿うよう張られた多くのテントが目に入った。ただ、それでも充分な数ではなかったようで、野ざらしで手当てを受ける者も多く見られた。

 凄惨な光景だ。

 途中からオウルが、ほかのシグルの侵攻をとめていなければどうなっていただろうか。

 考えただけでもぞっとする。


 少し離れた場所で、ライジェルが防壁に背を預ける格好で立っていた。

 ベルリオットは彼のもとへ向かおうとしたが、なんだか足が重かった。

 俯いて足もとを見つめる。

 緊張しているのか、と自問する。

 きっと先ほど気負うことなくライジェルと言葉を交わせたのは戦闘に意識が向いていたからだろう。


 これが約十年間、離れていた距離感覚なのだろうか。

 そう疑問を抱いたとき、ざっと砂のこすれる音が鳴った。

 視界に誰かの足が割りこんでいる。

 顔を上げると、ライジェルが目の前に立っていた。


「精霊とアミカスの末裔が二人、か。で、どの子がおまえの恋人だ?」

「は? いきなりなに言って――」

「なにがいきなりだよ。父親として息子の将来を気にするのは当然だろ?」

「なにが当然だよ? てか、あいつらはそんなんじゃねえっての」

「違うのか? もしかしたら孫が見られるかもしれねーなと思って期待してたんだが」

「ま、孫って、あのな!」


 ベルリオットは怒鳴るが、ライジェルはにやにやと意地悪く笑っているだけだった。

 その顔を前にして、なんだか肩の力が一気に抜けていった。

 真面目に考えてた自分が馬鹿みたいだ、と思う。

 ただ――。


 まっ、このほうが親父らしいか。


 いつも余裕に満ちていて、どこか掴みどころがない。

 彼の空気感はほかの人にはないものだ。

 長いときを越えてもまったく変わっていない。

 そう思うと、ベルリオットはあらためて父の顔を見ることができた。


「さてと……なんで生きてんのかとか、いままでなにしてたのかとか、いますぐにでも色々問い詰めたいところだが、それよりもまずはほかの防衛線の状況を把握しないとな。シグルが撤退してるとも限らないし」

「奴を信用するわけじゃねーが、そんなこすい真似をするような奴には見えなかったけどな。ま、確かめとくに越したことはないか」

「ひとまず本部のほうに――」


 行こう、と言おうとしたときだった。


「ベルさまっ!」


 空から覚えのある声が聞こえてきた。

 その声の主は間違いなくメルザリッテのものだったし、見上げた先にも彼女の姿を認めることができた。だが、ベルリオットは思わず目を瞬かせてしまう。

 なぜなら、これまで赤の光を纏っていたはずの彼女が青の光を纏っていたからだ。


「どうしてメルザが青の光を――って、うぉ!?」


 メルザリッテがそばに下り立つなり抱きついてきた。

 ベルリオットは慌てて踏ん張り、後ろへ転びそうになるのをなんとか堪えた。

 さらにいつもの調子で突き放そうとするが、抱きつかれる前に一目見た彼女の心底ほっとしたような顔が忘れられず思わず手を止めてしまう。


「本当にご無事でなによりです……!」

「なんでメルザがここに? 東にいたはずじゃ」

「東側にいたシグルはいったん後退したので……それでオウルが南側に来ていると聞いていたので飛んできたのです」


 そうこたえながら、メルザリッテがゆっくりと離れた。

 あらためて彼女の姿を見てみると、あちこちに傷が刻まれていた。

 騎士服もところどころが破けてしまっている。

 彼女ほどの実力者がここまで追い詰められるとは、いったいどんな相手だったのだろうか。気になるところだが……まずは彼女に一言告げたかった。


「メルザこそ無事で良かったよ。見たところ楽な戦いじゃなかったみたいだな」

「はい。ですがリヴェティア騎士団の方々と、援軍に来てくれたアムールのおかげでなんとか」


 メルザリッテが振り返った先へと視線を送った。

 そちらに濃赤のアウラを纏ったひとりの女性が下り立った。

 彼女は怜悧といった印象が先立つ容姿だった。ぷっくりとした唇や勝ち気な瞳のせいか、メルザリッテよりも少し大人びて見える。

 赤いアウラを散らした彼女を目にしながら、ベルリオットは問いかける。


「メルザ、彼女は……」

「彼女はニア。東方防衛線でわたくしを助けてくれたアムールです」

「お初にお目にかかります、ベルリオットさま」


 ニアと呼ばれたがベルリオットの前まで来ると、機敏な動きで片膝をついた。

 風格というのだろうか。

 纏っている雰囲気がそこらの騎士とはまるで違った。


 やはり彼女もまた、メルザリッテと同様に二千年などというとんでもない時を生きているのだろうか。などという考えが過ぎったが、一瞬寒気がしたのでそれ以上は考えないことにした。


「顔をあげてくれないか、ニア」

「は、はい」

「メルザを助けてくれてありがとう」

「そんな……わたしはただ当然のことをしたまででっ」


 心の底からそう思っているようで、あたふたとしていた。

 先ほどまでのきりりとした印象は感じられない、愛嬌のある慌てようだ。

 ふふふ、とメルザリッテがそばで微笑む。


「あら、ニア。ベルさまに色目を使っても無駄ですからね。ベルさまはわたくしに夢中なのですから」

「は、はい……?」

「こら、メルザ。ふざけるな」


 ベルリオットはメルザリッテの頭をこつんと小突いてやった。「あぅ」と声を漏らし、彼女は叩かれた場所を両手で押さえる。

 そんな彼女をよそに、ベルリオットはニアへと向き直る。


「あー、気にしないでくれ。いつものことだから」

「は、はぁ。わかりました」

「あといつまでもそうされてると困るから楽にしてくれると助かる」

「かしこまりました」


 ニアはすっくと立ち上がったあと、少し下がった。

 先ほどの小突きから復活したメルザリッテが、なにやら窺うような目を向けてくる。


「それにしてもベルさま、どのようにしてオウルを退けられたのですか? ベルさまの力を信じていないわけではないのですが、その……」

「たしかに俺はオウルを名乗る奴と戦った。ただ、奴は仮初の体だって言ってたから、まあ、そういうことだったんじゃないか」

「やはり仮初の体でしたか。……もしかすると長いときをかけて思念を少しずつ地上へと移動させていたのかもしれません。いえ、それ以外にオウルが上がって来られる理由など説明がつきません」


 彼女は小難しい顔で推察を始めたかと思うや、今度はしずしずと頭を下げてきた。

 後ろでひとつに結われた青みがかった髪が流れるように垂れる。


「いずれにせよ、わたくしの読み違いによりベルさまを危険な目にさらしてしまいました。本当に申し訳ございません……」

「メルザが謝ることじゃないだろ。それにこうして俺は生きてるんだから、気にしないでくれ」

「ベルさま……」

「ま、俺ひとりじゃとても勝てる相手じゃなかったけどな。ていうかメルザ、まだ気づいてないのか?」

「はい?」


 顔を上げたメルザリッテが瞬きしながら首を傾げる。

 と、次に聞こえた声によってそのまぶたがぴくんと跳ねた。


「メルザ、こっちだこっち」


 そう言いながら、ライジェルがベルリオットのそばまで歩み出てきた。

 彼はずっとベルリオットの後ろに立っていたのだが、どうやらいまのいままで気づかれぬままだったらしい。

 ライジェルが苦笑する。


「ベルのことしか見えてないのは変わんねーな」

「あら、ライジェルさま。お久しぶりでございます」

「おう久しぶり。服はぼろぼろだが……元気そうでなによりだ。でもって相変わらず時が経っても見た目は――っと、これ以上は無粋だったな」

「うふふ」


 軽口を叩くライジェルと、底冷えのする笑みを浮かべるメルザリッテ。

 このような光景は昔にも見たことがあるものだった。

 だからなにもおかしくはないのだが、違和感が満載だった。

 ベルリオットは思わず唖然としてしまう。


「……メルザ、驚かないのか? 親父が生きてたんだぞ?」

「はい、驚いておりますよ」

「そんな風にまったく見えないんだが」


 もともとメルザリッテは驚きに対して大きな反応を見せない。

 ただ、それでもあまりに反応が薄すぎるような気がした。

 彼女はこちらに向き直ると、事情を説明をしてくれる。


「ライジェルさまが狭間の世界からいなくなる際、可能性のひとつとして〝生きているかもしれない〟と思っておりましたから」

「じゃ、じゃあなんでいままで黙って――」

「いまも言いました通りあくまで可能性のひとつだったのです。こう言うのはなんですが、ライジェルさまが生きておられたのは奇跡としか」


 つまり死んでいる可能性のほうが高いのに〝父が生きているかもしれない〟と希望を与えるのは酷だと判断し、教えてくれなかったということか。

 その気遣いに対して、ベルリオットは素直にありがたいとは思えなかった。

 出来れば知りたかった、という思いが先立ったからだ。

 ただ当時のメルザリッテの立場を考えれば、彼女を責めることはできないと思った。

 うまく折り合いをつけたつもりだが、顔に出てしまったのか。

 メルザリッテが眉尻を下げていた。


「申し訳ございません、ベルさま……」

「いや、メルザは悪くない。俺のことを思ってやってくれたことだしな」

「……はい」


 しゅんと縮こまったメルザリッテを横目に、ベルリオットは周囲の様子をうかがった。大きな動きがないことをたしかめると、また彼女へと視線を戻した。


「メルザが来てからまだあんまり時間経ってないし、北と西の状況がわかるまで少し時間あるよな」

「どうしたのですか?」

「いや、ついでだし親父がどうして生きてたのか話してもらおうかと思ってさ。気になってしかたない。いいだろ?」


 ベルリオットがそう問いかけると、メルザリッテが視線でライジェルに確認をとり、首肯を受けた。それを合図に、彼女は語りはじめる。


「あのとき……死を前にしたライジェルさまは天上へ連れて行かれたのです。そしてそこにある、あらゆる傷を治すと言われる泉につかることで一命を取り留めたのです」

「ま、待ってくれ。いきなりわけがわからないんだが。まずそんな簡単に天上に行けるものなのか? 《運命の輪》が存在する場合、狭間からはもとより天地のどちらからも行き来ができないだろ」

「そうですね。ただ、例外もあることもご存知ですよね」

「ああ。下位のシグルは上がってきていた」

「はい。力が弱い存在。つまり生命力の弱いものはその限りではありません。ベルさまがまだ赤子の頃に狭間へ来られたのもこのためです」


 彼女はなにを言わんとしているのか。

 生命力が弱い者であれば天地と狭間の行き来が可能である、と強調している。

 そしてこれはライジェルがどのような方法で天に上がったか、という話でもある。


 ライジェルは剣聖とまで呼ばれたほどの力を持つ騎士だ。

 生命力は弱くはない。

 ただ、その生命力が健康体であることを前提にしていたとしたら。

 たとえば重傷を負っていたり、または死を目前にしていたりしたら。

 その限りではないのかもしれない。

 ベルリオットははっとなる。


「まさか」

「そうです。あのとき、ライジェルさまは死にかけておりました。つまり生命力が弱っていたため、《運命の輪》による制限を受けない状態にあったのです」

「けど、それじゃあ親父がひとりでに天上に行ったっていうのか? そんなこと」

「もう一度、ライジェルさまの死に際を思い出してみてください。そこに異質なものが映ってはおりませんでしたか?」


 はっきり言って良い思い出ではなかった。

 あの出来事を境に夢でうなされたことは少なくない。

 ただ、ライジェルが生きていると知ったいま、思い起こすことをためらう気持ちはいくらか和らいでいた。

 静かに目をつむり、当時のことを頭に思い描いていく。


 満天の星空の下、辺りは生温かい空気に包まれている。充満する鼻をつくような血のにおい。においの源は、そばで倒れているライジェルだ。彼は苦痛に耐えながら必死に微笑もうとしている。生きていると知ったいまでも、その顔を見ると胸が締め付けられるように痛む。

 そしてライジェルが穏やかな笑みを残したとき、周囲に無数の燐光が現れた。それらは眩く煌きながら女性の形を模ると、ライジェルを連れて天へと昇りはじめた。そしてすぅと音もなく、空気に溶けるように消えていく。

 ベルリオットは目を開け、ぼそりと呟く。


「そう言えば、うっすらと光る女性がいたような……あれは?」

「ベネフィリアさまの思念です」

「ベネフィリアって……俺の……」

「はい、ベルさまのお母様です」


 あれがベネフィリア。

 自分の母親だったというのか。

 明かされた真実にどうこう感情を抱く前に、ベルリオットは真っ先に母の顔を思い出そうとしてしまった。しかし、頭に残った過去の映像の中では、女性らしい体の輪郭線はうかがえたものの、顔つきまでははっきりと映っていなかった。


 一瞬、胸の中にぽっかりと穴が開いたような、そんな虚無感にとらわれた。

 言ってしまえば、残念だという気持ちに見舞われたのだ。

 自分はなにを考えているのか。

 これではまるで母に甘える子どもみたいではないか。

 そんな風に反発してみたものの、虚しい思いが押し寄せてくるだけだった。

 自然と俯いてしまったとき、誰かに頭を荒々しく撫でられた。

 この大きな手はライジェルの手だ。


「なーに情けねえ面してんだ。寂しいなら昔みたいにお父さーんって泣きついてきてもいいんだぞ」

「だ、誰がそんなことするかよ!」


 ベルリオットは慌ててライジェルの手を払って逃れた。

 釈然としない気持ちを吐き出すように大きく舌打ちする。

 そんなしぐさすらライジェルにとっては笑い種だったのだろう。からからと笑っていた。


 ベルリオットはそんな父の姿を横目にしながら、なんだか胸の中に溜まっていた色々な感情がすぅと抜けていくのを感じた。代わりに押し寄せてきたのは、くすぐったくて温かい感情だ。それを感じながら、はぁとベルリオットは息をつく。


 結局、俺もまだ子どもなんだろうな。


 そう自嘲しながら、にかっと笑う父を目に収めた。

 話が落ちついたところで、メルザリッテが訝るような顔をライジェルへ向ける。


「それにしてもライジェルさま、そのお体はいったい……まるで半分が精霊のような」

「大方、メルザが説明してくれたもんで合ってるんだが、どうやらベネフィリアに連れられるときに《精霊落とし》が始まったみたいなんだよ。ただ、移動中にそれが途切れたみたいでな」

「そんなことが……」

「おかげでこんな体になったってわけだ」


 言って、ライジェルは肩をすくめる。

 ベルリオットは二人の会話を聞いていたが、内容がさっぱりだった。

 そもそも聞きなれない単語が含まれていた。


「精霊……落とし?」

「《精霊落とし》とは、この世界に生きる者が精霊となるときに創造主によって起こされる現象のひとつです。その仕組みについて詳しいことはわかっておりませんが、おそらく創造主は〝強い意志を持つ者に二度目の人生を〟という考えのもと《精霊落とし》を行なっているのではないか、とわたくしは考えております」


 その説明を聞いて、ベルリオットはクーティリアスのことを思い出した。

 人として生きていた彼女は、あるときを境に精霊になった。

 つまり彼女が経験した変化も《精霊落とし》と呼ばれる現象によるものということだ。


「《精霊落とし》がはじまってなかったら間に合わなかったかもしれないってベネフィリアに言われたよ。まあ、運が悪けりゃ死んでただろうなってことだ」


 ライジェルがあっけらかんと言った。

 その言葉に、ベルリオットはかちんとくる。


「死んでただろうなってそんな軽く言うなよ。こっちは本当に親父が死んだと思って――」

「あー、悪かった悪かった。俺が悪かったからそんな怒るなって。寂しかったんだよな、父ちゃんがいなくて。ほら、好きなだけ甘えさせてやるからいまは許してくれ」

「い、いるかっ」


 頭を掴まれ、ぐいと抱き寄せられそうになったが、ベルリオットは全力で逃げ延びた。

 この歳になって好んで父に抱かれる息子がどこにいようか。大体、この場にはほかにも多くの騎士がいるのだ。それも自分を慕ってくれている聖堂騎士が大半だ。彼女たちの目に入る場所で、このような恥ずかしい真似などできるはずがない。

 ふとメルザリッテが人差し指を立てると、饒舌に語りはじめる。


「ライジェルさま。ベルさまは恥ずかしがり屋さんですから、もっと人目の少ないところでやるのがよろしいですよ。嫌がりつつもきちんと受けいれてくれますから。と言っても一番のお勧めは就寝中です。なにをしても受け入れてくれますから」


 いつの間にか恍惚の笑みを浮かべ、さらに口の端からは涎がでかかっている。

 そんな不審者極まりないメルザリッテの姿に引くこともなく、ライジェルが感心したようにうなずく。


「そうだな失った時間を取り戻すためにも、まずは一緒に寝ることが第一か」

「あ、ですが毎日はダメですよ。週に五日は開けておいてくださいね。わたくしが頂きますから」

「五日もだと? 二日しか残ってねーじゃねえか。あと一日ぐらい融通きかせてくれよ」

「いーえ、ダメです」


 当人のことなどそっちのけで話を進める二人を前に、ベルリオットは思わず頭を抱えてしまう。


「……こいつら」


 思い返してみれば、昔、三人で暮らしていたときも、こうして不器用極まりない甘やかし方で困らせられていた。剣の稽古こそ厳しいライジェルだが、そのほかに関してはメルザリッテと同様、激甘もいいところだったのだ。

 ライジェルが生きていたのは嬉しい。が、メルザリッテのような保護者が増えたかと思うと素直に喜べなかった。


 そうしてベルリオットが現実逃避していると、慌しい足音が聞こえてきた。

 音のほうを見れば、少年とも言える背格好の人物が目に入った。彼は被った帽子が落ちないよう片手で押さえながら、危なっかしい走り方でこちらに向かってくる。

 ベルリオットは一目見て、彼がラグ・コルドフェンだとわかった。


「ベルさん!」


 目の前まで来たラグが一仕事終えたかのようにふぅと息をついた。


「ラグさん? どうしてここに?」

「シグル撤退の報せを聞いて、それで王都から代表してわたしが行かせてもらうことになったのです。現場の状況を把握し、その上で今後の方針を決定するようにと。……ところで」


 ラグはそばに立つメルザリッテのほうを見やる。


「メルザさんはどうしてここに?」

「南側が危機に瀕していたので駆けつけたのです。といってもそれは杞憂に終わりましたが。東側の防衛に関しては援軍に来てくれたアムールがいますから安心してください」

「そういうことでしたか。東の防衛状況に関しては報告を受けていましたから、心配はしていません。東側と同様、北、西側にもアムールが来てくれたようなので、ひとまず安心といったところですね」


 その言葉を聞いて、ベルリオットはずっと気になっていたことを訊いてみる。


「ってことは西と北のどっちも無事だったってことか?」

「それが……」


 ラグが顔を曇らせた。

 いやな予感を覚えながらも、ベルリオットは彼の言葉に耳を傾ける。


「騎士のみなさまがたの奮闘もあり防衛には成功したようなのですが、南と東に比べて損害が酷く……さらにログナート卿とアシュテッド卿が重傷を負ったとの報告が入っております」

「エリアスとリンカが……?」


 ベルリオットはすぐに信じられなかった。

 彼女たちは自分にとっていまや近しい存在だ。

 その彼女たちが重傷を負った、という事実を否定したかったのかもしれない。

 なにかの間違いなのではないか、と聞き返そうと思ったが、ラグの深刻な顔を前にベルリオットは口を閉ざすしかなかった。


「命に別状はないようですが、戦場への復帰は厳しいとの報告を受けております」

「……あの二人が負けるなんて」

「なんでもほかとは異質のシグルが相手だった、と。なにぶん報せを聞いてすぐに飛んできたので、そのシグルの詳細までは……」

「おそらくオウルを除いたシグルの中では、もっとも上位に位置するシグル――三柱のうちの二体ですね。わたくしが東側で戦っていた相手も三柱のうちの一体です」


 そう説明してくれたのはメルザリッテだ。

 彼女のぼろぼろの騎士服やあちこちに刻まれた傷跡を見るに簡単な戦いではなかったことがうかがい知れる。メルザリッテほどの実力者を苦しめたシグル。それと同格であるシグルと戦い、エリアスとリンカの両名は担当の防衛線を守りきったのだ。いまは彼女たちが生きていたことに感謝し、そして称えるべきなのだろう。

 そうベルリオットは自分に言い聞かせ、やりきれない気持ちをなんとか収めた。


「ベルさん。わたしは現状を踏まえ、第二段階への移行を提案します」


 ラグが真剣な顔で見上げてきた。

 それに対してベルリオットがなにかを言うよりも早く、そばに立っていたライジェルが疑問を口にした。


「第二段階? なんのことだ?」

「空の騎士とほか数名の少数精鋭で冥獄穿孔の破壊へ向かう作戦のことです。守っていてもらちが明きませんから、機を見て短期決戦を挑みに――っと、失礼ですが、あなたは……?」

「ん、俺か? ライジェルだ。ライジェル・トレスティング」

「そうですか、ライジェルさんと言うのですね。素敵なおな、ま……え……」


 愛想の良い顔から一転。

 ラグは真顔のまま目をぱちぱちとさせると、しゅたたと素早い動きでベルリオットのそばまで駆け寄ってきた。背伸びをして、小声で訊いてくる。


「あのっ、あのっ、ベルさん!?」

「あー、たぶんラグさんが思ってるので間違ってないと思う

「じゃ、じゃあもしかして――ですが、その、お亡くなりになっていたのではっ!?」

「色々あって生きてたみたいなんだ。正直、俺もいまだに信じられないんだが……天から降ってきた」


 ベルリオットが指さした天を呆けた顔で見上げたあと、ラグはゆっくりと顔を戻した。直後、彼は跳びはねるようにして動き出すと、慌ててライジェルの前で直立する。


「こ、このお方がかの有名な剣聖さま……! わ、わたくしラグ・コルドフェンと申します! 若輩者ながらディーザの宰相を務めさせてもらっております!」

「おう、よろしく。なにやらうちの息子が世話になってるみてーだな」

「いえ、とんでもない! いつもベルさんには助けていただいてばかりで――」


 ラグがぺこぺこと高速で頭を下げはじめた。

 ライジェルが少し大柄なこともあるだろう。

 ただでさえ小柄なラグが、さらに小さく見えた。


「ベルさま、わたくしも第二段階への移行するしかないと思います」


 メルザリッテが声をかけてきた。

 ベルリオットはうなずいてこたえる。


「俺も賛成だ。相手が相手だからな。守ってるだけじゃやっぱり先がない」

「ただ、いまは敵が後退し、冥獄穿孔の守りも堅くなっていると思われますからそのときではありません。狙うならば敵の侵攻が再開したところしかないかと」

「オウルは明日の夜明けに侵攻を再開するって言ってた。それが本当かどうかはわからないが……奴の口ぶりや振る舞いからして充分に信用できると思う。だからといって警戒を怠るつもりはないが」

「夜明け、ですか」


 言って、メルザリッテがなにかを思案しはじめるが、さしたる間もなく顔を上げた。


「エリアスさまとリンカさまの離脱は痛いですが、悔やんでもしかたありません。アムールのほうから数人ほど加勢に加わってもらいましょう。ニア、五、六人ほど選抜してもらえますか? それと南側の戦力が薄くなりますから、こちらへの援軍もあわせて調整をお願いします」

「かしこまりました。すぐに手配してまいります」


 ニアは、丁寧に頭を下げたあと飛び立っていった。

 彼女の姿を見送っていると、ライジェルから声がかかる。


「とりあえず、これで一段落ってとこか? だったらちょっと休もうぜ。俺もおまえらも、こんな格好でずっと立ち話ってのはあんまりだろ?」



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